遠浅
運と人こそが、人を生かす。
「どこまで、行くの?」
「……考えてない。行けるところまで」
「『行けるところまで』って……そっち、海じゃん」
「そうよ。それがどうかしたの」
「だって、これから日が暮れて冷えるよ。水に長いこと浸かってたら風邪ひくし」
「構わないわ。そもそも、見ず知らずのあなたに、そんなこと心配してもらわなくたっていいし」
「うん、まあ……それは、そうなんだけどさ」
「だって要は、風邪をひくよりも先に、楽になれればいいだけのことでしょう」
「……」
「あのさぁ」
「何よ、うるさいわね。放っといてよ」
「でも」
「じれったいなぁ、言いたいことがあるならさっさと言えば」
「――この海、ものすごく遠浅だから、入水自殺には向かないんだけど」
「…………」
「たぶん、足が棒になっても水面はそれほど上がってこないと思う」
「……知ってるの?あんた」
「だって、俺ガキの頃からずっとここらに住んでるし。試したんだ、俺も」
「延々歩いた。何キロ歩いたのか、見当もつかないけど、それでも歩いた。でも、どんなに歩いても膝より上に水面はこない」
「……」
「うそだろ、って思って。ふと足元の深さじゃなくて、海と空を見たら、ちょうどこの時間帯、日が沈む時でさ。綺麗な夕日だった。そういや、今日もいい夕焼けだな」
「そしたら、全部バカらしくなってさ。やーめた、って思って引き返した。引き返してたら、満月が昇ってきたな。あれも綺麗だった」
「……」
「いまここで俺が消えても、世界は何も変わらない。それなのに、自分だけ消えるのはあまりに勿体無いって思って。それで、生きてやるって思った」
「…………」
「――それでどうして、今ここにいるのよ」
「え?そりゃ、同じことしようとしてるあんたを見たからだろ」
「ふーん。……ねぇ」
「ん?」
「満月、昇ってくると思う?」
「あぁ、たぶん今日は満月だ。ここまで歩いて水深が変わらないなら、ほぼ確実だろ」
「え?」
「いや、こっちの話。気になるなら、からくりを教えてやるよ」
「……どんな?」
「それは、満月を見届けてからじゃないと、説明できない。どうする?戻るか?」
「…………ずるい」
「こーゆーのにずるいずるくない、は無し。で、どうすんだ?」
「戻るわよ!戻ってやるわよ」
「はは、えらそーだなぁ」
「――ただし」
「え?」
「あたしが先に陸地に着けたら、あんたの名前、教えてよ」
会話のみで進められる短編を試験的に書いてみました。
情景描写が薄くて、すこし判りにくいので「からくり」について説明すると、
新月と満月の日は「大潮」といって、潮の満ち方も引き方も最大になります。
干潮に向かう時間に、引いていく海水と同じ方向に歩いていくとしたら、歩いている場所の水位はそれほど変わらない、という想定。
もちろん、満潮が近ければ2人とも確実に溺れています。そのタイミングは運次第。
こんな現象が実現する遠浅の海は、本当に実在するのでしょうか…SFということで、お楽しみくださいませ。
くれぐれも真似をしないように!(笑)
(05/10/12 記、07/09/06 推敲)