辺境令嬢、〈アムリエ〉を産む──愛すべき夫と国、それと豊かな食事のために
「ああああ! もうやってられませんわこんな生活ーーっ!!」
没落令嬢のロザリナは、三日連続のモヤシのステーキについにキレた。
「ナデル様ーーーっ!!」
大して長くない廊下をドタドタ走り、夫であるナデルの部屋に飛び込む。
「な、なんだいロザリナっ……わっと」
熱烈なハグ。
ストレスはハグでだいぶ緩和される。
「は~~~~……落ち着きますわ~……」
「そ、そうかい? よかった」
しばらくのハグで怒りエネルギーを発散させたロザリナはナデルからひょいと離れ、何事もなかったかのように話し出した。
「ということでナデル様、革命を起こしましょう」
「革命……? なんだか穏やかじゃないね」
ナデルは眉をひそめ、ロザリナをじっと見つめる。
「私、ナデル様の清貧さに関しては尊敬しておりますわ。おかげで領民たちは何一つ不自由なく……とまでは言いませんが、充分満足の行く生活を行えていることでしょう」
「そうかい? てへへ……」
「ああ、その素朴な笑顔も素敵ですけれど! さすがに私、炭水化物が食べたくなって参りました! それと月に一度程度の旅行なども!」
「そ、そうだよね……大貴族の君からしたら、今の生活は屈辱そのものだよね……不甲斐ない夫でごめん……」
「ああもう、そこまでは言っていませんけれど!」
ロザリナはナデルの顔を引き寄せると、頬にキスをしたり顔でスリスリしたりしてから、
「私もナデル様を見習って、清く慎ましく生きようとしてみましたが……やはり限度はあるようです。端的に申しますと……ちょっくら銭を稼ぎませんか?」
「そ、それはもちろん構わないというか、助かるけど……具体的な案はあるのかい?」
「ええ。いえ、案よりも、愛がありますわ。ようやく私のスキル、〈愛の守護子〉が温まってきたところですわ!」
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ロザリナは過去を想起する。
「僕には何もない。ただ、決して君を裏切らない。君を生涯愛し続けると誓おう。だから……結婚してくれ!」
ナデルの愚直な告白。
ふたりきりの寝室で、不意打ち気味に言われたものだから、嬉しいより先に驚いてしまった。
「ぷっ……あははっ!」
「えっ、あれっ……冗談ではないんだけど……」
「あははは……すみません。ただもう少しこう、ロマンチックさが欲しかったな、と」
「そ、そうか……すまない。そんなことも出来ないようでは、僕では……」
「いえ。きっと不器用なのはお互い様ですわ。──この嬉しさを伝える言葉が、思いつきそうにないんですもの!」
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「〈愛の守護子〉──!」
ロザリナが愛の気持ちを解き放つと、それは人間のように手足を持つ、全体的に丸っこいエネルギー体になった。
エネルギー体はずらりと並ぶ。
「ふぅ……ざっと50体ですわね。慣れてくればもっと増やせそうです。これで農地を開拓していきましょう。まだまだ手付かずの土地、山ほどありますわね?」
「う、うん……でも大丈夫かい? これだけの魔力行使、いくら君でも……」
「心配無用、ですわ! あなた様はこの子たちの具体的な運用計画を考えてくださいませ! ただちに! それから、いつも通りみなの様子を見に行きましょう」
「そ、そうだね! これは忙しくなってきたなぁ……」
ナデルとロザリナは、定期的に領民の様子を見回っていた。
「おお、領主様! いつもありがとうございますじゃ!」
「うん、ご苦労様。ハムロ、何か困ったことはないかな?」
ナデルは馬から降りて、領民と同じ目線で話す。後ろに乗っていたロザリナも後に続く。
「いえ、領主様にはよくして頂いていますからのぅ……とてもとても……」
「遠慮はいりませんわ! ドーンと言ってくださいまし!」
「うん。民の悩みは僕の悩みだ。あるなら話して欲しい。頼りないのは認めるけど……頑張るよ」
「ははっ。領主様がそう仰られるなら……」
そんな風にして、ナデルとロザリナは領民から状態を聞いて回った。
「だいたいわかりましたわね。後は必要そうな量に応じて〈愛の守護子〉を配っていけばよろしいですわね」
「うん。いや……そう簡単にも行かないよ」
「? どういうことですの?」
「単純にあの家に3体、あの家に5体、って差をつけると、領民同士の諍いの元にならないかい?」
「はあ。しかし必要量が違うのですから、当然のことなんじゃありませんの?」
「そうなんだけど、人の心って色々だからさ……。かと言って差をつけないと困る人もいる……どうするかな……」
ナデルはぶつぶつ考え始めた。
ロザリナはすかさずメイドに軽食を用意させた。
「要は不満が出なければいいのでしょう? 〈愛の守護子〉をさらに増産いたします?」
「いや、それは君の体が心配だ。それに、あまり〈愛の守護子〉頼みになるのも、領民の自尊心を損なってしまう」
「そういうものなのですね……ナデル様がそう仰るなら……」
ロザリナは早く清貧生活から抜け出したいので、やや口を尖らせたが、ナデルの見識を信頼しているので大人しく頷いた。
「……よし。ロザリナ。〈愛の守護子〉だけど、性能を変えることは出来る?」
「出来ると思いますわ」
「うん。なら、一家に一体にして、性能の差をつけることで解決したい」
「数を変えるのと、あまり変わらない気がしますけれど……?」
「そこは、〈愛の守護子〉を各家庭の守り神として、『必要な分だけ助けてくれる』存在にする。家族に近ければ、愛着が湧くと思う」
「なるほどですわね。では私は、〈愛の守護子〉間で意思疎通や連絡が取れるように改良しておきますわ。可能なら能力の微調整まで出来るように」
「それは助かるね……うん、頼んだ」
そんな風に試行錯誤を繰り返し、ナデルとロザリナの国──リーヴェレント王国は、着実に広がっていった。
〈愛の守護子〉は領民の作業効率を上げると共に、害獣や盗賊の撃退などにも効果があった。またロザリナの愛から産まれたものなので、ハグをすると強い癒し効果があり、領民の幸福指数がかなり上がった。
諸外国からすれば、急に力を付けてきたリーヴェレント王国に警戒せざるを得なかったが、〈愛の守護子〉が防衛に使えても軍事侵攻には使えないとわかると安心し、積極的に経済交流を進めるようになった。〈愛の守護子〉が侵略に使えない理由は単純に、〈愛の守護子〉が愛から産まれたものだからだ。これ以上明確な理由もなかなかない。
リーヴェレント王国は、ナデルの慎重さと民への心遣い、そしてロザリナの有り余る愛によって著しい発展を遂げた。
「ちょっともう把握できない数〈愛の守護子〉を産んでると思うけど……大丈夫なのかい?」
ナデルの執務机の上にも、書類が山積みだ。事務処理用の人間を増やしてもなお山積みだった。
それでもナデルたちは、領民の見回りを欠かさない。
「ええ。あなた様への愛……というだけではありませんもの。私とて長く領民に関わって来ましたし……あなた様が愛せぬものを愛せぬなら、どうして真実の愛と言えるでしょう?」
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ロザリナは過去を想起する。
ナデルがロザリナに告白する、少し前のこと。
「あなた、少し他人に気を遣いすぎなのではなくて? 剣術でも勉学でも、勝ちを譲って……。それでは自分が損をするばかりですわ」
ナデルはロザリナの言葉に驚いて、少しだけ目を見開いた。
しかしすぐにほほ笑んで、
「それは買い被りだよ。本当に勝つのは、負けるのが嫌な人だ。僕はどうもそんな風に思えない。つまり、戦いに向いていないのさ」
「……個人ならそれでいいかもしれませんけれど。それで領民が損をするとしましたら、どうします?」
「うん、それは申し訳ない。その時は──もやしステーキでも食べて過ごすさ」
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ロザリナの尽きることのない愛が、さらに〈愛の守護子〉を産む。
最初と違い、単に〈愛の守護子〉を産むのではない。ひとつひとつ、領民たちの顔を思い浮かべながら産んでいく。
それが強くないはずがない。彼らを守らぬはずはなかった。
「……やっぱり凄いね、ロザリナは。もし、もっと栄えた国にいたのなら──」
ナデルの口を、ロザリナが熱い口づけで塞いだ。
唇が離れる。
「……それは野暮というものですわ。いえ、単純に誤りですわね。あなたでなければ、ここまでの力は出せないのですから」
「……ありがとう。そうだ……今月は、ルミリス湖に行こうか。発光魚がたくさんいて、夜景が美しいらしい。運が良ければ大きいのも見れるとか」
「まあ、素敵ですわね! 食べられるのでしょうか?」
「う、うん……多分ね」
「そうと決まれば、執務を片付けませんと! ほら、あなた様──今日も一日、領民と私のために、頑張りましょう!」
さらに月日が流れた。
〈愛の守護子〉頼みのリーヴェレント王国の発展は、ロザリナに何かあればたちまち崩壊する。その問題を解決するために、〈愛の守護子〉は改良され、領民の祈りによってエネルギーが維持できるようになった。
領民の祈りとは、家族や国、ナデルやロザリナ、そして彼らの子供に当たる王族たちに対する感謝であり、愛だった。
ある種ロザリナの手から離れる形になり、多少の問題は生じたが、王たちの領民への細かい目配りは変わらず、問題は丁寧に解決された。
「では、セディル、イオリス、ノアト、そしてミセリラ。私たちがいない間、国を頼みますわよ」
ナデルとロザリナの間には、3人の王子と1人の王女が産まれていた。
特に王女ミセリラはロザリナの〈愛の守護子〉のスキルを、そのままではないにしろ受け継いでおり、これからの王国の発展に大きく寄与することが期待されていた。3人の王子もナデルに似て謙虚さと聡明さを持ち、リーヴェレント王国の未来は諸外国からも有望視されていた。
「ロザリナ」
馬上のナデルが、ロザリナを引き上げ、同じ馬に乗せ、馬は走り出す。
長年変わらぬ旅立ちの様子。
仲睦まじい2人を見つけた領民や〈愛の守護子〉たちは手を振り、2人はにこやかに振り返す。
「体が辛くなったらいつでも言ってくれ。もう急ぐこともないのだから」
ナデルも少し年老いて、執政は息子たちにほとんど委ねていた。
おかげで、月に1度の旅行で、長期間泊まることが出来るようになっていた。
月に1度の旅行は、大規模な自然災害など、国に大きな危機が訪れた際を除けば、ずっと続いている。
「ふふ。でも、もったいないですから……せっかくの旅行ですもの」
ロザリナはナデルにしっかり体を寄せ、頼り切っている。
国はある意味で、2人の手を離れた。
国は豊かになり、王族の食事もモヤシのステーキではなく、それなりに豊かなものが並ぶようになった。
跡取りも充分に産まれ、立派に育った。2人の間にあるものは、ただ輝かしい愛だけだ。
「贅沢も……言ってみるものですね」
ロザリナは昔を思い出し、ふと呟いた。
「うん。君のおかげで、国は発展した。領民も幸福だよ」
「何よりですわ……。あんなワガママを言って……嫌われてしまうんじゃないと、本当は少し怖かったんですのよ?」
「そうなのかい? とてもそうとは……こほん。うん……君にも不安はあったのだろうね。苦労をかけたね」
「全くですわ……。今でもモヤシのステーキは嫌ですが……この場所にいられれば、それで充分……ですわ……」
ロザリナの寝息が聞こえてきたので、ナデルは馬の速度を下げる。
ふたりの様子を、領民や〈愛の守護子〉が穏やかに見守っている。
仲睦まじいふたりの旅路は、速度を落として、ゆっくりと続いていく。