課せられた重責
やがて、お茶を手に戻ってきたティセーラは、私の向かいに座ると微笑んだ。すすめられるままにお茶のカップを手にすると、良い香りが漂う。近くで摘んできた薬草茶らしい。
「おいしい」
「良かった、そのお茶はここ周辺で採れるもので、小さい頃は良く飲んでいたんです、気にいってもらえて嬉しいわ」
懐かしそうにお茶を飲むティセーラ。私はしばらくお茶を楽しみながら、彼女が話し出すのを待った。
「実は、大司教様から頼まれていたことがあったのですが、今までは忙しくて、中々話せずにいたのです」
「大司教様から?」
「ええ、ミロムについてです」
私は驚いてティセーラを見た。
それから、ふと納得した。大司教が私に直接説明しなかったのは、ミロムという聖木とマールムと一族を実際に知っているティセーラから伝えさせたかったからではないだろうか。
さらに言えば、混乱していた私を気づかって、落ちついた頃に伝えるつもりだったのではなかろうか。
私はカップを置いて、じっとティセーラの目を見た。
「リフィエ様はまだミロムの実の必要性についてご存じないでしょう。それと、聖木の存在についても、なぜマールム一族でなければミロムの世話が出来ないのかも」
「はい」
とても知りたいと思っていたことだ。私は真剣な面持ちで頷く。
「それをお伝えするように言われていたのです。ですが、村人たちをむげには出来ませんでしたし、近隣の人々も放ってはおけず、遅くなってしまい、申し訳ありませんでしたリフィエ様」
「そんなことありません……それにあの、様は要りません」
私の提案に、やはりティセーラは首を横に振る。
ここに来て以来、彼女だけでなくオッシュや村人たちすら敬称をつけて私を呼ぶ。ただの孤児だった私にとって、それはなんとも居心地の悪いことだった。しかし、皆頑として首を縦に振ってはくれない。
「それは無理です。マールム家の皆さまのことを私たちは敬愛しているのですから」
「そう、ですか」
肩を落とした私に向かい、ティセーラは苦笑しつつ話をはじめた。
「ミロムというのは、マールム一族の娘が神に祈り、与えられたものです。その実は、瀕死の人間を生き返らせることができると言われています。娘は、聖女と呼ばれる存在でした……その頃は、今とは違って魔族たちと対抗すべく、たくさんの勇者を召喚していました。死ねば次の勇者を召喚する、そのことを悲しんだ娘は、何とかして彼らを救いたいと願った、そうして与えられたのがミロムでした」
私が理解するのを待つように、ティセーラは一度口を閉じる。
コトコトとシチューが煮える音を聞きながら、私はふと疑問をおぼえ、それを口にする。
「聖女、ということは、もしかしてレフィセーレ様も何か関係しているんでしょうか?」
かつてマールム一族の娘が聖女だったというのなら、何か関連があるかもしれない。深く考えた問いではなかったが、どこか今の聖女であるレフィセーレと話の女性が重なったのだ。が、ティセーラは顔をしかめた。
「関係はしていますよ。貴女様ほど濃くはありませんが、あの方もまたマールム家の血を引いています。ですが、あの方はすでに聖女ではありませんし、何より、僧侶ですらありません」
「えっ……あの、それはどういう」
もっと詳しく聞こうとした私に、ティセーラは気まずそうに嘆息した。
「申し訳ありません、口がすべってしまいました。これ以上は私からは言えません……どうしてもと仰るのでしたら、大司教様にお訊ね下さい。
では、話を戻しますよ」
「は、はい」
本音を言えばもっと突っ込んで聞きたかったが、言えないというものを無理に聞くのは気が引けた。私は黙って話のつづきに耳を傾ける。
「勇者と呼ばれる人間は、異界人であるため、この世界の摂理が適用されません。ですから、凄まじい力を持つ人外にすることが出来る、という話はご存知ですよね?」
私は頷いた。
ほんのわずか前に聞いたばかりだからだ。
「そのため、彼らが戦いで命を落とさずに済んだ場合も、元いた世界へは戻れない。いいえ、戻れないと言うより、戻っても化け物という認識しかされないようになってしまう。
しかし、ミロムの実を食すことで、能力を元の状態に戻すことが出来るのですよ」
ティセーラの言葉を聞いて、私はひとつのことを理解した。
つまり、私はどうあってももう一度勇者と会わなければならないということを。
黙りこくったままの私に、ティセーラはさらに言葉を重ねる。
「ミロムを食べると一度仮死状態になります。そのまま、元いた世界へ送りかえすことで、ここでの記憶も失くし、完全に帰れるのです。
また、ミロムは勇者が存在している時にしか実りません。まさに、神が勇者たちと娘に与えた慈悲なのです」
確かに、その通りだと思った。
しかし、私の頭にはまた別のことも浮かんでいた。神は慈悲によってミロムを私たちに与えてくれたけれど、その実はこの世界の人間にとって都合良く使われているような気がしてならなかったのだ。
ミロムを実らせる聖木とマールム一族。
このふたつがある限り、魔族と対抗できる勇者を召喚しつづけることができる。しかも、生き返らせられるから、罪悪感が伴わないのだ。
例え、この世界に突然連れて来られ、命を掛けた戦いを強制される勇者と呼ばれる人間がどれほどの苦痛に見舞われようと、無かったことにできるのだからそれでいいではないか、そう考えている気がしたのだ。
しかし、現在召喚されている勇者に、ミロムはない。いくら神の祝福で強化されているとはいえ、死ねば終わりだ。元の世界にも帰れず、この世界で朽ち果てるしかない。
恐らく、レフィセーレはそのことを知っていたから反対したのだろう。
「……それじゃあ、ミロムを実らせるにはどうしたら良いのですか?」
心の中に、焦りが生まれる。
私がミロムを実らせられれば、それだけ勇者の命の危険が減るのだ。意気込んで問うた私に、ティセーラはあっけらかんと言った。
「簡単です。祈るんですよ……木に触れて神に慈悲をと祈るのです」
「それだけ、ですか」
あまりの単純さに、私は拍子抜けした。そんなことで本当に大丈夫なんだろうか。
「ですが、心からの祈りでなければ届きませんよ」
「そ、そうですよね」
少し楽しげに言われたティセーラの言葉に、私は外の巨木を見た。窓からのぞくその姿が、ひどく威厳に満ちたものに見えてくる。
あの木が、勇者を助けてくれるのだ。
しかし、私はその時ひとつ失念していたことに気づいた。
ミロムの実を与えるのが私の役割なら、彼の記憶から自分たちのことを消すのも私の役目だということを。
自分の手で、彼の記憶を奪う。
彼の中の自分を消すのだと考えると、ぞっとした。と同時に、自分のした告白も取り消せるのだと思うと、妙に安堵する。
私は目を細めて、唇に力を込め、千々に乱れる心を鎮めようとした。こんなことで神に届くような祈りをささげられるのだろうか。
暗澹たる気分になった私をよそに、ティセーラは告げた。
「私からの話は終わりです。それじゃあ、私は夕食作りを手伝ってきますから、リフィエ様はもう少しお休みくださいね」
「え、いえ、私も手伝います」
「だめです、座っていてくださいね」
「……はぃ」
鉄壁の笑顔で手伝いを却下された私は思わずうなだれた。いつまでこのお嬢様扱いはつづくのだろう。
もしかしたら一生?
今度は別の意味でうんざりした気分になりながら、私は残っていたお茶を飲み干した。
それはとても冷たくて苦くなっていた。
まるで、私に課せられたことのように。