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レトロフィクション

作者: 西川なつ


あの日を思い出すときはいつも高い陽射しがある。

眼を貫く太陽は泣き喚く蝉の声を掻き消し、一人佇む私の影を連れ去った。



*****



考え得る限り私はおよそ外交的とは言えない子供だった。

一番古い記憶は父親の後ろに隠れて握った服の裾を片時も離さなかったこと。

外に遊びに行くこともなく、部屋で絵ばかり描いている私を、父は別段責めることはしなかった。

父は常に微笑み、描いた絵を褒め、世界中の誰よりも私を愛していると言ってくれた。

私も世界中の誰よりも父を愛し、尊敬し、信頼していた。

父さえいれば他に望むものはなかった。



*****



部屋から出ることは少なく、家から出ることは一層少なく、庭から出ることは稀であった。

それなのだけれどあの日の記憶を手繰るとやはりどうも私は家の前の通りにいた気がする。

境界線であり結界であるはずの垣根を背にして地面に絵を描いていた。

豪華なドレスを纏ったお姫様。

お姫様を大好きな王子様。

微笑む花に歌う鳥。

6歳になったばかりのお隣のジニーはよくそんな絵を描いているらしい。

その子より少しおねえさんだった私は首を傾げたものである。

そんなものを描いて何が楽しいのだろう。

お姫様も王子様もいない。

花は笑ったりしないし鳥が歌っているところなど見たこともない。

ジニーは少し変わった子なんだなと思った。



*****



母はたまに私を叱ることがあった。

だから少しだけ母が嫌いだった。



*****



気付くと傍らに男が立っていた。



*****



真っ黒に塗り潰した紙に赤いクレヨンで血溜まりを描いたことがある。

その中に腕や足、猫の首も転がした。

喉にナイフを突き立て悶え苦しむ人を描いたこともある。

水路に落ちた子供も。

列車に轢かれる大人も。

鴉に目玉を刳り貫かれたおばあさんも。

狼の群れにはらわたを食べられるおじいさんも。

父は褒めてくれた。

私の髪を撫で、抱き締め、素晴らしい、天才だ、自慢の娘だと言ってくれた。

母も先生も私を気味悪がったけれど気にならなかった。

父が喜んでくれるのが何より嬉しかった。



*****



男は魔女のような黒い帽子を被り、おそろしい怪人のような黒いコートを羽織っていた。

地面を指し、上手だ、と言った。

罅割れて不快な声だった。



*****



父はいつも正しい。



*****



あの日描いていたのは銃を構えた兵士だった。

他にも何人か描いた。

みんなばらばらにした。

腕も足も頭も腰も外せるパーツはすべて外した。

残った一人の兵士の側に犬を描き足した。

何故犬を描くのだと問われた。

可愛いからだと私は答えたように思う。

それは間違っていると言われた。

私は本当に犬が可愛いと思っているし、実際、2ブロック先のシェパードとは仲良しだ。

垣根越しに通りを眺める私を認めると、彼は嬉しそうに駆け寄り顔を舐めた。

彼は父以外で唯一私を好いてくれた存在だった。

だから彼と私はともだちだ。

飼い主のエバンズさんはとても嫌そうにして足早に立ち去ってしまうのだけれど。

男は私の手から石を取り上げた。

そして犬の絵に首輪をつけた。

そこから長い紐を垂らし。

兵士の手に括り付けた。

私は呆然とそれを見つめ、どうしてこんなことをするのかと訊ねた。

男は。

笑っていた。

三日月型にぽっかりと口を開けて厭らしく笑っていた。

男は地面を指して。

そうして紐を。

長い紐を。

断ち切った。



*****



たちまち犬は逃げ出した。



*****



ばらばらの兵士を飛び越えて、踏み潰して、蹴散らして駆けていく。

白い体を真っ赤に染めながら見る見る遠くに行ってしまう。

私は慌てて追いかけた。

犬の足は速くて、私の足は遅くて、止めようと口を開いて気付いた。

犬に名前はなかった。

あのシェパードの名前を知らなかった。

そして何より自分の名前を知らなかった。

私はおどろいて、かなしくて、さびしくて、だけれど必死に走った。

走って走って捕まえなくてはと考えた。

走って走って走って走って兵士の手に戻さなくてはと思った。



*****



走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って



*****



通りに戻ってきた。

男は笑ったままで、犬はどこにもいなくて、兵士は切れた紐を握っていた。

私はついに泣き出した。

境界線にして結界であるはずの垣根の外で泣き喚いた。

男は得意げに間違っていただろうと言った。

ほらあれはお前だろう?

と。



*****



男の貌は真っ黒だった。



*****









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