40.待ち焦がれた声
「さてと……。霞、今わかってる範囲で構わないから、あいつらの情報を教えてくれるかい?」
十六夜の表情は打って変わって真剣なものになった。
「……は、はい。見ての通り火を扱います。断定はできませんがおそらく2匹です。鳥のようですが、空を飛ぶのではなく地を駆け回り攻撃してきます」
「ほぉ」
十六夜は顎に手を置き何かを考えている。鳥のもののけは警戒しているのかこちらを見ているだけでまだ動き出してはいなかった。
「体は火に覆われていて、並大抵の攻撃では刃が通りません。脚力も凄まじく蹴りの威力もなかなか。それに移動速度が速く捕捉も難しいです」
霞も冷静に少しでも有益な情報を十六夜へと伝える。今の霞にできることはこれしかなかった。
「なるほどね……火に素早い動き。あんたが苦戦するわけだ」
「……はい。不甲斐ないです」
霞は地面を見つめ、震えながら唇を噛む。自分の力が通じなかった無力さと悔しさが再び込み上げてきた。
「……まぁ、そう落ち込むんじゃないよ。相手が悪かっただけさ」
十六夜はゆっくりと瞬きをした。霞の気持ちを察して、あえて軽い口調で十六夜が霞を慰める。
「十六夜……」
「ところで……。速いだなんだ言ってたけど、それは私が追いつけないほどかい?」
十六夜がにやりと笑い、わざとらしく尋ねる。
「ふふっ。いえ、そんなわけないじゃないですか」
「まぁ、そうだろうね」
霞も同じように笑う。十六夜は自分を、霞は十六夜の力を信じていた。
「霞、あんたは主人の回復を。動けるようになったら先に外で待ってな」
「十六夜……」
「安心しなって、あんたらのところには一歩も近づけさせないからさ」
十六夜の心強い一言。
霞は加勢できない歯痒さはあったが、それよりもボロボロのナギをすぐにでも回復してあげたかった。
「わかりました……。十六夜、頼みます」
「はいよ」
軽い返事をし、主人の方へすぐに駆けていった。
「全く、本当に十六夜らしいですね」
霞はいつもの調子のどこか掴みどころのない十六夜に安心した。
「……私はナギの回復をしなくては」
霞はすぐにナギの元へと駆け寄り回復魔法をかけようとする。ナギの様子は、心身の疲弊で無気力な顔に体はボロボロで見るのも辛いほどだった。
「これは……簡易な回復魔法では……」
少し離れて膝をつき、回復魔法の準備をする。魔法を繰り出そうとした時、霞は体を一瞬硬直させた。
(もし、回復魔法も使えなかったら……)
以前の戦いの後に回復魔法が使えなかったことと、さっきの戦いの時に技が何も使えなくなっていたことが頭によぎり不安に襲われる。霞の呼吸が少しだけ浅くなる。
「お願いします。せめて、これだけは……」
霞は不安を振り払うように首を横に振り、ナギへ回復の魔法をかける。
「"菖蒲の祈り"」
それは霞の使える最大の回復魔法だった。両手で祈るように手を握り合わせ、魔力を込める。次の瞬間、ナギの周りに紫色の綺麗な菖蒲が咲き誇りナギは優しい紫色の光に包まれていく。
「よかった……回復魔法だけでも使えて……」
霞は目の前で咲き誇る菖蒲を見て安堵した。これで、守れなかったナギを助けることができる。
「これで、ナギを元気にしてあげられます」
菖蒲の祈りは、花に宿る力で傷や疲労を癒やし活力を与え、さらには体の毒などの状態異常も治すことができる万能な回復魔法。ナギの体についていたたくさんの傷はみるみるうちに治っていく。
「はぁ、はぁ……はぁ」
強力な回復魔法なだけあって、魔力の消費もかなりのものだ。霞は幸か不幸か技を発動できていなかったため魔力の残量には余裕があった。それでも霞は残りの魔力のほとんどを使用しているのを感じていた。
「これだけで……やはり魔力の量が……落ちています」
霞は暗い声でポツリと呟いた。
ちらりと横を見ると鳥のもののけと十六夜たちが戦っている。ここまで隙だらけで回復に全神経を注いでいられるのも十六夜がいてくれるおかげだった。
「本当に頼もしいです。仲間がいてくれるのは」
霞は遠くの十六夜をうるうると見つめていた。
「…………うぅっ。………かす、み?」
小さくナギの声が聞こえる。ナギがゆっくりと目を開き、手をつきながら起き上がり座った。
「ナギ……ナギ!」
霞は立ちあがり、ナギのもとへ急ぎ抱きつく。体の傷はほとんどなくなって見た目の痛々しさは幾分緩和されていた。
「そっか、私……気を失って……。霞が助けてくれたの?」
「私は回復魔法を使っただけです」
霞は抱きついたままずっと泣いている。
ナギは状況を確認するために周りを見渡した。
「……!?」
何かを見つけたナギの顔は青ざめ、体が震え始める。
「霞……!大丈夫、怪我は?」
ナギは霞の体を見回して、必死な表情で聞く。
霞は慌てるナギに戸惑っている。
「えっ……。わ、私は大丈夫ですよ」
「で、でもあれ。霞……」
指をさした先にあったのは折れた刀の一部だった。
「あ、あれは予備の刀です。私ではありませんよ」
「ほ、ほんと?」
「ほら、腰の鞘を確認してください。予備の刀がないですよ!」
ナギは腰の鞘に刀がないことを確認すると、ようやく落ち着き、安堵の表情を浮かべる。
「よ、よかった。私のせいで霞が大怪我しちゃったって思って……」
ナギは涙を流して霞の顔を見ていた。こんな状況でも自分のことを心配してくれるナギの優しさがとても嬉しかった。
「……大丈夫です。私は丈夫ですから!この程度では折れません」
霞は自分の左手を胸に当てながら、安心させるために笑顔で答えた。
ナギはその姿を見て安心した。だが、一つの疑問が同時に胸に生まれた。
「でも、なんで予備の刀が折れてるの?」
「それは……」
霞の顔は暗くなり視線を下に落とす。
「すみません。ナギを守ろうと、もののけと一人で戦ったのですが。力及ばず……」
「えっ、霞一人で?」
ナギも驚き眉を下へ落として心配そうな顔をしている。
霞は道場でいつも技や戦い方を教えてくれるが、もののけと戦っている姿を見たことがない。主人である自分を守るために無理をさせてしまったことがナギは申し訳がなかった。
「本当にすみません。刀まで折ってしまって。不甲斐ないです」
霞は顔を上げず肩を振るわせる。手も足も出なかった圧倒的な敗北が心にはまだ堪えていた。
「ううん。霞が無事なら私はいいよ。それより、怪我はない?……私の方こそ不甲斐ない主人でごめんね」
ナギは優しく霞の頭を撫でる。いつも通りに優しいナギを見て霞の表情に明るさが少し戻った。
「……まって。じゃ、じゃあもののけは!?」
ナギはまた慌てて辺りを見渡す。すると遠くで鳥のもののけと何かが戦っている姿が見えた。
「……あれは?」
「……十六夜です」
霞が少しだけ声を弾ませ、嬉しそうに答える。
「えっ?それって霞が前言ってた十六夜ちゃん?」
「はい。十六夜が助けてくれたんです」
霞は戦う十六夜の姿を、信頼の眼差しで見ていた。
「そっか……。よし、じゃあ私も!」
ナギは勢いよく立ち上がった。だが、すぐにふらつき冷たい地面に膝を着いた。
「ナギ、無茶です。花衣の反動もありますし」
「あはは……そうみたいだね」
そういうナギの笑顔はぎこちなかった。
「すみません。私ももうほとんど魔力がなくて。完全に回復はできませんでした」
「だ、大丈夫。動けるだけで十分」
霞のためにお得意の空元気を見せる。
霞の言葉通り、ナギの体の状態ではうまく戦えないのは確かだった。霞も魔力切れとなると、加勢は難しい。
「……十六夜ちゃんたち、大丈夫かな?」
戦っている十六夜たちの姿をナギは心配そうに見守る。相性が悪かったとはいえここまで苦戦した相手だったからだ。
「大丈夫です。十六夜はあんなもののけには負けません」
「でも、あんなに速いもののけ2匹だよ?」
不安そうにナギを見て霞は小さく自信に満ちた笑みを浮かべる。ナギはその様子を不思議そうに見ていた。
「それは私たちにとってです。十六夜にとっては散歩と変わりませんよ」
ナギは信じられないという顔をしていた。霞の全く心配していない眼差しの先を見ると、鳥のもののけが黒い影に翻弄され、逃げようとしても逃げきれず前に回り込まれ八方塞がりという感じだった。
「ほんとだ……すごい」
「十六夜の一番の持ち味はその速さです。並大抵の速さでは逃げられません。それに隠密の術をはじめ、多彩な術を組み合わせると、目で見ることすら難しいです」
霞はまるで自分のことのように得意げに説明している。実際、遠巻きに見ていても鳥のもののけの方が哀れに見えるほど圧倒していた。
「まるで忍者みたい……」
ナギは口をぽかんと開けて戦いの様子を見つめる。あんなにも苦戦した相手がいとも簡単にあしらわれていた。
「では、私たちは先に帰りましょう」
「えっ?なんで?」
「……私たちが今ここにいてもできることはありません」
霞が悔しそうに呟いた。武器も無く、魔力も尽きている二人には戦うすべはほとんどない。
「私たちがいない方が十六夜もこちらを気にせず、戦いに集中できます」
「……うん、そうだね」
ナギは疲労と無力感でいっぱいの体で、何とか立ち上がった。
「ナギ、これを鞘にさしていてください」
霞は申し訳なさそうに折れた刀を持ってきた。
「これを?」
「はい。時間はかかりますが、魔法の力で少しずつ修復されていきますので」
「そう、なんだ」
ナギは悲しそうに刀を受け取り、鞘に折れた予備の刀を差した。
「では、帰りましょう」
「うん」
ナギは小さく頷き、魔力をこめて目を閉じた。
ーーーーー
目を開けるとあのシャッターの前にいた。
「戻ってこれた……」
ナギは緊張から解放されて、再び地面に両膝をついた。体は思った以上に疲れていたようだ。
「ナギ、大丈夫ですか?」
霞は周りをキョロキョロ見回し、辺りに人がいる気配がないことを確認するとナギに簡易的な回復魔法をかける。
「気持ちいい……ありがとう霞」
「いえ、今の魔力ではこれくらいしかできませんが。」
霞が申し訳なさそうに呟く。本来ならもっと強力な回復魔法を使ってあげたかった。
「大丈夫。それより、霞も少し休んだ方がいいよ」
「……はい」
魔力が切れると霞は顔を膝の間にうずめ、ナギの横に蹲るように座った。そんな霞の様子を見てギリギリだったことを悟った。
「……。霞」
「はい、なんでしょう?」
ナギに呼びかけられて霞は顔をあげる。表情には少し疲労の色があった。
「……今日は動けなくてごめん。それに一人になっても守ってくれてありがとう。……私、もっと頑張って強くなる。霞が無茶しなくて済むように!」
ナギは決意を込めた眼差しで霞を見ていた。
「……はい。私も、強くなりますから!」
霞も健気で一生懸命なナギを守りたいという気持ちがより強くなった。
「でも、よかったね。霞。十六夜ちゃんに会えて」
「……はい。とても心強いです」
霞は声を弾ませ、嬉しそうに頷く。
「十六夜がいれば、戦いはとても楽になるはずです。そうすればナギの負担は減ります!」
「うん、そうだね!二人でだったらもっと一気にもののけも倒せそう!」
ナギは期待を膨らませていた。ようやく誰かと使命を共有できるようになる。それだけでも心の負担はかなり減る。拳を握り、ナギの声はさっきまでと違い明るくなっていった。
「主人の人、どんな人かな。ねぇ、正体は聞いていいんだよね?」
「はい。ここから出てくればすぐにわかります。お互いの普段の顔を知っていた方が何かと便利ですし」
「そうだよね!いい人だといいな〜」
「……そうですね。いい人であってほしいです」
霞は少し不安そうに小さな声で呟いた。ナギは霞の不安そうな表情が引っかかった。
その時、目の前が光り始める。
「あっ、帰ってきました」
霞が光に反応し立ち上がる。そこにはうっすらと人影が浮かんでいた。
「外から見ると、こんな感じなんだ」
ナギは初めて常世の世界から帰ってくる様子を見て感心していた。ぼんやりとだんだん人の姿がはっきりと見え始める。
「あー、やっぱりナギだ!」
「えっ………?」
光の中の人影から聞き覚えのある声がした。それはナギにとって一番嬉しい声。光が消えると、その姿がナギの目に映った。
「やっほー!ナギ!」
「……サツキ!?」
サツキはイタズラっぽく笑いながらナギを見る。
ナギは目を丸くして固まってしまった。