第34話:庭に老婆(賢者)が迷い込んできた。〜化学肥料(8-8-8)を見て失神する〜
翌朝。
俺は、無駄に早起きをしていた。
というか、昨晩はほとんど眠れなかった。
「……元気すぎる」
原因は明らかだ。昨晩食べた、あの巨大ウナギ(水龍)の蒲焼きだ。
滋養強壮効果が高すぎた。
体中がカッカと熱く、エネルギーが有り余ってじっとしていられない。
「落ち着かないな。一汗かくか」
俺は作業着に着替えると、庭へと出た。
空は快晴。絶好の農作業日和だ。
「そういえば、トマトの追肥の時期だったな」
マンイーターを肥料にして以来、我が家の家庭菜園は爆発的な成長を見せているが、さらなる収穫を目指すなら栄養補給は欠かせない。
俺は納屋に向かい、20キロ入りの重い袋を担ぎ上げた。
ホームセンター『コメリ』で買っておいた、農家の必需品。
『化成肥料(8-8-8)』。
植物の生育に必要な三大要素、窒素(N)、リン酸(P)、カリ(K)が、それぞれ8%ずつバランスよく配合された、基本にして最強の肥料だ。
「よし。これをパラパラ撒いてやるだけで、実付きが段違いになるからな」
俺は袋の口を開け、白い粒状の肥料を柄杓ですくった。
ツンとするアンモニア臭が鼻をくすぐる。
これぞ農業の匂いだ。
意気揚々と畑に向かった俺は、そこで奇妙なものを見つけた。
「……ん?」
トマト畑の畝の間に、何かがうずくまっている。
茶色いボロボロの布を被った、小さな影。
「はぐっ……むぐっ……」
咀嚼音が聞こえる。
野生動物か? いや、人間のようだ。
小柄な……お婆ちゃん?
「おい、ばあちゃん。そこで何してるんだ?」
俺が声をかけると、老婆はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
泥だらけの顔。深く刻まれた皺。そして、口の周りには土がついていた。
その手には、畑の土が握りしめられている。
「う、美味い……! なんという芳醇なマナじゃ……! この土だけで一ヶ月は生きられる……!」
老婆は感動に打ち震えながら、また一口、土を頬張った。
「うわぁ!?」
俺は慌てて駆け寄った。
「ばあちゃん! それご飯じゃないよ! 土だよ!」
認知症の徘徊老人か?
こんな山奥まで迷い込んで、腹が減って土を食べてしまったのか。
不憫すぎる。
「ペッしなさい、ペッ! 腹壊すぞ!」
「む……? お主はこの地の主か?」
老婆は濁った目で俺を見上げた。
「ここは天界か? 土の一粒一粒が、宝石のように光り輝いておるぞ」
「はいはい、佐伯さん家ですよ。施設から抜け出してきたのか?」
俺は老婆の背中をさすった。
ガリガリに痩せている。これは放っておけない。
「腹減ってんのか? 昨日の残りのウナギがあるから、それ食うか?」
「ウナギ……? まさか『龍』のことか?」
老婆の目が、カッと見開かれた。
俺の体から漂う残り香(昨日の蒲焼きの匂い)を嗅ぎ取ったようだ。
「(……この若造。ただの農夫ではない。全身から『龍殺し』の覇気を纏っておる……! この土を作り上げたのは、この男か!)」
老婆は戦慄していた。
彼女の正体は、異世界のエルフ族長老にして、あらゆる魔法を極めた大賢者マギ(数百歳)。
世界の荒廃を憂い、救いの手がかりを求めて放浪していた、伝説の魔法使いである。
……まあ、今の俺には「ボケて徘徊しているお婆ちゃん」にしか見えないのだが。
◇
「とりあえず水飲みな」
俺は腰に下げていたペットボトルの水を渡した。
マギはそれを一口飲むと、また驚愕の表情を浮かべたが、すぐに視線が一点に釘付けになった。
俺が小脇に抱えている、肥料の袋だ。
「その袋……凄まじい『生命の波動』を感じる。中身は何じゃ?」
「これ? ただの肥料だよ。ホームセンターで買った安いやつ」
俺は手袋をした手で、白い粒をすくって見せた。
「野菜が元気になる薬みたいなもんだ」
「!!」
マギが、その粒をひったくるように凝視する。
「こ、これは……!!」
彼女の手が震え出した。
『均一な粒の大きさ……純白の輝き……そして、この鼻を突く刺激臭(アンモニア臭)! 魔力が……高密度で圧縮されておる!』
そして彼女は、袋に印字された成分表示を見た。
『N(窒素):8 P(リン酸):8 K:8』
「『8-8-8』……ッ!!」
マギが絶叫した。
「生命を司る三大元素が、神の均衡(黄金比)で融合しておる! 『8』とは無限(∞)の象徴! それが三つ並ぶとは……!」
「ああ、バランスがいいから使いやすいんだよな」
「これは失われた秘術……『賢者の粉』じゃ!!」
マギは泡を吹かんばかりの勢いだ。
「このような神具を、無造作に土にばら撒くとは……! なんという贅沢! なんという暴挙!」
「いや、撒かないと意味ないし」
「許されん……こんな奇跡を目の当たりにして、正気でいられるはずが……カッ……」
あまりの衝撃(とアンモニア臭)に当てられたのか、マギは白目を剥いて、その場に卒倒した。
「おい、ばあちゃん!? しっかりしろ!」
やっぱり貧血か。
俺は慌てて彼女を抱き留め、日陰へと運んだ。
◇
数分後。
水を飲ませて団扇で扇ぐと、マギは意識を取り戻した。
「……ここは?」
「気がついたか。無理すんなよ」
「おお、主よ……!」
マギはガバッと起き上がると、俺の足元にすがりついた。
「頼む! わしを弟子にしてくれ! その『白い粉』の扱いを学びたいのじゃ!」
「白い粉って言うな。誤解されるだろ」
俺は困惑した。
弟子? 農業を学びたいのか?
まあ、この歳で向学心があるのはいいことだが。
「弟子とかいいから。……まあ、行く当てがないなら、しばらくうちにいるか?」
「本当か!?」
「庭の草むしりでも手伝ってくれるなら、飯くらい出すぞ。腰は大丈夫か?」
「ふん、これしき! 魔法で草一本残さず殲滅してみせよう!」
魔法? やっぱり少しボケてるのかな。
まあ、元気ならいいか。




