002「明晰夢」
女子社員:「ちょっとあんた、メールの配達くらいまともに出来ないの?」……夕方、郵便局と宅配便から届いたメールを仕分けして社内の各部署に配達していると、一人の女子社員が追いかけて来て配ったばかりの書類袋を私の押していたワゴンの上に叩き返した、
女子社員:「先週席替えがあったってちゃんとカスケードキットで展開されてたよね? それ位見てないの?」
宏治:「すみません、」……でも、直ぐ近くの席なんだからその侭手渡してくれても良さそうなものなのに、と思いながらも私は何一つ言い返せなくてヘコヘコ頭を下げる、
彼女もそんな事は当然判っている筈なのにワザワザ私を探して別の階にまで追いかけて来るとは余程虫の居所が悪かったのだろうか、それでも決して私と会話がしたかった訳ではないのは確かで、文句だけ言った後は黙った侭台所のシンクに溜まったヘドロを見るような目つきで私の事を睨み付け、息を止めた侭すぐに私の傍から離れていった、
そんな人格否定な視線に晒されながらも驚くほど私の心は穏やかで、それどころか掛け流しの温泉から上がったばかりの様なホカホカした幸せの余韻に浸っている気分だ。 それはまるで夢の様な、いや夢なのだが、本当に素晴らしい体験だった。 若くて健康な身体、クリアな思考、溢れてくる自信、人々は羨望の眼差しで私を見、沢山の女子達と楽しく会話を交わし、親切なメイド達が暖かくて美味しい料理を用意してくれる、豪華なホテルの部屋は何時でも綺麗に整理整頓清掃されていて、毎日洗い立ての清潔な衣類やシーツが自動的に用意される、金の心配をする必要もなく、誰かに引け目を感じておどおど身を隠す必要もない、
もう一度あの夢を見たい、
そう思うのは至極当然の衝動だったと言えるだろう。 私は会社からの帰りに珍しく駅前の書店に寄り道して、星占いや都市伝説や心霊写真の書籍が並ぶ隅の方の一画で「あの夢」に関する本が無いだろうか本棚をチェックする。 「明晰夢テクニック」「見たい夢を見よう」「コントロールされる夢」……結構な数の関連書籍がすぐさま見つかった、もしかして流行っているのだろうか? 何冊か手にとって見てぱらぱらと頁を捲り、明晰夢を見る為のテクニックが書かれた本を3冊ほど見繕ってレジへ持っていく、想定外の出費だが一日遅れの誕生日プレゼントという事にしても良いだろう。 思わずニヤニヤと思い出し笑いする私の事をレジに並んでいたおばさんがいかにも胡散臭そうな目でジロジロと睨みつける。
それからいつもと同じ様に近所のコンビニで弁当とお茶を買って、いつもの可愛らしいレジの女の子に弁当を温めてもらい、すっかり日の暮れた寂しい住宅街を鼻歌交じりに歩いて、所々腐りかけたアパートのドアを開け、昭和な感じの蛍光灯の紐を引っ張って部屋の明かりを点けて、一ヶ月以上洗濯していないジャージに着替え、卓袱台の上の昨日のごみを片付けてからよっこいしょと万年布団の上に腰を下ろす。
それで弁当を食べながら片手で買ってきた本を捲った、
どうやら「物の本」によれば、あの「明晰夢」というモノは、オカルトでも宗教でもなくて、極普通に日常的に脳で起こっている現象だという事らしい。 比較的浅い睡眠時に身体は眠っているのに意識がはっきりしている事があって、睡眠時に脳が記憶を整理する際の情報操作をあたかも覚醒して(目覚めて)体験しているかのように感じる現象なのだと言う。 「金縛り」とか「幽体離脱」とか呼ばれている現象とも関係があって、そう言ったオカルト体験の中で幽霊を見たり空を飛んだりするのはまさしく「明晰夢」によるモノなのだという事らしい。 では何故「明晰夢」がもっと一般的に認識されていないかと言うと、通常は数秒から長くても数分の現象で、たとえそう言う「明晰夢」を見ても起きた時にはすっかり忘れているし、実際の日常生活には大して影響を及ぼさないのでこれまでは取り沙汰されてこなかった、という事らしい。
ところで重要問題はどうやって「明晰夢」を見るか、という事である。
「物の本」には、浅い眠りを誘導する為の眠り方や、見た夢を忘れないで置く方法、意識的に「明晰夢」を見ている時間を延ばしたり活用したり(意識的に夢をコントロールして快感を得たり、自分の心と直接対話する事で自己啓発に繋げたり)する方法が幾つか紹介されていた。 と言うわけで早速試してみる事にする。
先ずは「見たい夢を強くイメージする」「眠りが浅くなる様に部屋は明るい侭にする」「眠くて堪らないウトウト状態まで待つ」「足の先からどんどん力を抜いて全身をリラックスさせ」「一分間に一回だけ呼吸するつもりでゆっくりと息を吸って全身の末端の毛細血管から二酸化炭素をに肺へと導き」「尾てい骨の辺りから背骨を通って頭のテッペン迄熱い物が循環して行くのを感じ」「今度はゆっくりゆっくりと息を吐いて身体中の老廃物を吐き出し、代わりに新鮮な酸素が全身に染み渡って行くのを感じ」「頭頂部に集まった蕩けたバターの様な「気」が今度は額から喉、胸、鳩尾を通って会陰にまで垂れて行くのをイメージし」「目蓋の裏に映像の様な物が浮き上がってくるのをぼんやりと眺め」「耳の中ではジージーと微かな雑音が聞こえて来るかもしれない」「ふるふると全身が震えている様な感覚が訪れるのを待ち」……
気がつくとすっかりぐっすりと眠ってすっきりした朝を迎えた。
やはり一朝一夕には行かないようだ、人によっては3日程で「明晰夢」を見れる様になる場合もあるらしいが兎に角訓練が必要らしい。 と言う訳で、その日から私の「明晰夢」を見る為の奮闘の日々が始まった。 何しろ他に趣味も楽しみもないので、会社から帰ると殆ど布団の中で寝たり起きたりを繰り返す。 脳の睡眠サイクルに合わせて真夜中に何度も目覚ましを鳴らしたり、見た夢を忘れないで置く為に起きた瞬間に夢をメモする「夢日記」を付けてみたり、挙句の果てに「明晰夢」を見やすくなると言うハーブにまで手を出してみたり、……そんな風に変な感じにぐっすりと熟睡できない日々が続いて半月余りが過ぎた頃、
私は再びあの、奇妙な夢の中に居た。
結果的に何がどう良かったのかは分からないのだが、そんな此処に至る手順の不明瞭さはさて置き今この瞬間の私の意識は驚く程はっきりしていて肌に触れる大気の感触さえまるで本物の様に凛と澄み切っていた。 周りの風景はいつかと同じ中世ヨーロッパの街並みで、見上げた空には何故だかクリーム色の天蓋が覆いかぶさっており、私の指はいつもの草臥れてところどころ逆剥けしたずんぐりむっくりでは無くてすらっと健康的な若者の肌艶だった。 「物の本」によれば此処で余り興奮してしまうと長続きしないで目が醒めてしまうらしい。 私は逸る気持ちを抑えて心を落ち着かせ「物の本」の指示の通りに掌と周りの風景を交互に眺めてこれが夢である事を確かめる、そうする事で夢を自覚して意識でコントロールしやすくなるらしいのだが、……私はそこで目が覚めてしまった。
宏治:「やった!」……なんにしても狙って「明晰夢」を見れたのは確かな訳だ、まだまだ完璧な制御には程遠いが兎に角「明晰夢」ライフの第一歩を踏み出したと言ってもいい筈だ。 私は枕元に置いてあったノートに今見たばかりの夢の内容を記録する。 夢の記憶はあっという間にぼやけて溶けてしまうから、そうなる前に外部メモリに記録する事で目が覚めている時に「明晰夢」を思い出すための栞を構成するという事らしい。
夢の内容は自分の心の中にあって普段は意識的に蓋をして目を背けている本当の自分の願望や不安に大きく影響されているらしいが、あの天井を蓋で覆われた空は鬱屈した私の不満の表れで、中世ヨーロッパの豪華でのんびりした佇まいや自分のイケメンな姿は現実逃避な願望の現われなのだろうか?
私は下手糞な街の風景をノートに殴り書きしながら夢の中で私に優しく親切にしてくれた人達と再会できる日の事を切に願いつつ、何だか急にどっと疲れが襲って来て、その侭今度はぐっすりと深い眠りへと落ちて行った。