ミルズの村
ゲートで移動すると、少し目眩ににた症状を覚える。
しばらくじっとして揺れが収まってから、私は街の神殿につめている僧侶に話を聞いて、ミルズへと向かった。
壮年の僧侶はその神殿にとどまるというので、女性の僧侶と僧兵と共に向かう。
女性は私より年上で、三十代も終りにさしかかった人物だった。黒い髪に白い肌をした可愛らしい女性で私より小柄。笑顔には人を癒す力があると思う。名前をティセーラという。
神聖呪文の使い手のなかでも上位に位置し、神聖呪文の指導などもしている。私も以前良くお世話になっていたものだ。
一方、僧兵はとにかく厳つかった。あのザーティフなど優しい方だと感じるくらい厳つかった。年齢は四十代半ばくらいだろうか、その顔に傷がある。魔族との戦いでついたのだろう。歴戦の猛者といった風情が凄まじく頼りになる印象だ。
彼の名はオッシュという。
どちらも僧侶たちのなかではかなりの実力者なので、顔は知っていたがこうして一緒に仕事をすることになるとは思わなかった。人生、本当に何が起こるかわからない。
それに、大司教に告げられた自分の出自に関しても、未だに実感がわかない。ただの商人の娘だと思っていたのがいきなりミルズの領主一家でしたとか言われても困る。なにしろ幼少期にそういう暮らしをした経験がないのだ。
そこへきて結婚しろと来た。
一生神に仕える気でいたのに、どうやって気持ちを切り替えればいいのだろう。まだ勇者とのことも完全に吹っ切れたとは言えないのに。
私はこっそりため息をつきつつ歩く。
やがて村が見えてきた。それと同時に、丘の上の領主館とそのすぐ近くに建つ神殿も視界に入る。
だが何よりも目を引くのは館の近くに生えていた、凄まじい大きさの巨木だった。ねじくれた幹と天へとのびるたくさんの枝には葉の一枚もない。だというのに、生命力のあふれるその姿に思わず見とれた。
「まさに聖木ですね」
ティセーラが感嘆の声をこぼした。オッシュもまた立ち止まり、じっと木を見つめている。あの木を、これから私が守るのだ。
身の引き締まる思いがした。
☆ ☆
事前に連絡していた私たちを、村人たちは快く迎えてくれた。早速残されていた神殿を訪れると、綺麗に掃除されていることに気づく。きっと気をつかってやってくれたのだろう。
整えられた神殿に、私たちは微笑んだ。
その日の夜は村長の家に招かれ、食事がふるまわれた。特に先代の村長は私の帰還を喜んでくれた。ようやくこのミルズにマールム一族の人間が戻ってきたと言っては微かに涙ぐみ、私は少し困った。
宴からの帰り、ティセーラがそっと言った。
「実は、私はここの出身なんです。魔族に街を焼かれて逃げたところを僧侶に救われ、そのまま大神殿で僧侶になりました。ずっと、故郷のことは気になっていたのですが、こうして貴女と共に戻れて嬉しいですよ」
「そ、そうだったんですか」
ティセーラはここが魔族に襲われる前の話をいくつかしてくれた。かつてはこのような小村ではなく、聖木ミロムを一目見ようとたくさんの人が訪れる街だったそうだ。
その頃は賑やかで、穏やかで優しいマールム家の人々と共に街の人々は日々を懸命に生きていたという。
懐かしげに語るティセーラに相づちをうちながら、私はこれからのことについて思いをはせた。
それは神殿に帰ってからもつづいた。
還俗しろとの命令は、今まで支えとしてきたものを取りあげられたようなものだ。脳裏に、私を憎々しげな眼で見た人々の顔が浮かぶ。
――あんたが死ねば良かったのに!
ぶつけられた痛烈な怒りは、未だに自分の心に刺さっている。私は、幸せになどなってはならない人間だ。人生の全てを、他者に捧げることで償いをしている気になっていた。
しかし、どこかで誰かに深く愛されたいと願う自分もいた。それが、ああいう形で現れて、勇者の拒絶で幕を閉じた。
やはり、自分には誰かに愛される資格はないのだと痛感したからこそ、より任務に励むつもりでいたのに……。
「結婚しろ、だなんて」
寝室として与えられた場所で、私はぼやいた。
簡素な部屋のテーブルでは、ろうそくが弱々しい光でぼんやりと室内を照らし出している。僧侶の部屋らしく、ベッドとテーブルに椅子、身の回りのものを入れる箱だけの部屋。
ひんやりとした空気に身を浸しながら、どうしたらいいか考える。
寝台に腰かけて、窓の外を見れば星が輝いている。
今、勇者たちはどうしているのだろうか。また新たなダンジョンに潜っているか、魔族を求めて旅をしているか、少なくとも、今はどこかで休んでいるだろう。パーティにレフィセーレが加わったことで、ずっと楽に戦闘が行えるようになったはずだ。
そう、私がいなくても、何も問題はない。
やがて勇者も私との約束など忘れ、元の世界に帰るはずだ。そうでなくても、愛しいひととこの世界で生きるかもしれない。
道は、完全に分かたれたのだ。
私がそれを選んだのだ。
「忘れなくちゃ……とにかく、今はここで出来ることをするの」
結婚のことは、とりあえず後回しにしよう。いつか心の整理がついたときに考えた方がいい。まずは、ミロムについてもっと知らなくては。それに、明日からは村人たちや、周辺の村から私たちを頼ってくる人が現れる可能性が高い。
睡眠をとらなくては……。
そう言い聞かせて、身支度を整えると寝台に横たわる。それでも、心を惑わす様々な思いが去来し、あまり良く眠ることは出来なかった。
☆ ☆
翌日から、けが人と病人が神殿を訪れ始めた。近隣の村からもちらほらと人が訪れ、中には来て欲しいと頼んでくるものもいた。
神聖呪文では、けがはほぼどんなものでも完全に癒すことが出来る。傷跡すら残らない。
しかし、病気はそういう訳にはいかなかった。
どうしようもない場合には、薬師と協力して治療に当たるのが常だ。その判断は僧侶が下すことが多い。
ティセーラはやはりそういうことに慣れているのか、的確に判断を下していく。彼女について学びながら、私はミロムについても調べたり、どうすれば実をつけられるのか考えた。
大司教に聞こうかと思ったが、あの方も多忙なので聞きそびれているうちに、日々はどんどん経過していった。
特に何かとんでもないことが起こるということもなく、何人かの死を見届け、何人かの命が生まれる瞬間を見た。
穏やかだが、充実していた。
勇者たちの活躍は、神殿を通して聞こえてきていた。今ではかなり強くなり、次の段階、神がこの地に残した試練に挑むくらいに成長したという。神の残した試練で、勇者は魔王に対抗するための武器防具を入手することになる。これが特に過酷らしい。
無事を祈りつつも、私は勇者関連の情報にはなるべく触れないことに決めていた。完全に、あの日々を過去のものにしたかったからだ。そうしなければ、ミルズの領主になどなれない気がしたからだ。
とはいっても、実感など全くないのに変わりない。
何より、いくら重要な使命だと言われても、ミロムの実が一体どういった力を持っているのか、その実を一体何に使うのか、などなどわからないことが多すぎる。
大司教はどうしてそのことを説明してくれなかったのだろう、と考え、あの時の私にはそんな余裕がなかったことに気づいた。
しかし、そろそろ説明が欲しい。
思い切って訊ねてみようかと考えていたある冬の初め、神殿入口を清掃しているところへ、ティセーラが声を掛けてきた。それまで毎日のように誰かが訪れていたのだが、今日は誰も来ていない。
「あの、リフィエ様……少しお話があるのですが」
「はい、何でしょうか」
首を傾げて問うと、ティセーラは周囲を見回して誰もいないことを確認してから答えた。
「中に入りましょう、外は冷えます。お茶をお淹れしますから、食堂に行きましょう、あそこが一番暖かいですから」
「……はあ」
そう言って神殿のそばの宿舎へ入って行ってしまったティセーラを追って、私も中へと戻る。食堂では、調理担当のオッシュが夕食の準備をしていた。湯気が立ち上り、暖炉に火が入って確かにとても暖かい。
調理場へ姿を消したティセーラを、私は座って待つことにした。