第69話:開花(パンデミック)。〜タイムラプスのように世界が変わる〜
1万本のアンプルが空になり、緑色の液体がすべて大地に吸い込まれた。
一瞬の静寂の後、足元から地鳴りのような鼓動が伝わってきた。
ドクン……!
「お、脈が戻ったな」
俺は世界樹の幹に手を当てた。
カチカチに化石化していた樹皮の下で、何かが激しく流れる振動を感じる。
俺がカッターナイフで接ぎ木した場所――切断した巨木の傷口に移植した、小さな若芽の接合部だ。
ジュワッ……!
接ぎ木テープの下で、形成層が融合した音がした。
茶色く枯れていた幹の維管束(血管)に、地下から吸い上げられた緑色の流体――栄養とマナの奔流が、勢いよく流れ込んだのだ。
「よし、活着した。水が上がってるぞ」
俺が呟いた、その直後だった。
移植された鉛筆ほどの太さの小枝が、プルリと震えた。
メリメリメリメリッ!!!!
植物の成長音とは思えない、岩盤が割れるような音が響き渡った。
「うおっ!?」
俺は慌てて飛び退いた。
目の前で、物理法則を無視した現象が起きていた。
グググググンッ!!
接ぎ木した若芽が、爆発的な勢いで太くなり、天に向かって伸びていく。
まるで、植物の成長記録を早回しにしたタイムラプス映像を見ているようだ。
数秒で腕の太さに。十数秒で巨木へ。
新しい枝が、枯れた本体を飲み込むように広がり、鮮やかな緑色の葉を茂らせていく。
「は、早すぎる! 異常成長じゃ!」
マギ婆さんが杖を握りしめて絶叫した。
「『8-8-8(化学肥料)』と『アンプル1万本』の過剰投与じゃ! 生命力が暴走しておる! これは蘇生ではない、爆発じゃ!」
「主殿! 下がってください! 成長の余波(衝撃波)で吹き飛ばされます!」
アリシアが俺の前に立ちふさがる。
凄まじい風圧が巻き起こり、俺たちの作業着をバタバタとはためかせた。
◇
成長は止まらない。
新しく伸びた枝の先端に、無数の巨大な蕾が形成される。
桃のような、鞠のような、パンパンに膨らんだ蕾だ。
「来るぞ」
俺は直感した。
エネルギーの充填率が100%を超えた。
ポン! ポォン! パァァァン!!
祝砲のような音が、青空に響き渡った。
一斉開花だ。
世界樹の梢が、一瞬にして光り輝く花々で埋め尽くされる。
そして、開いた花の中から、金色の光の粒子が噴水のように吹き出した。
「花粉か!」
光の粒子は風に乗り、世界中へ拡散しようとする。
だが、今のこの世界には風が足りない。
「よし、計算通りだ」
俺はニヤリと笑った。
ここで、苦労して設置した「アレ」が活きてくる。
地上に張り巡らせた塩ビパイプの先端。
回転し続ける『スプリンクラー』だ。
シュバババババッ!!
空中に撒かれた大量の水。
そこに、世界樹から降り注ぐ光の粒子(花粉)が混ざり合う。
水滴の一粒一粒が種子を包み込み、遠心力で遠くへ、より遠くへと飛ばしていく。
「スプリンクラー拡散システム、稼働良好」
「なっ……!? あの回転砲台は、このために!?」
「水を撒くだけではない……『命』を拡散させるための装置だったのか!」
ザガンとレオナルドが驚愕する。
風任せより効率がいい。俺は現場監督として、工期短縮のための最適解を選んだだけだ。
◇
そして、奇跡は起きた。
ザワワワワワ……
花粉を含んだ水滴が落ちた場所。
俺がユンボで耕し、黒く蘇らせた土の上。
そこから、次々と緑が芽吹いた。
草が生え、花が咲き、若木が伸びる。
緑の波が、同心円状に世界へと広がっていく。
灰色だった荒野が、鮮やかな「緑色」に塗り替えられていく。
枯れ木色だった山肌が、「桜色」や「黄金色」の花で埋め尽くされる。
植物の浄化作用によって、鉛色に淀んでいた空が晴れ、澄み渡る「青空」が広がった。
「あ、あぁ……」
エルフの長老が、その場に膝をついた。
震える手で、足元に咲いた一輪の小さな花に触れる。
「色が……。世界に、色が戻った……」
「夢ではない……。風が、花の香りを運んでくる……!」
エルフたちが、魔族たちが、泣き崩れる。
それは、神話の再来だった。
死んだ世界が、たった半日で楽園へと書き換えられたのだ。
◇
そんな感動的な光景の中心で。
俺は一人、パンパンと手袋の土を払い、ヘルメットを脱いだ。
「ふぅ。こんなもんか」
俺は腰のポーチから缶コーヒー(微糖)を取り出し、プシュッと開けた。
見渡す限りの緑。心地よい風。
最高のロケーションだ。
「土の配合も良かったし、日当たりも改善した。これならもう枯れないだろ」
俺は一服しながら、作業の出来栄えを確認した。
予定通り。施工不良なし。
今回もいい仕事ができた。
『マスター……』
スマホのたまちゃんが、呆れたような、それでいて誇らしげな声を出した。
『これはもう「庭いじり」のレベルを超えてますよ。惑星規模のテラフォーミングです』
「大げさだな。ちょっと広い庭を直しただけだよ」
俺はコーヒーを飲み干し、空き缶をゴミ袋に入れた。
現場は綺麗にして帰るのが鉄則だ。
「さて、撤収準備するか」
俺がトラックの方へ歩き出すと、背後でどよめきが起きた。
「お待ちください! 創造主様!」
振り返ると、エルフの長老、マギ婆さん、さらには生き残った魔族の代表たちが、俺に向かって五体投地していた。
地面に額をこすりつけている。
「なんと……なんとお礼を申せばよいか……!」
「我ら魔族も、この緑の大地があれば、もう人間を襲う必要はありません! 争いのない世界をくださった!」
「この御恩、我らの一族すべての命をもって償います! どうか我らを奴隷として、末代までこき使ってください!」
重い。
感謝の念が重すぎる。
命とか奴隷とか、管理コストがかかるものは要らないんだよな。
「いや、命はいらん。連れて帰っても餌代がかかるし」
俺はポケットを探った。
くしゃくしゃになった紙切れを取り出す。
さっき休憩中に、ボールペンで書き殴っておいたメモだ。
「それより、経費の精算させてくれ。材料費が結構かかったんだ」
俺はペラっと紙を渡した。
レシートの裏に書かれた、即席の請求書。
「日本円じゃ分からんと思うけど、これくらいの価値の金目のモノがあればいい。……払えるか?」
長老が震える手で紙を受け取る。
そこには、世界を救った対価としてはあまりに現実的な数字が記されていた。
【請求書】




