第二話
それは十年前のこと。冬樹が、八歳のときだった。
冬樹は、両親を亡くしていた。他殺でも事故死でもない。
一家心中だった。
その中でただ一人、冬樹だけが奇跡的に生き残ったのだ。
何故かはよくわからない。単純に運が良かっただけだろう。
そして、親戚にたらいまわしにされることもなく、冬樹は孤児院に入った。
その時に、あの人に出会ったのだ。
両親を亡くし、全てがどうでもよくなって、死んでしまおうかと思っていた。けれど、あの人のお蔭で救われた。運命だと思った。
たかが八歳のガキがと思うかもしれない。けれど、冬樹にとって、あの人との出会いは奇跡だった。
そして冬樹は、その人に恋をしする。
もちろん、冬樹はこれがかなわぬ恋になるだろうことは、幼いながらにも分かっていた。歳をとれば違うかもしれないが、八歳の子供と高校生では、流石に話にならない。
それでも良かった。あの人のそばにいれるなら、この恋が叶わなくたって別に良かった。
しかし神は残酷だった。そんな、儚い思いさえ、無碍にした。
目の前に横たわるのは、一生動く事のないあの人。
冬樹の、命の恩人にして、運命の人。
何故……と思った。
大切な両親は、自分を残して死んでしまった。
そして、折角掴みかけた幸せさえ、またもぎ取られてしまった。
何故……?
理由は、後々知った。
死因は他殺。母親に殺されたそうだ。
あの人には、妹がいて、その妹は生まれた頃から盲目だった。
そして同時に、夫も突然倒れ、いつ死ぬのかもわからない状態となった。
他人に蔑まれ、親戚にも辛い目で見られ、あの人の母親はかなり憔悴していたらしい。挙句、自分を支えてくれる人はもう傍に居ないときた。
そしてある日、突然というべきか当然と言うべきか。
あの人の母親は、発狂した。
母親にとっての不幸の象徴である、盲目の妹を殺そうと、切りかかったのだ。あの人が、家に帰った直後の話だった。
あの人は、妹を必死に護ろうとした。でも距離があって、母親を止めて、妹を護るには時間が無さ過ぎた。
自分の身を盾にするしか、方法が無かった。
そして、あの人は、そんなことを躊躇する人間では無かった。
事件の日から数日が経ち、冬樹は再び生きる希望を失った。
ただ、あまりのショックに、怠惰的に生きながらえていただけだった。
そして、あの盲目の妹が孤児院に来た。
盲目の妹は、あの人にはあまりにも似てなかった。顔立ちではない。むしろ、顔立ちはかなり似ていた。違うのは雰囲気だ。あの人の、周りを自然と明るくする、優しくて強くて大きな存在感が感じられなかった。
弱々しくて、生気のない雰囲気。まるで、自分のようだと冬樹は思った。
「あなたは……春藤夜 冬樹さんですか?」
盲目の妹は、何故か名前を知ってた。
「姉から伝言です」
体が震えたらしかった。
あの女性が、最後に伝言を……?
「『ねえ、笑って?』」
盲目の妹から伝えられた伝言。
それは、初めて会ったときの言葉。
冬樹を救った言葉。
同じだった。
あの時と同じく、その言葉は、冬樹に『生きて』と聞こえた。
穴の開いた心に、唐突に悲しみが湧き上がってきた。
今になってやっと涙が溢れた。とどまる事の知らない涙は溢れ続け、目の前の盲目の妹を困らせた。けれど、どうでもよかった。
ただ、泣けるだけ泣いた。痛みが涙になって溶け出すなんてことはなくて、ただただ思い出が溢れてくるだけだった。
「名前は?」
「ゆき、です。優しい希望とかいて優希」
「そっか……」
あの人も、そんな感じの名前だった。
そして、その名の通り、冬樹にとって希望だった。
「僕は、優希を許さない」
「……」
「あの女性を、美希を殺した優希を絶対に許さない」
今、自分に必要なのは希望でも約束でもない。
怒りと憎しみだった。
生きる目的が無ければ生きれないほど自分は弱いから。強い目的は、無くなり易い希望や約束であってはいけなかった。
そんな自分勝手な恨み。優希もそれをなんとなく感じていたはずで。
それでも――
「……はい」
優希は、それを受け入れた。
これが、冬樹と優希の出会いだった。
それから十年。
冬樹は笑うことなく、優希は無くことなく、生きてきた。