38.霞の決意
「ナギ……しっかりしてください、ナギ!」
霞はナギを揺すり、何度も涙声でさけぶ。だが、ナギは返事を返してこない。ナギには返事をするどころか、声を認識する気力すら残っていなかった。その様子を見て霞は固まってしまう。
「……い、いま回復しますから……!」
ふと我に帰り、霞がナギに急いで回復魔法をかけ始める。その瞬間。
「びぇあーー!」
「……っ」
好機とみた鳥のもののけのうち1匹が全速力で突進してくる。
「……うぐっ」
丸腰の霞は後ろに弾き飛ばされ、地面に転がされる。
「うぅ……」
霞は地に伏せた体を手で起こし立ち上がる。
(どうすれば…)
目の前のもののけは咆哮をあげながらこちらを狙っている。いつナギに攻撃をしてくるか分からない。動けないナギを運びながら脱出するのは難しく、かといって、主人のいない霞一人で2匹のもののけを相手することも難しい。
霞の体が小さく震える。焦りと悔しさが胸を締め付けて、視界が涙で滲む。
「……私一人では、どうすることも……」
ナギが動けない今、霞は本当に一人になってしまった。頼れる仲間はいない。心を暗い感情が埋め尽くしていく。
「私はなんと無力なのでしょうか……」
無機質な硬い石の地面に霞の涙がぽたぽたと音を立てて流れ落ちる。
♢♢♢
「ほら、これでも着てなさい!」
女は怒鳴って、霞にボロボロの衣を放り投げた。
「これは……なんですか?」
「そんな派手な着物来てたら、家が贅沢してるって疑われるでしょ?お前にはそれで十分」
女の声は冷たく、嘲るようだった。
霞は黙ってその着物を見つめる。ほこりや泥、少しカビのついた、それはほとんど雑巾のような薄汚れた着物だった。
「……早くしなよ、主人様の命令だよ?聞けないっていうんじゃないでしょうね?」
「い、いえ……」
霞はすぐに綺麗な薄紫色の衣から薄汚れた着物へと着替えた。
「よく、似合ってるよ。あははは」
霞はその嘲笑を震えながら見ていた。悔しさも悲しさも胸の奥にしまいこんで。
♢♢♢
(主人に仕えるのは、ただの使命。それ以上の理由はなかった。)
顔をあげるとナギが力なく横たわっている。残酷な現実が霞の胸を締め付ける。
♢♢♢
'「冷めちゃう前に食べよ食べよ!」'
'「今度の休みに、霞のお洋服も買いに行こうね!」'
'「これは、私からのプレゼントだよ!」'
'「ふふっ。似合ってるよ、霞!」
♢♢♢
「ナギ……」
ナギと出会ってからの日々思い出していた。苦くて辛い記憶を、ナギの笑顔は少しずつ明るく払ってくれた。霞は拳を強く握りしめて震えていた。
「私は……私は……」
霞は装束に付いた砂を払い、ゆっくり下を向いたまま立ち上がった。
「ひぇあーー!」
鳥のもののけが雄叫びをあげながらこちらへじりじり近づいてくる
「……!!」
霞は鋭い眼光で鳥のもののけを睨んだ。その眼差しのあまりの迫力に鳥は動きを止め、後退りを始める。霞はゆっくりと歩きながらナギの方へ近づいていった。
「私は、主人に仕えることは使命でしかないと思っていました」
霞はナギの横に辿り着くとしゃがみ、ナギの顔を見つめる。その顔にはいつもの優しくて暖かいナギの笑顔はなかった。霞は唇を震わせながらナギの腰にある予備の刀を抜いた。
「でも、ナギと出会って私は変わりました。……ナギは私と一緒にご飯を食べてくれて、私にプレゼントをくれました……」
霞はナギからもらった髪飾りを撫でるように触った。
♢♢♢
'「霞は友達だもん!」'
♢♢♢
「…….私のことを……友達だと言ってくれました」
霞の声がはっきりと響く。
ナギのその言葉で霞は初めて現世の世界で、認められた気がした。心から笑えた気がした。仲間のいない世界でも、戦える気がした。
「だから、私は守りたいんです。使命としてだけではなく。友達として!!!」
霞はこんな気持ちは初めてだった。全ての不安、迷いを断ち切るほどの大きな声で霞は叫んだ。しっかりと両手で刀を握り、もう一度鳥のもののけを睨む。その眼光の迫力はさらに増していた。ふうっと息を吐き、足を軽く開いて体勢を低くする。
「ナギは絶対に、私が守ります!」
言葉と共に霞は砂埃をあげながら鳥のもののけへと駆け出した。ナギを守るというその意志を胸に宿して。