第5章
ジーナが、微笑みかけている。微笑み、こちらへ腕を伸ばしている。アーロンは笑顔になり、思わず彼女を抱きしめようとした。だが、彼女の姿はふっとかき消え、独り彼だけが闇の中に取り残される。
ジーナの声が、アーロンを呼ぶ。何か話しかけているようだが、彼には聞き取れない。彼は必死に駆け回り、ジーナの姿を求めるが、彼女の姿はどこにも見つからない。
「ジーナ!」
悲鳴にも似た悲痛な叫びが、アーロンの口をついて出た。彼は思わず目を見開いた。
「おお、目が覚めたか」
白く長い髭の老人が、アーロンの面を覗き込んだ。
「随分、うなされておったのう。ジーナというのが、あの娘の名なのじゃな」
「・・・・・・ここは?」
アーロンは訊ねた。
「お前は随分酷い傷を負っていからのう、わしが薬を嗅がせて眠らせ、この屋敷へ連れてきたわけじゃ」
老人の言葉を聞いたアーロンは起き上がり、更に何か言おうとした。だが、老人は彼を制し、再び寝台に押し戻すと、彼に良い香りの薬を嗅がせた。アーロンは再び、眠りに落ちた。
夢の中で、アーロンはまた何度もジーナの姿を見た。そしてジーナの声を聞いた。だが、彼女の元へ至ることも、彼女を腕に抱くこともできなかった。
長い夢のあとで再び目が覚めたとき、アーロンの体の傷はすっかり癒えていた。目の前には、再びあの老人の姿があった。
「傷はすっかり癒えたようじゃな」
老人は、優しくアーロンに言った。
「ジーナは?」
アーロンはすかさず、老人に問うた。老人は、アーロンの深い、黒曜石のような目を、確りと正面から見つめ返した。そしてゆっくりと、そして厳然と言った。
「お前のジーナは、死んだのだ。お前が抱いていただろう、女の死体を。あれがジーナだ。ジーナはもう、ここにはいないのだ」
「嘘だ」
咄嗟にアーロンは口走った。彼の脳裏には、あの城門の前でのことが過っていたが、それでも彼は、ジーナの死を認めることができなかった。
「これを見ろ」
老人はアーロンに、大きな壷を差し出した。
「あの娘、そのままにしておくわけにはいかなんでな。お前が目覚めてからとも思うたが、傷があまりにも深く、お前が一月も眠っておった故、わしが荼毘に付しておいた。これが、あの娘、お前のジーナだ」
アーロンは壷の中を覗き込んだ。壷の中は、白い灰と骨片だった。これがジーナだって?アーロンは、もの問いたげな眼差しを老人に向けた。老人は深く頷いた。
「お前が・・・・・・、弔ってやれ」
アーロンの黒い瞳から、涙が溢れ出た。彼は傍らのリュートを取り、骨壷を抱いて外へ出た。アーロンと老人は地面に穴を掘り、そこへアーロンのマントで包んだ骨壷を埋めた。アーロンは悲痛な表情で、ジーナと子供の頃に歌った、故郷の歌を奏でた。だが、狂おしくリュートをかき鳴らす若者を、老人は厳しく制した。
「その曲ではないだろう」
彼は言った。
「今必要なのは、弔いの歌だ」
その言葉にアーロンは項垂れ、リュートを奏でる手を止めた。暫しの沈黙ののち、彼は弔いの曲を静かに奏で始めた。彼は声を出すことなく、涙を流し続けた。
弔いが終わっても、アーロンには行くべき場所がなかった。老人は東方から来た魔術師で、彼は寄る辺のないアーロンを自分の弟子にした。喪が明けると、アーロンは老人の許で魔術の修行を始めた。彼は文字を覚え、多くの呪文と薬草の効能を知った。また、修行を積むうち、美しく楽を奏でる本来の能力と、魔術的な力を組み合わせる方法さえ編み出した。彼は初め、狩りの際にその能力に気付いた。楽を奏でて動物を扇動したり、魅了して罠にかけたり、或いは自分を襲うものを鎮めたりすることができるのに気付いたのである。彼は修練を重ね、ますますその能力に秀でた。
そうこうして二年の歳月が過ぎたある日、アーロンはふと、棚の上に無造作に置かれた、これまで見たことのなかった古びた書物に目を留めた。