どうしてこんなことに(sideアメリア)
ヒロイン回です。
舞台が乙女ゲーっぽくなってますが、前世持ちはいません。記憶が戻ったりもしません。転生者もいません。
どうしてこんなことになったんだろう……。
私は、機械的に花瓶を拭く手を止めないまま、ぼんやりと思った。
私の想い人であるアレクサンドル王子と出会ったのは、王立学院に入学してからだった。
同じ学年に王子様がいるなんて、王族を間近で見ることのない私たち下級貴族は色めき立ち、彼の姿を遠目で見かけてはきゃあきゃあ言っていたわ。
そんなある日、苦手な科目の課題が終わらなくて、提出するまで帰ってはいけないと言われて、涙目になりながら居残りをしていたら、忘れ物を取りに来たらしいアレク様が護衛とともにやってきて、声をかけてくださったの。
わからないところを教えてくれて、なんとか課題が仕上がってうれしくて、私はすごいすごいとアレク様を褒めちぎったのよ。
そうしたら照れた顔で、
「こんなに褒められたのは初めてだ」
って言ったの。
それから、少しずつアレク様とお話しすることが増えて、彼は今まで『王族は強くあれ』と教育させられてきて、なかなか弱みを見せられない。やって当たり前っていう顔をしなければいけないし、周りがほめてくれるのは自分が王子だからだって寂しそうに言っていたわ。
そんなのひどい、アレク様はいつも頑張っているのに。
「王太子殿下はすごいと思います! 私なんかに優しくしてくれて、なんでもできてなんでも知ってるもの。王子様だからじゃない、王太子殿下が努力したからよ! それなら私、いつでも褒めてあげますから! ね!」
って言ったら、
「そう言ってくれるのは君だけだ」
って微笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれたの!
それから私は、アレク様と呼ぶ許可をいただいて、手をつないで、キスするようになって、どんどん彼と仲良くなっていったわ。
それを不敬だとか、身の程を知れと言ってくる人もいたけれど、でも、ねえ。
「アレク様がそばにいて欲しいって言うんだもの。アレク様に言ってください」
と言えば、みんな引き下がっていったわ。
アレク様とお付き合いをする私が妬ましいのか、教科書やノートを隠されたり破られたり汚されたりしたけれど、アレク様が全部替わりのものを準備してくれた。
教室の中で無視されていたけど、アレク様と護衛の人たちといるようにしてから気にならなくなった。
制服を汚されたり、文句を言って突き飛ばされたり、お茶会に私だけ呼ばれなかったりしたけれど、学園の卒業式で、アレク様が嫌がらせをした人たちに名指しで注意してくれて、その人たちはその後夜会で見なくなったから、いい気味って思ったわ。
でも、突然アレク様とミルナディア皇国のフリージア様との縁談が結ばれて、私は泣いた。
アレク様もずいぶん抵抗してくれたけれど、王様同士が決めたことだからどうにもならないんだって。
「私にはアメリア、君しかいない。私が愛しているのは君だけだ。君を必ず私の妃にしてみせる。父上もなんとかすると言ってくださった。私は君に真の愛を捧げるよ」
「アレク様、嬉しい! アレク様を支えられるのは私だけ。私もあなたを愛しています!」
そうしてその日、私はアレク様と一つになった。
フリージア皇女との婚約破棄を宣言した夜会。
アレク様は、これで私を王子妃にできると言ってくださった。夢みたいだと思った。
国に捨てられた皇女様のくせに、いつも偉そうで人を見下した態度で、わざと私を無視する嫌な人。きっと、ミルナディア皇国の人たちからも嫌われていたんだわ。
皇国を追い出されて、ここで威張り散らすしかない、哀れな人なのよ。そのくせして、アレク様に自分の婚約者であるという立場をしつこくアピールするから、余計に嫌われるのに、わかってないわよね。
フリージア様の私への態度を見かねて、仲良くするようにと助言してくれた彼に、
「下賤の者と話す口はございませんわ」
とひどい言葉を投げ返すんだもの、心優しいアレク様が怒るのも当たり前よ。
「あんな傲慢な女との婚約など、まっぴらごめんだ! 私が愛しているのはアメリアだけだ。必ず君を、私の妃に迎えてみせる」
フリージア様が私を貶めるたびに、アレク様はそう言って私を慰めてくださった。
やはり私でないと、彼を支えることはできないのよ。
アレク様が愛するのは私だけ。だから、私が王子妃になるのは当然だと思っていたのに。
貴賤結婚は禁止されてるって何!? 子爵位じゃ王子様と結婚できないの!? 法律で決まっているなんて、私知らないわ!
アレク様も私を王子妃にすると認めてくださったし、王様もフリージア様じゃなく、正当な王国貴族である私との結婚が一番いいって言ってくださったもの。
王様が言うなら、法律なんか関係ないわよね!
でも、あの場での婚約破棄を、皇国のとんでもない美形の外交官に追及された結果、私とアレク様の婚約を認めてくれていた王様が手のひらを返し、さらにその場にいた各国の賓客からも皇国を支持する態度をとられて、私とアレク様はその場で拘束された。
そのまま私とアレク様は引き離され、私は城の牢に入れられて、それから彼には一目も会えていない……。
数日してから、私はアレク様に会えないまま家に戻されたけれど、家から外に出ることを禁止された。
家の前には兵士が立って、出ようとしても門をくぐることも許されない。
私は王子妃だと言ったら、『不敬だ』と言われて突き飛ばされ、乱暴に家に戻された。
それから、宮廷官吏だったお父様の登城が禁止された。私が起こした騒ぎの責任を取らされたと、憔悴した顔で言われたけれど、意味が分からない!
だって、私はアレク様に愛されて、認められた王子妃なのに!
アレク様がどうしているのかも、誰も教えてくれない。門の前の騎士に聞いても、
「そんなものはお前が知る必要はない」
と突き放されて、話にならない。
邸に来てくれる人もいない。
お父様は色々なところとお手紙のやり取りをしているようだけれど、日に日に表情が暗くなっていくし、
「なにも教えられない。私達には殿下がどうなったかを知ることを禁じられている」
としか言ってくれない。
悶々と日々を過ごしてきたある日、屋敷の窓が、投石で割られるという事件が起こった。
お父様が言うには、今この国は、婚約破棄を契機に各国から次々に宣戦布告を受けて、混乱しているらしい。
それが、リシルス子爵家、もっと言うと、私のせいだと言われているのだって。私がアレク様をたぶらかしたせいで、国が危機に陥ったって。だから、国民の中には、私やリシルス子爵家に反感を持つものが多いのだって。
なぜなの、私はアレク様に望まれただけ! 私はアレク様と愛し合っただけ! だって、この国の王太子様が言うことですもの、反対なんて誰もするはずがないわ!
真実の愛によって、王子妃になるべきは私のはずなのに、なぜこんないわれのない誹謗中傷を受けなければいけないの!?
こんなのおかしいとわめきたてる私とお母さまに、お父様は疲れ切ったようにこう言った。
「私が仕事ばかりで、お前が殿下とそんな関係になっていると気づけなかったのが悪かった。こんなこと、許されるべきではないのに、殿下をお止めできず、おまえの勘違いを正せなかったのは私の責任だ」
そんなお父様に、子爵家が悪いなんて何かの間違いだと食い下がったけれど、お父様は最後まで、私は悪くないとは一言も言ってくださらなかった。
屋敷への投石は日々苛烈さを増していき、使用人は逃げるようにやめていった。
私の服や髪を整えてくれる人もいなくなり、食事はどんどん粗末になっていく。お茶を入れてくれる人もいなくなって、仕方なく厨房に水を取りに行ったら、料理人とメイドの話し声が聞こえて、とっさに耳をすませた。
「今日もこれだけ?」
「仕方ねえだろう、市場に行っても、この家には食料を売れねえってんだからよ」
「私も、このお屋敷で働いてるってだけで、普段の買い物でもどこも店先から人が引っ込んでしまって、肩身が狭いったらないわ。私ももうやめるしかないわね」
「奥様やお嬢様はともかく、旦那様はいい方だったんだがなあ。この食糧だって、旦那様が助けたっていう粉屋が、ひそかに食料を手に入れてうちに流してくれてるんだ。だけどそれもきつくなってきてるらしいな」
「そうだったの。本当に、旦那様がお気の毒よねえ」
まさか、食料を売ってもらえていないなんて……。あまりのショックに、私は水をもらうのも忘れて、フラフラと自室に戻るしかなかった。
どうして? どうして? やっぱりこれも、フリージア様の意地悪なの?
それをお父様に訴えたら、生まれて初めて殴られた。
「きゃあっ! お、お父様!? なんで!?」
「お前はどこまでバカなんだ! 私たちなどあの方にとっては、その辺に落ちている埃と一緒だ。そんなこともわからないのか!? あの方はお前の顔も名前も覚えておられないだろうよ。私たち下級貴族は、ミルナディア皇国の皇女殿下の御前に出られる身分ではないのだ。本来なら近くに寄ることも、お顔を見るのも、口を利くことすらもかなわない、雲の上のお方なのだよ。お前のせいで一家全員処刑もありうる状況だったというのに、お前の頭の中は花でも咲いているのか、愚か者!!」
言われた意味が分からなかった。私は、王様が一番偉いと思っていた。ミルナディア皇国の皇女様がそんなに偉いなんて、知らなかった。近くに寄ることもいけないし、口を利くのもダメなんて知らなかったのよ!
アレク様だって、私に何も言わなかったもの! それどころか、私と仲良くしてやれって言ってたぐらいなのに! だって私は王子妃だから対等なんだって言われたし、フリージア様にも負けないって思ってたもの!
「お前は婚約すらしていないのに、なぜ王子妃だなどととんでもない思い上がりをしていたのだ! お前はただ、殿下の隣に侍っていただけで、何の権利も持ちえないのだ。ミルナディア皇国の皇女殿下とただの子爵家の娘、そこには天と地ほどに身分の差があるのだと、それぐらいはさすがに理解しろ!」
こんなに怒ったお父様は初めてだった。お父様が言ったことは、フリージア様が言っていたことと同じだった。
私、アレク様に嘘をつかれていたの?
私は、アレク様の隣にいてはいけなかったの?
私が王子妃だと言っていたのは、なんだったの?
……フリージア様が、正しいの?
痛む頬を押さえて、私は泣きながら部屋に戻った。
部屋のガラスが割られているので、カーテンを閉め切って薄暗い部屋で、毎日寝台の上でふとんをかぶって震えていた。
時折聞こえる打撃音は、投石を受けた音だろう。それが聞こえるたびに、びくっと体がすくむ。投石が収まる様子はなかったし、門前の兵も止めてくれる様子がないようだった。
そんなある日、ついに庭先に火がついた松明を投げ込まれるに至って、お父様は王都の屋敷を放棄した。
宮廷官吏であるお父様は、もとは伯爵家の三男で、爵位だけもらって領地をもっていない。それでも、お父様の実家であるオルランド伯爵家を頼って、私たちは王都から逃げ出した。
けれど、伯爵家でも私たちは歓迎されなかった。
かの領地は、現在はお父様の兄の息子が当主になっており、私たちを受け入れてくれた。でも、受け入れただけでも領民の不安をあおっているので、家だけは用意するがそれ以上の援助はしないときっぱり言い切られてしまった。
私たちに与えられたのは、平民が住むような町はずれの一軒家だった。
私とお母さまが憤慨して、こんな待遇はありえないと騒ぎ立てたが、普段温厚なお父様が、王家の屋敷のようになりたくなければ黙っていろと一喝し、黙らざるを得なかった。
それから間もなくして、皇国を先頭とした同盟軍が王都に侵攻し、国がなくなったと聞いた。
田舎であるここにも同盟軍がやってきたが、新しい領主様が就任したぐらいで、争いがないのが幸いだったとお父様が言っていた。
オルランド伯爵が、国がなくなることを予想してすべて準備し、同盟軍がやってくると速やかにすべてを明け渡したからですって。
国がなくなったことで、当然、この国の貴族位はすべてなくなった。私たちも子爵家ではなくなり、私はただの平民になった。
ただ、当主様は領地経営をしていたので、代官に指名されたらしい。お屋敷は没収されて領主館となり、当主一家は町にある屋敷に引っ越したそう。
そうして、いよいよ私たちは自分たちで生きなければならなくなった。
もうずっと、ドレスも宝石も買っていない。買えるお金がない。買える店もない。
私は平民と同じワンピースを着るしかなくなり、それも何枚も買えるほどの余裕はない。
王都にいたときに、アレク様から贈られたドレスや宝石は、国庫から出たものだからとすべて没収されて、手元にはほとんど残っていない。
持ち出せたのはデイドレスや上等なワンピース、数点のネックレスと髪飾りくらいで、それもこちらで生活するために、お父様に売られてしまったわ。殿下との思い出も、すべてが消えてなくなった。
私とお母さまは慣れない家事に悪戦苦闘していたけど、お母様はこれまでの心労がたたって気鬱になり、ついに臥せってしまった。
お父様はお城の官吏だったから、領主館で事務方の仕事にありついたと話していた。
私も働きに出された。外国の商家の使用人として雇われて、今は掃除や洗濯などの下働きをさせられている。
それも、この国を傾けた原因の女だとみられているせいで、職業紹介所から、むやみに屋敷を歩き回って目につくようなことをしてはいけないと言われたし、雇用主からも一家の前に姿を見せることは許されていないし、当然お客様の前に出るような仕事を任されることもない。
お屋敷の中を歩けないから、使用人棟の掃除を担当させられ、リネンや下着の洗濯と繕い物、毎日生けられる何百本もの花の葉を落とし、水切りをして、重たい花瓶をいくつも洗って拭き上げる。
寒い季節の水仕事は本当につらくて。でも泣いていても怒られるだけで、誰も助けてくれない。
私が、『王子をたぶらかした悪女』だから。
陰でみんなが、私のことをそう言ってる。
指をさして蔑んでいる。
にらみつけて憎悪をぶつけてくる。
いい気味だと嘲笑ってる。
食事は庶民が口にするのと同じ、黒い硬いパンと、豆やイモのスープと、チーズだけ。
一緒に働いている女たちは、このお屋敷は待遇がいいというけれど、元の生活を思うとみじめでみじめで仕方がない。
髪は毎日洗えないし、香油も買えないので艶もなくぼさぼさ。爪は黒ずみ、手は荒れてガサガサ。
お化粧もできないから、日焼けしてそばかすが目立ってきて、鏡を見るのも嫌。
まるで、罪人。
私はアレクに望まれただけ。
だから、愛し合っただけ。
真実の愛を見つけただけ。
それだけなのに、あれから誰も私の話を聞いてくれない。
国を滅ぼしたと言われ、すべてをなくし、悪口ばかり耳に入り、後ろ指をさされる日々。
アレク様がどうしているか知ることもできず、平民になり下がり、商家の使用人として、隠れ潜むように家事と仕事をする毎日。
何度考えても、答えは出ない。
……私の何が悪かったの?