003「夢の中の美少女」
女子社員1:「今年の忘年会どうします?」……そう言えばもうそんな時期か、後二週間もしない内にクリスマス、だからと言って現実の世界に何か楽しいイベントが待っている訳ではないが、
課長:「この前の旅行と同じコジンマリ有志で良いんじゃないか? こう言うの苦手な人も居るし強制にしない方が良いだろう、」
女子社員1:「あ、じゃあ課長、有志でみなとみらいに出来た新しいオイスターバー連れてって下さいよ、」
女子社員2:「あー、私も行きたいー!」
女子社員1:「スペインの有名シェフが本場の牡蠣を空輸してるって噂ですよ、」
課長:「何だか高そうだな、」
女子社員3:「じゃあ二次会はスクエアのショットバーに行きませんか? 私最近バーボンにハマってるんです、」
課長:「石田さん、見た目可愛いのに渋いな、」
女子社員1:「か、ちょ、お!…今のはセクハラ発言だぞぉ!」
まあ、有志と言うのは私を誘わない為の口実であって、私以外の総務課のメンバーは余程の事が無い限り全員参加する事になっている、どうせならわざわざ課のイベントっぽくしないでひっそりこっそりやってくれれば良いのにと思うのだが、課長も既婚者だから奥さんに言い訳し易い理由が必要なのだろう、
課長:「あ、町田さん、」
宏治:「はい、」……私は思わず驚いてびくりと身を震わせる、まさか私にも声を掛けてくれるなんて一体どういう風の吹き回し、
課長:「二階の女子トイレ詰まってるんだって、今日中に直しといて、」
宏治:「はい、」
私は女子トイレの前に「清掃中」と書かれた立て看板を出し、それから外から大声で声を掛ける、
宏治:「後15分で清掃入ります!」
それで20分程経ってから戻ってみると、未だ一人の女子社員が化粧直しをしていた。
宏治:「スミマセン、清掃入りますので、他の階の化粧室を使ってもらえますか、」
女子社員5:「あ、御免なさい、直ぐに片付けます、」……社内でも美人で有名な新人「渋沢博美」だ、ふっと後ろをすれ違いざまに香る、煙草の匂い、
チラリと個室の一つを覗くと、便器の中に煙草の吸い殻が浮いている、こんな所で吸っていたのか、
宏治:「スミマセン、喫煙は、会社の外でお願いします、」……うちの会社が入っているビルは全面禁煙になっていた、
渋沢:「はあ?誰が煙草吸ってるって言うのよ、変な言いがかりは止めてくんない?」……意外に言葉使いが刺々しい、こんなショボクレタおじさんには愛想振り撒く必要も無いって事か、
宏治:「だって、吸い殻が流れないで残ってる、」
渋沢:「何処に私のだって証拠があるのよ、」
宏治:「渋沢さんから、煙草の匂いがする、」
渋沢:「きも、馴れ馴れしく名前呼ばないでくれる? …きもっ! 女子トイレで女の匂い嗅いで欲情してんじゃないわよ! 上司に言いつけてやるから覚えてなさい!」
この日の夕方、私は課長に呼び出されて30分の説教を喰らった、
現実世界の女はもう懲り懲りである、だから私はその夜も「明晰夢」の世界へと旅に出る。 だんだんコツを掴んで慣れて来ると「明晰夢」を見る為の手順も適当になって来る。 今では横になってリラックスして、身体中の筋肉の操作を諦める感じで放り捨てて、それで良い感じにウトウトして来たら身体をその侭寝かせた侭意識だけごろりと寝返りをうつ、そんな感じの手順で5回に1回は「明晰夢」の世界に入れる様になっていた。 出来る様になってから気付いたのだが、重要なのは「夢の見方」ではなくて「見ている夢を夢だと自覚する事」の方だった。 人間誰でも夢は見る、その夢を見ている最中に現実と思うか夢と思うか、その認識の違いが「明晰夢」の鍵だったようである。
辺りを見回すと其処は大きな教会の礼拝堂の様な、学校の教室だった。 黒板の前では教会の神父の様な服を着て丸眼鏡を掛けた教授が応用化学の授業をしている、どうしてだろうか、まあ夢だからなのだが、教師の説明は私に取ってはまるで簡単な小学校の理科の様に手に取るようにスラスラと頭の中に入って来る。 これなら今度のテストで満点を狙うのも夢では無いだろう。(いや、夢なのだが、)
女子A:「ねえねえ、宏治くん、プラツァ通りの近くの新しいジェラート屋、もう行った?」……隣に座っていた可愛らしい三つ編みの女の子が肩をくっ付けて来て耳元で囁く、
宏治:「いや、まだだけど、美味しいの?」
女子B:「判らないから食べてみようって話、ねえ、帰りに一緒に食べに行こうよ、」
宏治:「別に良いけど、」
女子A:「やった!」
女子C:「ねえねえ、私は噴水の前で売ってるレモンピールの方が良いな、」
教師:「そこ、お喋りしないで!」
そこで目が覚めた。……「明晰夢」が難しいのは長続きしない処だ、上手く行った場合でも数分、数秒で終る事も有る。 処が、時として「明晰夢」の世界の中では私が目を覚ましている間にも物語が継続している事が有るらしい。 だから目が覚めてから1分以内位にもう一度「明晰夢」に入ると、さっき迄の続きの夢を見れる事が有る。 私は慎重にその侭布団の中でじっと脱力状態を続けた侭、再びウトウトとしたREM睡眠の波に幽体を泳がせる。
運良くどうやら其処は先程の夢の続きらしい、僕はコーンに載せたフローズンヨーグルトを食べながら、女子達と街の大通りを歩いている所だった。
女子B:「それ美味しい?」
宏治:「うん、さっぱりしていて、僕の好みかな、」
女子B:「ちょっと味見しても良い? 代わりに私のレモーネもあげるから、」
宏治:「どうぞ、」
女子A:「ああ、ずるい、私も宏治君の食べたい!」
夢だと言うのに一切の妥協も無く精密に、驚く程大勢の人達が街には賑わっていた。 何だか色んな国の人間がごっちゃに混じっているミタイで、着ている物は現代的なのだけど衣装は民族、流行、色取り取りに入り交じっていて何だかとても不思議な感じがする。 話している言葉も日本語だったり、英語だったり、スペイン語だったり、何処か判らない国の言葉だったり、それでも人々は皆幸せそうで、何処を見回しても泣いたり困ったりしている人の姿は見当たら、……
教会の薬局の前に、赤銅色の長い髪の少女が一人、項垂れる様に俯いて座り込んでいる?
女子B:「宏治くん、どうしたの?」……行成り立ち止まった僕に、クラスメイトの女子が声を掛ける、
宏治:「あの子、どうしたのかな、」
近づいて行って見ると、少女は地べたに寝転がって気持ち良さそうに目を閉じる子猫の背中を撫でてやっている処だった、
そして僕は其の侭固まって、言葉を失う。
まるで造り物の様に美しい赤銅色の髪は胸まで届く柔らかなウェーブで、長い睫に縁取られた大きな瞳は闇よりも深く憂いを秘めたラピスラズリ、綺麗に整った美貌は傷一つ無いアルピノの白で、すらりとスマートな体躯からはしなやかに長い四肢が完璧な指先へと柔軟に繋がる。 そしてそんな美しくもミステリアスな容姿も然る事ながら彼女の全身から醸し出されるオーラには、僕なんかが生まれ変わっても決して手に入れる事の敵わない強い意志の力が漲っていた。
こんなにも美しい少女が「この世」には実在するのか、
みほの:「やあ、……えっと、君は誰?」……少女は顔を上げて僕を見て、一寸困った感じで苦笑いして小首を傾げる、
そこで目が覚めた、
さっきから目覚ましが鳴動を続けている、2度ばかりスヌーズしたらしく何時の間にかすっかり出社時刻迄のマージンは食いつぶしてしまっていた。 今月に入ってからもう2回も遅刻しているからこれ以上は赦されないだろう、私は後ろ髪引かれながらも必死に布団から這い出して身支度を整える。
何故だろう、夢日記も付ける暇がなかったのに私はその少女の事を鮮明に思い出していた。 それどころか際限なく動悸が高鳴って、ここはもう現実世界だというのに体中が震えて居ても立っても居られなくなる、こんな感覚は生まれて初めてだ。
どうやら「僕」は「夢の中の少女」に恋をしたらしい、