訪れたその時
私とヴェレクトを囲むようにして顕現した無数の光の柵。それは上下左右に動きながらヴェレクトが放ち、自身にまとっている魔素を吸収し、浄化していく。さらには私を中心とした円形の檻さながら、ヴェレクトを閉じ込めていた。
彼は息苦しそうにのどを押さえて私を睨んだ。
「何だこれは、見たことがない術だが、なぜお前程度の術者が行使できる?」
「そんなこと教える訳ないでしょう」
切り返せば、ヴェレクトは忌々しげに舌打ちをする。どうやらきちんと効果があったことに気を良くし、術の効果について説明する。
「この術はね、発動した周辺一体を浄化しつつ、近くにいた魔族全てを閉じ込めるものよ。例え私が死んでも一定の時間が経つまでは消えないし、高位魔族でも簡単には出られない。その間も浄化は続くから、ゆるゆると魔族たちは力をそがれつづけるという訳」
「フン……どうだか」
鼻を鳴らしたヴェレクトは光の棒に触れようと手を伸ばした。
が、今度は彼の指先がじゅっという音を立て、爪の先が黒い砂と化す。ヴェレクトは眉をひそめたものの、まだまだ余裕のある様子で私を見た。 その赤黒い瞳に射ぬかれた瞬間、体が一気に重さを増す。上から強く押さえつけられているような圧迫感に、思わず鋭く息を飲むと、ヴェレクトがゆっくりと歩み寄って来るのが見えた。
エーミャをからかって遊んでいたときとは全く違う、凄みのある獰猛な笑み、といっても顔はザーティフなのだが、を浮かべた彼はおもむろに手をあげると麻痺したように動けない私の首をつかんだ。
「……っぐっ!」
「三流僧侶にしては中々だが、ここまでだな。
時間とやらがくるまでの間、お望み通りお前から遊んでやる」
声のあと、喉のやわらかい皮膚にヴェレクトの爪が刺さり、そこから魔素が体内に流れ込んできた。
濃密な魔力が、血管にアルコールを流し込んだかのように意識を薄れさせ、肺が悲鳴を上げる。
だが、ここで気を失う訳にはいかない。
私はヴェレクトの、いや、ザーティフの腕を掴んで呻くように言った。
「い、いつまでっ、他人の、体を、使ってるつもり? 出てきて、顔を、見せ、なさいっ!」
言葉のひとつひとつに力を込めるように、私はザーティフの肉体に回復の術をかけた。
神の力を体内に流し込むことで治癒力を高める術は、人間にとって全く害はない。だが、魔族の身には毒であるはずだ。
もちろん、こんなことは今まで一度も試したことはない。だが、やるだけやってみようと思ったのだ。
すると、ヴェレクトの顔に驚愕の色が浮かぶ。
同時に首への力が強まり、私はさらに呻いた。
あまりの苦しさに気が遠くなる。意識をとばしかけた私は、ただ気力だけで現実に踏みとどまりつづけた。
(だめ、何としてでも、ザーティフさんの体から追い出さないと)
エーミャだけでなく、ザーティフにも人殺しの重荷を背負わせたくなかった。悪あがきだとわかってはいる。これはただの希望的時間稼ぎに過ぎないことも。
そう、勇者たちが駆け付けてきてくれる保証なんかどこにもない。
それでも、何もせずに終わるのだけは嫌だった。
私は全霊の力を指先に集中させる。
非力な自分に出来るのは、身を、命を削って対抗することだけだ。それですら、ヴェレクトが手を抜いているから可能なのだ。
私に特別な力はない。
そのことが、今だけは死ぬほど悔しかった。
(私にもみんなのように何か力があれば良かったのに)
ぎり、と歯を食いしばると、頬を涙が伝った。
次の瞬間、ぽつり、と落ちた涙から金色の光が突如としてあふれだした。それはたんぽぽの綿毛のようにふわりと舞い上がると、ヴェレクトへとりつき、みるみる内に全身を覆って行く。
「な、何だこれは……お前、一体何をした!」
呻き混じりの怒りの声の後、首をつかむ力が弱まり、私は大きく咳きこんだ。涙でにじんだ視界に広がる光景は、私にとっても予想外のもので、ただ茫然とそれを眺めた。
ふわふわとした光の珠にはどうやら浄化の力があるらしく、ヴェレクトは魔素をまとって防御しようとしている。
「くそ、厄介な……お前、ただの三流僧侶じゃないな、何者だ!」
響く怒声に身をすくめた直後、それまでの比ではない魔素が私を襲った。あまりの濃度に呼吸がままならない。
「……っ!」
「答えないならそれでもいい。支配した後で聞き出せばいいからな」
「っ、し、知らな、い」
反射的に答えた私は、意識が遠のくのを感じた。朦朧とした頭でヴェレクトを見やると、薄ら笑いはすでに消え、凄絶な笑みへと変化している。
「……フン、本当に知らないようだな。面白い、ますます落としてみたくなった。その上でお前の正体、暴いてやる」
さらに濃度を増した魔素と、ヴェレクトによる肉体と精神への侵食に悲鳴もあげられない。
――終わりだ。
私が思うのとヴェレクトが耳元に囁くのとはほぼ同時だった。
途切れ掛けた意識のなかで、私はただ誰に言うでもなく「ごめんなさい」と思った。
時だった。
チリチリッといくつもの火花が私の周囲で弾け、私とヴェレクトを囲む黒い檻と光の棒にまで届くと、一斉に巨大なガラスが落下したような音とともに砕け散った。
「今度は何だ?」
胡乱な様子で振り向くヴェレクトだが、彼の言葉はそこで途切れた。
凄まじい勢いで飛び込んできた何かに、痛烈な打撃を食らったからだ。頬にめり込んだ拳が嫌な音を立て、ヴェレクト、もとい、ザーティフの体が吹っ飛んで壁に激突する。
一方、圧迫から解放された私は膝から地面へと落ち、そのまま前のめりに倒れかけたところを、優しく抱きとめられる。
次いで、一気に肺に流れた空気に咳きこんだ。
「リフィエ! 大丈夫か? ……ごめん、来るのが遅くなった」
首をあげるのが億劫で、目だけで声の人物を確認すると、全身から力が抜けた。途端、魔素に侵食された首や喉などが痛み、思わずぎゅっと目を閉じる。
「どうしたんだ? どこか痛むのか?」
そう問うてくる勇者に、私は紫に変色しているであろう首を見せる。すると、レフィセーレがやってきて、硬い声で言った。
「ユウマ様、私が見ます。幸い、エーミャの方は軽傷でしたから。ユウマ様はあちらを何とかしてください」
「……わかった」
勇者は頷くと、私をその場に横たえて腰の剣に手を掛ける。その音に、私は慌てた。
「ま、待って……! あの体はシュロヴァスの騎士の……」
ものだから殺さないで、と言いかけた私はのどを押さえて咳きこむ。どうやら魔素が声帯や肺にまで届いていたらしく、その辺りがかなり痛い。
「喋っちゃだめよ、大丈夫、ユウマ様はちゃんと気づいているから。そうですよね?」
「ああ、少しくらい手荒なことになるかもしれないけど、絶対に殺さないよ。だから、リフィエは大人しく治療されてて」
お願いだからと言わんばかりの目で見られ、私はいたたまれない気持ちで頷いた。
心配してくれたのだ、そう思うと嬉しかった。
例え、それが仲間としてのものであったとしても、構わなかった。特別でなくても、彼の中に自分がいること、それがわかっただけで、満たされた気持ちになり、私はレフィセーレの掛けてくれる術に身をゆだねる。
それを見届けた勇者は、表情をがらりと変えた。
「おい、いい加減そいつから出てきたらどうだ? それとも、晒したくないほど醜い顔でもしてるのか?」
声質も変わっている。怒りを含んだ、挑発するように浮かべた笑みに、見ているだけの私の背筋が冷える。
それにしても、流石は勇者。
私が何も言わないうちから、ヴェレクトの欠点をもう突いている。感心していたが、私はザーティフの中にいる魔族のことを教えていないことに気づいた。
しかし、それを伝えようとするより早く、勇者が口を開いた。