一人ぼっち
白宮はずっと警戒していたが、授業が全て終わるまで、紐野が神橋に戦いを挑んでくることはなかった。夕方になって、同級生たちが帰り支度をして教室から出ていく。
「アキはまだ帰らねーの?」
「ちょっと用があるからな。先に帰っててくれ」
「そうか? じゃあ、オレは帰るわ。また明日!」
佐藤が手を振って教室から出ていく。白宮は彼が教室から出たのを確認して、神橋に声をかけた。
「紐野って奴、意外と話が分かるのかもな。学校が終わるまで、何も仕掛けてこなかったし」
神橋は無表情のまま、冷たい目をして告げた。
「バカね。憑きもの筋は使役している霊に人の暗い感情を食べさせて、その恩恵を受けているのよ。関係のない人間に姿を見られるような危険を冒したら、それがきっかけで自分たちのことがバレてしまうかもしれないでしょ。だから何もしてこなかったの。それだけのことよ」
神橋が窓の鍵を開ける。窓が外から開けられて、紐野が教室の中に入ってきた。
「だとしても、神橋の後継者は甘すぎる。今の時代、最も手軽に集められるのは妬みや蔑みの感情だ。スマホに憑き物を入り込ませてSNSで適当に人々の対立を煽るだけで、簡単に大金が手に入る。わざわざ学校を転々として、少ない恨みや憎しみをかき集めるのは非効率的だ」
「私が何をしていようと、アナタには関係ないでしょう。アナタは今日、ここで私に敗れるのだから」
神橋の周りに蛇が集まる。紐野はそれを見て嗤った。
「それはこちらの台詞だ……!」
紐野の周囲にいたイタチが、神橋に襲いかかる。蛇とイタチが噛み合うが、今回はイタチの方が優勢だった。
「神橋は後継者選びを間違えた。何を使役していようとも、憑き物の数が75匹なのは変わらない。こちらもそちらも同じ数なら、力を蓄えた方が勝つのは当然のことだ」
紐野が勝ち誇ったような顔をして言う。白宮は壁に立てかけてあったモップを掴んで、彼に気づかれないように背後に回った。神橋が目を見開く。
「ちょ、ちょっとアナタ……!」
白宮は無言でモップを担いだ。紐野が苦々しげな表情になって振り向く。
「君は馬鹿なのか? 護衛として、術者の側に憑き物を残しておくのは当然のことだ」
イタチが白宮の足に溶け込むように消えていく。白宮は気にせず、モップの先を紐野の腹に向けて勢いよく突き出した。
「いいんだよ。俺は憑依されても動けるから」
紐野が体勢を崩す。白宮の足元にいた蛇が、紐野の服に潜り込む。蛇はしばらくしてから、細い笛を咥えて出てきた。紐野が顔色を変える。神橋が低い声を出した。
「壊しなさい」
笛が砕ける。イタチが統制を失って、次々と蛇に食われていく。紐野は苦々しげに呟いた。
「まさか、己の意思でこの戦いに関わるような協力者がいたとはな。どんな手段を使ったんだ?」
「……アナタが知る必要はないわ」
蛇が紐野の体を動かして教室の外に出す。誰も知らない戦いは、誰にも気づかれずに幕を閉じた。