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反撃しました。

私と同じソルの名を冠していることからもわかるとおり、クラウス・ソル・フォンテーヌは皇家の血を引く筆頭貴族、フォンテーヌ大公家の嫡子である。

彼のおじいさまが先代の王弟殿下で、臣籍降下して大公の称号を賜った方であり、私の大叔父様に当たる。

黒髪に金の瞳、精悍な美貌と、均整の取れた長身の貴公子。

鍛えられた体を、黒を基調とした礼服に包み、私の前に要塞のように立つその背中に一歩寄り添って、私は知らず安堵のため息をついた。

15歳から騎士団で鍛錬を積んでおり、剣も魔法も、精強を誇る皇国騎士の中でも五指に入るのではと言われるほどの実力を持つ。

魔物討伐や国境付近での小競り合いの鎮圧などで実戦経験も豊富で、彼がそばにいるだけで、絶対的な安心感をもたらしてくれる。

それだけでなく、留学や研究滞在などの名目でたびたび各国を訪れ、パイプを作り、それを利用した外交手腕は、弱冠26歳という若さながら皇国でも一目置かれているほどだ。

彼は、こうして私を守って前に立つのを、今か今かと待ちわびていたはず。

さっき、私を追い越しざまにちらりと向けられた金の瞳には、隠しきれない熱がこもっていて、ぞわりと背中が震えた。


私の背中を焼き焦がしそうに見ていた視線の主は、その場の注目をすべてかっさらって、圧倒的な存在感でその場に立っていた。

さすがに騒ぎに気付いて駆けつけた国王と宰相に形ばかりの慇懃(いんぎん)な礼を取ると、クラウスはよどみなく口を開いた。

「では、この度の契約について改めてご説明いたします。

貴国の要請により、アレクサンドル王太子殿下の婚約者となるべく皇国からいらっしゃったフリージア第三皇女殿下とのご成婚がなされた暁には、次の契約を履行する。


一つ、婚約に関する費用はエルマーレ王国の負担とし、2億ディナールを皇国白金貨2万枚で支払う

一つ、皇国との国境にあるガリアナ銀山の向こう10年の採掘量の50%を無償で皇国に譲渡する

一つ、近接国の関税を、これまで通りの一律5%に戻す


なお、エルマーレ王国側の瑕疵(かし)により成婚がなされなかった場合、以下の契約解除条項を即時履行する。


一つ、ミルナディア皇国に対し、4億ディナールを皇国白金貨4万枚で支払う

一つ、銀山を含めたガリアナ領全域を皇国へ割譲し、採掘権も皇国へ無償譲渡とする

一つ、エルマーレ王国から周辺国への出入りの際の関税を、すべての国に対し20%とする


……お忘れとは言わせませんよ」


朗々とした美声に聞き惚れながら、私は扇の下でくすりと笑みをこぼす。

なんとまあ、私を買い上げるために、『エルマーレ王国にしては』大枚をはたいたというところね。

そう、私が『売られてきた皇女』と呼ばれる原因となったのは、この婚約に関する取り決めにある。

皇国は、2億ディナールという『大金』で、あっさり第三皇女を売り渡したということにしたかったのだ。

そのほうが都合がよかったこの国の人々は、皆その扱いを受け入れた。

誰もが、この婚約が結ばれてからすぐに、婚約の意義を忘れ去った。


そんな売られた身の女には何をしてもいいと思われたのか、ある日の夜会で媚薬入りの飲み物を飲まされそうになったことがある。

私の護衛が気づいてくれて、幸い飲み物を口にすることはなかったけれど、あとから確認したら、その日王宮の控室には数人の貴族男性が集まっていて、おぞましいことに複数人で私を辱めようとしていたらしいのだ。

さらに、暗殺まで仕掛けられるに至って、私は心底このエルマーレ王国という国が大嫌いになってしまった。


他国への敬意もなく。

民の苦しみに目も向けず。

貴族は己の利権ばかりに夢中で。

王家は国庫と国を私物化し。

誰もそれを疑問に思わない。

腐り果てたこんな国、なくなってしまえばいいのに。


早く1年が経過すること、クラウスが助けに来てくれること、ただそれだけを心の支えに、私はここ数か月、折れそうになる心を必死に奮い立たせながら過ごしていたのだ。


クラウスは、胸元から出した婚約証書をひらりと開いてみせる。

「王子殿下、あなたは勘違いなされているようですが、これは周辺国すべての同意により結ばれた婚約です。この通り、貴国とわが国だけではなく、周辺国の玉璽(ぎょくじ)も押してある。つまりは貴国が周辺国との協調路線を示すための結婚であり、けして皇国と王国の和平のためではありませんので、お間違えなきよう。

また、これまで貴国が周辺国との条約をことごとく不履行としてきた事態を重く見て、今回の婚約破棄により、皇国は周辺国との調整役を辞退します。そして、これまでに結ばれた周辺国とのすべての通商条約の即時履行と、今申し上げた契約解除条項の即時履行を求め、皇国含む各国は貴国に対し同盟軍を派遣いたします。以上」

「ま、待て、それでは侵略ではないか!」

顔色をなくす王子とは対照的に、野太い声を上げた国王は怒りのためか、逆に真っ赤になっている。

しかし、そんな恫喝(どうかつ)にも、クラウスは顔色も変えない。

「その侵略を止めたいがために我が国に泣きついたのでしょうに、それを真実の愛などと羽よりも軽い戯言(ざれごと)で覆されれば、このような事態を招くのは道理というもの。そのうえ我が国の至宝である皇女殿下を『売られてきた』と(おとし)めるなど言語道断! そもそも空手形(からてがた)で踏み倒す気満々でいたことなど(はな)から承知している。貴国の年間の国家予算を超える2億ディナールを払えるなど、誰が信じるというのだ。自分たちが今まで国ぐるみで詐欺行為を働いたのだから、自業自得でしょう」

「詐欺行為など、言いがかりも甚だしい! お、王子の言ったことは無効だ! このような下賤の娘との結婚など、世迷言に過ぎぬ! わ、我が国は姫との婚約継続を望んでいる!」

「では各国との条約が履行されないのはなぜです? 言うだけ言ってやらずにごまかすのが、詐欺行為でなく何なのです。しかも、履行期限日も定められて、期限はとっくに過ぎている。まだ時期ではない、遺憾であるなどという言い訳が通用しないのは、普通ならわかるはずですが? それは正式な条約を()()()()()ということです」

それに各国の要人や大使が、国王をじっと見ながらうなずいている。

「あら、『売られてきた皇女』よりも、正当なエルマーレ貴族であるその娘のほうが王子妃になるべきだとおっしゃっていたのは、国王陛下だと聞きましたわ」

「ど、どこでそれを!? いや、誤解だ! とにかく、我が国は姫が必要なのだ!」

「まあ、ずいぶんと今更なことをおっしゃるのね。そもそも、そう言っていらっしゃったのは、そちらの王太子殿下とそこの娘ですのに。先ほども、私に対して、王子殿下自らがそう宣言しておりましたわ。この場にいる皆様が証人です」

「くっ、何かの間違いだ! 無効だ! 王子の独断だ!」

「父上! 待ってください、アメリアとの結婚はなんとかすると、皇国など黙らせるとおっしゃったではありませんか!」

「ええい黙れ、そのようなこと、言っておらぬ! 余計なことを申すな!!」

「そもそも、()()()()()言ってしまえば、さすがに黙るだろうと言ったのは父上です!」

「余は()()()()()と言ったのだ! その違いも判らんのか!?」

クラウスと私に淡々と詰められて、国王はあっさり手の平を返す。

それに対し、これまた頭の足りない王子がぽろっと国王の言葉を暴露。

そこから、来賓そっちのけでの罵り合いが始まった。

(なんて醜い親子喧嘩なのでしょう。やるなら目につかないところでやるべきでしょうに。皆様見てますわよ)

私は冷めた目でその言い争いを眺めていた。


王国側は最初から、踏み倒す前提で大盤振る舞いの条件を提示してきたのだ。いわゆる、()()()()()()というやつね。

それに()()()()()従った皇国を、内心馬鹿にしていたに違いないわ。だから、この契約を盾に皇国を黙らせることができると勘違いしていたのでしょうね。

実際、この程度の資産を手に入れたところで、皇国の国庫の1%にも満たない微々たるものなのだけれど。国力にどれだけの差があるのかなんて一目瞭然のはずなのに、なぜどうにかなると思ったのかしら。

ともあれ、王国としては、私を盾にして周辺国を牽制し、手出しできない状況を作り上げたつもりでしょうが、その間に事態をうやむやにしてしまおうと画策していたことなど、百も承知。

こちらはこちらで、そうやって王国が安穏としている間に、秘密裏に周辺国との同盟を進めていたのだ。

何を隠そう、私を取り戻すために、周辺国とのエルマーレ包囲同盟構築のための折衝に当たり、たった一年で同盟軍を組織化するまでに立ち回ったのは、クラウスなのだから。


「王子殿下、改めて申し上げますが、私とあなたの婚約は、和平のためなどではありませんの。周辺国に攻め込まれそうだから何とかしてくれと、貴国の提示できる最大限の財をもって皇国にとりなしを依頼した結果、各国との調整の時間を稼ぐ役目として、また、皇国の旗印として私が選ばれたのです。私は『売られてきた』のではありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と提示された契約に従ってこちらに来ただけです。契約不履行になれば、違約金が発生するのは、どこの国でも同じことですわ」

子供に諭すように、そしてどちらの立場が上なのかを噛んで含めるように、今回の婚約の趣旨を説明する。というか、王子との顔合わせの時にも同じ説明をしているはずなのに、何故またこのようなことをしなくてはならないのかしら。

王子がアホなのは前提としても、国王や宰相のほうも、王子に余計な情報を与えていなかった可能性が高いようね。

とはいえ、まさか国王の生誕パーティーでやらかすとは、彼らも思っていなかったのかもしれないわ。

「このように各国の皆様の前で『売られた』などと貶められ、婚約破棄を申し渡されさらし者にされては、わたくしも立場がございませんし、皇国のメンツもたちませんわ。殿下、事は王国と皇国だけの話ではないんですのよ」

王子は何も言えず、真っ青になったままはくはくと口を動かすばかりだ。

しかし、国王は怒りか屈辱か、顔を赤黒くして口を開いた。先ほどの真っ赤を通り越している。血管切れるんじゃないかしら。

「フリージア皇女、この件は、ぜひともご内密に願いたい。このまま黙って婚約の継続をお約束いただければ、手荒な真似をするつもりはない!」

言うなり、さっと手を上げると、会場にいた王国の近衛が私たちの身柄を拘束しようと動き出した。手荒な真似はしないなんて、どの口が言うのか。

そもそも、『内密に』なんてどう考えても無理な話なのに、どうするつもりなのかしら。完全に追い詰められているわね。

「動くな!」

瞬間、がん、と一歩踏み込んだクラウスが魔力を乗せた声で一喝した。びりびりと空気を震わせるそれは、国王と王子、子爵令嬢、宰相、そして害意を持った王国の近衛と貴族のすべてを、魔力で拘束する。

「痴れ者どもが! 皇女殿下に指一本触れることは許さん! 皇国への宣戦布告と受け取るが、いかがか!」

さらに防御魔法を展開しながら威圧するクラウスが素敵すぎて、こんな時だというのに、うっとりとその姿を見つめてしまう。その声に込められている感情を知るのは、たぶん私だけ。


自分以外が私に触れようとしたことへの苛立ちと、私をこんな状況に追い込んだ者たちへの怒りと、それを阻止できなかったクラウス自身の後悔。

その感情が渦巻く魔力に乗り、結界の表面に稲妻が走る。防御魔法なのにやけに攻撃的ねえ。

クラウスがあんまりにも怒ってるから、逆にこっちの気が抜けてしまうわ。くすりと笑うと、バチバチと荒ぶる魔力が少しだけ収まった。


いつの間にか、使節団全員が私を守るように周りをぐるりと取り囲んでいた。

「国王陛下、この場にいる各国は、エルマーレ王国がミルナディア皇国に対しとても友好的とは思えない行動を起こしたことを、貴国の明確な敵対意思としてしかと受け取りました。明日からは皇国を含む各国との条約履行について調整を開始いたします。我が国と契約不履行となった時点で、すでに各国へは伝令を飛ばしております。すべての国境には、速やかに同盟軍が配備されるでしょう。なお、今をもってフリージア皇女殿下の身柄は、我々ミルナディア皇国の庇護下に置かれ、国王陛下以下エルマーレ王国のすべての人間との接触を禁じます。侍女も護衛も不要」

動けない国王を含むエルマーレ王国のすべての者たちに、最後通牒を突き付けるクラウスの言葉に会場を見れば、各国の使節団も、それぞれが同様に動けない王国の者たちを一塊になって警戒し、距離を取っている。

事は決した。

「皇女殿下、行きましょう」

防御魔法を解除して差し出されたクラウスの手に、そっと手を重ねると、軽く握り返された。

固くて大きな手が、私の手を宝物のように包むこの瞬間が大好き。このぬくもりを感じるのは、いつぶりかしら。


「そうそう、言い忘れたことがあったわ」

私はクラウスに魔法で拘束されたまま動けない彼らを振り返り、にこりと笑みを浮かべる。

「国王陛下、王子殿下。私、そもそもこちらの国に輿入れする気なんて最初からございませんでしたのよ。1年で皇国に帰るつもりでしたし、皇王陛下からもそのように言いつけられているのです。私、売られてきたのではなく、貸し出されていただけですの。……貸出費用、高くつきましたわね?」

そう言い捨てて、今度こそ歩き出す。


一団になって会場を出るや、クラウスは私の手を肘に誘導した。

一層近くなった距離。感じる淡い香水の香り。ああ、何も考えられなくなりそう。

その端正な横顔を見上げていると、ふと気づいて向けられた金の瞳が、甘く溶ける。

「フリージア、頑張ったな」

「ええ、やっとよ、クラウス。……長かったわ」

そう、やっとだ。これで私は皇国に帰れる。

そう思うと、クラウスが隣にいるという安心感も相まって、肩から力が抜けていくのがわかる。

「それにしても、あれはよかったな。『たかが辺境の小国の王子ごときに下げる頭は持ち合わせていなくてよ』だったか? かっこよくて見とれたよ」

「やだ、恥ずかしい。あんなこと、初めて言ったわ」

からかうように言われて、頬が熱くなる。

「後ろでクラウスが見守ってくれてたもの。少し調子に乗ってしまったのよ」

「そんなことはない。凛として誇り高くて威厳があって、きれいだった」

笑ったクラウスが手を伸ばし、指の背ですり、と頬を撫でる。

味方が少ない中、飲み込んだ言葉も感情もたくさんある。でも、もうそんな心配は必要ないから、全部言ってしまったわ。

クラウスは褒めてくれるけれど、そんな姿を見せたいのは、クラウスに対するただの見栄なの。

いつだって、かわいい、きれい、かっこいい、最高って、思っていてもらいたいもの。


恥ずかしくて顔を背けると、金の細い鎖に黒曜石をあしらったピアスを、耳たぶをつまむように触れた指にゆっくりとたどられて、思わず息を詰める。

艶のある低い声が、吐息とともに耳に響いた。

「俺の色だ。最高に似合ってる」

「だって、今日はあなたが来る日だから。絶対これをつけたかったの」

私はクラウスの金の瞳を見つめた。


このピアスは、こちらの国で迎えた誕生日に、クラウスが贈ってきてくれたものだ。

自分の色をこれでもかと主張したピアスは、今日、この決着をつける場にふさわしく、豪奢で気品のあるデザインだった。

きっとこれをつけてきてほしいという、クラウスのメッセージ。

正解、とでもいうように、クラウスはピアスを付けた耳元に、ちゅっとキスを落としてくれた。


客室に近づいたところで、クラウスが一言『下がれ』と言えば、使節団は護衛騎士二人を残して足を止め、深々と頭を垂れて私たちを送った。

そうして、クラウスはついに私を横抱きに抱えて歩き出す。

私は見栄も外聞もかなぐり捨てて、その首に両手を回して子供のようにぎゅうっと抱き着いた。

護衛たちは何も言わない。みんな知っている、私たちがずっとこの時を待っていたのだって。

「クラウス、会いたかった! ずっとずっと、会いたかった……!」

「俺もだよ、リア」

彼だけが呼ぶ愛称に、耳が熱くなる。私を抱える腕に力がこもり、鼻先に、頬に、ちゅ、ちゅ、と音を立てて、待ち望んでいたクラウスのキスが落ちてくる。

「ずいぶん軽くなった。だいぶ痩せたな。コルセットもいらないくらいじゃないか」

顔をしかめながら、クラウスの手が腰をなぞり、私は息を詰める。


アレクサンドル王子がアメリアを寵愛していることについてはすでにわかっていた。あのバカな王子が、政略結婚など絶対にしないと公言していることも知っていた。

それを国王が、適当に皇国を言いくるめてやると甘い言葉で容認して、ますます二人が増長していることも。

だから私は、王子が反発するような言動を取るだけでよかった。


私は和平のために来たのだから、あなたは私と結婚しなければならない。

皇国に楯突いたら、王国はどうなるかわからない。

あのような娘より、私のほうがずっと美しいし、教養もある。

なにより、私は皇国の皇女だ。子爵令嬢などと下賤のものと比べるなど、おこがましいにもほどがある。

王妃にふさわしいのは私。

常々言い続けていれば、向こうは勝手に私を嫌ってくれた。

そうして、予定通りに暴走し、婚約破棄を最高の場面で演出してくれたのだ。

他は全部0点以下だったけれど、これについてだけは、百点満点だったと言ってあげてもいいわね。


でも、割り切っていたとはいえ、周囲を威嚇するような態度を取り、ヘイトを浴び続け、自分の体も命も常に脅かされている状態は、少なくないストレスだったわ。

普段言わないようなきつい言葉もたくさん言った。いくら相手が無礼でも、無視したことなんかない。だから実際やったときには、胸が痛かった。だけど、敵を好きになるのは難しい。私は神様でもなんでもないから、私に悪意を持つ人を許すほど寛大にはなれない。私を害そうとした相手にやさしくなんかしたくない。

私も自分を守るために必死だったというのは、言い訳かしら。

子爵令嬢は私にライバル心を持っていただけで、悪意を持っていたとは言い難いってことはわかってる。

だけど、彼女とは話したくないと思った。そう思うようになってしまった。だから話さなくなった。

私は、彼女を見るたびにずっとイライラしていたの。きっと、あの子爵令嬢が嫌いだったんだわ。今頃気づいてもなんなんだって感じだけど。

彼女だけじゃなく、今日はもう言ってやれと思ってひどい言葉を投げかけてきたけれど、何一つ胸は痛まなかった。


泣きたくても泣けなかった。泣いたら折れてしまうと思って、喉をふさぐ塊をずっと飲み込み続けて。

「……辛かった。怖かった。苦しかった。ずっと我慢していたわ。あなたを待ってたの」

涙声になる私を抱き締める腕の力が強くなる。

「リア、待たせてごめん。つらい思いをさせた。泣かせてやれなくてごめん」

「いいの。クラウスは悪くないわ。泣くのも我慢してたけど……ここなら、やっと泣けるから……」

苦しそうな声にまた涙が浮かぶ。この人の腕の中なら、私は何も背負わなくていい。全部さらけ出しても、受け止めてくれるってわかってる。

涙腺も感情も緩みっぱなしで、なんだか体にも力が入らない気がするわ。

「クラウスが私のこと抱きしめていてくれるから、今はもう全部、いいかなって思うの」

クラウスの首筋にすり、と頬をすり寄せて甘い香りにまた涙がこぼれる。

ただ彼に抱きしめられているだけで、うれしくて、切なくて、破裂してしまいそうに幸せで。

「陛下にはお仕置きを追加するか」

クラウスがぼそりとつぶやいた言葉は、私の耳には届かなかったけれど、なぜか唐突に父を憐れむ気持ちがわいた。ほんの、ほんのすこーしだけだったけれど。


「リア、俺たちの婚約の件だけどね。ちゃんと継続しているから心配しなくていいよ。大丈夫」

「……は? 継続? どういうこと? お父様は白紙だと言っていたわよね?」

クラウスの言葉に、がばりと身を起こして彼の顔を覗き込むと、私をひきつけてやまない甘い笑みが浮かんでいた。


政治的な事情とはいえ、婚約の話は完全に流れたはずだ。

一年で婚約破棄して来いと言ったって、こちらで内々にでも婚約状態なのは万一でも知られるとまずいって、内定のままでいることすら許されなかったのだから。

その証拠に、結婚式を挙げる予定だった王都の大聖堂の予約は取り消されているし、大公家には慰謝料も支払われたはずだ。


「まあ、陛下もかわいい末姫に嫌われたのがこたえたみたいだ」


あの時、私はクラウス以外の男との婚約が突如持ち上がったことに呆然として、そうしてお父様を泣いて詰って「大嫌い」と言いまくって、三日三晩部屋に閉じこもった。クラウスがなだめに来てくれるまで、ずっと泣いて、食事もとれないくらいだった。

クラウスに縋り付いて、『一緒に逃げて』と懇願した。クラウスは私を抱きしめて何度もキスしながら、『少しの間だけだよ。必ず迎えに行くから。俺を信じて待っていて』と、泣き叫ぶ私をなだめ続けた。


そのあと、『約束』だとか言いながらちょっと、いえだいぶ? いかがわしいことをされまくったのも忘れてないですけど! 今思い出しても顔から火が出そうだわ!


「俺のほうもさすがに頭に来てね。陛下の弱みはいくつか握っているから、それをネタにして、ついでに罪悪感に付け込んで説得して、国に戻り次第すぐにリアとの婚約を確定させることを了承してもらっただけ」

「了承()()()って言うのよね、それ」

ぼそりと突っ込んでも、クラウスは笑うだけ。

クラウスの理詰めは怖い。ニコニコ笑いながら背後に黒いオーラを背負って有無を言わさず畳みかけてくるそれは、説得という名の脅しなのよ。

でも、その独占欲は、私をがんじがらめに縛って、どうしようもないほど溺れさせてくれる。

もう。だから、本当に。


「大好き」


クラウスの頬にキスを送ると、びっくりしたように足が止まって。

今度はくすぐったそうに笑って、唇にやさしい口づけをくれた。


ここから2話続けてざまぁ回になります。

ざまぁ書くの難しい……

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