第6話:野良犬(フェンリル)が来たので、餌付けしてみた。
夕暮れの裏山。
ヒグラシの鳴き声が響く縁側で、俺は至福の時を過ごしていた。
「プシュッ! ……くぅー、効くぅ」
手には、アルコール度数9%の缶チューハイ(レモン)。
ツマミは、スーパーの惣菜コーナーで3割引シールが貼られていた『若鶏の唐揚げ(にんにく醤油味)』だ。
少し衣がベチャッとしているが、それがいい。このジャンクな油っこさが、強めの酒には合うのだ。
「平和だなぁ……」
ネットがざわついていることなど知るよしもなく、俺は完全にオフモードだった。
だが。
その平穏は、唐突な殺気によって破られた。
ザッ……ザッ……
草むらをかき分け、巨大な影が現れる。
全長20メートルはあろうかという、漆黒の巨体。
燃え盛るような紅蓮の双眸が、高い位置から俺を見下ろしている。
周囲の空気が凍りつき、地面の草が一瞬で霜に覆われた。
『ヒィィッ! マスター! 逃げてください!』
ポケットの中で、たまちゃんが絶叫した。
『あれは「天喰らう狼」! 神話級の災害指定魔獣です! 国が一つ滅びますよ!?』
たまちゃんの警告音を聞き流しつつ、俺はぼんやりと巨体を見上げた。
「……ん? デカいな」
熊か? いや、形は犬だ。
黒い毛並み。尖った耳。
最近の野良犬は栄養状態がいいのか? それとも洋犬のミックスか?
フェンリルと呼ばれたその獣は、牙を剥き出しにして唸り声を上げた。
「グルルルル…………ッ!!」
ビリビリと肌が震える。
普通なら腰を抜かすほどの覇気だ。
だが、今の俺は「ほろ酔い」かつ「仕事終わりの無敵モード」である。
「うるさいな。シッシッ。あっち行け」
俺は手で追い払う仕草をした。
保健所に連絡するのは面倒だ。勝手に山へ帰ってくれ。
◇
一方、フェンリルは困惑していた。
『……なんだ、この人間は?』
我は「氷雪の王」フェンリル。
ひとたび咆哮すれば、歴戦の勇者ですら恐怖で心臓を止める。
それなのに、目の前の男は、我を見ても眉一つ動かさない。
それどころか、手に持った銀色の筒(缶チューハイ)を美味そうに啜っているではないか。
『虚勢か? いや、本当に我を「路傍の石」程度にしか思っていない……だと?』
侮辱だ。
誇り高き神獣に対する、許されざる冒涜だ。
『良い度胸だ人間。貴様を骨ごと噛み砕き、この地から溢れる芳醇なマナ(野菜)を我が物としてくれよう!』
フェンリルは前足を踏み出した。
殺気を最大まで高め、今まさに飛びかかろうとした、その時。
グゥ〜〜〜……
巨大な腹の音が、山に響き渡った。
「……ん?」
俺は箸を止めた。
目の前のデカい犬が、バツが悪そうに視線を泳がせている。
「なんだ、腹減ってんのか? そういえばガリガリだな」
よく見れば、毛並みはボサボサで、肋骨が浮いているようにも見える。
野生の世界も世知辛いらしい。
「しょうがないな。ほら、これ食って帰れ」
俺はパックの中に残っていた、一番不健康そうな欠片を箸でつまんだ。
肉がほとんどなく、衣と皮だけの脂っこい部分だ。
俺はそれを、ポイッと放り投げた。
宙を舞う、茶色い塊。
『貴様……! 神獣たる我に、餌付けをするつもりか!? ふざけるな! そのようなゴミ、誰が……!』
フェンリルは激昂した。
だが、その鼻腔をくすぐった「香り」が、思考を強制停止させた。
醤油。ショウガ。ニンニク。
そして、異世界には存在しない魅惑の結晶――化学調味料(アミノ酸等)と揚げ油の暴力的な香り。
『な……なんだこの芳香は!?』
本能が理性を凌駕した。
フェンリルの体は勝手に動き、空中のそれをパクッとキャッチしていた。
◇
咀嚼した瞬間。
フェンリルの脳内に、ビッグバンが起きた。
『美味ぁぁぁぁぁぁいッ!!!!』
ジュワッと溢れ出す油。
サクサクとした衣の食感。
そして舌を、脳髄を直接揺さぶるような、濃厚かつ複雑怪奇な旨味の爆弾!
『なんだこれは!? 生の鹿肉や猪肉とは次元が違う! 焼いただけの肉とも違う! これは……「魔法の味」だ! 錬金術で精製された「神の供物」に違いない!!』
ゴクンッ。
飲み込んだ後も、口の中に残る余韻がたまらない。
もっとだ。もっとくれ。
この味を知ってしまったら、もう森の生肉には戻れない!
気がつけば、フェンリルから殺気が消えていた。
代わりに、尻尾がプロペラのようにブンブンと回っていた。
「はっ、はっ、はっ!(もっと! もっとくれ!)」
巨大な狼が、舌を出して俺を見つめている。
完全に「おねだり」の顔だ。
「なんだ、現金なやつだな。気に入ったか?」
俺は苦笑いしながら、残りの唐揚げ(肉付きのいいやつ)も全部投げてやった。
パクッ、パクッ!
フェンリルは空中で器用に全てキャッチし、一瞬で飲み込んだ。
『おおお……! 肉厚! ジューシー! 主よ、貴様は神か! この「褐色の宝玉」を無限に生み出せる創造主なのですね!』
ドスン。
フェンリルはその場に寝転がり、ゴロンと腹を見せた。
ヘソ天。
絶対服従のポーズだ。
『我が誇りなど、この味の前では塵に等しい。一生従います! だからもう一個ください!』
「……懐いたな」
俺は呆れつつも、そのモフモフした腹を撫でてやった。
手触りは少し硬いが、悪くない。
「飼うか? 番犬くらいにはなりそうだ」
たま:『ええぇぇぇ……。神話級魔獣が、スーパーの惣菜に屈服しました……』
「名前どうするか。……『ポチ』でいいか」
適当につけた名前。
だが、フェンリルは目を輝かせた。
『ポチ……! なんと短く、力強い響き! 「P」の破裂音に込められた言霊……これこそ、神より賜りし我が真名!』
「わんっ!(気に入った!)」
「よしよし。今日からお前はポチだ」
だが、一つ問題があった。
「でもお前、デカすぎるな。庭が狭くなるし、食費がヤバそうだ」
俺は腕組みをしてポチを見上げた。
20メートル級の犬を養う余裕はない。
「飼うのは無理か……。悪いけど、山へ帰れ」
俺がそう告げた瞬間、ポチの顔が凍りついた。
『捨てられる!? 嫌だ! あの唐揚げが二度と食えないなんて!』
『デカいのがダメなのか!? ならば縮めばいい! 魔力圧縮だ!』
ボフンッ!!
白い煙が上がった。
煙が晴れると、そこには――。
「くぅ~ん」
つぶらな瞳で見上げてくる、茶色い柴犬(少し小太り)がいた。
首には、いつの間にか俺が買った覚えのない赤い首輪までついている。あざとい。
「……お前、空気読めるな」
俺は小さくなったポチを抱き上げた。ずっしりと重いが、まあ許容範囲だ。
「よし、合格だ。今日からうちの警備員として働け」
「わんっ!」
ポチが俺の顔をベロベロと舐める。
こうして、最強の番犬が仲間になった。
「でも、家の中で飼うのは抜け毛がな……。外飼いでいいか?」
「くぅ……(外は寒いが、主の命令なら仕方ない)」
ポチが少し寒そうに身を震わせた。
そういえば、夜の裏山は結構冷え込む。
「そうだな。明日、犬小屋作ってやるよ」
「わん?」
「どうせなら、冬でも暖かくて快適なやつをな」
俺のDIY魂に火がついた。
ただの木の箱じゃ面白くない。
断熱材をガッツリ入れて、最高スペックの犬小屋を作ってやろう。




