第61話:異世界への出張工事。〜空気が悪いので3Mの防塵マスクを支給します〜
早朝。
まだ朝霧が残る佐伯家の庭に、軽トラのエンジン音が響いていた。
キュルル……キィィィン……
風の魔石でチューニングされたエンジンが、出撃の時を待ってアイドリングしている。
荷台には、スコップ、チェーンソー、発電機、そして食料(カップ麺と水)が満載されている。
もはや夜逃げか、引っ越しかという荷物量だ。
「よし、忘れ物はないな」
俺はバインダー片手に点呼をとった。
今回の「異世界出張工事」のメンバーは以下の通り。
現場監督:俺(佐伯健人)
警備員:アリシア(ジャージ姿)、レオナルド(反射ベスト姿)
技術顧問:マギ婆さん(元・大賢者)
作業員:ザガン(フルハーネス安全帯着用)
マスコット:ポチ(柴犬)
ナビ:たまちゃん(スマホ)
総勢、一人と四人と一匹と一台。
軽トラの定員は2名だが、まあ私有地内だし、荷台に乗ればなんとかなるだろう。
「佐伯さん……」
そこへ、見送りに来ていた権田係長が、不安そうな顔で近寄ってきた。
「本当に行くんですか? 向こうの世界(異世界)から、無事に帰れる保証はありませんよ? 次元の迷子になる可能性だって……」
「大丈夫ですよ。道は開通してますから」
俺はヘルメットの顎紐をパチンと締めた。
「それに、元栓を締めないと、また瘴気が漏れてきますからね。施工不良を放置するのは、職人のプライドが許しません」
「そ、そうですか……。ご武運を」
「まあ、夕飯までには戻りますよ。風呂沸かしてあるし」
俺は軽く手を挙げると、運転席に乗り込んだ。
助手席にはマギ婆さん(高齢者優先)。荷台には若者たちと犬が乗り込む。
「よし、出発! ご安全に!」
「「「ご安全に!!」」」
俺はアクセルを踏み込んだ。
白い軽トラが、裏山の大穴――魔王が這い出してきた次元のゲートへと突っ込んでいく。
◇
ゴゴゴゴゴゴ……!!
ゲートの中は、光の渦だった。
上下左右の感覚がない、極彩色のトンネル。
普通ならタイヤが空転して進めない場所だが、我が愛車には「風の魔石」によるダウンフォース機能がある。
「ヒャッハー! 次元を超える風だワン!」
荷台のポチが、時空の歪みを全身に浴びて喜んでいる。
ザガンとレオナルドは、振り落とされないように必死にロープにしがみついていた。
「征くぞ……! 神の戦車と共に、故郷へ!」
「(まさか、こんな形で帰還するとはな……)」
数分のドライブの後、前方に白い出口が見えた。
「抜けるぞ!」
シュバッ!!
光の膜を突き破り、軽トラが空中に飛び出した。
着地。
ドスンッ!
サスペンションが軋み、タイヤが乾いた大地を踏みしめた。
◇
「……着いたか」
俺は車を止め、外に出た。
そこは、見渡す限りの「灰色」だった。
草木は枯れ果て、地面はひび割れ、岩肌が露出している。
空は鉛色に淀み、太陽の光さえも霞んで弱々しい。
生命の気配が、一切感じられない「死の世界」。
これが、異世界の現状か。
「……酷い」
荷台から降りたアリシアが、口元を押さえて絶句した。
「私がいた頃より、さらに悪化しています……。緑が、一つもありません」
「マナが枯渇し、大気そのものが死んでおる。これでは生物は住めぬ。魔王が暴走したのも無理はないのう……」
マギ婆さんが杖をつき、悲しげに首を振る。
シリアスな空気が流れる。BGMがあれば、間違いなく絶望的な曲が流れている場面だ。
だが、俺の感想は違った。
「うわ、埃っぽいな」
俺は顔をしかめて、空中の空気を手で払った。
喉がイガイガする。目がチカチカする。
「粉塵濃度が高すぎる。PM2.5か? 黄砂か? どっちにしろ体に悪いな」
現場監督として、まず気にすべきは労働環境の安全性だ。
こんな汚染された空気を吸い続けていたら、作業どころか健康被害が出る。
「おい、全員集合」
俺はダッシュボードから、新品の箱を取り出した。
ホームセンターの塗料・作業用品売り場で買っておいた必需品だ。
『3M 防塵マスク(排気弁付き・DS2規格)』。
活性炭フィルターを内蔵した、カップ型の本格的なやつだ。
口元には、呼気を排出するための四角い弁がついている。
「ほら、これ着けろ。肺をやられるぞ」
俺は全員にマスクを配った。
「こ、これは……?」
「鼻と口を覆うんだ。鼻のところにあるアルミの金具を曲げて、隙間をなくせよ。密着させないと意味がない」
俺は実演しながら装着した。
ゴムバンドを頭の後ろに回し、顔にフィットさせる。
シュコー、シュコー。
排気弁のおかげで、息苦しくはない。ダースベイダーみたいな音がするが。
「……!!」
マスクを着けたアリシアが、目を見開いた。
「く、苦しくない! 先ほどまで肺を焼いていた瘴気が……完全に濾過されています!」
「なんと……。この白い繊維、微細な毒素を物理的に絡め取っておるのか!?」
マギさんがマスクの表面を撫でる。
「魔法障壁よりも緻密な『浄化の網』じゃ! 装着するだけで、猛毒の空間でも活動可能になるとは……!」
「俺たち魔族でも、この空気はキツイのに……。これが『スリーエム』の加護……!」
ザガンがマスク越しに深呼吸をして感動している。
3Mは偉大だ。世界の現場を支えているからな。
「よし、安全確保よし。移動再開だ」
全員が白いマスクをつけた、怪しい集団。
俺たちは再び軽トラに乗り込み、荒野を爆走し始めた。
◇
数十分後。
瓦礫の山と化した、かつての都市の跡地を通り抜けた先。
崩れかけた神殿の影に、何かが動く気配があった。
「ストップ」
俺はブレーキを踏んだ。
岩陰に、数人の人影がうずくまっている。
長い耳。エルフだ。
だが、その姿は見る影もない。
肌は土気色で、ガリガリに痩せ細り、目だけが虚ろに光っている。
「……第一村人発見だな」
俺はハンドルを握り直した。
「随分と顔色が悪い。栄養失調と脱水症状だな」
「主殿……彼らは、この地を守っていたエルフの生き残りかと……」
アリシアが痛ましげに言う。
死を待つのみの集落。
だが、俺が来たからには野垂れ死になんてさせない。
「差し入れ持ってくるか」
俺は荷台を指差した。
「『黄色い箱』と『水』だ」
日本の栄養学が詰め込まれたブロック食品。
それが、異世界人にとって「神の糧(マナの塊)」になることを、俺はまだ知らなかった。




