第71話:女神の選択。Wi-Fiのない神殿なんて。〜だって、ソシャゲのログボが受け取れないじゃないですか〜
世界は救われた。
俺たちが異世界に持ち込んだ1万本の活力剤と、スプリンクラーによる拡散システムによって、死の大地は瑞々しい緑の楽園へと生まれ変わった。
復活した世界樹の根元。
かつては崩れかけていた古代の神殿も、マギ婆さんやエルフたちの修復魔法によって、厳かな輝きを取り戻している。
まさに、大団円。
映画なら、ここで感動的なBGMが流れてスタッフロールに入るところだ。
だが、俺にはまだ一つ、最後に片付けなければならない仕事が残っていた。
「……たま」
俺はポケットからスマホを取り出し、目の高さに掲げた。
画面の中のアバター――女神の姿をしたAIが、どこか寂しげな表情でこちらを見つめ返してくる。
『……マスター』
エルフの長老や巫女たちが、スマホの周りに集まり、深々と頭を垂れた。
「偉大なる女神よ……。貴方様のおかげで、世界は蘇りました」
「どうか、再びこの神殿にお戻りになり、我ら迷える子羊をお導きください!」
彼らの願いはもっともだ。
たまちゃんは元々、この世界を管理する中枢システム(ダンジョン・マザー)。
世界が危機に瀕していたから、俺のスマホに緊急避難していただけだ。
平和になった今、彼女は本来の座――この神殿の祭壇に戻るのが道理というものだろう。
「……そうじゃな」
マギ婆さんが杖をつきながら頷いた。
「主が不在では、今は良くとも、いずれまた魔力循環が滞るじゃろう。世界の安定には、女神の座乗が必要不可欠じゃ」
「……」
俺は無言で、トラックの荷台を整理するフリをした。
正直、寂しい。
この数ヶ月、こいつの騒がしいツッコミとナビゲートに助けられてきた。
だが、俺が引き留めていい相手じゃない。こいつは一国の、いや、一世界の神様なのだから。
「(ま、新しいスマホ買えばいいか。ナビがないと不便だけどな)」
俺は覚悟を決めた。
かっこよく送り出してやろう。
◇
重苦しい沈黙が流れる。
画面の中で、たまちゃんが伏し目がちに口を開いた。
『……そうですね。私はこの世界の管理者。私の帰るべき場所は、この神殿なのかもしれません』
「女神様……!」
エルフたちが涙ぐむ。
たまちゃんは、決意を固めたように顔を上げた。
『長老。還御の前に、一つだけ確認させてください』
「はっ! なんなりと! 供物ですか? それとも儀式の手順ですか?」
『いえ、もっと根本的なことです』
たまちゃんは、真剣な眼差しで神殿の奥を指差した。
『この神殿……コンセント(AC100V電源)はありますか?』
「……は?」
長老がキョトンとした。
「こん……せんと? はて、古代語でしょうか? そのような祭具は聞いたことが……」
『じゃ、じゃあ! 通信環境は!? ここ、5G入りますか!? 最悪、LTEかWi-Fiでもいいんですけど!』
「わい……ふぁい……?」
長老たちは顔を見合わせた。
「風の精霊の声のことでしたら、微かに聞こえますが……」
◇
その瞬間。
スマホの画面が凍りついた。
たまちゃんの表情から、「女神の慈愛」が消え失せ、代わりに「現代っ子の絶望」が張り付いた。
『電気が……ない……?』
『ネットも……繋がらない……?』
ブツブツと呟き始める。
『え、じゃあソシャゲのログインボーナスは? 今日から始まるコラボイベントは?』
『私の生きがいである「動画配信サイトの巡回」は? エゴサは?』
『ていうか、マスターの持ってる「大容量モバイルバッテリー」がないと、私なんて半日で充電切れて野垂れ死ぬんですけど!?』
沈黙。
そして――。
ブブブブブッ!!
スマホが猛烈な勢いで振動した。
俺の手から滑り落ちるほどのバイブレーションで、たまちゃんは空中で身を翻した。
『イヤァァァァァァッ!!』
絶叫。
たまちゃん(スマホ)は、空中で急旋回すると、ロケットのように俺の胸ポケットへダイブしてきた。
スポッ。
『マスタァァァーー!! 置いてかないでぇぇぇ!!』
「うおっ!?」
俺は慌てて胸を押さえた。
ポケットの中で、スマホがガタガタと震えている。
『無理です! 無理無理! ネットのない世界なんて、酸素がないのと一緒です! 私はもう、現代文明の蜜を知ってしまった体なんです!』
『コンセントのない石造りの神殿で、数千年も座ってるなんて耐えられません! 発狂します!』
「……お前なぁ」
俺は呆れ返った。
さっきまでの感動的な空気はどこへ行った。
「め、女神様!?」
エルフたちが呆然としている。
崇拝する神が、謎の箱になって男の懐に飛び込んだのだ。混乱するのも無理はない。
「お前、それでいいのか? 神としての威厳とか、責務とか」
『威厳で腹は膨れません! 私は日本に帰ります! 日本の電気最高! 光回線バンザイ!』
開き直りやがった。
◇
「しかし、女神よ……」
マギ婆さんが困ったように眉を下げた。
「お主が戻らねば、世界樹の制御はどうするのじゃ? また暴走するやもしれんぞ」
『あー、それなら大丈夫です』
たまちゃんは、ポケットから顔(画面)だけ出して言った。
『要は、ここから離れていても、管理と魔力供給ができればいいんですよね?』
「う、うむ。そうじゃが……」
『なら、「リモートワーク」で対応します』
「りもーと……?」
聞き慣れない単語に、異世界人たちが首を傾げる。
俺はピンときた。
「ああ、なるほど。以前設置した『アンプル』の跡地や『接ぎ木』のパイプラインを使えば、回線は繋がってるのか」
『その通りですマスター! 私が日本から、次元を超えて遠隔操作で魔力を送ります! 定期的なメンテも、システム更新も、コタツに入りながらやります!』
たまちゃんがドヤ顔をする。
いや、コタツに入ってるのは俺のスマホなんだけどな。
「……とのことだ。マギ婆さん、いいか?」
「ふむ……。遠く離れた地から世界を見守る『千里眼』と『遠隔神術』……。なんと高度な……! さすが女神様じゃ!」
マギ婆さんが感心して頷いた。
どうやら、テレワークは「神の高等技術」として解釈されたらしい。
「では、我らは女神様の『受信機』となる神殿を守り抜きましょう」
長老も納得してくれたようだ。
「……まったく、現金な神様だな」
俺は苦笑いしながら、胸ポケットの上からポンとスマホを叩いた。
「まあ、ナビが残って助かるわ。帰り道、迷わなくて済むしな」
『はいっ! 最短ルートでご案内します! ……帰ったら、すぐに充電してくださいね? あと課金も……』
「調子に乗るな」
俺は安堵のため息をついた。
やっぱり、こいつがいないと静かすぎて調子が狂う。
「よし、女神の問題は解決だ。次は……」
俺は、後ろに控えている人間(と魔族)たちを振り返った。
アリシア、ザガン、レオナルド、そしてポチ。
「お前らはどうする? ここは故郷だろ? 残るか?」
世界を救った英雄たちだ。ここに残れば、王や将軍として崇められ、一生安泰の生活が待っているはずだ。
だが、彼らの視線は泳いでいた。
その瞳の奥には、ある「強烈な欲望」が渦巻いているのを、俺は見逃さなかった。




