第9話:村人がお供えに来たので、タッパーでお返しした。
翌日。
麓の村の集会所は、異様な熱気に包まれていた。
「せいっ! はあっ!」
ブンッ! ブンッ!
空気を切り裂く鋭い音が響く。
平均年齢75歳の老人たちが、ゲートボールのスティックを剣のように素振りしていたのだ。
「調子はどうじゃ、トメさん」
「最高だよ村長。今なら猪と相撲とっても勝てる気がするねぇ」
トメさんは、米俵(60キロ)をダンベル代わりに上げ下げしながら答えた。
昨日、佐伯家の裏山から流れてきた「黄金の水」を飲んだ村人たちは、全員がフィジカルエリートへと進化を遂げていた。腰痛、膝痛、老眼、すべて完治。村の医療費はゼロになりそうな勢いだ。
「やはり、あそこの山には神様がおわすのじゃ」
村長が厳かな顔で、裏山の方角を見つめる。
「昔から『あの山には近づくな』と言い伝えられてきたが……あれは祟りなどではなかった。神域を守るための戒律だったのじゃ」
「んだんだ。その神様のお世話をしているのが、佐伯さんとこのお孫さんってわけだ」
村人たちは深く頷き合った。
そして、田舎の鉄の掟が発動する。
「お礼をせねば、バチが当たる」
何か良いことがあれば、お裾分けを持っていく。それが日本の田舎の流儀だ。
村長は号令をかけた。
「よし、採れたての夏野菜を持っていくぞ! キュウリとナスとトマトじゃ! 一番いいやつを選べ!」
◇
数台の軽トラが、裏山への砂利道(今は佐伯によって舗装されている)を登っていく。
一行は、佐伯家の敷地への入り口で停止した。
「……むぅ」
村長がハンドルを握る手に汗をかく。
ここから先、空気が違う。
肌にピリピリとくる静電気のような圧力(電気柵の電圧)と、本能が「入るな」と警鐘を鳴らす獣の気配。
「ここから先は『神域』じゃな……」
「ワシらのような俗人が土足で踏み入っては、失礼かもしれん」
彼らは敷地内に入ることを断念した。
代わりに、入り口の目立つ場所に、段ボール箱を丁寧に置いた。
「ここに置いておけば、神官が気づいてくださるじゃろう」
箱の中には、朝採れの野菜がぎっしり。
そして一番上に、達筆な筆文字で書かれた手紙を添えた。
『いつも水をありがとうございます。村一同』
彼らは深々と一礼すると、逃げるように(しかし俊足で)山を降りていった。
◇
「ん? なんだこれ」
夕方。ポチの散歩に出ていた俺は、入り口に置かれた段ボールを見つけた。
中を覗くと、立派な野菜が入っている。
「野菜だ。……手紙? 『いつも水をありがとうございます』……?」
俺は首を傾げた。
水? ああ、そういえば昨日、川で長靴を洗うついでに、ゴミ拾いもしたっけな。
川を綺麗にしてくれたことへの感謝か。
「田舎は近所付き合いが律儀だなぁ」
俺はほっこりした気分になった。
ブラック企業にいた頃は、隣人の顔さえ知らなかった。こういう温かいつながりは悪くない。
「貰いっぱなしも悪いな。お返し、するか」
田舎のルールその2。貰い物をしたら、容器に何か詰めて返すべし。
俺は段ボールを抱えて家に入った。
冷蔵庫を開ける。
中には、先日大量に作った煮物の残りがあった。
収穫した、ダンジョン産トマトと大根を使った「風呂吹き大根」だ。
「これだけでいいか。作りすぎたし」
俺は食器棚から、保存容器を取り出した。
100円ショップで買った、3個入り100円の『半透明タッパー(プラスチック容器)』だ。
「これなら返してもらわなくてもいいしな」
タッパーに煮物を詰め、蓋をする。
パチン、といい音がして密閉された。
『……マスター』
一部始終を見ていたたまちゃんが、呆れたような声を出す。
『その容器……ただのプラスチックじゃないですよ?』
「ん? ダイソーで買ったやつだぞ」
『いえ、この家の「高濃度マナ環境」に長期間晒されたことで、分子構造が変質しています。今のその容器は、「絶対保温」「衝撃吸収」「腐敗防止」のエンチャントがかかった、オーパーツと化してます』
「へー、最近の100均は品質がいいな」
俺はたまちゃんの解説を「保温性が高い」程度に解釈し、メモ帳をちぎってペンを走らせた。
『野菜ありがとうございました。煮物です。容器はレンジOKです。佐伯』
それをセロハンテープでタッパーの蓋に貼り付ける。
俺は再び入り口まで歩き、野菜があった場所にタッパーを置いた。
「喜んでくれるといいけどな」
◇
翌日。
再び訪れた村長たちは、そこに置かれた「返礼品」を発見して震え上がった。
「お、おおお……! 神様からのお返しじゃ!」
「なんと美しい器……! 水晶か!? ガラスか!?」
彼らはタッパーを、まるで爆発物か国宝でも扱うように慎重に持ち帰り、集会所のテーブルに安置した。
村人全員が固唾を飲んで見守る。
「では、開けるぞ……」
村長が震える手で、蓋の端をつまみ上げた。
パチン。
ボワァァァ……!
蓋を開けた瞬間、真っ白な湯気が立ち上った。
それと同時に、芳醇な出汁の香りが爆発的に広がる。
「熱ッ!?」
「湯気が出たぞ!? 昨日の夕方に置かれたはずじゃろ!? なぜまだ沸騰しておるんじゃ!?」
トメさんが悲鳴を上げた。
魔法瓶でも、一晩経てば冷める。
しかし、この薄い半透明の容器に入った煮物は、まるで今鍋からよそったばかりのように熱々だった。
「こ、これは……ただのプラスチックではない……!」
消防団の若者が、空になった蓋を手に取って検分する。
「触った感じはポリプロピレンですが……質感が違います。静電気が起きないし、温かい。それに、見てください」
若者が蓋を床に落としてみた。
カラン、という軽い音ではなく、ズガン!と重い音が響く。
床のコンクリートが少し凹んだ。蓋は無傷だ。
「ヒッ……! なんという強度! 戦車の装甲より硬いぞ!」
「NASAか? 佐伯様はNASAの極秘研究をしておられるのか!?」
「いいや、これは『天女の羽衣』を固めたものに違いないよ!」
老人たちの想像力は、光の速さで飛躍していった。
「そ、それで、中身は……?」
恐る恐る、風呂吹き大根を箸でつつく。
箸がスッと通るほど柔らかい。
一口食べた瞬間、村長が目を見開いた。
「う、うおおおおっ!!」
村長の背筋が伸び、服の上からでも分かるほど筋肉が隆起した。
白内障気味だった目がカッと見開かれ、視力が2.0まで回復する。
「見えた! 壁のシミの数まで数えられるわ!」
「なんという滋養強壮! 若返りの秘薬じゃ!」
大騒ぎになった。
そして最後に、蓋に貼られたメモが回覧された。
『容器はレンジOKです』
村長が、神妙な顔で読み上げる。
「レンジ……。これは古代語で『火の試練』を意味する言葉じゃ」
「つまり、『この箱は、業火の中に投じても耐えうる』という、神の品質保証……!」
「おおお……! なんとありがたい……!」
◇
その日以来。
麓の村の神棚には、100均のタッパーが「御神体」として祀られることになった。
村人たちは毎朝、そのタッパーに向かって柏手を打ち、健康と長寿を祈るのだった。
――しかし。
人の口に戸は立てられない。
「不治の病が治る水」や「絶対に壊れない透明な箱」の噂は、やがて村の外へと漏れ出した。
数日後。
県警、そして日本政府の元へ、奇妙な通報が入ることになる。
『○○県の山奥で、未認可の遺伝子実験か、あるいは未知のテクノロジー開発が行われている可能性がある』
……一方、渦中の佐伯は。
「タッパー返ってこないな。まあ、あげたやつだからいいか」
のんきに鼻歌を歌いながら、納屋から黄色いボディの機械を引っ張り出していた。
『高圧洗浄機』だ。
「明日は久しぶりに、家の外壁掃除でもするか」
彼が握りしめたそのノズルが、翌日、日本の空を監視する最新鋭ドローンを撃ち落とすことになるとは、まだ誰も知らない。




