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全て世は事もなし。

後日談、クラウス視点になります。

説明回なので、いろいろな背景が明らかになります。

あれから一年が過ぎた。

執務室に補佐官を迎え、先日完了した旧エルマーレ王国についてのその後の顛末について報告を受けている。

国家間の諸々の動向については逐一報告を受けてはいたが、今回はそこにかかわった人々についての内情調査の結果についてだ。

その後、クラウスとフリージアは半年の婚約期間を経て、無事に結婚式を挙げた。

今は分捕った(ぶんどった)離宮で、新婚生活を満喫しているところである。


クラウスの武骨で長い指が、報告書をぺらりとめくった。

『生誕祭後の周辺国との条約履行についての話し合いは、エルマーレ王国が厳しい追及を受ける形で始まった。例により国王がその場を逃れるために詭弁を弄し、煙に巻こうとしたものの、間もなくエルマーレ王国の国庫は浪費や横領などですでに破綻寸前になっており、賠償金を接収できる状況ではないことが判明。各国はそれぞれ旧エルマーレ王国の土地を分割して取得することで、賠償金代わりとすることにその場で同意し、エルマーレ王国に対し宣戦布告を行った。


○月×日、同盟軍の侵攻開始。

国内の各領地を平定しながら、3か月をかけて王都へ侵攻し、籠城戦に入った王都を完全に包囲する。

同盟軍は王都の明け渡しと国王の身柄引き渡しを求めて2か月にわたり交渉したが、エルマーレ王国側が強硬姿勢を崩さなかったため、皇国軍の作戦部隊が王都に潜入し、王城を強襲。なお、作戦部隊の指揮と実行については、王命によりクラウス・ソル・フォンテーヌ外交官が担当。作戦開始から2時間で城門の開放に成功。

その後、王宮は同盟軍により、2日かけて制圧された。ただし、元国王の姿はなく、幽閉されていた元王子の身柄を保護した。

○月×日、国王以下首脳陣の身柄をすべて確保。その際、フォンテーヌ外交官が、王宮の隠し部屋に隠れていた元国王の身柄確保に貢献。

○月×日、事前に各国と交渉していた通りに国境線を定めることに合意し、旧エルマーレ王宮にて調印。エルマーレ王国消滅。


その後の関係者の動向について。

旧エルマーレ王国については、今回の国家ぐるみの詐欺行為、侵略行為、大陸条約違反、不正な輸出入、出入国、禁制品の闇取引や人身売買など、20項目以上の不正行為が認められた。

その中でも、直接かかわったとされる王とその係累、亡き王妃の実家、宰相家、南国境の辺境伯家が特に悪質だとして処刑対象となる。

ただしアレクサンドル王子は、夜会の後の和平交渉が頓挫した時点で、国王に廃嫡と王籍抹消の手続きを取られ、平民落ちとなっていたため、処罰は免れた。

また、元王子に関しては今回のことは伝聞で聞いただけで、関わっていないことが判明しており、これ以上の罪には問えないと判断した』


ふむ、とクラウスはあごの下に指を当てる。

「まあ確かに、あの王子はこういう腹芸はできないタイプだからな。国王も関わらせたくなかったんだろう」

「良くも悪くも王子気質で、素直なのはいいとはいえ、冷静さや判断力がなく、第三者目線で物事を俯瞰するという能力に欠けておりますからな。大勢を見極める目に恵まれていないということは、王の器ではなかったんでしょう」

壮年の補佐官の言葉を聞きながら、クラウスは次の文章に目を走らせ、小さく息をつく。

「しかも最終的に、アレクサンドル王子からすべてを奪ったのは父親である国王だ。地位も権力も愛した女もすべて。我々ではなく、ほかでもない敬愛する父親に、な。そのおかげで元王子は命拾いしたわけだが、結果的に、あの愚王は息子に死ぬまで終わらない苦しみを与えたことになる。果たしてそれがよかったのか悪かったのか。死んでいたほうが楽だったかもしれないな。何とも皮肉な話だよ」


『アレクサンドル王子は、王都陥落時にはエルマーレ王宮の幽閉塔に監禁されていた。手続き上はすでに王籍を剥奪されており、王族の連座制が適用できなかった。また、王子は一連の事案への関りがなく、自ら行ったのはフリージア・ソル・ミルナディア皇女への婚約破棄と誹謗中傷・事実無根の糾弾で、平民落ちは妥当な処分であり、処刑については断念。

ただし、旧王家の血筋を市井においておけば、必ずそれを担ぎ出すものが現れると懸念する。

また、王子本人の性質も鑑みて、野放しにしておけば甘い言葉に簡単に乗るであろうことが容易に予想できるため、『国が倒れたことで、元王子を恨み狙うものがいる可能性があり、元王子の身柄を保護するため』との名目で、監獄島への生涯幽閉を周辺国の満場一致で決定。去る○月×日に収監済み。

通常の囚人と扱いは基本的に変わらないため、夏は暑熱、冬は厳寒に苦しんでいる。日がな一日自分の境遇について嘆くばかりの日々を送っており、いまだに前向きな姿勢は見られない。

ただ、自分がすでに王族ではないということの理解はしているようであり、元王子だからと何かを要求する様子はない。

この状況が、父親自らの手で行われたということに心が折れたようだとの報告である』


「クズな父親の悪事に巻き込まれた、哀れな王子様だ。もし別の国に生まれていれば、凡庸な王族としての生は全うできたかもしれないな」

「それを考えると、気の毒な気もしますなあ」

世間知らずで視野が狭く空気も読めない王子だが、そう育てたのは亡き王妃とあの父親だ。

フリージアにやったことは、クラウスにしてみれば腹立たしいことこの上ないが、ありふれたことだと言えないこともない。

浮気からの婚約破棄など、それこそ貴族・平民にかかわらず、掃いて捨てるほど起こっている。

普通なら、フリージアが指摘したように、王位継承権放棄と臣籍降下で済んだだろう。

……愚王のおかげで、国家間の火種がすでに炎上寸前の状態になっていなければ。

王子の軽率な行為は、国家消滅のトリガーとなってしまった。自分たちにとってみれば、よくやったと喝采を送ってやるところだが、王国側にしてみれば、ただひたすら、これ以上なく、取り返しがつかないほど間が悪かった。

これも、あの愚王が招いたことだと言えなくもない。むしろ、元王子は愚王の最大の被害者と言えるかもしれない。

何とも言えないため息をついて、クラウスは、次のページをめくった。


『リシルス子爵家の動向について。

夜会の際身柄を拘束されたアメリア・リシルス子爵令嬢は、3日間の収監ののち、自邸に返された。

これ以上の騒ぎを嫌った王の命により、屋敷は王国軍の騎士が封鎖し、実質の軟禁状態に置かれる。

また、アメリアの父であるショーン・リシルス子爵は、その件を受け、登城を禁止された。無期限の謹慎という扱いではあるが、実質の解雇状態に入る。


家族の状況

アメリア・リシルスは軟禁前より自らを王子妃と語っており、現状の不満を訴えている。

国立学院では、元王子と付き合うようになってから、友人関係にあった令嬢たちとの交流がなくなったようである。

おとなしく屋敷にとどまっているが、時折騎士に元王子の動向を聞いては、拒否されて家に戻されるということを繰り返していた。

元王子の状況について、リシルス家には一切知らせないように箝口令が敷かれていたと予想される。

オルランド伯爵領に移って以降は、状況が落ち着くまでは家にいたようだが、新領主に代わってしばらくしてから、その領主についてやってきた商人の家に働きに出ている。

今回の発端となった件の直接の関係者のため、監視を兼ねて雇い入れたようだが、実質下働きの扱いであり、今も積極的に周りと交流を持とうとする様子はなく、無気力に過ごしているようである。

アメリアの母・ライラは男爵家出身ではあるが、実家は小さな商会を営んでおり、数代前に襲爵したばかりで歴史が浅い。

そのせいか、貴族のマナーや作法に疎いところがあり、高位貴族との付き合いはほぼないに等しい。

あまり現実を見ない質なのか、今回のアメリアの恋を積極的に応援し、夫である子爵にも隠していたようだ。現在は気鬱を患い、家から一歩も出ない生活を送っている』


「なるほど、あれは母親の気質を受け継いだわけだな。だから、この事がなぜ悪いのか、行く先がどうなるのかの想像だにせず、ただ降って湧いた身分違いの恋に親子で舞い上がっていたわけだ」

あの時会場にいた子爵令嬢のことを思い出す。王子からは天真爛漫と評されていたようだが、こちらからしたら無礼で図々しいだけで、皇国では決して許されない態度に内心あっけにとられたものだ。

親から何も学んでいないままあの年になればこうなるのだ、と改めて納得する。

「ごっこ遊びのうちならまだしも、相当のめりこんでいたようですからねえ。普通に考えれば、そう簡単にいかないことなどわかりそうなものですけどね」

「それが理解できるならこんなことにはなっていないだろう」

「それはそうですな」


『対して父であるショーンの方は、下級官吏だがなかなか優秀との評価を受けている。王都の土木関係の部署で働いており、区画整理や地代の算出、建築関係の申請受付などを業務として行っていた。

まじめで実直な人物で、上司からの信頼も厚く、仕事を通じて知り合った高位貴族ともいい関係を築いている。仕事柄王都の平民にも知り合いが多く、今回の件で子爵家が苦境に立たされた際、秘密裏に少なからず援助の手があったようである。

ただ、仕事人間であり、家庭を顧みないというほどではないものの、今回のことに気づかなかった程度には目を配っていなかった模様。

某月某日、リシルス子爵邸への最初の投石が確認されて間もなく、王宮の職を正式に辞し、子爵位を返上。

その後、王都は危険だと判断し、転居のため資産整理を進めていたさなかに、邸への放火未遂が起こり、予定を早めて伯爵領へと移動。

王都にいる間に国政の状況について独自に情報収集を行っていたようであり、伯爵領に移ってからは甥である伯爵に情報共有したうえで、2人で対応策を決定し、同盟軍の侵攻時には速やかな統治移譲が行われ、結果、市民の混乱もなく収めている。

その手腕に目をつけたのか、新領主から領主館での事務仕事を任されることになった。

ただし雑務や書類整理、過去資料を新領主向けに再編する仕事など、あまり表に出ず、重要な案件は任されていないようである』


「なるほど、目端も利くし状況判断も早い。有能なのは間違いないか。おそらく数年後ほとぼりが冷めるあたりには、今より重用されているかもしれないな。何しろ民の生活はこれ以上悪くなりようがない。正しい統治が行われれば、暮らしやすくなっているはずだし、そうなれば子爵家への視線も徐々に離れるようになるだろう」

「そうですね。リシルス子爵自身はいい方のようですし、状況が変わればいい方向に向かうのではないでしょうか」

「妻と娘が足を引っ張らなければいいんだがな」

「それは……。何事もないことを祈るのみ、ですな」

やれやれと言いたげな様子で、補佐官は肩をすくめた。


『なお、子爵位を返上し、王都脱出時はすでに平民になっていることは、家族はあずかり知らぬようである。親交のあった官吏仲間に、『どうせうちの女たちはなぜそうなったのかも理解せず、なんでどうしてと騒ぎ立てるだけだから、言っても無駄なんだ。奥さんには口止めしといてくれ。頼むよ』との会話がなされたとの報告が上がっている。

娘の方は、まだ現実を受け入れられていない様子が見られる。赤ちゃんができていたら、元王子とお城にいられたかもしれない、という趣旨の発言を、商家の使用人が聞いている』


「あの二人がすでに男女の仲だというのは知っていたが、今頃もしエルマーレ王家の血を引く子供がいたらと思うと、ぞっとするな」

「全くです。新たな火種になりかねないですし、さすがに赤子の処刑は見たくありませんからねえ」

げんなりとしながら補佐が言う。

「というか、あの娘は、いまだに悪夢を見ているような心境のようですよ。すでに国はなく、王子妃の夢も絶たれ、真実の愛で結ばれた王子の消息は知れず、生死も不明。母は慣れない平民生活で心を病んで部屋から出られない。自分はかつて下に見ていた平民の商家で、人前に出ないことを条件に下働き。それなのに、いまだにこんなはずじゃなかったと思いながら生活を続けていれば、いつかは心が破綻するものでしょう。早く目を覚ませばいいと思いますがね」

「まあ、さっきも言ったがそれができれば今頃こんな風になっていない、ということだ。王子は自分の立場を理解しているようだが、この娘はそうではない。数年後もそのままならば、もはやお花畑の住人になるしかないだろうし、そうでなければ過去の恥ずかしい記憶として悶絶しながらも生きていけるのではないか」

「リシルス元子爵と助け合って、しっかりと現実に目を向けていって欲しいものですな」

母親のほうはもう手遅れかもしれないが、あの親子が生きていくためにはそれしか道はない。

とはいえ、これですべての決着はついた。

元王子の生死だけは定期的な確認が必要であろうが、元子爵親子については放っておいても害はないだろう。

クラウスは報告書を閉じて、ソファの背もたれに体を預けた。


「しかし本当にあの国は頭のおかしいのばかりでしたな。意気揚々と2億ディナールっぽっちで皇女殿下を王太子の婚約者としてお迎えしたい、などと当然のような顔で言ってきたばかりか、皇妃陛下に王国への訪問を要求し、あろうことか謁見の場で『我が国の国王陛下は王妃陛下を亡くされて長いので、皇妃陛下にはぜひ我が国に訪問され、その美しさで国王陛下の無聊(ぶりょう)を慰めていただきたい』などと言い出すとは、いやはや予想もつきませんでしたな」

「閨に来いと誤解される言い回しだったからな。その場で使者を切り捨ててもおかしくなかったが、瞬時に飲み込んで『国を消せ』にシフトするあたり、陛下の激怒っぷりがわかるというものだ。皇妃陛下のことになると、陛下は無理も無茶も押し通すからな。まったくとんだとばっちりだ」

おかげで結婚が半年も遅らされたのだ。自分はともかく、フリージアの嘆きようは見ていられなかった。

とはいえ、エルマーレの状況は無視できないほど悪化しており、早急なてこ入れが必要だったのは間違いない。

フリージアを送り込まずとも、2~3年あればエルマーレは消滅させられていただろうが、彼女をおとりにしてことを進めるのが最善で最速の解決策であったことは、外交官としてクラウスも理解はしているのだ。

だから、皇王陛下の希望を呑んだ。

『一緒に逃げて』というフリージアの涙にうなずくことはできなかった。

クラウスにしても、打算が勝ってしまった。だから、未だにフリージアへの後ろめたさは消えない。

「なにせ、イリス陛下はいまだに語り継がれる『ラグランディアの宝石姫』ですからねえ。あの国の愚王、すでに王妃がいながら、夜会で顔を合わせるたびに口説きに来てましたからね。まあ皇妃陛下があの調子ですから……」

「ああ。まあな……」

フリージアの母であるイリス皇妃陛下は、諸国に広く噂されるほどのたぐいまれな美貌を持つうえに、巫女姫として知られたお方だ。

目にも鮮やかな巫女装束をまとい、両手に鉄扇を持って、しかも重さを感じさせないほど優雅に軽々と舞ってみせるのだという。

クラウスも子供のころ、普通の扇で一度片手の動きだけを見せてもらったことがあるが、『関節の柔らかさが素晴らしく、どのような鍛え方をしたらあのように可動域が広がるのか、ぜひとも教えを請いたく思う』、と感想を述べたところ、鼻で笑われたうえ、

「無粋ね」

の一言で切って捨てられたことがある。

そのはかなげな容姿に反し、非常に豪胆な性格のお方だ。

あの愚王に対しても、夜会で対面したときに無遠慮に伸ばされた手を扇ではたき落とし、

「鏡を見たらいかが? 不快ですわ」

の一言でぶった切り、以降は陛下を盾に一切の接触を持っていないらしいが、それでも懲りずに声をかけに行くのだと聞いた。

「普段から無視されて声すらもかけてもらえないくらい徹底的に避けられてるのに、毎回絡みに行く執念がもはや気持ち悪い以外の感想がないですな」

「あの愚王の執着は、なかなか根深いものであったらしいな。まさかそれが原因で国を滅ぼされるとは思ってもいなかったのだろうが」

「公になっていないとはいえ、国内外の貴族令嬢が愚王の毒牙にかかったという話もありますからな。それを考えれば、陛下が激怒なさるのも当然かと。陛下はイリス陛下を大事にしておられますからな」

「頭が上がらないの間違いじゃないのか?」

俺の一言に、当時を知る補佐官は抜けた声で笑った。


皇王陛下が皇妃陛下の尻に敷かれる原因になった浮気騒動は、結婚して数年たったころの話だったらしい。皇妃陛下に似た女が仕掛けた、魅了の魔道具を使ったハニトラに陛下が引っ掛かりかけたのだ。

とある帝国で開かれた夜会で、誰もいないバルコニーで、ある女性と二人きりになった。誘導されたと分かったが、若いころの皇妃に似た女性に、懐かしさからフラッと手を握って口説こうとしたところ、皇妃陛下が気づいて乗り込み、扇でシバキ倒されて正気に戻ったそうだ。

鉄扇をも扱う皇妃陛下の一撃は、普通の扇であったとはいえ、たいそう効いたことだろう。

それ以来、皇王陛下は皇妃陛下に全面服従の構えなのだそうだ。

仕掛けたのは、皇妃陛下に横恋慕した帝国の皇族だったそうで、皇妃陛下に似ていたために召し抱えていた愛妾を使ったと報告が上がっている。

……陛下と方向性は違えど、自分もフリージアにはもう全面服従だ。

ソルの名を冠する皇家の男は、妻に弱い。そんな伝統を、2代続けて作り出してしまった。

今後これが皇家の標準にならなければいいが、フリージアの兄である王太子も、妻を溺愛している。

手遅れ、かな。と、クラウスは苦笑した。


「しかし、その謁見の使者のアレ、他の国でも普通にやらかしてるらしいからな。アレがあの国のスタンダードらしいぞ。中でもアレが外交交渉のエースだったとか」

「……それ本気で言ってます? あれで?」

「あれで」

「……他国が荒れるわけですな……」

「強気と無礼をはき違えている典型だな。こちらが手を下さずとも、遅かれ早かれ国が消えていただろう」

報告書を引き出しにしまい込んだところで、ノックの音が響いた。侍従にうなずき、扉を開けると、入ってきたのはフリージアだった。

「クラウス、ガデル補佐官も、お疲れさま。お茶をお持ちしたわ。少し休憩なさったらいかが?」

自らティーワゴンを押して入ってきた元皇女の姿に、補佐官は目を丸くする。二人が婚姻して半年ほどが経っていた。

婚姻前からすでに離宮に居を移していた皇女は、自ら身をわきまえてあまり王宮に姿を見せることはないが、今日は思い立ってかクラウスの執務室に差し入れをしに来たらしい。

「リア、わざわざありがとう。体の調子はどうだ?」

クラウスは立ち上がり、軽いハグで妻を迎えると、彼女は頬を染めてはにかんだ。

ティーワゴンを侍従に引き継ぎ、クラウスはフリージアの手を引いて、補佐官の向かいに二人で座る。

すかさず彼女の体をぴったりと引き寄せて、その顔を覗き込んだ。

「こんなところまで出てきて大丈夫なのか? 歩き回って何かあったら大変だろう」

「何を言っているのかしら。お医者様も、調子がいい時はできるだけ歩いたほうがいいとおっしゃったわ。お母様も、体を動かしたほうがいいと言っていたもの。お父様がお母様を心配するあまり、部屋に閉じ込めようとしてすごく怒ったのよって言っていらしたわ」

そう言ってころころと鈴を転がすように笑うフリージアの下腹に、クラウスは慈しむようにそっと手を当てた。

フリージアの妊娠が判明したのは先月のことだ。幸いつわりはそれほど重くないらしく、調子が良い時にはこうしてクラウスのもとに顔を見せに来てくれる。

全てが終わり、ようやく落ち着いたところに重なった慶事に、国中が湧いた。

今度こそ、手放さない。自分の持てる力全てを使ってでも、この幸せを、フリージアの笑顔を守ってみせる。

愛しい妻の頬にキスを落として、クラウスは体中を満たす幸福感を噛みしめた。


花のように美しく、誰にでも分け隔てなく優しいフリージア皇女が、悲しみをこらえて王国に向かったあと。

皇宮はまるで、灯が消えたようだった。

皇王陛下は不機嫌のままで、しばらくすると今度はひどく落ち込んで、一時は政務も手につかないほど。

イリス陛下は皇王への抗議か、これまた後宮に引きこもってしまうし。

今は、すでに嫁いでしまってはいるが、フリージア皇女が近くにいるというだけで、皇宮は元の華やかさを取り戻している。フリージア皇女にはそれだけの存在感があり、だから皇国ではこれほどに尊ばれているのだ。

(いろいろあったが、収まるところに収まったということで)

全て世は事もなし、と、補佐官は寄り添う二人をほほえましく見守ったのだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

これで完結です。

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