目覚めの聖女
その夜。
完全にとっぷり暮れて、かがり火がなければ何にも見えないような状況ではあったが、町を救ってくれた勇者一行にささやかながらの礼として宴が開かれた。場所は町長の家で、広い木造家屋の一階部分からは、町の名士たちの賑やかな笑い声が上がっている。
だが、私は二階にある客間で、レフィセーレの側にいた。
あの後ほんの一瞬だけ意識を取り戻した彼女は、エーミャと無事な姉弟の姿を見て「良かった、ありがとう」と言った後、すぐにまた意識を失ってしまったのである。結局、勇者が彼女を背負いながら迷宮を脱出することになった。
それから、迷宮の奥に捕らわれた町の人たちを解放し、魔族には二度と悪さが出来ないように魔力の封印式を施してから適当に捨ててきた。その頃にはすでに空が夕暮れに赤く染まっていたが、呪われた証である紫がかった黒雲は消え失せ、町の人たちは歓喜に沸いた。
また、魔族が人質にとった姉弟を町長夫妻に返すと、どうぞ今夜は我が家にお泊り下さいと言われたので、レフィセーレを抱えた私たちはお言葉に甘えることにしたのである。
だが、レフィセーレの顔はかなり青く、誰かが側にいた方が良いということになり、唯一の顔見知りの私がこうしてついている羽目になったと言う訳だ。
罠を発動させたことについて説教されるかも、と覚悟していたので、かえって良かったのだが、相変わらず頭や胸のあたりがもやもやしている。私は頭を振って呟いた。
「本当にお綺麗よね」
ベッド脇の椅子にかけて、ぼんやりと階下の騒音を聞きつつ、顔を眺める。こうしてじっくり見ると、肌もなめらかで、顔の造作にも文句のつけようがない。髪などは触れてみたくなるほどさらさらだ。
しばらく思考を手放して彼女の顔に見入っていると、戸がノックされた。「はい」と私が答えると、食べものが載ったトレイを手にした女の子とエーミャが入ってきた。その後ろには、恥ずかしそうに男の子がしがみついている。
「あの、先ほどはありがとうございました。これ、お母さんが僧侶さんに持って行ってあげてって」
「ありがとう、わざわざ持ってきてくれたのね」
私は立ちあがると、トレイを受け取って笑いかけた。すると、女の子はちょっと恥ずかしそうにほほ笑んでから男の子と一緒に立ち去って行った。
その背を見送った後、私は同じく手にトレイを持っているエーミャに声を掛けた。
「眠っていなくていいの? 貴女も疲れたでしょうに」
「うん、だからここで眠ろうと思って。食事もここで一緒に食べる。フィセル様が目覚めたときに、側にいたいから」
「そう、じゃあ一緒に待ちましょうか」
私はそう言って、ベッドに腰掛けたエーミャと話をしながら過ごした。レフィセーレが目を覚ましたのは、エーミャが寝台に突っ伏して寝息を立てはじめてからずいぶんと経った頃で、下の宴会もお開きになった朝方だった。
☆ ☆
ふっくらした唇から、大きく漏れた吐息の音でわたしはうつらうつらしていた意識を取り戻した。ろうそくはすでに燃え尽きており、外から差し込む月の光で、ようやく室内の様子が見渡せる。
「……ここ、は」
「目が覚めましたか? 大丈夫ですか?」
私はエーミャを起こさないように、ささやき声で訊ねた。レフィセーレは何度か瞬きをくり返し、ぼんやりとした目でわたしを見つめてくる。少しすると頭にかかった霧が晴れてきたのか、目が焦点を結び始め、真っ直ぐに私を見た。
「あなたは……もしかして、リフィエ?」
「お、憶えていたのですか? 一度しかお会いしていないのに」
私は彼女の口から自分の名前が飛び出したことに驚いて、思わず訊ねた。レフィセーレはゆっくりと体を起こすと、まだだるそうな表情でほほ笑んだ。
「もちろんよ、あなた以上に話のあった人はいないもの。こんなことになってなかったら、ずっと友人として近くにいて欲しかったくらい。でも、まさかこんな形で再会することになるなんてね」
嬉しそうに、しかし寂しそうに彼女は言う。深みのある声が掠れて、ひどく辛そうだった。私はもう少し眠っていた方がいいと言おうとして、彼女から笑みが消えたことに気づいた。
「あなたは、勇者に協力することにしたのね」
「あ……はい。成り行きで」
「私の言った言葉を憶えてる? あなただけに明かした本音を」
静かに語られた言葉に、私はうなだれる。もちろん、憶えている。彼女の血を吐くような叫びを忘れるわけがない。私は彼女の発言を思い出しながら並べた。
「勇者を召喚し、彼が魔王を倒してしまったら自分という存在は一体何のために生まれたのか。人生の全てを魔王との戦いに捧げた意味は何だったのか、でしたよね。
……私がしていることは、あなたに対する裏切りですよね、でも、もう聖都にも魔族の魔の手が伸びてきていて、どうすることも出来なかったんです」
魔族がこの世界を支配するために拠点とした場所は北にある。聖都はその拠点と近い場所にあり、魔族との争いの最前線となっていた。先代の聖女が張った強力な結界に守られてはいるものの、長きに渡る魔族の攻撃に、穴が開きはじめていた。
焦った大司教たちは、最後の手段として勇者召喚を決めたのである。
「あなたを責めたりしないわ。一僧侶にはどうすることも出来なかったはずだもの……にしても、ちょっと見ただけだけど、あの仲間たちはすごかったわ」
再び明るい笑顔に戻って、レフィセーレは言った。私は、その笑顔に救われた思いで「そうでしょう」と答えて笑う。その時、やおら戸の外が騒がしくなった。次いで、戸が開くと今話題にしていたパーティメンバーが勇者とともに現れた。
私は真剣な表情の勇者と、険しい顔で出来あがっている三人の顔を見て、頬を引きつらせた。