勇者という存在
宿屋は引き払ってしまったため、向かった先は神殿を出てすぐの広場に置かれたベンチだった。
まだ朝の空気の残る空を眺め、私は問う。
「あの、レフィセーレ様……大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ。けど、久しぶりに嫌な気持ち……こんなことにならなければ、絶対に顔を見たくなかったのに」
眉間にしわを寄せ、吐き捨てるように言うレフィセーレ。彼女が怒る理由も理解できるが、大司教の言うことも正しい。いや、力の弱い人間としては、大司教の考えの方を支持したくなる。
しかし、私たちの目の前には、この世界のために命を賭けさせられている人間が実際にいるのだ。
「でも、勇者がいなければじりじりと魔族にやられるだけ、わかってはいるの、でも、納得できないの。私が提唱したやり方を真っ向から否定したことも許せない」
「やり方?」
思わず問えば、レフィセーレはきつい表情で頷いた。
「彼らは、自分たちの国が欲しいのよ。だからこの世界を侵略している。だから、一部の土地を彼らの土地と認めると話し合いをしましょうって言ったの。でも、無意味だと言われてしまった」
「それは当り前だろう? 向こうはこっちに対して絶対的な力を持っているんだぞ? 互いの力が拮抗していなければ、対話なんて成り立たない」
サーミュが呆れたように鼻を鳴らした。
「それで、俺にまだ伝えていないことって?」
感情的になっているレフィセーレに、勇者が静かに問いかけた。いつもの自身にあふれながらも、快活な印象とは違い、最初に会ったころの彼に戻ったような暗さがある。
レフィセーレはびくっと震えて、それから大きく息を吐きだした。言いにくい。彼女の表情はそう告げている。しかし、勇気を奮い起すかのように頭を振り、覚悟を決めたようにまず問うた。
「ユウマ、貴方は魔族を倒した後の事を聞いている?」
「ああ、確か、元の場所へ戻ることもできるし、ここに留まって暮らすこともできるって言われたよ」
「そう、それは事実よ。
でもね、留まるのならともかく、戻るという選択肢を選んだ場合は、あるアイテムがないとだめなの。もし今のまま元の世界へ戻れば、あなたはあなたでいられない、存在が崩壊してしまうのよ」
勇者が首を傾げる。
ウェティーナを除いた他の面々も同じ顔をしていた。私にもまだはっきりわからないが、何となく嫌な予感が胸に広がる。
「存在が、崩壊……?」
「そう。今のあなたは、元々の人間という存在から大きく逸脱しているのよ。なぜなら、召喚する過程で、この世界にいられるようにするために『人間』ではなく『勇者』という存在に変化させるの。その結果、人としての限界がなくなって、凄まじい能力を持つ存在に変わった」
背筋が冷えた。
それはつまり、勇者は人間ではないということになる。人間ではないものが元の世界に戻ろうとしたら、それは一体どうなるのだろう。
「かつて、同じように『勇者』となった者がそのまま元の世界へ戻ろうとした。けれど、彼は戻れなかった。途中で存在がばらばらになって、消滅しちゃったの。
だから、戻るにはまた書き変えないとならない。けれど、それが出来るのは神様だけよ。この世界に『勇者』が存在できるようにしたのも神様。だから、必ず方法はあると信じて、当時の僧侶たちは必死に探した」
沈黙が場を包む。
「探して、見つけたわ。ある場所に生えている黄金の木の実を。それを食べた後に戻れば、存在が崩壊しないで済むの。その木の実は、神が生み出した末裔が長いこと守っていた……でも、今回攻めてきた魔族は、まっ先にそこを狙った。一族はほぼ殺され、生き残りは世界に散ってしまって、行方がわからず、木も眠りについている……つまり、貴方はもう戻れない。『勇者』という人外としてここで生きて行くしかないのよ」
レフィセーレは重苦しいため息とともに口を閉ざした。
そうか、だからこそ、彼女は勇者召喚に最後まで反対したのか。今度の召喚は、文字通り拉致に等しいと。
それでも、人々を守るために人柱としての『勇者』を召喚する道を選んだ大司教たち。
どちらも、正しい。
正しいけれど、どちらを選んでも結末は悲劇だ。
「……なるほど、つまり俺は人間じゃないのか、まあなんとなくわかってたけど」
納得した、とばかりに軽く肩をすくめる勇者。
それを見て、私だけでなく全員が驚いた。
「ユ、ユウマ……お前、平気なのか?」
ツィーラが何か妙なものでも見たような顔をする。勇者はそんな彼女に顔を向けると、いつもの笑顔を浮かべた。
「まあね、何かもっととんでもないことを言われるかと思ってたけど、そのくらいなら気にしないよ。大体、俺の存在自体、みんなからすれば化け物もいいとこだと思うしさ」
彼のその答えを、私はああ、やはり、という気持ちで受け止めた。最初の頃の彼を知るのはこの中では私だけだ。その頃の彼は自暴自棄なところがあった。それを思いとどまらせるために、変な約束もした。確信する。彼は変わっていない。
あのときの痛みに満ちた心をまだ抱えている。
「それよりも、むしろ皆に聞きたいんだけど、こんな俺だけど最後まで旅に付き合ってもらえるかな?」
ほんのわずか覗いた本心がさっと隠れ、勇者は気遣わしげな表情で全員を見る。ただし、私を除いて。
「あ、当り前だ! あたしはお前に惚れて旅に同行しているんだ。何者かなんて関係ない」
「そうだよ、その、出来れば旅の後もずっと一緒にいたいくらいだ」
サーミュとツィーラが凄まじい早さで返す。
それを聞いた勇者は嬉しそうに笑った。
「良かった、嬉しいよ。……ウェティーナ、君も一緒に来てくれる?」
「……っ! は、はい! ユウマ様がお嫌でなければ、どこまでも、全力でお力添えしますわ。わたくしだって、ユウマ様が好きですもの。その……申し訳ありませんでした、本来なら、わたくしが説明するべきでしたのに……」
何度も言い淀みながら、涙を浮かべてウェティーナは言う。
「いいよ、言いにくかったんだろう。それで、フィセルとエーミャも来てくれるんだよな」
「はい。大司教にも言われましたし、私にも使命がありますから」
「あたしはフィセル様とずっと一緒だよ!」
「うん、ありがとう」
目を細めた勇者は、その隣の私を見た。
「本当は、リフィエとも一緒にいたかったんだけど……もし、戻ってこられるのなら、いつでも待ってるからさ」
優しくて痛い言葉だった。
のどが詰まり、声を出すのがつらいと感じながらも私は口端をあげて微笑み、告げる。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで嬉しいですけど、こればかりは自分でもどうにも出来ませんから」
「……それでも、俺は待ってる」
向けられる瞳から感じるひたむきな思い。そのすがりつくような目を今まで振り切ることは出来なかった。けれど、今の私には大司教命令が存在する。
いい機会だ。
「そうだ、ユウマだけじゃないぞ。あたしたちだってリフィエと一緒にいたいし、このまま終わるなんて気持ちが悪い」
「そうだね、まだユウマのこともきちんと決着ついてないし、もし戻ってこられなくても、あたしたちから訪ねるよ」
サーミュとツィーラが頷き合いながら言う。私は驚いてしまった。そうする間に、ウェティーナやエーミャまで同意の声をあげる。
「そうですわ、このままなんて嫌ですわよ」
「あたしも嫌だよ、これでお別れだなんて……」
返事に詰まった私に、レフィセーレが微笑みかける。
「そうよ、これじゃあ何だか私が追いだしたみたいじゃない。今までずっと、ユウマ様や皆を支えてきたのはあなたなのに。だから、絶対に会いに行くわ」
「レフィセーレ様」
呆然と呟いた私は、いたたまれなくなって顔をうつむけた。
「ありがとう」
必死にそれだけを言う。優しい空気が耐え難かった。どれほど優しくされても、私が弱い、僧侶として大した力を持たないという事実は変わらない。その残酷さが苦しくて仕方なかった。
早く解放されたいと思った。
あのすがるような眼差しに負けて、旅に同行する羽目になったことを心から後悔した。
嬉しくて、悲しかった。
望まれても応える力がないことが辛かった。
どうしようもない気持ちで固まる私に、救い手が現れたのはその時だった。金属が鳴るうるさい音とともに現れたのは、ザーティフと共にいた老騎士だった。




