第48話:風呂上がりの空き瓶が、海へ流れていった。〜バタフライ・エフェクト(物理)〜
カラン、コロン……。
地下50階層の露天風呂から滑り落ちた「コーヒー牛乳の空き瓶」は、排水パイプの闇へと吸い込まれていった。
本来なら、ガラス製の瓶など、長い水路の途中で岩にぶつかり、砕け散って砂になる運命だ。
だが、この瓶は違った。
佐伯家の「超純度聖水(井戸水)」で洗われ、佐伯の手によって扱われたことで、不可視の加護が付与されていたのだ。
いわば『絶対硬度』と『摩耗無効』のエンチャントがかかった状態である。
カキンッ! ガンッ!
岩盤に衝突しても傷一つ付かない。
地下水脈を抜け、異世界の川へ飛び出し、やがて大海原へと流れ着く。
どんぶらこ、どんぶらこ。
瓶は海流に乗った。
サメに噛まれても砕けず、荒波に揉まれても沈まない。
それは驚異的な速度で、東の海を越え、遥か彼方にある別の大陸へと向かっていった。
瓶の底に、わずか数滴の「白と黒の液体」を残したまま。
◇
数日後。
場所は変わり、西の果てにある「ガリア大陸」。
その海岸線は、鮮血と黒煙に包まれていた。
「ぐぅっ……! まだだ……まだ倒れるわけには……!」
砂浜に膝をつき、剣を杖にして身体を支えている青年がいた。
輝く金髪に、碧眼。整った顔立ち。
絵に描いたような勇者レオナルド(20)である。
だが、今の彼は満身創痍だった。
白銀の鎧は砕け、愛剣「エクスカリバー」の光も消えかけている。
魔力は枯渇し、生命力も限界に近い。
「ククク……。終わりだ勇者よ」
彼を見下ろすのは、魔王軍の別働隊を率いる魔将軍。
圧倒的な魔力を前に、人類軍は壊滅状態だった。
「貴様の首を、魔王様への手土産にしてくれるわ!」
「くっ……!」
レオナルドは歯を食いしばった。
力が欲しい。
仲間を守るための、魔を払うための力が。
だが、指一本動かす気力さえ残っていない。
(神よ……我らを見捨てたもうたか……!)
レオナルドが絶望に目を閉じた、その時だった。
カラン……。
波打ち際で、何かが硬い音を立てた。
レオナルドは顔を上げた。
夕日を反射して、キラリと光るものが、彼の足元に漂着していた。
「なんだ……? この美しい器は……」
それは、透明な筒状の物体だった。
水晶だろうか?
いや、これほど歪みのない透明度は、ドワーフの匠ですら作り出せまい。
表面には、青と白の美しい紋様(メーカーロゴとビニール装丁)が描かれている。
そして、その底には。
わずかに残った、褐色の液体があった。
《……飲め》
勇者の持つ固有スキル『直感』が、脳内で警鐘を鳴らした。
《飲め。さすれば救われる》と。
「これは……神が遣わした『聖杯』なのか……?」
レオナルドは震える手で、その瓶を掴んだ。
敵の魔将軍は、勝利を確信して油断している。今しかない。
彼は瓶を逆さにし、大きく口を開けて舌を出した。
落ちてくるのは、ほんの数滴。
粘度のある、白と黒が混ざり合った液体。
ポタリ。
最後の一滴が、勇者の舌の上に落ちた。
◇
その瞬間。
レオナルドの脳髄に、雷が落ちた。
「!!??」
味蕾が爆発する。
なんだ、この味は!?
濃厚な甘み(砂糖)! 鼻に抜ける香ばしい苦味! そして、全てを包み込むまろやかなコク(牛乳)!
「甘露……!? いや、これは神々の宴で振る舞われる『ネクタル』か!?」
ガリア大陸の荒い食事しか知らない彼にとって、現代日本の精製糖とカフェインの組み合わせは、劇薬にも等しい刺激だった。
さらに、そこには佐伯家の「聖水」の魔力と、温泉による「状態異常回復」の効果も溶け込んでいる。
ドクンッ!!!!
心臓が早鐘を打つ。
カフェインが神経を研ぎ澄まし、糖分が爆発的なエネルギーとなって筋肉を駆け巡る。
枯渇していた魔力回路が、オーバーヒートするほどの勢いで充填されていく!
「おおおおおおおッ!!」
レオナルドが咆哮した。
全身から黄金のオーラが立ち昇る。
傷が塞がり、肌に力がみなぎる。
「な、何をした!? 死にかけだったはずだぞ!?」
魔将軍が狼狽する。
レオナルドはゆっくりと立ち上がった。その瞳には、かつてないほどの光が宿っている。
「感謝する……東の彼方の神よ!」
彼は聖剣を握り直した。
剣が呼応し、太陽のごとき輝きを放つ。
「我が一撃、受けてみよ! エクスカリバーーーッ!!」
ズバァァァァァァン!!!!
横薙ぎの一閃。
それは単なる斬撃ではなかった。
光の奔流が魔将軍を飲み込み、そのまま背後の海を真っ二つに割ったのだ。
「バカなぁぁぁぁ……!!(消滅)」
魔将軍ごと、海上の敵艦隊が蒸発する。
たった一撃。
数滴のコーヒー牛乳がもたらした、奇跡の逆転劇だった。
◇
静寂が戻った海岸。
レオナルドは、手の中にある空き瓶を、宝物のように掲げた。
「素晴らしい……。なんと精緻な作りだ」
彼は瓶に印字された文字(日本語と記号)を、神聖文字として解読しようと試みた。
まず目に入ったのは、賞味期限の数字。
『24.12.31』。
「これは……『終わりの日』の予言か? それとも神の降臨する座標か?」
次に、リサイクルマーク。
四角い矢印のマークの中に『プラ』の文字。
「矢印が循環している……。『輪廻転生』と『永遠』を司るシンボルか!」
そして最後に、製造所固有記号。
『+K』。
「プラス……K……?」
レオナルドの脳裏に、ある噂がよぎる。
「神の名は……K!?」
レオナルドは確信した。
この聖杯は、東の海から流れてきた。
世界各地で魔王軍の侵攻が始まろうとしている今、この瓶が自分の元に届いたことには意味があるはずだ。
「導かれている……」
彼は瓶を懐にしまった。
「行かねばなるまい。東の果て、ダンジョンへ!」
「世界の危機を救う鍵は、そこにある!」
勇者は旅立ちを決意した。
まだ見ぬ賢者『K』に会うために。
◇
一方その頃。
日本の佐伯家。
「……くしゅんっ!」
佐伯が盛大にくしゃみをした。
コタツに入り、みかんの皮を剥いている最中だ。
「誰か噂したか? 風邪かな」
「社長、湯冷めですか? ジャージのファスナーを上げてください」
アリシアが心配そうに声をかける。
外は雪がちらついているが、家の中は平和そのものだ。
「まあ、暖かくして寝るか」
佐伯はみかんを口に放り込んだ。
彼はまだ知らない。
自分の落としたゴミが、海外の戦争を終わらせ、勇者を呼び寄せてしまったことを。
そして、その勇者だけでなく、魔王軍の本隊までもが、この日本の片田舎を目指して動き出そうとしていることを。




