第一話 念願成就?
柔らかな風を感じた…気がした。
いや、気のせいではない様だ。
不思議な事に、体の感覚があった。
俺はゆっくり目を開けると、そこは見慣れぬ建造物の中だった。
あえて表現するのであればゴシック調と言うのだろうか?とにかく中世ヨーロッパ的な建造物の中である。
こんな気取った病院が日本にあったとは知らなかった。
しかし助かった事より、財布の方が心配になったが、親の勧めで単独事故無制限の保険に入っていたので杞憂だった。
次いで、自分の体に異常が無いか見回すと、不思議な事に傷一つ無かった。
そして更に奇怪なのは、日焼けでこんがり焼けていた俺の肌は、真っ白に漂白されており、服装も全く見慣れない物になっている。
そんなに長い間俺は意識不明だったのだろうか?
服装が見慣れぬ物なのは、おそらくここで着替えさせられたのであろうが、この病院の雰囲気に合わせてか、白っぽいややファンタジックな入院着であり、RPGで言うなれば布の服っぽい外見である。
「む、目が覚めたのかね?」
声の方を向いてみれば、これまた一目で威厳を感じられる豪勢なローブと、豊かに髭を蓄えた中年の神父の様な…、と言うより神父である。
「え、なんで病院に神父?」
「何を言っているのだ?ここは教会に決まっておろう、さては目覚めたばかりで記憶が混乱しておるな?この部屋を出て右の突き当たりに水桶が置いてある、そこで顔でも洗うと良かろう」
「あ、あぁ、そうするよ」
なぜ病院ではなく教会に搬送されているのか不明だが、もしかしたら一向に目覚めない俺を、神頼みで起そうとした結果のこれなのかもしれない。
だからと言ってなぜ日本で、神社や寺ではなく教会をチョイスしたのかだが。
考えながら歩いていると、目的の水桶を見つけたので、俺は顔を洗うべく、水桶に顔を近づけた。
「な…!」
一瞬、水桶に写った自分の姿に驚き、思わず身を引いてしまったが、寝ボケているのだろうと思い再度顔を水桶に近づける。
しかし、思い違いではなかった。
「なんだ!どうなってんだこれは!!なんで俺の顔、え!?なんで!?」
傷一つ無い俺の体を見て某凄腕無免許医師の業かと思ったが、顔がまるで別人である。
というか人種が変わってしまっている、いくら事故で潰れた顔を復元したとしても、なぜ人種まで変わるのだろうか。
これではまるで西洋人の顔である、目の色まで青いし、髪は白いし。
「大声を上げたりしてどうしたんだね?」
俺の慌てように心配した神父が声をかける。
「どうもこうもあるか!何で俺の顔がこんな別人になってるんだ!」
俺の主張にお前の方が謎だと言わんばかりの表情で見つめる神父。
「何を言っている、昔からお前の顔はそんなだっただろう。大丈夫かね?アルベール君」
「アルベール?誰だそれは、俺は風見明人だ!」
今度ばかりは神父の表情が一瞬で深刻そうな物となった。
「なに?そんな馬鹿な…、まさか蘇生する段階で別の魂が…?だがそんな事は…」
唸りながらブツブツ続ける神父。
蘇生という単語からして明らかに現実離れしており、もしかすると異世界かもしれないなどと思ってしまう。
しかし仮に異世界であるとするなら、このどう考えても不思議極まりない空間も説明がつく。
「なぁ、神父さんよ。ここはなんて国のなんて町だ?」
「む?ここはノース・スプリングのグリーン・フィルだ」
「聞いた事の無い国だな…。て事は十中八九地球じゃないな…」
「その言い様、間違いなく異世界の魂の様だな…」
ため息をつく神父は、このやり取りで俺の状況を把握したのだろう。
とすれば、俺よりこの状況に詳しいに違いない。
「なぁ、教えてくれ。なんで俺がこの世界に呼ばれたんだ?」
「お前のその体の持ち主、アルベールは北の聖域で倒れていたのだ。外傷は無く、何故か魂のみが抜けている状況だった故、我々は蘇生を試みたのだ。だが実際、体に宿ったのはアルベールの魂ではなく、異界の民たるお前だったと言う訳だ」
大仰な仕草と共に語る神父。なんだかんだで俺が異世界人である事を受け入れたようだ。
「蘇生って、この世界はそんな簡単に人を生き返らせられるのか?」
「簡単ではない。肉体が酷く損壊していたり、死後時間が経過しすぎれば蘇生できぬ。更に天寿を全うした者は、肉体が無傷であろうが、死んだ直後であろうが蘇生は出来ん」
確かにどんな状態でも蘇生ができてしまえば、死という概念が無くなるので、あながち変な条件でもないだろう。だがそれでも疑問はある。
「なるほど、それは解った。しかし、俺の様に魂の取り違えはよくおきるのか?」
「いいや、元来肉体と魂は強い力で結ばれている。我々はそれを辿って魂を肉体に引寄せているに過ぎん。裏を返せば、取り違えなど通常起きようは無いのだ」
「それはつまり、俺が還る方法も解らないと?」
「そうなるな」
還った所で、俺はおそらく死んでいるだろう。
というか、死んで魂だけになっていたからここに迷い込んだのだろうから、それは疑いようが無い。
「一つだけ、心当たりがある」
「心当たり?何の?」
「神の泉だ。そこに行けば今回の異常の原因が解るやも知れぬ」
「ほほう、それはどこにあるんだ?」
「ノース・スプリングの神の泉は、ここから遥か遠くの西方、徒歩で行くなら5日は掛かる」
歩いて5日がどの程度の距離か、具体的な想像はできないが、途方も無い距離であろう事は確かだ。
少なくとも、魂だけは文明漬けな日本人なのだから、徒歩での移動など想像できなくて当然だ。
「行くにしても、道中は危険だろう。アキト君は戦いの心得があるのかね?」
「その点なら、少し練習すれば何とかなると思う。武器があればだが」
「アルベールの使っていた剣も回収はしたのだが…、見たまえ」
身を翻した神父に俺もついていく。
神父はすぐ隣の部屋に入り、なにやら色々置かれている机から、一本の剣を取り出した。
いや、剣だった物と言うべきか。
「これはまた…ずいぶん見事に折れてるな」
「うむ、何があったのかは解らんが、これでは使い物にならんだろう」
「参ったな、これじゃ出発すら出来ないな」
その後、俺は代わりの剣を探すべく、グリーン・フィルと呼ばれたこの町を散策してみた。
新しい武器を売っている人間を見つけはした物の、平和なこの町での武器の需要は低く、値段はかなり高めだった。
安かろうが、持ち合わせが一切無いのではどうしようもないのだが。
尚も意味なく散策していると、町の端に一軒の鍛冶屋を見つけた。
「なんだ?客か?」
「客と呼べるかどうかは疑問だな、持ち合わせが無い」
「そうかい」
顔を上げた店主らしき人物にそう告げると、あからさまに肩をすくめた。
が、それも束の間、一瞬で驚きの表情を浮かべて立ち上がった。
「……ってアルベールじゃないか!」
「いや、違う」
「冗談はよせよ。お前動ける様になったんだな、心配してたんだぜ」
歩み寄って来た男は俺の背中をバシバシと叩きながら勝手に盛り上がる。
「本当に違うんだ、確かに体はアルベールだが、教会の神父がミスって俺を異世界から召喚してこの体に入れちまったんだ」
「な……、そんな馬鹿な事がある訳……。いやでも、話し方やしぐさなんかがアイツとは違うな」
「そらそうだろ、中身は別人なんだから」
鍛冶屋は俺をしばらく凝視して、突然肩の力を抜いてがっくりとうな垂れた。
「アルベールは…還ってこないのか…」
「解らんね。その為に神の泉に行くんだが、武器が折れちまってて、直せるか?」
そう切り出した瞬間、鍛冶屋は目を輝かせ、こちらに近づいてきた。
「なるほど、神の泉ならまだチャンスはあるかも知れねぇな。解った、いっちょ修理してやるよ」
「本当か!そりゃ助かる」
「それよりお前さん、中身は違うんだろ?武器は使えるのか?」
至極当然の疑問だが、先程神父にも言ったように何とかなる当てはあった。
「たぶん大丈夫だ、自分の世界でも一応剣術っぽいのは学んでたからな」
「そうかい、なら安心だ。よし、さっさと剣を持って来い、俺はここで待ってるからよ」
「ああ、それなら大丈夫だ。現物持ってるからな」
「なんだ、それなら最初から出せって…」
鍛冶屋は軽い悪態をつきながら、俺の手から折れた剣をひったくる。
「こりゃまた、凄いな。一瞬で凄い力が掛かったのか、曲がりも無く綺麗に折れてるな」
「で、どうだ?直せそうか?」
「まぁ、問題ないだろ。明日の昼過ぎにまた来い、それまでには仕上げとくよ」
「解った、じゃあ任せる」
鍛冶屋に剣を引き渡し、やる事の無くなった俺は、当ても無くフラフラと町を彷徨う事にした。
辺境にある小さな町といった雰囲気の町だが、行きかう行商人はそこそこ居るようで、町の門の方へ行くと珍妙な品を並べた露店がいくつもあった。
中でも一際妙なのを見つけ、俺は思わず足を止めて見入ってしまった。
その店では、一見宝石の様な透き通る色とりどりの石を売っているのだが、どれも真ん中に穴の開いた矢尻型をしていて、更に表面に見た事の無い文字が刻まれている。
「お客さん、共鳴石をお探しかい?」
いったい何なのかと見入っていると、店主が俺に話しかけてきた。
「共鳴石?なんだそれは?」
「おおっと、共鳴石を知らないのかい?って事はあんた、魔法は使わないクチかい」
「その石と魔法に何の関係があるんだ?」
魔法がある事は、神父の話の内容から理解していたが、共鳴石の存在は今初めて知った。
そもそも俺は、この世界の住人ではないのだから、この世界の常識など知っている筈が無い。
そんな俺の事情など知らぬ店主は、明らかに無知さに呆れた様子で溜息をつき、手近な石を一つ手に取り俺に説明を始めた。
「いいかい、この石は詠唱に反応して魔力を増幅させ、呪文を強化する物なんだ」
「ほー。んで色と表面の文様は?」
「色は、その石に宿っている属性が表れているのさ。人には属性に対する親和性があってね、自分にもっとも合う属性の石を持つんだよ」
おそらく、赤は火、水色は水、黄色は雷などと言った具合なんだろう。
一部よく解らない色もあるが、なんて解りやすいシステムだろうか。
「それで文様に見えるのは、増幅を指す魔術文字だ」
「魔術文字?」
「魔術言語、とも言えるかな。古代の言語体系で、魔法詠唱時に使われる言語だよ。っていうかお兄さん、そんな事も知らないなんて、本当に生きてるかい?」
「悪いな、つい最近遠い場所から来たんで、その手の事は知らないんだ」
ある程度ぼかしはしたが、俺は一切嘘をついては居ない。
だが、目の前の店主はとても興味を掻き立てられたようで、目を輝かせている。
「まさかあんた!南の海を越えた、伝説の大陸から来たのかい!?」
「海は越えてない」
「そうか、まぁそうだよな。所詮は伝説だからな、本当にあるのかも疑わしい」
「そうだな」
何の事かさっぱりだが、とりあえずうなずいておく。
これ以上あれこれ聞かれて、答えに詰まるのも困る。
「んで、お兄さん。買うのかい?買わないのかい?」
一瞬何の事か訊き返しそうになったが、すぐに共鳴石の事だと解った。
「悪いが手持ちが無い、ついさっきこっちに着いたばかりなんだ。それに俺はどの属性が一番親和性が高いかなんて知らない」
神父に訊ねればどの属性が得意だったかくらい解りそうだが、金の問題はどうしようもない。
金の面でまで神父に世話になるのは悪い気がする…と思ったのだが、考えてみればあの神父のせいで俺は旅に出るのではないか。
そう考えると、あの教会宛に請求書をいくつか送り付けても問題は無い気がしてきた。
「だと思ったよ、共鳴石どころか魔法のイロハすら知らないって顔してたからなぁ。まぁしばらく此処に居るから、入用になったら来てくれな」
石について訊ねた時の態度から、嫌味な奴かもしれないと思ったが、結果的に冷やかしとなった俺に恨み言の一つも言わない辺り、実は気の良い商人なのかもしれない。
魔法について習う機会があったら、ここで石を買ってみるのも良いだろう。
もちろん教会の払いで。
その後もしばらく露店を見て歩いたが、食物と思わしき奇怪な生物の屍骸や、何故か泡立ち続けるパステルカラーの飲料など、カルチャーショックの数々に頭が悲鳴を上げ始めたので俺は家に帰る事にした。
したのだが、俺は家の場所を知らない。
事情を知らぬ町の人々に「俺の家ってどこ?」などと訊ねる訳にも行かず、止むを得ず神父に家の所在を聞くべく教会へと足取りを進めた。
夕暮れの朱に染まる教会が視界に入った辺りで鐘が鳴り響いた。
回数は音の低い鐘が4回、高い鐘が2回だったが、何か法則でもあるのだろうか。
「やっほー!」
教会前は広場だ。
叫びたい奴が居ても不思議ではないが、俺の感覚ではヤッホーは山で叫ぶ物だ。
「おーい!」
次はおーいか、この世界では夕暮れ時に太陽に向けて叫ぶ風習でもあるんだろうか。
少年漫画の夕日の海岸的な。
「ちょっと!無視しないでよ!」
なるほど、一連の叫びは人を呼んでいただけだったのか。
ちらりと広場を見やるが、人は先程から叫びをあげている少女以外にもそこそこの人が居る。
相手が誰にしろ、さっさと返事をしてやれば良い物を、などと思いながら俺は広場から視線を戻し、教会の扉に向けて歩を進める。
「もお!あったまきた!」
先程までの呼びかけとは違い、今度は音量こそ控えめだったが、その口調から呼ばれている者に訪れる結末が穏やかでない物だと予想できる。
扉まであと少し、と言った所で背後からこっちに駆け寄る足音が聞こえ、ふと背後に振り返る。
そこには、拳があった。
「ぐはっ!?」
言うまでも無く、拳は俺の顔面に直撃し、この世界で初めて感じる痛みを俺に与えた。
突然の暴力に屈した俺は、無様にも尻餅をつき、この凶行の犯人を下から見上げるしかなかった。