第13話:コタツとカップ麺(シーフード)の敗北。
ふと、意識が浮上した。
先ほどまでの寒さと飢えが嘘のように、全身がポカポカと温かい。
「……う……ん?」
アリシアは重い瞼を開けた。
知らない天井だ。木の梁が見える。
どうやら、あの「魔王の城(民家)」の中に連れ込まれたらしい。
「っ! いかん、捕虜になったのか!」
騎士としての本能が警鐘を鳴らす。
アリシアは跳ね起きようとした。
だが――動けない。
「な、なんだこれは……!?」
上半身は起こせた。しかし、下半身が言うことを聞かない。
腰から下が、正体不明の「熱を帯びた布団の結界」に飲み込まれているのだ。
『コタツ』。
異世界には存在しない、日本の冬の魔導具。
「くっ……抜け出せぬ! 足に力が入らない……!」
アリシアは藻掻いた。
だが、布団の中はあまりにも快適な温度に保たれていた。
熱すぎず、ぬるすぎず。凍えた細胞の一つ一つを優しく解きほぐすような、母の胎内にも似た温もり。
(これは……『強制弛緩』の呪いか!? いや、もっと上位の……人間の闘争心を根こそぎ溶かす『堕落の檻』だ!)
恐ろしい。
このままここにいたら、二度と剣を握れなくなるかもしれない。
そう頭では分かっているのに、体は「あと5分だけ……」と二度寝を渇望している。
◇
ガラリ。
ふすまが開く音がした。
「お、起きたか。まだ寝てていいぞ」
現れたのは、あのジャージ姿の魔王――佐伯だった。
手には湯気の立つヤカンを持っている。
「魔王め……! 私をどうする気だ!」
アリシアはコタツに入ったまま、精一杯の虚勢を張った。
「辱めるつもりなら、いっそ殺せ! 騎士の誇りは砕けぬぞ!」
「元気そうだな。まあ、飯でも食えよ」
佐伯は意に介さず、ちゃぶ台の上に「ある物」を置いた。
白い紙の筒。上部はシールで止められている。
『カップヌードル シーフード味(BIG)』。
「なんだ、その円筒形の器は……? 『SEA FOOD』……海の糧、だと?」
「3分経ったな。食えるぞ」
佐伯がペリッと蓋を剥がした。
その瞬間。
ボフッと白い湯気が立ち上り、狭い部屋の中に、爆発的な「芳香」が充満した。
「ッ!?!?」
アリシアの鼻腔を、暴力的な旨味の香りが貫いた。
魚介のエキス。ポークのコク。そして未知のスパイス。
王宮の晩餐会ですら嗅いだことのない、脳髄を直接刺激するような匂いだ。
グゥ~~~~ッ!!
アリシアの腹が、これ以上ないほど正直な音を鳴らした。
顔がカァッと赤くなる。
「ほら、箸。食わないと伸びるぞ」
「くっ……ど、毒見だ! 貴様が毒を盛っていないか、私が確認してやるだけだ!」
アリシアは震える手で割り箸を受け取った。
プライドと食欲のせめぎ合い。
だが、箸で麺を持ち上げた瞬間、勝負は決していた。
「い、いただきます……!」
ズルッ……ズルズルッ!
口に入れた瞬間、世界が変わった。
「なん……だ、これは……ッ!!」
縮れた細麺が、とろみのあるスープを完璧に絡め取っている。
噛むたびに溢れ出す、濃厚な海の旨味。
内陸の国で育ったアリシアにとって、海産物は宝石より貴重な食材だ。それが、この一杯に凝縮されている。
「うまい……! この白く弾力のある肉は、幻の『カニ』か!? そしてこの黄色い塊(卵)の優しさ……!」
これはただのスープではない。
『海神』の生命力を濃縮還元した、奇跡の霊薬だ!
「はふっ、はふっ! んんっ……!」
もはや言葉は不要だった。
アリシアは一心不乱に麺を啜り続けた。
コタツの温もりと、胃袋からの熱。
凍えていた心身が、急速に満たされていく。
ズズーッ。
最後の一滴までスープを飲み干し、彼女は大きく息を吐いた。
「プハァ……!」
◇
「いい食いっぷりだな。足りたか?」
目の前で、佐伯が自身のカップ麺(カレー味)を啜りながら尋ねてくる。
アリシアは空になった容器を見つめ、静かに箸を置いた。
完敗だ。
武力でも、そして食文化(兵站)でも、この男には勝てない。
こんな至高の料理を、平然と日常食にしているなんて。
アリシアはコタツから這い出し、その場で正座をして、深々と頭を下げた。
「……主殿」
「ん? なんだ改まって」
「敗北を認めます。貴殿の料理(錬金術)は、我が国の宮廷料理を遥かに凌駕している……」
アリシアは顔を上げ、真剣な眼差しを向けた。
「どうか、私をここに置いてください! 貴殿の剣となり盾となります! 庭の警備でも、魔獣の討伐でもなんでもします!」
「急だな。まあ、人手は欲しいけど」
「給金はいりません! その代わり……!」
彼女は頬を染めて、モジモジと言った。
「その……夜もまた、この麺を所望したいのです……! あと、このコタツという結界の使用許可を……!」
要するに、餌付け完了である。
佐伯は呆れたように笑った。
「まあ、カップ麺でいいなら楽でいいか。ちょうど留守番が欲しかったんだ」
「では!?」
「採用。ただし、食ったら皿洗いくらいはしろよ」
「はっ! この命に代えても!」
こうして、亡国の姫騎士アリシアは、佐伯工務店の「住み込み警備員」として再就職を果たした。
平和な午後になるはずだった。
コーヒーでも飲んで一服しよう。
そう佐伯が立ち上がった、その時。
ズシン……ズシン……
微かな、しかし腹に響く振動が伝わってきた。
テーブルの上のコップの水が、同心円状の波紋を描く。
「……?」
佐伯が眉をひそめるのと同時に、ポケットのたまちゃんがけたたましい警告音を発した。
『ビーッ! ビーッ! マスター、緊急警報! エマージェンシーです!』
「なんだ、地震か?」
『違います! 敵襲です! ダンジョン深層から「大規模な魔物の群れ(スタンピード)」が急速接近中! その数、100体以上!』
アリシアが色めき立つ。
彼女の鼻が、風に乗ってきた腐臭を捉えたのだ。
「この臭い……オーク(豚の魔人)か! あいつら、私の血の匂いを追ってきたのです!」
窓の外を見る。
裏山の入り口から、土煙を上げて進軍してくる、武装したオークの集団が見えた。
鋼鉄の鎧に身を包んだ、魔王軍の精鋭部隊だ。
「くっ、早すぎる……! 主殿、お逃げください! ここは私が食い止めます!」
アリシアは折れた剣を構えようとした。
だが、佐伯の反応は違った。
「あーあ、うるさいな」
佐伯は窓を開け、迷惑そうに舌打ちをした。
「せっかくの食後のコーヒータイムだったのに。……近所迷惑だろ、あれ」
佐伯は納屋へと向かった。
その手には、剣でも魔法の杖でもなく、オレンジ色のボディを持つ「重機材」が握られていた。
「数が多そうだな。手作業じゃキリがない」
佐伯の目が、害獣駆除モードに切り替わる。
「『チェーンソー』でいくか」




