第47話:混浴(家族風呂)と、コーヒー牛乳。〜全ステータス異常回復の湯〜
「よし、お湯も溜まったな。入るぞ」
俺はタオル一枚を肩にかけ、完成したばかりの脱衣所に立った。
葦簀で囲われた簡易的なスペースだが、足元には吸水性抜群の珪藻土バスマットが敷かれ、ポータブル電源で稼働する小型冷蔵庫も完備されている。
「あ、あの……社長……?」
後ろで、モジモジとした声がした。
振り返ると、バスタオルを巻いたアリシアが、顔を真っ赤にして縮こまっている。
その横には、同じくタオルを巻いたマギ婆さん(老婆姿)と、頭に手ぬぐいを乗せたポチ。
「本当に……男女が同じ湯船に浸かるのですか? そ、その……破廉恥では……」
「今さらだろ。水抜き作業の時も泥まみれになったし、プール(生簀)にも一緒に入ったじゃないか」
俺は気にせず、さっさと服を脱いでカゴに入れた。
「それに、ここは温泉宿の大浴場じゃない。『家族風呂』みたいなもんだ。減るもんじゃないし、気にすんな」
「か、家族……!?」
アリシアが何やら撃ち抜かれたような顔をして黙り込んだ。
まあ、これだけの人数でシェアハウス生活をしているんだ。家族みたいなものだろう。
「わんっ!(早く開けろ! 寒い!)」
ポチが催促してくる。
地下50階層はマグマの熱で暖かいとはいえ、裸で突っ立っているのは風邪を引く。
「よし、行くぞ」
俺はガラリと引き戸(自作)を開けた。
◇
湯気がもうもうと立ち込める岩風呂。
まずは洗い場だ。
「いいか、いきなり湯船に入っちゃダメだぞ。血圧が急上昇して倒れるからな」
俺はシャワー(混合水栓)のレバーをひねった。
ジャーッ!
勢いよくお湯が出る。水圧も申し分ない。
「まずは『かけ湯』だ。体の汚れを落として、お湯に慣らすんだ」
俺は手桶でお湯をすくい、ザバザバとかぶった。
アリシアも真似をしてシャワーを浴びる。
「ひゃうっ!? こ、この水圧……! 滝行の如し……!」
「マッサージ効果もあるぞ」
体を洗い終え、いざ入湯。
チャポン……。
俺は岩風呂の縁に腰掛け、ゆっくりと肩まで浸かった。
「ふぅぅぅぅ…………」
思わず、親父くさい声が漏れる。
42度。完璧な湯加減だ。
じんわりと温かいお湯が、労働で強張った筋肉を解きほぐしていく。
「生き返るわぁ……」
目の前には、幻想的な鍾乳洞の景色。そして遠くに見えるマグマの赤い光。
世界中どこを探しても、こんな絶景露天風呂はないだろう。
「……はぁぁ……」
隣で、アリシアもため息をついた。
お湯に浸かった瞬間、緊張が溶けたらしい。
「温かい……。鎧の重みで軋んでいた背骨が、一本一本解れていきます……」
「わん……(極楽……)」
ポチは器用に仰向けで浮かんでいた。
頭に乗せた手ぬぐいが落ちないのが不思議だ。犬かき不要の浮力があるらしい。
『マスター、いい湯ですねぇ』
水面には、ジップロックに入ったスマホ(たまちゃん)もプカプカと浮いていた。
防水ケース越しの動画鑑賞。贅沢なデジタルデトックス(?)だ。
◇
しばらくお湯を楽しんでいると、アリシアが自分の腕を見て驚きの声を上げた。
「あれ……? 傷が……」
彼女の白い肌には、歴戦の騎士らしく、無数の古傷――切り傷や火傷の痕が残っていたはずだった。
だが今、それらが光の粒子となって、湯の中に溶け出していたのだ。
「消えていく……? 傷跡が消えて、肌が白磁のように輝き出しています!」
見る見るうちに、彼女の肌は生まれたてのようにツルツルになっていく。
髪の毛先まで、天使の輪ができるほどの艶を取り戻した。
「信じられない……。高位の治癒魔法でも消せなかった古傷が……。魔力が毛穴という毛穴から浸透してきます……!」
「硫黄成分がいいんだよ。美肌効果があるらしいからな」
俺は適当に答えた。
まあ、このお湯は「世界樹のアンプル」を吸った地下水と、「火竜のマグマ」で温められた源泉のブレンドだ。
効能書きを書くなら『効能:全ステータス異常回復、アンチエイジング、呪い解除』といったところか。
「よっこいしょ……ふいぃぃ」
向かい側で、マギ婆さんが肩まで浸かった。
その瞬間。
ボムッ!!
白煙のような湯気が、爆発的に立ち昇った。
「わっ、婆ちゃん大丈夫か!?」
湯気の中から現れたのは、シワだらけの老婆ではなかった。
透き通るような金髪と、豊満な肢体を持つ、絶世の美女エルフだった。
おでんの時も見た、彼女の全盛期の姿だ。
「ああ……。腰の痛みが消えた。脊椎が再構築されたわ」
鈴を転がすような美声で、マギさんが呟く。
「また若返ったのか。湯当たりするなよ」
「ふふふ。この湯は『生命の源泉』そのものじゃ。浸かっている間は不老不死になれるぞ」
どうやら、この温泉に浸かっている間だけは、肉体の時間が巻き戻るらしい。
女性陣にとっては、何よりの褒美だろう。
◇
たっぷりと1時間。
俺たちは心ゆくまで温泉を堪能した。
体が芯まで温まり、指先がふやけてきた頃、俺は立ち上がった。
「さて、上がるか。湯上がりの楽しみが待ってるぞ」
脱衣所に戻り、体を拭く。
マギさんはお湯から出ると、シュウウ……と音を立てて徐々に元の老婆に戻っていった(少し残念だ)。
俺は冷蔵庫を開けた。
キンキンに冷えた瓶が並んでいる。
「これだ」
銭湯の定番、『瓶入りコーヒー牛乳』。
紙パックではダメだ。この重厚なガラス瓶と、紙のキャップでなければ雰囲気が出ない。
「いいか、みんな。左手を腰に当てろ。そして、顔を斜め45度上に上げて、一気に飲み干すんだ。これが作法だ」
「は、はい!」
全員でポーズを取る。
紙キャップをパコッと開ける。
「乾杯!」
ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ……プハァァァッ!!
喉越し抜群の冷たい液体が、火照った体に染み渡る。
「う、美味いぃぃ!」
アリシアが瓶を見つめて震えている。
「甘い! 冷たい! そしてこのほろ苦いコク……! 黒と白の聖液が混ざり合い、魂を浄化していきます!」
「これが『整う』ということか……!」
牛乳、砂糖、コーヒー。
異世界では貴重品である三種が黄金比で融合した飲み物は、彼女たちにとってエリクサー以上の衝撃だったようだ。
「ふぅ。最高だったな」
俺は飲み終わった空き瓶を手に取った。
洗ってリサイクルに出さないと。
脱衣所の隅にある、簡易流し台へ向かう。
蛇口をひねり、瓶をすすぐ。
その時だった。
濡れた手が滑った。
「おっと」
ツルッ。
空き瓶が手から離れ、コンクリートの床に落ちた。
カラン、コロン……
瓶は軽快な音を立てて転がり、排水口(傾斜をつけて設置したパイプの入り口)へと吸い込まれていった。
「あ」
排水パイプは、ここから地下水路を通って、地上の川へと直結している。
「落ちちゃったよ。……まあいいか」
俺は肩をすくめた。
どうせガラスだ。川を流れるうちに割れて、砂になるだろう。
一本くらいなら環境への影響もないはずだ。
「よし、寝るか。おやすみ」
「おやすみなさいませ、社長!」
俺たちは満足して、各々の寝床へと戻っていった。
◇
――だが。
俺は知らなかった。
排水パイプを滑り落ちていったその空き瓶が、割れることなく地下水路を抜け、異世界の川へ飛び出し、やがて海へと辿り着くことを。
佐伯家の「聖水」で洗われ、俺の「道具補正(絶対硬度)」が付与されたその瓶は、岩にぶつかっても砕けることはない。
そして、瓶の底には――わずか数滴の、『コーヒー牛乳の残り』が付着していた。
それは海流に乗り、遥か遠く、異国の海岸へと漂着する。
そこで絶望の淵にいた「ある勇者」の運命を、劇的に変えることになるのだ。
小さな空き瓶が引き起こす、世界規模のバタフライ・エフェクト。
その幕が、今上がった。




