第10話:政府のドローンが飛んできたので、高圧洗浄機で撃墜した。
東京・霞が関。
無機質な雑居ビルの一室に、重苦しい空気が漂っていた。
表向きは「気象観測データセンター」。だがその実態は、日本政府直轄の極秘組織『内閣府・超常災害対策課』である。
「報告します。長野県・賽の河原市周辺にて、異常事態が進行中」
オペレーターの声が響く。
モニターには、黒塗りにされた地図と、赤い警告表示が点滅していた。
「該当エリアの限界集落にて『住民の集団若返り現象』を確認。平均年齢が80歳から40歳代へと逆行しています」
「さらに、村人たちが未知の合成樹脂……通称『神の箱』を崇拝する奇習が発生」
「……頭が痛いな」
課長である権田は、こめかみを揉みながら胃薬を噛み砕いた。
ガリッ。苦い味が口に広がる。
「震源地は特定できているのか?」
「はい。川の上流、地図にない『佐伯家』の所有地です」
権田はモニターを睨んだ。
衛星写真には、深い森の中にポツンと一軒家が映っているはずなのだが……そこだけ不自然なノイズ(雲)がかかっていた。
「接触は危険だ。まずは無人機で偵察を行う」
「了解。最新鋭ステルス偵察ドローン『隼Mk-II』、発進します」
日本の技術の粋を集めた、炭素繊維強化プラスチック製の黒い翼が、空へと放たれた。
◇
一方、その頃。
震源地である俺、佐伯は、自宅の庭で腕組みをしていた。
「うわ、汚ねえな」
俺が見上げているのは、実家の外壁だ。
築80年の日本家屋。特に北側の壁は日当たりが悪く、緑色の苔がびっしりとこびりついている。
長年の風雨に晒された黒ずみもひどい。
「せっかく庭を綺麗にしても、母屋がボロいと台無しだ。……洗うか」
俺は納屋へと向かった。
取り出したのは、黄色と黒のボディが頼もしいアイツ。
『高圧洗浄機(ケルヒャーK5相当・サイレントモデル)』だ。
「こいつの威力を見せてやる」
水道ホースを接続し、電源コードをドラムリールに繋ぐ。
準備完了。
俺は洗浄ガンを構え、外壁に狙いを定めた。
トリガーを引く。
ブシュゥゥゥーーーーッ!!
凄まじい水圧で、扇状の水流が噴射される。
壁に当たった瞬間、数十年分の苔と黒ずみが、まるで消しゴムで消したかのように吹き飛んだ。
「おおっ! 落ちる落ちる! 気持ちいいなこれ!」
一筆書きの要領でノズルを動かすと、汚れた壁に白い線が描かれていく。
この「汚れが一瞬で消える快感」は、一種の中毒性がある。ASMR動画で人気が出るのも納得だ。
『マスター、楽しそうですけど……水圧強すぎませんか? 汚れと一緒に外壁の塗装まで剥がれてますよ?』
「塗装はまた塗ればいいんだよ。まずは下地処理だ」
俺は夢中になって壁を洗い続けた。
黒い汚水が足元を流れていく。
ふと、作業の手を休めて空を見上げた時だった。
「……ん?」
快晴の空。
太陽を背にして、小さな黒い点が浮かんでいるのが見えた。
ブゥゥゥン……。
微かだが、不快な羽音が聞こえる。
「なんだ? デカいアブだな。スズメバチか?」
俺は目を細めた。
山には危険な虫が多い。特にスズメバチは秋口になると凶暴化する。
あんな高い位置でホバリングしているということは、巣作りの場所を探しているのかもしれない。
「ブンブンうるさいな。刺されたら危ないし、追い払うか」
俺は手元の洗浄ガンを見つめた。
殺虫剤を取りに行くのは面倒だ。
これで撃ち落とせばいい。
「射程が足りないか? いや、ノズルを絞ればいける」
俺は先端のアタッチメントを回し、「拡散」から「直噴」へと切り替えた。
これは水を一点に集中させ、コンクリートすら削る威力を持つ最強モードだ。
狙いは、上空の黒い点。
距離はおよそ150メートル。
普通なら届かない距離だが、まあ、やってみる価値はある。
「落ちろ」
俺はトリガーを引いた。
バシュッ!!!!
発射音というより、炸裂音に近い音がした。
高圧縮された水の弾丸が、重力を無視して一直線に空へと突き刺さる。
◇
『対象エリア上空に到達。高度150メートルにてホバリング中』
政府のモニタールーム。
大型スクリーンには、ドローン『隼』のカメラが捉えた映像が映し出されていた。
上空から見下ろす佐伯家の庭。
そこには、鏡のように黒く輝く舗装道路と、青白いスパークを放つ電気柵が見える。
「魔力反応、計測不能! 結界密度が高すぎて計器がバグっています!」
「な、なんだあの要塞は……。ただの古民家に見えるが、防御力が皇居を超えているぞ」
権田が息を呑んだ時だった。
庭にいる作業服の男――佐伯が、ふと空を見上げた。
「! 対象がこちらに気づきました!」
「馬鹿な、高度150だぞ? 肉眼で見えるはずが……」
男が、手に持っていた黒い銃のようなもの(洗浄ガン)を、空に向けた。
「構えた!? 迎撃態勢か!? 回避しろ!!」
権田が叫ぶのと同時だった。
モニターの中で、男の銃口が光った――ように見えた。
警告アラートが鳴り響く。
『HYDRO PRESSURE DETECTED(超高水圧を検知)』
「水……だと!?」
次の瞬間。
画面が白い飛沫で埋め尽くされた。
ガガガガッ!!
衝撃音と共に映像が激しく回転する。
軍事用カーボンで作られた強靭な機体が、まるで紙細工のようにへし折れ、プロペラが粉砕されるのが見えた。
プツン。
モニターが砂嵐に変わる。
「…………」
静寂が支配する司令室。
オペレーターが震える声で報告する。
「つ、通信途絶! 『隼』、撃墜されました!」
「……着弾まで0.2秒。初速は音速を超えています」
「成分分析……ただのH2O(水)です。魔力反応なし。純粋な『水圧(物理)』だけで装甲を貫いています」
権田は崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
胃が焼けつくように痛い。
「無詠唱の『水流魔法』……。しかも、高度150メートルの標的を、スコープもなしにピンポイントで……?」
彼には見えていたのだ。
空に浮かぶ、電子の眼が。
そして、それを「目障りだ」と一瞥し、水鉄砲でハエを落とすように処理した男の姿が。
「彼にとって、最新鋭ドローンなど羽虫と同列ということか……」
権田は決断した。
「……撤退だ」
「は? し、しかし調査は……」
「中止だ! 下手に軍を動かしてみろ。彼を怒らせれば、ここ(霞が関)が水没しかねんぞ!」
権田はモニターの砂嵐を睨みつけた。
「対象の監視レベルを『特S(干渉厳禁)』に引き上げろ。……とんでもない怪物を起こしてしまったかもしれん」
◇
「お、当たった」
俺は手で庇を作って空を見た。
黒い点がバラバラになって落ちていくのが見える。
「よしよし、駆除完了。最近のアブは硬いからな、殺虫剤よりこっちの方が効くわ」
俺は満足げに頷くと、ノズルを「拡散」に戻した。
さて、掃除の続きだ。
「ふぅ……ピカピカになったな」
数十分後。
苔が落ちて綺麗になった外壁を見て、俺は充実感に浸っていた。
労働の後の缶コーヒーは美味い。
俺はまだ知らない。
自分が落としたのが「虫」ではなく「数億円の軍事兵器」であることも。
そして、日本政府が俺に対して「全面降伏(という名の放置)」を決めたことも。
平和な午後が過ぎていく。
だが、この静寂は嵐の前の静けさに過ぎなかった。
政府が手を引いたことで、この山は「誰も管理しない空白地帯」となる。
それはつまり、異世界からの来訪者が、誰にも邪魔されずに俺の家まで辿り着けることを意味していた。




