第35話:賢者、庭師として再就職する。〜家庭菜園が「魔界の森」になった件〜
翌朝。佐伯家の食卓はいつもより賑やかだった。
「ふごふご……。この雑炊、美味いのぉ」
昨日拾った(と俺は思っている)老婆、マギさんが、茶碗を抱えて涙を流している。
朝食のメニューは、昨日の水龍の蒲焼きの残りを使った「ひつまぶし風雑炊」と、採れたて野菜のサラダだ。
「龍の出汁が……五臓六腑に染み渡る……! 一口ごとに寿命が3年は延びていくようじゃ」
「大げさだなあ。おかわりあるから沢山食えよ」
俺は苦笑いしながら、彼女の茶碗によそってやった。
隣では、ジャージ姿のアリシアと、足元のポチも夢中で食べている。
みんな元気で何よりだ。
食事を終え、俺はマギさんに服を手渡した。
「今日から庭仕事を手伝ってもらうからな。そのボロボロの服じゃ動きにくいだろ。これ着てくれ」
俺がタンスから引っ張り出してきたのは、亡き祖母の遺品だ。
真っ白な『割烹着』と、動きやすい『モンペ』。そして、農作業用の『つば広帽子』。
THE・日本の田舎のおばあちゃんセットだ。
マギさんは、恭しくそれを受け取った。
「うむ。白は高貴な色……。これは神に仕える者が纏う『司祭の法衣』じゃな?」
「まあ、似たようなもんだ。汚れてもいい服だから」
着替えてきたマギさんは、どこからどう見ても「畑仕事のベテラン」にしか見えなかった。
杖(ただの木の棒)を持っているのが少しファンタジーだが、腰痛対策だろう。
「よし、似合ってる。じゃあ仕事始めようか」
◇
俺たちは庭に出た。
昨日の肥料のおかげか、野菜だけでなく雑草も元気に伸びている。
「まずは除草からだな。鎌使うか?」
「ふん、これしき。道具など不要じゃ。我が術にかかれば造作もない」
マギさんは自信満々に鼻を鳴らした。
やっぱり少しボケてるのかな? まあ、無理させない程度にやってもらおう。
「じゃあ、俺は向こうのネットを直してくるから。適当にやっといて」
俺は背中を向けて作業を始めた。
直後。
ザシュッ!! ザシュッ!!
背後から、空気を切り裂くような鋭い音が聞こえてきた。
風切り音?
「(鎌の使い方が上手いな……。スイングスピードが速い)」
俺は感心しながら作業を続けた。
数分後、振り返ってみると――。
「うおっ!?」
そこには、一本の雑草も残さず、綺麗に刈り揃えられた更地が広がっていた。
しかも、野菜の苗だけは傷つけずに残してある。神業だ。
「仕事早いな! シルバー人材センターのエースになれるぞ」
「ほっほっほ。風の精霊も、たまには庭掃除の役に立ちたいようじゃな」
マギさんがドヤ顔をしている。
風の精霊? ああ、風通しが良くなったってことか。
「よし、次は本番だ。例の『白い粒』を撒くぞ」
俺は納屋から『化成肥料(8-8-8)』の袋を持ってきた。
マギさんの目の色が変わる。
「おお……! 『賢者の粉』……! ついにその封印を解くのか!」
「大根の畝にパラパラ撒いてくれ。やりすぎると肥料焼けするから適量な」
俺はマギさんに柄杓を渡した。
彼女は震える手で肥料を撒いていく。
そして、撒き終わると、持っていた木の棒(杖)を天に掲げた。
「主よ、許可を。この神の粉の力を、大地の底まで届けるための『ブースト』をかけたい」
「ブースト? ああ、水やりのことか? 頼むわ」
肥料は水に溶けないと効果が出ない。
俺が許可を出すと、マギさんはニヤリと笑った。
「承知した。……大地よ! 眠れる脈動を呼び覚ませ! 賢者の粉を触媒とし、命の螺旋を加速させよ!」
何やら詠唱を始めた。
気合が入ってるな。
「『超・植物成長』!!」
マギさんが杖を地面に突き立てた、その瞬間。
ドクンッ!!
地面が、心臓のように脈打った。
「うおっ!? 地震か!?」
俺が体勢を崩した目の前で、信じられない現象が起きた。
メリメリメリメリッ!!!!
地響きのような音と共に、大根の葉が、見る見るうちに膨張を始めたのだ。
まるで植物の成長を早回しにしたタイムラプス映像を見ているようだ。
茎が太くなり、葉が広がり、空を覆い尽くしていく。
数秒後。
そこには、熱帯雨林の巨大植物のような、俺の身長を遥かに超える「巨大な大根の葉」が森のように茂っていた。
「……は?」
俺は口をあんぐりと開けた。
「見よ! 『8-8-8』の力が解き放たれた! 大地が喜んでおる! 窒素爆発じゃー!!」
マギさんが狂喜乱舞している。
いや、効きすぎだろ。
◇
影響は、大根だけにとどまらなかった。
マギさんの魔法(と肥料の成分)は、隣の畑にも波及していたのだ。
ズズズズズ……
キャベツ畑では、キャベツが人が入れるサイズの巨大な緑の球体になり、キュウリ棚では、キュウリが丸太のような太さになってぶら下がっている。
家庭菜園が、一夜にしてジュラシック・パークの密林になってしまった。
「あーあ。品種改良しすぎたかな。バイオテクノロジーって怖いな」
俺が現実逃避していると、葉っぱの陰から悲鳴が聞こえてきた。
「主殿ー! どこですかー! 遭難しましたー!」
見回りに来ていたアリシアの声だ。
彼女は巨大化したキャベツの葉に阻まれ、方向感覚を失っているらしい。
「なっ!? 庭が……魔界の樹海に侵食されている!? このキャベツ、私を押し潰す気か!?」
「アリシア、そこの葉っぱをかき分けて出てこい」
「は、はい! ……くっ、硬い! 剣を持ってくればよかった!」
なんとか脱出してきたアリシアは、葉っぱまみれになっていた。
「しゃ、社長……。これは一体……?」
「婆ちゃんが肥料撒きすぎたみたいだ」
「マギ殿が!? さすが大賢者……! ただの畑を、一瞬で『防御迷宮』に変えるとは!」
いや、防御するためじゃないんだが。
俺は巨大化した大根を見上げた。
葉っぱだけで2メートルはある。実(根っこ)の部分はどれくらい埋まっているんだ?
「まあ、デカいことはいいことだ。収穫するか」
俺は気を取り直して、大根の茎(直径20センチ)を両手で掴んだ。
「ふんっ!」
腰を入れて引っ張る。
……うんッ!
ビクともしない。
「……マジか。俺の筋力でも抜けない?」
まるで、地面と一体化しているようだ。
というか、ちょっと引っ張っただけで地面全体が持ち上がりそうになる。
「根が張りすぎてるな。これじゃ人力じゃ無理だ」
俺は溜息をつき、納屋の方を見た。
そこには、黄色い重機が眠っている。
「しょうがない。ユンボ持ってくるか」
「農作業に……攻城兵器を投入するのですか!?」
アリシアが戦慄する中、俺は重機のキーを取りに行った。
たかが野菜の収穫に油圧ショベルを使う日が来るとは。
田舎暮らしは、予想以上にハードだ。




