サーミュと乾杯と
「しかし……貴女は魔人が憎くはないのですか?」
年かさの騎士の問いに、私は首を縦に振った。
「私の家族を殺めた者は憎いです。でも、エーミャは違いますから……どうか連れていかないで下さい。彼女の力が必要なんです」
「考えさせて下さい」
騎士は苦渋に満ちた声を返して来た。
それもそうだろう。いくら聖女と同行していて、かつ勇者パーティの一員だと言っても、魔人は魔人なのだ。捕らえずに帰ったとなれば、国王だけでなく、国中の者から白い目で見られるかもしれない。
だが、譲る訳にはいかなかった。
「それは構いません。でも、皆きっと渡さないと言うはずです、そうですよね?」
私は勇者を見た。彼は茫然と私ばかり見ていたが、問われたことに気づくとうなずいた。
「ああ、エーミャは大切な仲間だから」
彼が言えば、大きくしゃくりあげる声がした。エーミャだった。私は静かに騎士に視線を戻した。
「どうしても気になるのでしたら、大変ではない範囲で私たちについて来られると良いでしょう。その上で見極めて頂いたらいいと思います。まあ、これは私の勝手な意見ですが」
そう言って笑うと、騎士たちは顔を見合わせ「とりあえず、今日の所は貴女の意見を尊重しますが、もう少し考えさせて頂きます」と答えた。
彼らはようやく解放された隊長を連れて、宿屋へと戻って行った。
残されたサーミュは憎々しげに彼らの背中を見送っていたが、やがて勇者が「さて、俺たちも宿を見つけることにしよう」と言ったので、まずは街の中へと戻ることになった。
☆ ☆
何とか宿は確保したものの、食堂つきの宿は全て埋まっており、食事は近くの大きい酒場でとることになった。橙色の魔法の明かりが入ったガラスランプが天井からぶら下がり、脂と酒、客のだみ声が充満する店の隅に陣取った私たちは、無言だった。
騒がしい店の中で、その一角だけ何やら暗澹としているように見える。
どんよりとした中で、私はお酒の入ったグラスを手に、どうしたものかと考えを巡らせていた。
何か言わないと、いつまでたっても話が始まらない。しかし、自分の中では克服できているとは言え、ちょっと壮絶かもしれない過去をさらけ出した私が何か言えば気づかわれそうだ。
エーミャは決して私と目を合わせようとしないし、サーミュに至っては泡立った金色の冷えた酒を先ほどからがぶ飲みしては、給仕の娘を呼びつけてお代わりを持って来させている。ツィーラとウェティーナは運ばれた食事を黙々と口に運んでいるが、こちらも無言。
レフィセーレだけは、何も食べようとしないエーミャに何とか食事をさせようと小声で「食べておかないと」とか「大丈夫だから」とささやいている。
私は思わず勇者を見た。
リーダーはあなたなんだから何か言え、と圧力を送ってみる。届いたかどうかはわからないが、視線ばっちりと合った。顔が引きつっているのは気のせいではないだろう。
目の前には美味しそうな食事が並んでいるというのに、中々減っていかない。
大ぶりの肉を芋と香草で柔らかく煮たものや、様々な材料をすりつぶして丸めて揚げたもの、魚介にとろとろの餡がかかったもの、乳酪で作った甘味などなど……。
いつもならば、真っ先に飛びついてがっつくはずの勇者が、骨付き肉をちまちまとかじるばかりで、食が進んでいない。そんなにエーミャや私のことがショックだったのだろうか。
お願いだから腫れものに触るみたいな扱いをしないで欲しい。
やはり、私しかだめなのか。
諦めてグラスを置くと、一番気になっていたことを口にしてみた。
「あの、サーミュはどうしてあの人を知っていたの? 知り合い?」
確かロニード・ロラウェイと呼ばれていた、勇者よりは何段か劣るものの、そこそこ端正で貴族的な顔をした三十代くらいの男性を思い出す。
サーミュに首を絞められたために、隊長らしい発言はひとつも聞けなかった。それは思わず哀れみをおぼえるほどだった。最後に見た彼の顔には、罪悪感に近いものが浮かんでいたように私には思えた。
問われたサーミュは、ひと口酒を飲んでから、言いにくそうにぽつりと言った。
「……知り合いと言うか、結婚を約束した男だ」
「えぇっ!」
声を上げたのは私だけではなかった。ツィーラとウェティーナもだ。全員の目がサーミュに向けられ、彼女は居心地悪そうに椅子の上で身じろぎした。
頬が赤く、酔っているようだ。
彼女は、何度かため息をついた後で、静かに、しかしぶちまけるように語りだした。
「あたしは元々女騎士だったんだ。結婚も恋愛にも興味がなくて、ただ剣の技を磨き、国民の役に立てるのが嬉しかった。さっきも聞いた通り、あたしの出身はあのシュロヴァス王国だ。魔族の攻撃が激しくて、生きるだけで大変だった。
あたしは小さいときからケンカが強かったから、絶対に騎士になると決めて兵士に志願したんだ。そうすれば、この腕が誰かの役に立つと思ったから……。実際、役に立ったと思う。あたしが飛ばされた辺境の砦はいつも死人が出ているような場所でね、随分と魔物も魔族も倒したよ。
そこで、あいつと出会った。無茶して怪我ばかりしているあたしに、自分を守りながら他者を守る戦い方を教えてくれて、騎士に取りたててくれた人だ。
けど、生まれが貴族でね、あたしとはどうにもならなかったのさ。
結果として、あいつは幼少時からの婚約者を選んだ。彼女は軍の中でもお偉いさんの娘でさ、その威光を受けて出世した。当時、まだ辺境の砦にいたあたしはあいつが結婚したことを知らなくて、出世を素直に喜んだけど、仲間に結婚のことを聞かされて、悲しかった。
あいつ、言ったんだよ。
お前は綺麗だ、結婚するならお前が良いってさ」
鼻をすする音が響いた。
サーミュは再び勢い良く酒をあおり始めた。私は彼女の過去に、何も言えなくなってしまった。けれど、まだ吐き出し足りなかったらしいサーミュはさらに言い募った。
「だから、次に会ったときに問いただしたんだ、あの約束は何だったのかってね。そしたら、ただの希望だったと言われた。そうなれたらいいのにな~って事さ。
軽い、軽すぎる。こんなクソ野郎を好きになった自分に対してあたしは腹が立ってさ、あいつに貰ったもの全て返上して、もっと良い男と結ばれてやるって思った訳。
腕っ節が誰かの役に立てば良い訳だから、別に騎士にこだわる必要もなかったし。
で、あちこち遍歴して、ユウマに出会った訳だ」
そこで再び息をついて、酒をあおると、サーミュは私に向けてほほ笑んだ。
「以上、あんたのほど凄まじくないけど、これがあたしの人生」
「そ、そうだったの。何と言うか、首絞めたくなる気持は良くわかったわ」
私はどう答えたら良いか迷いつつもそう口にした。
この世の中に最低な男は数あれど、ロニード・ロラウェイもそこに入れて良いと思う。
「そうでしたのね。お気持ち、良くわかりますわ……やはり、気づかいすら出来ない殿方には、愛情などくれてやりたくありませんものね」
にっこりと笑ってウェティーナは酒杯をあげた。
「だな……その点、ユウマは優しいよ。合格だな」
ツィーラも追従する。私は迷ったが、彼女たちがいい気分なのを邪魔したくなくて、やはり酒杯を上げた。勇者は笑みこそ浮かべているが、若干口もとが引きつっている。
散々持ち上げられたせいで、重圧に押しつぶされそうなのだろう。一回くらいつぶれてしまえ、と内心思いつつ、私はレフィセーレとエーミャに言った。
「レフィセーレ様とエーミャも乾杯しましょう。今日は飲んで、憂さを晴らして、明日になったら彼らを説得すればいいんですよ。やましいことなんか何一つしていないのだから」
「そ、そうよね、ほら、リフィエもああ言ってるし、ね?」
「……いいの、かな」
「もちろんよ」
私が告げると、他の仲間も同意の言葉を述べる。
エーミャはおずおずと果実水の入ったグラスを手にして、乾杯に加わった。そこへ、勇者とレフィセーレが混じり、お通夜みたいだった席が、ようやくいつもの明るさを取り戻した。
食事も進み始め、宿へ戻る頃には皆かなり出来あがっていた。
私もほろ酔いで、仲間たちが私の過去にそれほどこだわりを持たずにいてくれたことを感謝しつつ、寝台に横になる準備を始める。
窓の外からは、酔っ払いの陽気な声が遠くから時折響いてきた。けれど、全体としては静かで、街は眠りにつこうとしているようだった。
すると、控えめなノックが静寂を破った。
「あのさ、ちょっと話をしたいんだけどいいかな」
緊張した声が、戸越しにくぐもって聞こえてきて、私は思わず息をとめた。