29.友達として
「ふっ!ふっ!ふっ!」
道場に響く気合のこもった声。シロちゃんとベニちゃんに水をあげ終えた霞は午後も道場で鍛錬を続けていた。あれからもののけが数日現れていない。その空白期間を、霞は技の習得に費やしていた。
「……やはり、難しいですね」
つぶやいた言葉にはわずかな焦りと悔しさが滲む。
挑んでいるのは、自分の専門とは異なる技。だからこそ、体の動かし方や魔力の使い方、つかみどころがなくて、霞はまるで雲を掴むようだった。
「みんなの助言がほしいです……」
ぽつりと寂しげにつぶやく。会得しようとしている技は他の仲間の得意分野のため、何か助言をもらいたかった。いつも新しい技を会得する時はそうやってお互いの目線から助言し合い完成させていた。
だが、今はその仲間はいない。
「鍛錬、お疲れ様!」
振り返るとナギが笑顔で立っていた。
「ナギ、おかえりなさい。すみません、夢中で気づきませんでした」
「ううん、大丈夫。今来たところだよ」
ナギは軽くストレッチをしながら、準備運動を始める。その姿に、霞も自然と背筋を伸ばした。
「さっ、一緒に頑張ろう」
「……はい」
ナギはどこかぎこちない笑顔。霞にはここ最近気になることがあった。
「あ、あの……ナギ」
「ん?どうしたの?」
振り返るナギの笑顔はいつもと同じように明るいが、目が少し泳いでいる。
「えっと、その、最近なんだか帰りが…早くありませんか?」
「……」
その瞬間、ナギの表情がピクリと揺れた。目線が霞から逸れて、斜め下を向く。
「いえ、以前はその……もう少し帰りが遅かったというか……」
「あー……えっとね。私ももう2年で今から勉強とか始めとかないとついていけないかなって。うちの学校、成績とか厳しいから。それに、もっと強くならないともののけに勝てないからさ。私も頑張らないとと思って!」
ナギの目線は地面に落ちたまま、どこか苦しげなその早口な言い訳をする。
霞にはすぐにわかった。それは本音ではない。ナギは、何かを隠している。
「さ、鍛錬頑張ろう!霞」
「……はい。ナギ」
返事をしながら、霞は心の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
無理をしているのに、それでも明るく振る舞おうとするナギ。その姿が、痛かった。
だが霞は、それ以上は何も言わなかった。
主人の生活には、干渉してはいけない。
その戒めの鎖がナギの言葉を繋ぎ止めた。
ーーーーーーー
次の日。
霞は鍛錬を少し早めに切り上げ、夕方の水やりをしていた。
「シロちゃん、ベニちゃん、ご飯の時間です」
ジョウロの水を優しく注ぎ、芽吹き始めたベニちゃんに微笑みかける。
「早く綺麗な花を咲かせてくださいね」
ガチャッ
扉が開いてナギの声がする。霞が扉の方に走っていくと見慣れない二人が立っていた。一人は落ち着いた気品を纏い、もう一人は可愛い人形のように愛らしい雰囲気。
「ナギ……?」
「霞……ただいま」
ナギは視線を下げ、どこか元気のない声でつぶやいた。
「はじめまして、こんにちは。佐倉さんと同じ学校に通っています、雪村アリサと言います」
「あ、私は五十嵐マオです」
「え、えっとこちらこそ初めまして。霞といいます」
二人の丁寧な挨拶に霞は慌てて頭を下げる。驚きで少し挨拶が遅れてしまった。
「佐倉さんから話は聞いています。確かお仕事の都合で一緒に住んでいるとか」
「は、はい。そうですね」
居候の事情は、表向きには仕事の都合ということにしていた。
「ナギさん、体調が悪そうだったので一応お家まで心配なのでついてきました」
「えっ、そうなんですか。ナギ」
「……うん。で、でももう大丈夫だよ」
ナギはそう言いながらも、どこか無理をしているようだった。
「では、私たちはこれで帰りますね」
「はい。雪村さん、五十嵐さんどうもありがとう」
「うん、じゃあまた学校で」
「あの、私からもありがとうございました」
二人が去っていくのを見送りながら、霞は小さく頭を下げる。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻った。
「ナギ、何があったんですか?」
「大丈夫だよ、霞。気にしないで」
霞と目を合わせないまま、ナギは奥の部屋へと足を進める。
「ナギ、待ってください」
「私、勉強があるから……!」
その声は、涙をこらえるように震えている。霞はたまらずナギの手を掴んだ。
「ナギ!」
霞はナギの手を掴んで呼び止めた。ナギは目に涙を溜めていた。
「……」
ナギは堪えきれず目には雫が溜まっていた。
霞はまだ迷っていた。
ー主人の生活には干渉をしてはいけない
(でも、私は。)
霞は全ての迷いを振り払うために大きく息を吸う。目の前で泣いているナギを放っておく方が霞には耐え難いことだった。
「ナギ……何があったか私に話してください」
「心配しないで……霞」
ナギは振り返らずに着替えに向かう。霞は早く歩きナギの前に立ち塞がった。
「嫌です、ナギ。ナギの話を聞かせてください」
「私は大丈夫、霞。本当に大丈夫だから。しっかりもののけと……しっかり戦えるから」
ナギの肩はぶるぶると震えてる。明らかに無理をしているんだと霞はすぐにわかった。だからこそ、霞は放っておけなかった。
「違います。私はナギを主人としてではなく、今は一人の友達として助けたいんです」
その言葉に、ナギの動きが止まった。
力強く放たれた言葉に、霞自身も驚いていた。自分自身の戒めを捻じ曲げた。だが、それ以上に、目の前のナギを放っておけなかった。
「霞……ありがとう」
「い、いえ。すみません。出過ぎた真似を」
「ううん、ありがとう。むしろ嬉しいよ」
ナギは涙を流しながら微笑んだ。