第十六話 変わる心
エルフの国を抜けて早二日、当初の危惧は一切裏切られ、意外にもイシェネとミリアの仲は良好だった。イシェネはエルフの中では若齢とはいえ、人からすれば冗談のような高齢である。数世紀生きた彼女の知識はミリアの興味を引きつけて離さなかったらしい。
「ここで、この花を使うと効能がもっと上がるわよ」
「本当!?素晴らしいわイシェネ!」
今はと言うと、一人増えて若干手狭になった馬車の中で、女子達はせっせと錬金術に勤しんでいた。ここでもイシェネの長年の知識が活かされ、中々知られていない事をミリアに伝授していた。ついでに言うと錬金術以外でも現在人の世で主流にはなっていない魔法の数々についてミリアにレクチャーしたりと、なんだかんだでイシェネとミリアの会話時間は一番長い。飲み込みの早いミリアに機嫌を良くしたイシェネがミリアの頭を撫でたりする様はもはや姉妹の様にすら見える。
残念ながら相も変わらず馬車の上ではする事のない俺はというと、はしゃぎまわる女子二人を尻目に呆然と雲を眺めている。暇つぶしに本、などという物もないし、剣も弓も馬車の中では練習のしようもない。一応道具の手入れはするのだが、それも先程全て終わらせてしまった。
呆然と眺める景色はいつの間にか緑から白一色へと移り変わっていた。
「はー、北って言ってたけどまさかこんな所とはなぁ」
レオの魔法で馬車はちょっとした気密状態にある上に暖房に相当する魔法まで併用されているので寒くはないが、少し手を伸ばすと気密層を突き抜けた指先が一瞬で刺さる様な寒さに包まれる。
「これ馬大丈夫なのかよ」
「案ずるな、馬にも魔法で保護を掛けてある」
呟いた言葉を正確に拾ったレオが答えた。
「はぁ…、便利すぎだろ。魔法」
「レオがおかしいのよ」
「そうね、陛下の魔法はエルフの私でも少し非常識だと思うわ」
空かさず女子二人がレオがおかしいだけだと声を上げ、レオが首をかしげながら兜を掻く。
「余はそこまで非常識では無いと思うが。歴代ガンダリアの王の中で、余など若輩も良い所よ」
「たぶん歴代王の中で一番の高齢じゃないかと思うんだが」
エルフじみた年月をこの世界で過ごしたレオが一番の若輩など、非常識すぎて笑えた物ではない。
「フハハハッ!それは余はとうに死んでおるからな!そこから先は年齢を数えてはおらなんだ!ハハハッ!」
レオは金属同士がぶつかり合う音を響かせながら大笑いする。実際ゴーストアーマーになってからは年齢をカウントするのかどうかは怪しい所だが、この世にあって魔法と剣をひたすらに鍛え続けたレオの技量は並の人間では到底敵わない領域であることは疑いようもないので詮無き事だ。よしんばレオと同じ年齢のエルフが居た所で、寝食の必要すらなくひたすら研鑽を続けられるレオと比べては差は否めないだろう。
「女王陛下がよくレオネス陛下の話をしてくださったんだけど、やっぱりなんというか、規格外よね」
「女王にまで言われるのか、やっぱ完璧おかしいな」
話によれば少なくとも女王はレオより数百年は年上の筈だが、それでもレオのが上回るとはまさに人間離れしていると言わざるを得ないだろう。でなくともかなり長い期間、レオは錆びに覆われて寝ていたのだから、今のこの力はチートクラスと言えるだろう。
「アリーの話はきっと脚色付きであろう?余からすれば森一帯を完全に支配下に置いているアリーの方がよっぽどおっかないがなあ」
聞けばあのエルフの国のある森一帯は完全に女王の支配下で、どんな些細な異常も手に取る様に女王に筒抜けらしい。つまり最初のイシェネへの連絡は女王による物だった事はもちろん、襲撃者も把握済みだった事になる。ミリアが安全な女王の下でお茶を啜っていたのも女王の手引きする所だったのではなどと思ってしまう。
「さて、盛り上がってきた所だがこの先は山道。それも片方が切り立った崖の様な場所だ。何があっても良いよう準備はしておけ」
冷静なレオの口調に俺を含め馬車内の三人はそっと臨戦態勢を整える。念のため、カバンを腰に巻き付け全ての装備を身に着けた状態で待機すると、丁度準備を整えたミリアとイシェネが同じ様に馬車前方の窓を覗く格好で待機する。
そのまま何もなく雪山を進んで行き、上り坂を終えて平坦な道へと馬車が到達する。警戒が緩み、俺が前方から後方へ移動して腰掛けようとした所で馬車が急制動を掛けた。
「敵だ!総員戦闘態勢!」
馬車が止まりきるよりも前にレオが叫ぶ。俺はバランスを崩し倒れかけながらもそのまま身を転がすように外に飛び出る。イシェネとミリアは馬車の上に素早く移動して遠距離攻撃の射線を確保した。
「敵は!?」
叫びながら馬車の前方へと駆け、馬の前方でレオと並ぶ。
「恐らく狼だ」
日本人である俺に直接馴染みはないが、地球でもお馴染みの猛獣だ。狼少年や赤頭巾など童話でも人や家畜を襲う獣として伝わっている程有名なその獣は、もちろんこの世界でも相応に厄介な敵となる。群れで戦術的に立ち回るその獣たちは、下手な野党集団よりもずっと死の恐怖を感じさせるに足る脅威だ。
「来るぞ!」
レオの叫びと同じくして、真っ白な毛皮の狼が数匹、雪にその身を溶かしながら迫って来る。剣の間合いに入るより前にイシェネの矢とミリアの魔法で先行した群れの半数が倒され、残りは俺とレオの剣によって致命傷を受け毛皮に赤い染みを浮かばせながら斃れる。それを見た狼は牙を剥いて唸り続ける数匹を除いて大多数が退いて行く。威嚇していた数匹も同様に身を翻し、俺はふっと息をついて腕を下げた。
だがそれは間違いだった。
「ミリア!!」
慌てて振り返ると斜面側から回り込んだ数匹が馬車の上に居たミリアに飛びかかる所だった。イシェネが持っていた短剣を咄嗟に抜いて何匹か薙ぎ払うも、ミリアは魔法による迎撃が間に合わず一匹の狼と共に馬車の上から投げ出された。
「いかん!」
「ミリアっ!!」
レオとイシェネの悲鳴にも似た叫びが山々の間を木霊する。俺は考えるより早く、剣を片手に握ったまま駆け出す。ミリアは勢いそのままに崖へと落下していく。その様子が、不思議な事にえらくゆっくりと、スローモーションの様に流れていく。まるで、俺の最期の時の様だった。構わず俺は駆け続け、ついには自分の身も崖から投げ出している。未だゆっくり流れる時の中で、ミリアに覆いかぶさる狼に横合いから剣を突き刺し、そのまま無造作に殴りつけて弾き飛ばす。次にその手でミリアを手繰り寄せ、抱える。落ちていく中でどうにかミリアを身体の上側に抱き、俺自身は仰向けの状態になる。そこでようやく時間の流れは等速に戻った。
「アキト!ミリア!!」
二人分の叫びが木霊する中、俺は二人分の体重を受けて急速に高度を下げて行った。
どれくらい寝ていたのか。左肩に走る鈍い痛みに目を覚ます。首だけを動かして身体を見やると、俺の上にはしっかりミリアが居る。だがその意識は無い様だ。
「ッ!ぐ…ぬあああっ!!」
今にも嫌な音が聞こえてきそうな身体を無理矢理起こし、ミリアを背負って立つ。
腰が埋まる程の積雪に加え、木々の枝に引っ掛った事でどうにか即死は免れたらしい。代わりに背中側にはいくつもの怪我があるらしい。
「っく…ふっ…!」
動かす度に呻き声が漏れるが、このままここに居ては二人共凍死してしまう。どうにか暖を取れる場所を探すべく、雪をかき分けて進むとある程度先にきらりと光る物体が見えた。
「んぐっ…あれは…俺のッ…」
必死にその物体…落下の中で離れ離れになった剣を取り戻す。激しい痛みを何とか歯を食いしばって耐えながら背中の鞘にそれを納め、移動を再開する。幸い、俺が力尽きるよりも先に良い具合の洞穴を発見できた。しかし、油断はできない。狼が居るなら熊などが居ても不思議ではない。入り口にミリアを静かに降ろして一人先へと進む。それほど進まない内に奥にたどり着き安全を確認できたので、出来得る最大速度でミリアを迎えに戻る。
「ついてるな…まあ、こんな状態になってから運が良くてもな…」
そこは誰かがキャンプを張った後らしく、丁度いい具合に焚火跡が残されていた。まだ使えそうな薪もだ。しかし、救援が来るまでの間となると、少し量が心もとない。追加で少し集める必要があるだろう。
だがまずは火を熾し、ミリアを温めなければ。俺は何とか寒さに耐えているが、ミリアは濡れた体のまま、悪い事に眠り続けている。
「許せ…ミリア…」
火を熾した後、俺はミリアの服を脱がせる。やましさからではなく、濡れた衣服を着替えさせ、体温を奪わせないためだ。それは理解できるのだが、さすがに下着を外すかどうかはかなり苦悩する。だが結果的に彼女の心に傷を残す訳にもいかないと下着は残し、それ以外を着替えさせる事にした。
「ミリア…死ぬなよ…」
一応、脈はある。着替えさせた上で毛布にも包ませて焚火で暖を取らせているので、いずれ目も覚ますだろう。だが俺にはまだやる事がある。鎧を脱ぎ、できる範囲で傷の治療をして、すぐに再び鎧を着込んで剣を片手に外に出る。体表面以外にも随分と怪我をしている様だが、寝ている訳にはいかなかった。
そう、薪を集めなければならないのだ。残されていた薪はそう多くはない。少しでも多く、追加で集めなければ。
「クソッ…しっかり動けよ…。借り物の身体をッ…ここまでしちまったのは…気が引けるけどよ…!お前の大事な奴が…ピンチなんだぞッ…」
痛みで満足に動かない身体に鞭を打ちながら、雪の止まぬ峡谷を行く。少しでも多く、薪を稼ぐために。意識は痛みで今にも飛びそうだったが、身体だけはまるで俺の意識から離れているかの如く作業を続けた。しかし、数本を境に俺の意識は完全に途絶えてしまった。
「ここは…?」
見知らぬ洞窟の中に毛布に包まれた状態で目を覚まし、若干困惑気味の頭を振ってどうにか思考を纏める。たしか、狼の別動隊に襲われて崖から落ちたはずだった。
「そういえば、あいつ…」
最後の記憶では、崖から落ちる中、アキトが飛んできて私を抱えて庇う様にして落ちたのだ。だがこの場にアキトの姿は無い。ゆっくり体を起こすと、ある事に気が付いた。
「私の服…。着替えてる?」
下着は若干湿っていて嫌な感触だが、服は乾いた男物に替えられている。恐らくアキトの仕業だろう。下着を見られたと思うと恥ずかしいが、濡れた服のままでいたらと思うと感謝するほかない。
ゆっくり立ち上がり、体を動かしてみるとどこにも怪我は無いようだった。
「アキトのおかげね…」
目の前で燃える焚火に数本、新たに薪を投入してからゆっくり辺りを見回す。そこにはアキトの物と思われるカバンや装備の一部が残されている。
「まさか…外に?」
先程の様に不意打ちを受けないよう、注意しながら洞穴の出口へと歩を進める。すると出口付近に倒れる人影があった。こんな所で人などアキト以外考えられず、思わず駆け寄っていた。
「アキト!アキト!」
アキトは拾って来たと思しき薪を下敷きに、倒れ込んだまま動かない。よく見れば背中は血で所々赤く染まっている。落ちた時に枝などが刺さったのだろう。アキトの鎧は動きやすさを重視して所々がチェインメイル頼みになっている。その分棘などの細い物はどうしても防御をすり抜けやすい。
「私をかばったせい…なのよね…」
気合を入れて、何とかアキトを焚火の所まで運ぶ。ついでに戻ってアキトが命がけで拾い集めた薪も回収し、火の傍で乾かす。
揺れる炎の明かりの下、鎧を脱がされ半裸になったアキトがうつ伏せに寝ている。治療の為に私がそうした。
「何よ…こんな傷だらけにして…。その身体を失ったら私が困るって…言ったのに…」
頬を伝い、涙が滑り落ちた。この馬鹿が危うくアルの身体を壊しかけたから?たぶん違う。でもそれは考えたくはない。無理矢理頭を振って想像しかけたその言葉を頭から叩き出す。息を吸って意識を集中させる。
「私のせいで怪我したなら、私が治さないと…。あんたは死なせないわ」
ゆっくりと意識を集中させ、レオの教えを思い出しながらイメージする。傷が治るイメージを。怪我一つない、普段の彼を。そして私の手から生じた光が、軌跡を残しながらアキトの身体へと注がれる。見る見るうちに傷口は塞がり、打撲や骨折で痛々しく腫れていた部分は普段のなだらかな肌へと変じていく。そして光は消え去り、怪我を完全に治癒させたアキトがそこに残される。
「良かった…成功したわ…」
今思えば普通に詠唱しても良かった気がするが、焦るあまりそこに気が至らなかった。まあ、成功したのだからそれで良いだろう。
怪我が見た目上は完治したアキトはしかし目覚める事は無く、仕方なく脱がせた衣服を再び私が着せる。しかし鎧は着せ方がよくわからないので、あくまでインナーだけ。それでは寒かろうと、今度は私がアキトに毛布を被せる。
「ん…でも毛布が無いと、寒いわね…」
困った事に、ここに私のカバンは無い。周到にもカバンを持ち出したアキトは良い判断だったと褒める他ない。どうにかできないかと頭を働かせるが、結局思い付いた方法は一つだけだった。
「今日…だけよ…」
まるで自分に言い聞かせる様に呟いて、アキトを包む毛布の中に、自分の身体も捻じ込んだ。
暖かい。それに微かに鼻をくすぐる匂いは何か?俺は再び召されたのか?
そんな疑問を浮かべながら目を開けると、目の前には何故かミリアの顔がある。
「―――!?」
声を出しそうになるが寸での処で急制動に成功する。代わりに心臓が今にも口から飛び出そうだが目を閉じて瞑想をして心を鎮める努力をする。
そこで気付いたのだが、息をするのも大変だった身体全体の痛みが一切ない。首だけで背を見やると服は新しいインナーへと変えられ、その隙間からは包帯が消えている。なるほど、ミリアが治してくれたらしい。が、そこまでは理解できるにしてもこの状況は何か。ミリアは抱き付きこそしない物の、完全に俺に体を預けて寝ている。
(まさか、そんな…いやいや…)
不埒な考えが頭を過るが如何にかそれを理性でもって鎮圧する。大方、俺を助けた後互いに暖を取る手段としてこうなったのだろう。
しかし理由は理解できても俺も一端の男だ。それも死ぬ間際に色恋沙汰への憧憬叫ぶ程度には女性に興味もある。というか有り余る。黙っていれば美少女その物のミリアがこうも無防備に、目の前どころか身体を密着させている状態に興奮しない筈がない。このままではまずいと欲に捕らわれつつある思考をパージして、別の方向で思考を走らせる。
思えばミリアが無事でよかった。咄嗟の判断だったが、なんとか守れた様で胸を撫で下ろす。自分でも何故あの状況で己を顧みず助けに向かったのかは明確な答えがない。俺が彼女を旅に巻き込んだから?彼女の大切な人間を奪ったから?どちらも違うだろう。
――好きだから
自分の物とは思えない声が思考に突き刺さった。
まさか、そんな馬鹿な。何故俺がこんな見かけだけ美少女の中身悪魔な女に惚れようか。悪趣味にもほどがある。俺はマゾではないし、ノーマルで御淑やかな女の子とお付き合いしたいというのが希望だ。断じてミリアに好意など…。
――というのは建前、実は恐れている
またも突き刺さる言葉。それは深々と心に突き刺さり、否定の言葉を失わせた。俺は…恐れている…。一体何を?
――この世では自分が異物である事を
言われてみれば、今まで出会った女性の誰にも、まともな告白など考えた事も無い。葵など、俺の条件にぴったりな超絶パーフェクト美少女だ。助けた縁から話を弾ませ仲を深める事だって無理では無かったはずだ。隆に殺されかねないが。イシェネだって種族の差があるものの、美女だし優しいしお姉さんオーラ凄いしでロマンス方面を目指しても不思議ではない。
夢のファンタジー世界に溺れていた、では済まない何かがある事は確実だった。かつて己で語った、全てが終われば俺は死に、ここから去るだろうという予測、それが俺の心を縛っていたのだろうか。
――だが、新しい身体は約束されている
そうだ、そうだとも。身体を返すために俺が消える必要はもうない。ならば、思い切りこの世界を満喫しても良いのではないか?だがミリアには…大切な…パートナーたるアルベールが居る。略奪愛になってしまうではないか。
そう考えた所でハッと息を呑んだ。何故俺は…ミリアを引き合いに?
――だから、好きだからさ
それきり声は聞こえなくなったが、俺の心には大きな衝撃が残された。いつの間にか、ミリアに惚れていた?
確かに、凶暴な所はあれど、面倒見がよい所もあり、魔法への直向きな姿勢は見ていて気持ちが良い。飯も美味いし、何より美少女である。なるほど、惚れても不思議はない…。
「馬鹿な!!」
思わず声に出して叫んでしまう。耳元で叫ばれたミリアが不機嫌そうに唸りながら目を覚ます。
「うるさいわ…ね…」
顔を上げたミリアと、極至近距離で目が合う。俺はもちろんの事、何故かミリアまで顔を赤くして目を背けた。
雷撃を貰うのではないかとヒヤッとしていた所に見せられた乙女らしい反応に心臓が跳ね飛ぶ。
「お、おはよう…ミリア」
なんとも間の抜けた言葉しか出なかったが、ミリアも頭が回っていないようで、おはようと短く返された。
そのまま話す言葉もなく、二人して固まってしまっている。最初こそ鼓動が相手に伝わるのではと気が気では無かったが、次第に落ち着く中で今度は沈黙への気まずさが頭を占めていく。どうにか沈黙を破り、気まずさを飛ばさなければと、魔獣ゲーラを相手取った時の数百倍の意気込みを持って言葉を発すると、ベタな展開が舞い込む。
「あの、ミリア…」
「アキト…」
何と間の悪い。同時に喋り出し、再び言葉に詰まる。折れかけた意思を何とか補修して、どうにかこうにか言葉を続けた。
「助かった、怪我の治療ありがとな」
俺の言葉にふるふると頭を横に振るミリア。普段の尊大な態度とは打って変わり、まさに乙女オブ乙女な仕草にもはや俺の心臓は死に絶えそうだ。
「私こそ、アキトが居なかったら死んでいたかもしれない。一度目は落下で、二度目は凍死で。あなたは間違いなく、私の命の恩人…」
照れを多分に配合したその声は、今まさにギブアップを叫ぶ心臓に容赦ないトドメの一撃を与えるには十二分に過ぎた。
「ぐっ」
思わず漏れた変な呻きにミリアがさっと表情を変える。まずいドン引かれた…と内心とても落ち込んでいると慌ててミリアが背中に手を回して撫でまわす。
「ごめん!治しきれてなかったのね!?どこが痛むの!?」
どうやら怪我が完治してないと勘違いしたらしく、凄まじい勢いで心配するミリアに物凄く申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「いやすまん、そうじゃないんだ。怪我は大丈夫だありがとう」
「それなら良いけど…」
心配そうに見つめつつ元の体制に戻るミリア。おかしい、おかしすぎる。俺は俺でミリアを意識しだしてしまっているから仕方ないにしても、ミリアのこの反応は何だ?落ちた時に頭でも打ったのか?普段の彼女とは想像もつかないくらい態度が柔らかい。というか別人だ。完全に俺を殺しにかかっているかのような攻撃力の高さだ。
「ミリア…さん?一体どうしたんだ?なんか態度が…その、いつもと違うというか…」
思わず疑問を口にしてしまい大慌てで口を噤むが時すでに遅し、ミリアは顔を真っ赤にしてこちらを見ている。万事休す。雷撃処分待ったなしである。
だがまたしても普段からは考えられない挙動をしたミリアに真剣にバグの懸念を抱いた。
「私だって…、恩義くらい感じるわよ…」
それと同時に、理性のブレーキが音を立てて破損した。
「ミリア、可愛いな」
「っ!?何言いだしてるの!?」
ミリアの素っ頓狂な叫びに一瞬飛んだ理性が再起動する。状況を再度認識し、再起動した理性が事態の深刻さを声高に告げる。
「すすすすまない!何かが頭の中で!落ちたせいだきっとそうだ!」
浮気バレした夫の様な醜態をさらしながら必死で弁明する。すると、ミリアはぼそりと一言だけ呟く。
「まあ、今日のアキトは格好良かったわよ…」
そして、俺の胸に頭を押し付けてそのまま黙り込んだ。
そのまま煮え切らない沈黙は、レオが救出に駆け付けるまで続いた。異様な空気にレオは一瞬何事かと怪訝な態度を示したが、長年の経験か何かで察したのか、そのままスルーして俺とミリアを救出した。こうして、この世界で初めて訪れた明確な生命の危機と、大波乱の幕開けと共に、今日この日は更けて行った。




