街道にて
私は満面の笑みで勇者たちの最後尾を歩いていた。
――ツイてるわ、次の依頼地はウェーンデン王国だなんて。あそこなら素晴らしい大司教様がいるから、相談にのって下さるはず。ようやく、肩の荷が降ろせるかもしれない。
「何だか嬉しそうだけど、何で?」
勇者が不思議そうに話しかけてきた。私はパーティから離れられるかもしれないからです、とも言えずに、一瞬考えてから答えた。
「だって、大きな国に行くのって久しぶりじゃないですか。やっと神殿にも訪れられますし、新調したいものもありますし、何よりウェーンデンは私の生まれた国でもあるので」
「そうなんだ! そう言えばリフィエの出身地って知らなかったなあ。それなら俺も楽しみだ、ウェーンデン王国ってどんな国? 美味しいものとかある?」
突然矢継ぎ早に質問してきた勇者に、私は戸惑いながら答えた。
「美しい国ですよ、湖畔の近くに王城があるんです。海も山もあって、漁業も農業も盛んな国で地方によって食べものはかなり異なります。それに、国王夫妻は仲睦まじくて平和主義で有名なんですよ」
「その息子はいまいちでしたけれど」
不意に話に割り込んできたのは、恐ろしく不機嫌なウェティーナだった。
「息子って言うと、イーヴェン殿下のことですか?」
「そうよ。わたくしの元婚約者ですわ、顔だけは良かったですけれど、優しさを勘違いした馬鹿でしたの。彼が次の国王になるとしたら、ウェーンデンの将来が心配ですわね。いっそ弟王子が継げばいいんじゃないかと思ってますのよ」
私は彼女の言葉を聞いて、道端の石ころ扱いされて公衆の面前でばっさり振られたという王子の話を思い出す。そうか、ウェーンデンのイーヴェン殿下だったのか。それにしても、と私は思った。彼女にそこまで言わせるとは、一体彼は何をしたんだろう。そう思っていると、まるで私の考えを呼んだように勇者が口を開いた。
「そんな風に言うってことは、ウェティーナはその王子に何かされたの?」
問いつつ、今にも泣き出しそうなウェティーナの顔を覗き込む勇者。ちょっと心配そうに眺められたウェティーナは、頬を薔薇色に染めてうつむいた。
そんなふたりの様子は完成された絵画のようで、私は気まずげに目を反らし、耳だけ傾ける。
「大したことじゃありませんわ、出会ってすぐに、私生児を紹介されただけですもの」
「うわ、何だそれ、もう子どもがいたって事か?」
「ええ、何でも夜の手ほどきをしてくれた方を誤って妊娠させてしまったそうですの。まあ、それだけならよくある話ですもの、でもその後続いて、王妃様を紹介されたのですけど、もう母親が好きで仕方ないといったお話を飽きるほど聞かされました」
「ああ、それは嫌ですよね」
私は思わず口を挟む。想像してみたら最低の気分になったからだ。
すると、ウェティーナは、大きな声を上げる。
「でしょう! わかってもらえて嬉しいですわ!
ユウマ様に出会ったのは丁度その頃でしたの。このまま結婚してしまって良いのか大神殿に相談しに行ったそこで、鍛錬するお姿に心奪われてしまいました。
世の中にはこんな方がいるんだ、どうせならあんなダメ王子じゃなくて、こういう方の側でお役に立ちたいとその時強く思ったんですの」
言って、花が開いたように笑う。それから、返事が欲しそうに勇者を見る目は輝いて、女の私ですら、とても魅力的だと思った。だから、もう一度目を反らした。心臓が痛みを訴える。うっかり見てしまった自分を内心叱りつけていると、勇者が楽しそうに笑う声が聞こえてきた。
「そう言えばそうだったっけ、何かどこかのお姫様に見られてるってことは分かってたけど、あれウェティーナだったんだな」
「まあ! 覚えていて下さいましたの?」
「まあね、あれだけ食い入るように見られれば流石に記憶に残るよ。しかも、こんな美人だし」
軽い調子で勇者が言うと、ウェティーナの頬がますます濃い薔薇色になる。
私は、切実に耳栓が欲しいと思いながら、前方を歩くツィーラとサーミュが、先ほどからこちらをちらちらと振り向いては舌打ちしているのに気づいた。
もしかしなくても、ウェティーナは抜け駆けしたという事でふたりから何かされそうだ。
すると、パーティ内のごたごたなどどこ吹く風で先頭を歩いていたレフィセーレが突然立ち止まり、ある方向を指さして言った。
「皆さん、あれを見て下さい!」
彼女の声には、切羽詰まったような焦りがこもっていた。私は彼女の指が指し示す方向へと視線を向けて、眉根を寄せた。
そこには、あの黒い渦を巻く雲が浮かんでいたからだ。
その下に広がるのは、のどかな村の風景。ただし、生き物の姿は全く見られない。
「魔族……こんな近くに、でも、依頼は来ていなかったけど」
呟いて、その意味に気づくと、私は絶望感に押しつぶされそうになった。
依頼が来なかったということは、ようするに、もう依頼を出しても無意味であるということなのだ。もし、まだ救える可能性が残っているのならば、ウェーンデンへ行く途中にここへも寄るように言われたはずなのである。なのに、一言も言及がなかった。
つまり、その村は滅びた、ということになる。
「もう終わってしまったようだ……先を急ごう」
ツィーラがため息交じりに言う。
それまで漂っていた明るい空気は霧散し、代わりに重苦しい悲しみが一行を覆う。だが、レフィセーレがそれに異を唱えた。
「それじゃあ、あそこにいる魔族は放って行くのですか? まだあの雲があるということは、魔族はそこにいるという証ではありませんか。一体でも多く倒さねば、あの魔族はまた移動してどこかの町や村を苦しめるのですよ!」
「それはそうだ、だが、救うべき者がいない場所に寄り道をして、今苦しめられている人たちのところへ行くのが遅れたらそちらの方がもっと悪くはないか?」
サーミュが諭すように言うと、レフィセーレは一瞬口をつぐむ。それからしばらくして、低い声で呻くように言った。
「わかりました、ならば、私だけでもあそこの魔族を倒してきます。皆さんは先を急いで下さい」
「えっ! エーミャはフィセル様と一緒に行くよ!」
慌ててエーミャがレフィセーレの袖をつかむ。彼女はエーミャに目をやると、穏やかにほほ笑んで首を横に振った。
「いいえ、あなたは勇者様たちに同行して、私のぶんまで戦ってちょうだい」
「で、でも」
「お願い。大丈夫よ、すぐに追いつくから、ね?」
説き伏せるように告げると、エーミャは納得がいかない様子で、けれど頷いた。袖を離したエーミャの背に手を当てると、レフィセーレは私を見る。
「リフィエ、この子をお願いしますね」
「あ、はい」
重い足取りでやってきたエーミャは、私の袖をぎゅっとつかむ。不安なのだろう。私は彼女の小さな肩を優しく叩いて、言う。
「レフィセーレ様はお強いもの、ちょっとの間だけ我慢すればいいのよ」
「うん、わかってる。ありがとう」
エーミャが頷くと、仕方なさげに嘆息したツィーラが促す。
「さあ、先を急ごう。聖女様、くれぐれもご無理はなさりませんように」
言外に「また助けなければならない事態になるな」と言っているのがわかる。そうなれば、結局は遅れることになるからだ。レフィセーレは苦笑した。
「ええ、無理そうだったら諦めるわ」
「じゃあ、あたしたちは先を急ごう」
立ち止まっていた全員が、その言葉を合図に歩きはじめる。だが、ひとりだけ動かない者がいた。勇者だった。彼は心配そうに村の方向へと歩き始めたレフィセーレを見て、やおら口を開く。
「やっぱり心配だから、俺が聖女様と一緒に村に行くよ。すぐ戻るから、リフィエたちは先に行っててよ。どうせ今夜は野宿だろうし、じゃ」
勇者はそう言うと、レフィセーレの後を追って走り出して行った。止める間もなかった。呆気にとられた私と、三人と、相変わらず不安そうなエーミャは、どうする事も出来ずに、しばらくそこに立ちつくすことになった。