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いつでもそこには

 空が濃い橙色に染まる頃。

 マイエンはカッツェル達とベリー商会の一室で向かい合って座っていた。

 地上から3階の、カッツェルの私室である。中にいるのはマイエン、カッツェルと、ミストの3人だ。

 綺麗に整頓された室内の壁には、カッツェルが歩いて回った様々な辺境の星での写真が飾られていた。


「それで、交渉という事ですが」


 マイエンを見るカッツェルの目は鋭い。

 表情こそ穏やかさを取り繕ってはいるが、纏っている空気はピリピリとしている。

 おお、怖。

 マイエンが足の上で組んでいた手は緊張で汗ばんでいた。


「その前に、あんた達はテトラの星を使って何をしようとしている?」

「そうですね……マイエンさんは当然ご存じだと思いますが、空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある。それは、おまじないのようなものです」


 カッツェルは背筋を伸ばし、天井を見上げる。

 否、天井の向こう、遥か空の彼方にあるテトラの星だ。


「我々はそのおまじないを使って、中央に訴えかけるつもりです。我々の言葉に耳を貸せ、さもなくば――――テトラの星を落とすと」


 カッツェルの言葉に、マイエンは予想をしていたように目を伏せて息を吐いた。

 テトラの星は恒星の爆発から星を守る発明だ。地上から線が引いているように見える程の数を等間隔に配置され、ぐるりと星の周りを回っている。

 そしてそれは、宇宙船に使われている以上の、熱と衝撃、空気の圧縮、それらに強い特殊な素材で作られている。大気圏に入れば燃え尽きてしまうようなものではない。

 テトラの星を落とすと言う事は、決して燃え尽きない隕石が空から降ってくるという事に等しい。


「それは脅しだ」

「ええ、脅しです。けれど、そうでもしない限りは、中央は辺境に目を向ける事はない」

「中央も、中央の警察も馬鹿じゃない。あんた達が行動して、中央があんた達の要求をを呑んだとしても、捕まらないなんて事はあり得ない」

「おや、あなたのご友人の命を奪った相手は、辺境に逃げて捕まっていないらしいですが?」


 ミストが挑発するような口調で言った。

 カッツェルが咎めるような視線を向けるがミストはお構いなしだ。

 マイエンはミストを睨みながら「そうだな」と呟く。


「そのおかげで、私は今、こんな厄介な事になっているんだがね」


 両の手のひらを空に向けて、マイエンは肩をすくめる。


「カッツェルさん、私が前に聞いた事は覚えているかい」

「前に?」

「私はあんたに、何故テトラの星を作ったと思うか問いかけた。あんたはそれに“世界の為”と言っただろう」

「ええ、半分は正解だと、仰いましたね」

「ああ。あとの半分はな、私は――――家族と友人を守りたいから、アレを作ったんだ」


 マイエンもカッツェルと同様に天井を見上げ、目を閉じると、カッツェルとミストを見る。


「家族を壊す為じゃない」


 それははっきりとした拒絶だった。

 カッツェルはきつく目を閉じて、ゆるゆると首を振る。


「マイエンさん、我々は……」

「で、だ。その前提から、マイエン・サジェとして、カッツェル・ベリーへ交渉だ」


 カッツェルの言葉を遮り、マイエンは手を鳴らす。

 カッツェルは驚いたように顔を上げて目を丸くした。


「あんた達が辺境の星の現状を憂い、何度も要望を出しても見て見ぬ振りをしている中央に憤りを感じているのは理解した。理解した上で聞く。辺境の星には一体何が必要だ?」

「それは棚に上げられた状態の援助や……」

「そうではなく」


 マイエンは真っ直ぐにカッツェルを見る。

 カッツェルはマイエンが何を言っているのか分からず少し首を傾げた。


「何があれば辺境が暮らしやすくなるか、どんなものがあったら安心して生活できるようになるか、それを具体的に言えと言っているんだ」

「マイエン、さん?」

「何が足りない? 何が必要だ? あんたは言葉を尽くすと言った。ならばその言葉通り、カッツェルさんの言葉で示してくれ」


 立ち上がりテーブルに手をついて身を乗り出すと、マイエンはドンッと平手で胸を叩く。


「必用なものを全て言え。欲しいものもだ。どんな些細なものでも、どんな小さなものでも。あんたが辺境に、ヴァイツェンに必要だと思うもの全部を私に言え。その全部を私が作る。その代わり、今回の計画を全て白紙にして欲しい」


 マイエンにとってテトラの星は、世界中の人々を守るためのものではない。

 家族や友人を守りたいが為に考えて、考えて、考えて作りだしたものだ。

 それが必要だと思ったからこそ、物心ついてから今まで、マイエン本人が生きてきた人生のほとんどを使って考えてきた未来への可能性なのだ。

 マイエンは胸を張って堂々とカッツェルに言葉をぶつける。


「中央に憤るくらいならそれを全部注ぎ込んで辺境ここを中央にでもしてしまえ! 辺境を少しでも中央に知って貰う為に、ベリー商会はずっとそうして来たんだろう? あんたは! 商人だろう!」


 カッツェルは撃たれたように固まって、痛いくらいに大きく目を見を張る。

 マイエンが言っているのは、ただの夢物語だ。少なくともカッツェルはそう思った。

 だが、他人にどう思われようが、マイエンは本気だ。本気でやるつもりで言っているのだ。

 そしてその夢は、商人にとっても"そう"なのだ。必要とされている物を探し、それらに投資し広げ、利益を得て、そこからまた新しい何かを探す。それが商人だ。

 だからカッツェルには一蹴する事が出来なかった。

 今まで力づくなどの強引な手段を取らなかったのも商人としての誇りを捨てきれなかったのだ。

 カッツェルはゆっくりと持ち上げた手を額に当てる。出来た影は、苦しげに伏せられたカッツェルの目を隠す。


「……そんな事が本当に、出来るとでも」

「できるさ。でなければ私は、テトラの星なんて作ろうとは思わなかった。まぁそうは言っても、一人では限界があるので知り合いに声を掛けるつもりではあるが。……これが、カッツェル・ベリー。私が出来る全てだよ」


 絞り出すような声で問いかけたカッツェルに、マイエンははっきりと答え、頷いた。

 マイエンは発明家だ。発明家とは夢を実現させる職業だ。少なくとも、マイエンは本気でそう信じている。

 ずっとそうやって生きてきたのだ。


「……………………説得するの大変だなぁ」


 長い長い時間の沈黙の後で、カッツェルはそうぽつりと漏らした。

 額に当てていた手を降ろすと苦く笑ったカッツェルと目が合った。

 マイエンは表情を緩めると「はー」と長く息を吐き、テーブルについた手から力を抜いてソファーにドッとへたり込んだ。


「カッツェルさん、あなた――――」

「すみません、ミスト。…………僕は、商人でした」


 ミストはギリッと音がするくらい歯を噛みしめると、腰から銃を抜いてカッツェルに突きつける。


「今さら……今さらだ! どれほどの時間を掛けて、どれだけの人数に協力を呼びかけたと思っているんです! それをこんな、こんな……辺境の事を知りもしない奴の言葉を真に受けて止めるだなんて、そんな事は認めない!」

「そうですね、今さらだ。……けれどまだ行動を起こしていない今なら、その方向性を変えることは出来る」

「あなたは!!」


 ミストの顔が歪む。

 彼がどんな思いでカッツェルの計画に乗ったのかマイエンには分からない。

 それこそカッツェルや、他の自警団員や旅芸人の一座、それ以外の人々の事も知らない。

 けれどそこに込められている怒りは痛いほどに伝わってくる。マイエンが人生を掛けてテトラの星を作り上げたのと同じくらい、彼も人生を掛けていたのだろう。

 それでもそれを認めるわけにはいかなかった。

 マイエンは自分の眼鏡のフレームに手を触れる。触れると分かる程度の僅かにギザギザとした突起があり、マイエンはそれをカチカチと小さな音を立てて回す。

 牢屋に入れられた時、脱出手段の一つとして考えていたものだ。


「動くな! 大体、あなたがもっと早い段階で承諾していれば良かったんだ!!」

「承諾はしない。後にも先にも同じだ」

「黙れ!」


 逆光でどす黒く見えたミストの背後には、窓の向こうに夕焼けの空と、そこに浮かんだ白いテトラの星の線が見える。

 眩しさに目を細めたマイエンだったが、不意にその空に何かを見つけ、信じられないものを見たように目を見開いた。

 そして口元を上げ、何とも楽しそうな顔になる。


「"空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある"」

「何?」

「おまじないとは、存外馬鹿には出来ないな」


 笑ったマイエンにミストは怪訝そうな顔になる。

 その直後、マイエン達の上に長い長い影が覆い被さる。

 ミストがはっとして振り返ると、そこには、


『いっけえええええええい!!』


 体にロープを巻き付けたイギーとルーナが、振り子のように大きく空を飛び、勢いよくガラスを割って飛び込んできた。

 耳を塞ぎたくなる程けたたましくガラスが割れる音が響く。

 咄嗟にマイエンは腕で顔を隠し、少し遅れて気が付いたカッツェルはガラスが当たらないように顔を逸らした。

 イギーとルーナは勢いのままミストを蹴り飛ばし、テーブルの上に着地する。


『着地成功!』


 イギーとルーナはお互いに手を叩き、マイエンに向かってぐっと親指を立てて笑うと、マイエンもそれに返すように親指を立てた。

 カッツェルは倒れているミストの側へ行くと、その手から銃を取り上げる。

 どうやら今の衝撃で気絶しているようで、ピクリとも語かなかった。


「下には旅芸人の見張りがいただろう?」

「いたけど、オルヴァルさんとか役所の人とか、あとピエロさんが手伝ってくれたのよ」

「防犯訓練ですってゴリ押しした」

「ははは」


 胸を張って言うイギー達にマイエンはほっとした顔で笑った。

 カッツェルを見ると真面目な顔で深く頭を下げる。

 マイエンも同じように頭を下げ、それにつられてイギーとルーナも下げた。

 不意に、ぐうと、お腹の音が鳴った。

 ルーナは顔を上げてイギーを見るが、イギーはぶんぶんと首を振る。

 カッツェルを見るとこちらも手を振っていた。

 3人の視線がマイエンに集まる。

 マイエンは片手で顔を隠しながらもう片方の手を上げた。耳まで真っ赤になっている。


「…………そう言えば、ほぼ丸一日何も食べてなかったよ」


 気まずそうに言うマイエンに、イギーとルーナ、カッツェルは思わず噴き出す。

 そのまま腹を抱えて笑い出すのでマイエンは口をへの字にして怒っていたが、直ぐに自分も同じように笑う。

 笑い声はそれからしばらくの間続き、ベリー商会の外から見上げていた人々は一体何事かと首を傾げていたのだった。


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