第2章
「大した上玉じゃないか、ええ?」馬上で衛兵は、いやらしくジーナの体を撫で回した。
「あの爺の女にするには勿体ねえ」
「何をするの!」恐怖に慄きながらもジーナは必死に抵抗し、凄まじい形相で衛兵を睨みつけた。
「あなたが無体を働くというのならば、私はここで舌を噛み切って死にます」
「随分物騒だな、ええ?」衛兵は少々面食らって答えた、「ここで死なれちゃ困るんだ・・・そうなりゃ俺もお手打ちだ。何が何でも、王宮までは一緒に来て貰うぜ」
馬から必死で身を乗り出すジーナを、衛兵はぐいと押さえつけた。ジーナは必死で衛兵の不意をつき、どうしても馬から降りようともがいたが、叶わぬままに一昼夜が過ぎ、とうとう王宮に辿り着いてしまった。
一方、傷つき倒れたアーロンは、ジーナが連れ去られて一時ほど経った頃、部族の者の介抱によって漸く目を覚ました。ジーナの手を取り、共に入った天井の天幕が見える。一体私は・・・?彼は傍らを見遣った。ジーナの姿はない。彼は咄嗟に起き上がろうとした。が、鋭い痛みが右肩に走り、彼は思わず面を歪めて床に倒れた。
「あっ、起きてはいかん!」天幕に入ってきた長老は、身を起こそうとするアーロンの姿に気付き、慌てて彼を制止した。
「今、医者を呼びに遣らせておる。起き上がるでないぞ、傷に障るでな」
「お爺さん、ジーナは?ジーナはどこに?」アーロンは尋ねた。その顔には、不安の色がありありと浮かんでいる。老人は、思わず目を背けた。アーロンは目を見開き、尚も畳み掛けた。
「ジーナは・・・あの衛兵に連れ去られたのだな?そうだろう?」
老人は、悲しげに眉を顰め、首を振りつつ答えた。
「・・・諦めろ、アーロン。衛兵に背いた者で、誰一人として助かったものはおらん。ジーナは・・・、おまえにとっては辛いだろうが・・・、あれほどの器量じゃ、いかな国王といえど、自分で所望したあの娘を殺すことはあるまい。ジーナはとにかく、生きておる。わしらは貧乏人、どうすることもできぬ。生きておるだけで、十分だと思わねばならぬ。諦めるのじゃ、アーロン。あの娘のことは・・・」
アーロンの面が引き攣った。彼は制止しょうとする長老を押しのけ、よろよろと立ち上がった。
「アーロン!どこへ行こうというのじゃ」
「ジーナを・・・助けに行きます」
「その体では、とても無理じゃ!」」
長老は叫んだ。
「馬で行っても、王宮まではたっぷり一昼夜はかかる。馬もないのに、どうしようというのじゃ。その体では、途中でおまえも死んでしまうぞ!」
だが、アーロンは尚も長老を振り払い、天幕の外に出ようとした。長老は彼に縋り、必死に懇願した。
「アーロン、頼む、諦めてくれ。行かないでくれ・・・。国王に楯突いて、生きて帰ったものはおらぬ。アーロン、・・・おまえは・・・、お前とジーナは・・・、部族の誇りじゃった。美しいお前とジーナは、貧しい我らの希望じゃった。ジーナを失い、この上お前まで失うとなれば・・・、とても、この年寄りには考えられぬ。いや、わしだけではない。頼む、行くのは止してくれ・・・」
涙を流して懇願する老人を、アーロンはじっと見詰めた。その黒い瞳は、悲壮な決意に輝いていた。それに気圧され、長老は思わず腕を緩めた。
「許してくれ」
アーロンは低い声で呟くと、立てかけてあったリュートを抱え、ふらつきながら天幕を出た。まだ晴れ着を着たままの人々が、心配そうにこちらを見ている。皆ざわめき、アーロンの名を口々に呼んだが、その眼差しに気圧され、近づこうとする者はない。彼は黒い瞳を見開き、進むべき道を凝視していた。彼は一歩一歩と、夜の暗闇に足を踏み入れていった。
天幕の中から、彼の名を呼び号泣する老人の声が聞こえてくる。だが、若者が振り返ることは決してなかった。