101.できることを全力で
静かで不穏な常世の世界に風を切るような足音が響き渡っていた。
「まずは地面の泡を少しでも減らすよ」
「了解!"颯の術"」
小さな旋風が泡を巻き上げて吹き飛ばした。全てとはいかないが、ある程度動ける道を作り出した。
「これだけあれば十分」
サツキは素早く動き回り蟹のもののけを翻弄する。
「"月下幻影"!」
サツキの10体の分身が再び現れる。
「くらえー!」
全員が同時に手裏剣を投げる。簡単にハサミを盾のように構えて防がれてしまう。だが、その一瞬のうちにサツキは視界から消えていた。
「ここだよ!」
上空から10体がまとめて刃を振り下ろす。蟹はハサミでそれを薙ぎ払おうとしていた。
「ナギ!今だよ」
「うん!花衣"三分咲き"」
ナギは力を溜めた刀と共に駆け上がり、中段の構えのまま軽く飛び上がった。
「"花一文字"」
素早く真一文字に斬りつける。
「ぶぉごぉぉぉ」
右のハサミでナギの攻撃を、左のハサミでサツキの分身たちの攻撃を器用に防ぐ。
きりきりと火花をあげながらハサミとの鍔迫り合いを繰り広げている。
その時だった。
「うぅぅ……」
「……霞?」
霞の小さく苦しそうな呻き声にナギは少し動揺し、握る手が少し緩んでしまった。
「ぶぉぉおごぉぉお」
蟹のもののけはその隙に一気にナギを弾き飛ばした。
「きゃっっ」
「ナギ!!うわっっ」
サツキも薙ぎ払われて同じく飛ばされてしまう。
幸い二人とも空中で上手く受け流ししっかりと着地することができた。だが、二人の心には不安と焦りが渦巻いていた。
「霞、大丈夫?」
心配そうにナギが刀を見つめながら言った。心なしか刀の輝きが鈍く見えた。
「私は、大丈夫です……。余計な心配をかけてしまってすみません」
「ほんと……?どこか悪いんだったらすぐに……」
「私は大丈夫です、余計な心配は無用ですから気にせずに」
「わ、わかった」
霞の必死な物言いにナギは納得するしかなかった。
「ですが、殻が思った以上に硬いです」
「うん、花衣を使ってても弾かれちゃった」
花衣で強化された力でも殻をの防御を破ることができなかった。敵の想像以上の硬さにナギは自然と顔が曇る。
「ぶぉぉ」
蟹のもののけは再び自分の周りを泡で覆い始めた。
「あぁ、もうせっかく片づけたのに。もっと一気に片づけられないの、十六夜?」
「私が使えるか風じゃあれくらいが限界だ」
「うぅ、あれがなかったらもっと戦略も立てやすいのに」
「そんなことわかってるよ」
十六夜に悔しさと苛立ちが募る。
あんな泡なんてーーー
「サツキ」
ナギがサツキの元に駆け寄る。
「ナギ、どうしよう」
サツキは頼るような顔でナギを見る。
「今できる最善の方法で行くしかないよ」
ナギは真剣な顔で、だがその瞳にはまだ輝きがあった。
「……うん、それもそうだね。どうしようって考えるよりできることやるだけだよね!」
サツキはまた明るい表情で笑う。二人は決意をしてもう一度向き直した。
そんな二人を見て、十六夜はなんだか自分が情けなくなった。
「……私らがしょぼくれててもしょうがないね」
「はい!主人と共に戦うのが私たちの役目です」
二人も今一度気合を入れ直す。
「花衣の効果切れが来る前に決める、行くよ!」
「うん!」
ナギとサツキは二人で一気に駆け上がった。
「少しでも飛ばすよ!"颯の術"」
再び起こる旋風で泡が舞い上がる。
「一人で足りないなら……」
「何回でも叩き込むだけだよ!"月下幻影"」
サツキは再び10体の分身を呼び出した。
「ふぅ……」
サツキは小さくため息をついた。今日はすでに何度も分身を呼び出し、泡の影響で走りよりも術に頼っていたためいつもより魔力の消費が大きかった。
「大丈夫かい?」
「へへっ、まだまだ行けるよ」
「……私の魔力も上手く使いなよ。サツキと違ってまだまだ魔力は残ってる」
「了解!」
十六夜はわざと揶揄うように言ってサツキを励ました。
「もう小細工なしで行くよ!」
サツキは急ブレーキをかけ立ち止まった。左手の人差し指と中指を顔の前に立てて目を閉じて力を込める。
蟹のもののけは月の光に照らされて、サツキと分身は影へと隠れる。蟹のもののけはハサミを盾に防御の姿勢に入った。
「決めるよ、"月影疾風"!」
分身が次々とハサミに斬りかかる。その手数に押されて押されていく。
「ナギ、ハサミは抑えてるからお願い!」
「うん、行くよ霞!」
花衣によって強化された身体能力で素早く後ろに周りこんだ。
「"花一文字"」
今度は綺麗な桜の花びらが舞う、鮮やかな一文字の軌跡が宙に浮かび上がった
「ぶぉぉぉごぉぉ」
殻のせいで致命的とはいかないが、蟹のもののけにダメージを与えられたようで、ハサミを力任せにバタバタと地団駄を踏んでいる。
「ナギ、もう一撃加えられれば!」
「うん、でも威力がもう少しないと……」
ナギが会得している椿の舞と花一文字では花衣の補正があっても威力が届かない。
「こうなったら"五分咲き"まで……」
「ダメです、今のナギが使っては数秒しか……」
「でも、それ以外の方法は」
「ナギ!!」
二人が決断しかねていると、サツキが空中から声をかけた。
「二人で決めるよ!」
明るい笑顔の奥にしっかりとした決意が込められていた。
「……うん。わかった!」
意図を汲み取ったナギは刀を鞘に入れ、力を込めて椿の舞の準備に入る。
「十六夜、形態変化」
「まさか、本気かい?」
「やるったらやるよ!」
「……わかった、あんたたちの意外性にかけてやる」
十六夜は小刀に変化した。
「もう一回、"月下幻影"!」
10体の分身を生み出した。その時分身の一人が膝をついていた。
(もう、分身出すのは限界……ここで決めなきゃ)
サツキは分身と共に風を切るように走り、蟹のもののけを連続で斬りつける。
「たぁたぁたぁたぁ!!」
勢いそのままに蟹のもののけはなすすべがない。
「ナギ!」
「うん!」
ナギが椿の舞の準備を終えて目にも止まらぬ速さの居合い抜きを見せる。それに合わせるようにサツキは空中から最後の一太刀を振り下ろす。
練習では一度も成功していない、それでももののけの防御を破るためにはやる選択肢しかなかった。
「「"夜桜連斬"!!」」
二人の息のあった一撃。
月夜に夜桜が舞い、神秘的な二つの魔力の光が蟹のもののけの硬い殻をも破るほどの力を生み出した。
「ぶぉぉぉごぉぉ」
もののけの断末魔が月夜にこだまする。霧散した後に広がる静寂には月の光に祝福されるように桜の花びらが舞っていた。