39.主人なき戦い
「はぁぁぁ!!」
霞は叫び高く飛び上がり、怯んでいる鳥のもののけの1匹に気迫を込めて斬りかかる。
「ひぇあーー!」
鳥のもののけは、咆哮を上げて強い火を纒う。その体は霞の渾身の一太刀をいとも簡単に弾き返す。
「くっ……」
弾き返された霞の手は震え、まだ鳥のもののけの火の熱が残っていた。
(やはり、威力が……)
「ひぇあーーー」
霞はすぐに構え直し、2匹を睨みつけた。鳥のもののけは足を前後に動かしてこちらの隙を伺っている。すぐに攻撃をしてこないのは、霞の気迫に圧倒されているからだ。
「……」
互いに睨み合ったまま、聞こえる音は鳥のもののけの鋭い爪が石に擦れる音だけだった。霞は策を思案する。
そんな時、あることを思い出していた
♢♢♢
現世に行く前、仲間たちと道場で鍛錬をしていたある日。
「あの……!女神様、質問があります!」
「なんでしょう、霞」
霞が遠慮がちに手をあげた。
「その……どうして、主人が必要なんでしょうか?私たちだけでもののけと戦えないのでしょうか?こんなにも鍛錬をしているので、その……多少なりとは自信も身についてきました」
霞は目線を斜め下に落として小さな声で言った。
「そうですね……。そう思うのは仕方ないです。ですが、残念ながら難しいんですよ」
女神は手を顎に置き、諭すような笑顔で霞を見ていた。
「どうしてですか?」
「あなた達の力は主人と力を合わせてこそ発揮することができます。もちろん、主人の方も同じです」
女神はゆっくりと歩きながら、霞の肩に手を置き話を続ける。
「あなた達は、自身が強くなることで刃を強め、主人は自身が強くなることであなた達の力を最大に引き出せます。あなた達は一心同体、心を通わせて戦う必要があるんです。お互いに鍛錬して高め合っていってくださいね」
「…はい!わかりました」
♢♢♢
霞は女神様の言葉の意味を実感する。普段鍛錬の時は感じないが、今もののけに攻撃をしてみてわかった。ナギと戦っていた時より手応えがない。決して霞の技術が劣っているわけではなく、それどころかまだ未熟なナギよりも立ち回りは上だった。それでも霞は人の姿として戦うよりも、刀の姿で戦う方がその真価を発揮することができる。霞は左足を一歩後ろへ下げ、構えに入った。
「威力が足りないのなら、手数で攻めるまでです!」
本領を発揮できないこの状況でも一つ勝機はある。ナギが懸命に攻撃し続けたおかげで2匹のうちの1匹はかなりの傷を負い、消耗していた。
「まずは、数を減らします!」
霞は体勢を低くし、目を閉じながら腰の横に刀を構え、力を溜める。花びらが舞い光が足元と刀に溜まり始めた。
それを見た鳥のもののけは、岩の足場を勢いよく蹴る。激しい砂埃をあげながらくる突進の勢いは凄まじい。
「遅いです!」
だが、僅かに霞の方が早かった。霞は一気に力を放ち速度をあげ、斬りつける。
「……"椿の舞"!」
霞の渾身の一撃。速度だけでいえば、ナギのものよりも早い。
だが、
「ひぇあーー!」
「うっっ」
突進の勢いは霞の椿の舞の威力を上回っていた。霞は後ろへとそのまま弾き返される。
「ぐっっうううう」
霞は地面に刀をさして勢いを殺し、後ろの岩への衝突をギリギリで食い止めた。
「……これでも……足りないというのですか……?」
渾身の椿の舞ですら威力が足りない。霞は動揺と焦りが生まれていた。
鳥のもののけはこちらを嘲るかのように雄叫びをあげている。不気味に地面をきりきりと音を立てて引っ掻いている。
「それなら、枝垂れ桜で上から断ち切るまでです!」
霞はナギにまだ教えていない技で一気に勝負を決めようとする。霞の技の中でも、上位の威力を誇る技だ。
「いきます、"枝垂れ桜"」
鮮やかな桜色の魔力を刀に纏わせる。霞は高く跳び上がり、体を捻りながら鳥のもののけに斬りかかろうとした。
「……!」
突然、霞の体に異変が走る。手や足に鋭い棘が刺さったような痛みが駆け巡った。刀が纏っていた魔力は消え去り、全身の力が抜ける。もののけに届く前に地面へとその体は叩きつけられた。
「枝垂れ桜が使えない……?」
霞は自分の両手を見つめて震えた。道場で確認をした時はしっかりと使うことができていたはず。それなのに今は使えなかった。霞の目は泳ぎ、動揺してしまう。その動揺を鳥のもののけは見逃してはくれなかった。
「ひぇあーーー」
激しい突進で、霞との距離を一気に詰めてくる。
「うっっ」
霞は反応が遅れ、後ろへ弾き飛ばされる。少しよろめきながら霞はもう一度立ち上がり刀を握り立ち上がった。
「ならば、まずは速度をあげます!"花衣7分咲き"」
霞は高らかに叫び自分の能力を強化しようとする。今の速度ではあの素早い鳥に追いつくことができない。追いつくことができなければ駆け引きにすら持ち込めない。
「……うぅっ」
体全身にまた同じような痛みが駆け巡る。霞は崩れ落ち、両手を地面についた。息が荒くなり、絶望と悲しさに覆われる。その絶望を振り払うように首を横に振ってもう一度立ち上がる。
「は、"花衣5分咲き!……3分咲き!!……ううっ」
何度も技を使用しようと叫ぶ。だが、痛みが巡るだけで花衣を発動することは出来なかった。再び霞は地面に両手をついた。
「花衣も……。どうして何も……。道場では使えたのに……」
なぜ何も発動することができないのか、理由がわからない。霞は襲ってくる絶望に飲み込まれてしまった。技が使えない、それは自分の今までの全ての努力が全てが消え去ったのと同義だった。霞は涙が溢れ悔しさで拳を握りしめる。
「こんな状態でどうやって戦えばいいのですか……」
強い技で火を無理やり払うことも、速度を上げ相手を翻弄することも叶わない。
「私の速さでは……もののけに追いつけない。力でも今の状態では……」
「「ひぇあーー」」
勝利を確信しているのか、余裕を見せ2匹で火と砂を巻き上げながら輪を描いて走り回っている。その様子が霞の絶望をより増幅させた。
それでも、ナギを守るためにもう一度奮起し霞は立ち上がった。
「はぁぁぁぁ!!!」
霞は飛び上がりざまに斬りかかる。鳥のもののけは馬鹿にするようにひょいとかわし、霞の斬撃は空を切った。そのまま鳥は速度をあげて遠くへ走る。必死に追いかけるが追いつけない。
「"椿の舞"!」
通じないとわかっていても、現状霞が唯一速度をあげることのできる技。
「ひぇあーー!」
「ぐっっっ」
威力が足りず簡単に後ろ蹴りで弾き返される。
「はっ、はぁぁぁ!」
霞は負けじと何度も斬りかかる。だが、刀が届くことはなく何度も弾き返される。
「またあんな遠くに……"椿の舞"……うぅ」
また体に痛みが駆け巡る。
「……そんな、椿の舞まで……」
霞に再び絶望が近づいてくる。絶望を押し付けるように鳥のもののけは、こちらへ突進してくる。
「い、"いばら"!」
鳥のもののけにイバラが絡みつく。だが、弱々しく伸びたイバラは一瞬で燃えて断ち切られてしまった。
「うっ……!」
霞は弾き飛ばされる。主人のいない今の状態ではイバラの耐久度は格段に落ちていた。何よりも、さっきの戦いでいばらが通じないことはわかっていた。それでも今の霞に取れる選択肢は他にない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ひぇあーー?」
2匹がおちょくるような声を上げる。勝ちを確信しているようだった。
その時、鳥のもののけの1匹が、倒れているナギを見る。鳥のもののけはナギを目掛けて一気に速度をあげて走り出す。
「……っ!それだけは……させません!」
霞はナギの前に立ち塞がり、刀を横に持ちそれを防ごうとする。
「ひぇあーー!」
鳥のもののけは勢いよく足を後ろへ振り上げ、その反動を生かし、凄まじい威力の蹴りを繰り出してきた。
「ぐっっ…うぅぅ…。」
霞は必死に刀でその蹴りを食い止める。きりきりと刀から火花が散り始めていた。霞は力に押され、腕が限界を迎えそうになる。それでも後ろに絶対に近づかさせないという思いで歯を食いしばり、腕にもう一度力を込め、なんとか堪える。
ぱきんっ
霞よりも先に握る刀が限界を迎え、無情にも刃が音を立てて半分に折れた。霞にはその瞬間がスローモーションに見える。刃を貫き、鳥のもののけの蹴りが霞に直撃した。
「うがっ」
霞は後ろに弾き飛ばされる。幸い刀で勢いが殺されていた分、威力が抑えられていた。
それでも、刃と同じく霞の心を折るのには十分すぎた。主人は倒れ、技も使えなくなり、トドメに武器までもが折れてしまった。
「もう……私には‥…どうすることも……」
うつ伏せのまま、霞は立ち上がる気力がもう湧かなかった。霞の頬に触れる地面はざらざらと冷たい。悲しみと絶望に抗う方法が全て潰えてしまった。
「私は……大切な……友さえも守れないのですか……」
悔しさで拳を握り、何度も何度も地面を殴る。感情がこみあげ、堪えることのできない涙が溢れ出す。
「お願いです……誰か……助けて……ください。ナギを助けてください!」
顔を歪ませ、霞は叫んだ。音のない常世の世界にこだまする……だけだった。霞の声に返事をする仲間はいない。霞は握った拳を力なく開いた。
敗北と孤独に霞はもう抗う力が湧かなかった。
「ひぇあーー!」
仲間の声の代わりに鳥のもののけの雄叫びが返ってくる。1匹の鳥のもののけは遠くでぴょんぴょんと跳ねるだけで何もしてこない。完全に油断している。
だが、もう1匹の鳥のもののけはまたナギの方へ砂埃を巻き上げ突進をしてきた。動けないナギにトドメを刺すつもりのようだった。
「絶対に……させません。私は……ナギを守ります。たとえ、この身が壊れようと……。それが私の使命です!」
霞は立ち上がり鳥のもののけとナギの間に立ち塞がった。武器を持たない丸腰の霞は両手を広げ、ただナギを守る盾として立つ以外なかった。
「ひぇあーーー!」
鳥のもののけの雄叫びに痛みを覚悟し、霞は歯を食いしばり目を閉じた。
その時ーー
何かが素早く風を切り飛んできて、地面に刺さる音が聞こえた。鳥は驚き、動きを止める。
「ひぇ……」
その直後、鳥のもののけの弱々しい声が聞こえ、霞は恐る恐る目を開ける。すると、逃げるように後ろへと走り去っていく鳥のもののけの姿が映った。霞は呆気に取られてその様子を不思議そうに見つめる。音がした方の地面に目を落とす。
「あれは……手裏剣……まさか……」
そこには見覚えのある手裏剣が刺さっていた。霞は無心で、ある姿を探して周囲を見渡す。
その時、頭上から目の前に何者かが降ってきた。動きやすそうな黒い着物の装束に身を包み、青みがかかった黒い髪は動きやすいように高い位置で結ばれ、背中には少し短めの刀を背負っている。
「あの、大丈夫ですか……?」
心配な顔で、髪を揺らしながら霞の方を向く。ナギと同じくらいの少女だった。
「あの……えっと……」
言葉が詰まり返事ができなかった。
霞はその少女よりも背負った刀ばかりを見ている。胸からたくさんの想いが込み上げて涙が溢れ出した。止めようとしても、止めることができないほどに。
「主人は前方の警戒をお願いします。私があちらの者に話を聞いてきますので」
「えっ……?う、うん。わかった。なるべく早く戻ってよ」
黒い装束の少女は少し不安そうに鳥のもののけのいる方を向き警戒をする。
「安心してください。すぐに戻りますので」
背負った刀が光を放ち、人へと姿を変える。その姿は少女と同じように黒い装束に身を包み、高い位置で黒い髪を結んでいた。霞の顔を確認するとゆっくりと霞の方へ歩いていく。霞はその姿を見ると余計に涙が止まらなくなった。
「だいぶ危ないところだったようだね」
左手で髪をかきあげながらニヤリと笑っていった。
「うっ、うっ……」
「なんだい、随分情けない顔してるじゃないか」
涙で言葉を詰まらせ、しゃがみ込む霞。その姿を肩をすくめながら両手を広げ、少し小馬鹿にしたように笑って見つめる。
「本当に……遅いですよ……十六夜」
下を向き肩を震わせて霞は泣いていたが、その顔には笑顔もあった。心が限界ギリギリだった霞にとって仲間の登場が、どれだけ心強かったか。
十六夜は霞の周りを見渡す。砂埃のついた薄紫色の装束、倒れている主人と思われる人、刃の折れた刀。ここまでの戦いの厳しさを十六夜は理解し、表情を少し曇らせる。
「……遅くなって悪かったね、霞」
十六夜は涙を流している霞に視線を合わせてしゃがみ、目を細めながら優しく声をかけた。
「あとは……任せな」
静かな口調で、薄ら笑いを浮かべている十六夜。霞はその表情がとても頼もしかった。固くこわばっていた体の力を少しだけ抜いた。もう、大丈夫。霞の心には安心が生まれていた。
「……はい!頼みましたよ十六夜!」
霞は弾けるような満面の笑顔で答えた。十六夜はふっと笑ってゆっくりと立ち上がった。その堂々たる立ち姿に霞は仲間がいる頼もしさを噛み締めていた。