四滅将の足音
季節は冬の半ば。身に凍みる寒さが堪える時期。
勇者たちと別れ、ミルズの村に来てから四ヵ月がたとうとしていた。あれから私は毎日のように聖木に触れては祈った。
迷いもあったが、それ以上に彼が死ぬのは嫌だったからだ。
その甲斐もあってか、聖木には小さなつぼみがついている。
また、祈ることだけでなく、神聖呪文の勉強を再開した。ヴェレクトとの戦いでマールム一族としての力が目覚めたあと、それまでが嘘のように理解力があがったのだ。
ティセーラは神聖呪文の使い手のなかでもかなりの達人なのだが、その彼女に追いつかんばかりの勢いで難しい呪文を習得することができた。おかげでかなりの大けがすら癒せるようになり、村人たちには感謝されっぱなしだった。
村人たちの役にたてることが嬉しい。
そうやって神の僕として人に仕えていると、領主としてこの地を治めるよりも、こうして地味に働く方が自分には合っていると心から痛感した。
今日もまた、神殿の手狭な施療室の小さな寝台に横たわった村人の傷をいやすべく、呪文を唱える。
時刻は昼下がり。
横たわった村人は中年男性で、痛みに顔をしかめている。彼は足に大きな裂傷を負っていた。私はそこに意識を集中して、ふと懐かしい不穏な気配に目を見張った。
――これは、魔素?
魔物や魔族につけられた傷からは、必ずといって良いほど魔素が立ち上る。それも浄化しつつ傷を癒すのだ。勇者たちと共にいた頃は、傷と言えば魔物につけられたものが多かったから、慣れている。
しかし、この村に来てからは、そういうことは全くなくなっていた。
――もしかして、魔物が出たのかしら。
疑問に思いつつも、まずは傷の治療に集中する。
かなり大きかった傷も、施療後には微かな跡を残して完治した。ようやく痛みから解放された村人は、表情をゆるめて謝意を伝えてくる。
「ありがとうございますマールム様。正直、もうだめかと思いましたが、やはりすごいですねえ」
「いいえ、治って良かったです。……あの、もしかしたらその傷、魔物につけられたのでは?」
食糧の乏しいこの季節、村の男たちは害獣退治を兼ねて、時折狩りに出る。彼もまた、その最中に大けがを負ったところを仲間たちに連れられてここへやってきたのだと言う。
それを聞いたとき、私はあることを考えた。
もしかしたら、ヴェレクトが私を探しているのではないかということをだ。あの魔族はマールムとしての私に目をつけている。むしろ、今まで何も音沙汰がなかったのがおかしいくらいだ。
もしそのとばっちりで誰かが死ぬようなことになったら、と思うと、私は生きた心地がしない。
「そうです……ですが、あんな巨大な魔物、今まで見たこともなかったですよ、何しろ、このミルズ周辺には聖木様のご加護がありますし」
私は、やはりという気持ちで顔をしかめた。
実は、聖木の浄化効果のある範囲はかなり広い。
今までずっと魔物の出没する場所ばかり旅してきたからそう感じるのかもしれないのだが、このミルズ周辺は本当に魔物が少ない。
近隣の村に向かう際も、魔物の姿は全く見ていない。
どうしてこんなにいないのだろうと思って訊ねたら、ミロムの加護だと言われたのだ。
聖木の浄化能力は、木の近くにいさえすれば、高位魔族からすら守られるものだ。だからこそ大司教が私をヴェレクトから守るためにここに寄こしたのである。
だとしたら、彼らが見たというものは何なのだろう。
低級の魔物であるとは考えにくい。
――まさか。
大司教の話によれば、ミロムの加護が及ぶ範囲は広いが、それはあくまで力の弱い魔物に限っての話だという。
かつて、大きな街だったここを焼き払ったのは、高位の魔物と魔族の軍勢だったのだそうだ。
強い魔物や魔族にまで効果があるのは、せいぜいがミルズの村の範囲までだ。それも、なるべく木に近くなければ効果はない。
私は、大司教に木の近くからは出るな、近隣の村にけが人が出た場合はティセーラを向かわせ、外を歩く場合はオッシュを必ず伴うこと、ときつく言い含められたことを思いだした。
「そうですよね、なら、その魔物はかなり力が強いものなのかもしれません。しばらくは危険ですから、狩りはなるべく控えて、食糧は大神殿に相談してみますから」
「ええ、あんなのがうろついていちゃ、いくら命があっても足りませんよ。食糧はもう少し何とかなると思いますし、しばらくは様子見ですね」
そう言いながらも、村人は残念そうだった。
狩りで得た獲物は、得難いごちそうだからだろう。私はすぐにでも大司教に相談しなくては、と思った。
私のせいで村人が飢えるのは嫌だし、楽しみも奪いたくない。
今の私なら、恐らくその程度の魔物は浄化出来るだろう。しかし、ここから離れてはならないと厳命されているし、何よりのこのこ出て行ってここにヴェレクトを招くような事態になればもっとひどいことになる。
私は村人を笑顔で見送ったあと、聖水鏡のある場所へ足を向けた。
☆ ☆
「だめです」
「で、でも……少しだけでも」
「だめです!」
ティセーラの強い語気に気圧され、私はうなだれた。助けを求めるようにオッシュを見るが、彼もまた首を横に振っている。
あの日、すぐに大司教に相談することが出来たのだが、援助は難しいと言われてしまった。現在もあちこちで魔族や魔物との交戦があり、余分な人員は全くいないという。食糧援助はシュロヴァス王国に掛けあってみるが、難しいだろうと言われた。
当り前だ。
わかってはいたのだ。
それでも、残念そうな村人の顔が忘れられなかった。
だから私は、こっそりと魔物の浄化をしようと思ったのだが、すぐにティセーラとオッシュにつかまり、食堂で説教されている。
そんなにわかりやすかったのか、私の行動は、と自分の能力のなさに幻滅しつつ、それでも諦めきれずにお願いしてみる。
「どうにか出来ないんでしょうか……だって、彼らが狩りに出られなくなったのは、私のせいかもしれないのに」
「例えそうでも、貴女はここを離れてはなりません。現在マールム一族としての力があるのは貴女だけなのですよ。貴女は決して死んではならないのです。せっかくミロムにもつぼみがついたというのに、もう少しご自分の立場というものを自覚してください」
突き返された言葉はとても痛かった。
長く考えないようにしてきた現実を、改めて目の前に突き付けられたのだ。ただの僧侶としての私はもういない。ただの僧侶として生きる道は完全に閉ざされたのだと身に染みてわかった。
けれども、もう少しだけあがいた。
「それは、わかってますけど……近くだけなら」
「だめです!」
断固として拒否され、私はうなだれた。
「……ティセーラ、それなら、俺かお前のどちらかが行けばいいんじゃないのか? 俺たちの任務には、そういう不測の事態に対応することも含まれていたはずだろう」
見かねたのか、オッシュがおずおずと切り出すと、ティセーラは少し黙って私を見てから、大きく嘆息する。
「そうね、それなら可能だわ」
「なら、俺が」
「それはだめ、あなたはリフィエ様の護衛なのよ? 私は魔物や魔族相手なら相手できるけど、もし人間に襲われた場合、私じゃ役に立たないわ」
ばっさりと切られ、オッシュは押し黙った。
ティセーラは腰に手を当て、私とオッシュを交互に見る。
「仕方ないですね、私が行ってきます」
「でも、一人じゃ危ないと」
「平気ですよ、それじゃあ行ってきます。夜までには必ず戻りますから」
あっさりと告げたティセーラに、私は驚いた。
いくらなんでも決めるのが早くないだろうか。
「ちょっ、待って……」
「面倒なことは早めに終わらせたいですから、じゃ」
「えっ!」
扉の閉まる音がして、私は伸ばした手を引っ込めた。すると、肩に小さな衝撃を感じて顔をあげる。
「あいつはああいう奴なんだ、気にするな。きっと無事に帰って来る」
「だと、いいんですけど」
掛けられた優しい言葉に素直に頷けず、私は扉をじっと見つめ、ティセーラが無事に戻りますようにと祈った。
私を守るために誰かが死ぬのだけはもう嫌だった。なのに、動けない自分が情けなく、この時初めて私は運命を呪ったのだった。