Lot.1 フランチェスカの憂鬱
ガタゴト、と揺れる箱の中で大きな欠伸が生まれる。
「失礼」
目の前のご主人様は縦揺れに合わせて浮かび上がった体で天井に頭を打ち付けては椅子に戻るを繰り返しており、一点を見つめる視線がこちらに向くことはない。
謝ったのも馬鹿らしいので試しに一度ご主人様の頭を手で押さえてやると、それきり揺れは止まった。
「ありがとう」
と、落ち着き払った様子で礼を述べる彼の瞳孔は開ききっている。
常に殺意の籠った瞳を向けてくるその様は、当初から比べると随分と慣れた。
傭兵を自分の屋敷のメイドとして雇おうというのだから相当に頭のおかしい男だとは思っていたが、勤め始めて一年も経過しようという頃には雇い主の癖も分かってくる。
……考えていることは相変わらず理解できないが。
「はやく行けー!! 馬車でちんたら走ってんじゃねーぞボケ!!」
時速二十キロ程度で車道を走る馬車に業を煮やした後続車のワンボックスがクラクションを鳴らしながら文句を垂れてきた。
仕方ないので後部の小窓を開け、据え付けてあった機関銃を手に取って構える。
引き金を引き、一回分の弾倉を打ち切ると流石に相手も静かになった。
「失礼」
位置的に空薬莢を全て頭から被ることになったご主人様は、微動だにせずそこに坐したままであった。
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片道一時間かけて到達した福岡府の建物。車体は地下駐車場に預けて来客用の厩舎に馬を預けると、役人が案内人として出迎えた。
エレベーターで最上階の三十二階まで上がる。
「お連れいたしました」
「どうぞ」
福岡府の郡司である瀬川"福岡"満はプラスチックパイプのソファから立ち上がって客人それぞれと握手を交わす。
国から派遣される国司と違って、地元の有力者として成り上がってきた彼は偉ぶる雰囲気というものが一つもない。
黒く爽やかなメンズマッシュパーマはやや古臭くはあるが、柔和な表情とはとてもよくマッチしていた。
客人の男を隣に座らせた瀬川は、共のメイドも対面のソファに座らせると間髪入れずに呼び出した事についての詫びを述べ始めた。
「いや~マジ急に呼んでごめん! え、てかさ、ここまでどんくらいかかった?」
「一時間ほどで」
「結構かかるな~。先に昼メシ行く? 全然いいよ」
「戻って取りますので」
「あ、全部君が話す感じ?」
「普段はそのようにしてます」
「なんで?」
「旦那は――失礼、ご主人様は"半端者"なので」
「あ~うんうん、なるりょなるりょ。え、てか君かわいいね。名前なんて言うの?」
「フランチェスカです」
「フランチェスカちゃん! じゃあフランちゃんね。俺みっちーでいいから」
瀬川は立ち上がって備え付けの冷蔵庫から清酒の四合瓶を出し、人数分の枡をテーブルへ滑らせる。
礼儀を失さぬようにメイド――一番の目下であるフランチェスカが全員分の栓を開け、それぞれの枡へ均等に注ぐ。
そうして三人で枡の角どうしを突き合わせ、一気に呷った。
「福岡様、本題は?」
枡をぐしゃぐしゃと握りつぶして"半端者"が口火を切る。
空になった三人分の枡をゴミ箱へ放り投げ、瀬川はため息を吐いて応えた。
「手紙は御覧になられましたか?」
「用件が無い時に会うほどの関係ではありませんよね」
「これからお友達になる可能性はあります」
「くたばれ」
これ見よがしに机に広げられていた九州を含めた近郊の地図──それを指先でトントンと叩き、瀬川はまたもやため息を吐いた。
「私にも立場があります。事実上、日本で士族は貴方の家だけです」
士族──明治維新以降、江戸時代の旧武士階級その使用人に与えられた特権的身分である。
第二次世界大戦で日本が敗北してからは、GHQの指導が入り、身分制度が整理されてからは廃止された階級だった。
しかし、その対象は身分制度の廃止が制定されて以降であった為に、現行で士族であった者は死亡するまでは階級を残されたままであったのである(宥和政策の一環であったとされている)。
「法律で遺言は絶対だという決まりである以上、貴方の父君が遺した『自身の身分を息子に相続する』という言葉には従わなくてはなりません」
士族には様々な社会的特権が付与されるため、制度廃止に伴って当然そうならないように法律も改訂が成された。
ところが、この事態を予見したかのように"半端者"の父親は彼に身分が引き継がれるよう遺していたのだ。とっくの昔に彼以外の士族は居なくなっていたが、こうなっては誰も口が出せない。
「そうして士族となっている貴方には、当然戸籍を置いている都道府県へ帰属する義務があります。軍事的にも、経済的にも」
何度も何度も地図を叩きながら、瀬川は指先で円を描く。
「だから、貴方には福岡府を守らなくてはならない」
「訊きたいのは先の話です。自分で手紙に書いた内容も忘れましたか?」
ここまで彼が話したのは、手紙に書いた内容を口語にしただけのものである。
肝心の中身──何から守る為に責務を果たせというのかは、伏せられたままだった。
「この件には州兵も警察も使えません。身内のどこが裏切者なのかわからないからです」
「外患誘致ですか」
「おそらく」
「国は?」
「お得意の知らないふりですよ」
瀬川の指が福岡府と山口県の境をなぞる。
「北九州市、門司の東新町が死にました」
「死んだ」
「周辺の住人が全部ロボットになってたんですよ。中身だけ機械になって、人の時と同じ生活を送ってる」
国民皆保険制度――全ての国民が公的医療保険に加入し、全員が保険料を支払うことでお互いの負担を軽減する制度がある。
この制度では、一年に一回必ず指定された病院で健康診断を受けなければならない決まりがあり、先月それが行われたことで発覚したとの事だった。
「敢えて健康診断で判明を許したということは、紛れもない脅しです」
健康診断では体内のチップに不正が施されたりしないよう、国から指定された他都道府県の医者が派遣される仕組みになっている。
日程は一年前から組まれているので、人が入れ替わった事がばれてしまうタイミングまで何も事を起こさないというのは考え難い。
つまり、これはある種の見せしめであり、同時に要求を通せという脅迫でもあった。
「他の県は?」
「先日、九州それぞれのトップとは会合を開いて現状の確認を行いました。幸いにも、今は東新町だけです」
「相手の目途は? ロボットってことは共産党関係でしょう?」
「それが全く……なにせ、発覚してから何のアクションもありません。とにかく、この件の調査と解決を福岡府総代として命じます」
"半端者"が黙って立ち上がり、部屋を出た。
「フランちゃん今夜暇? てかさ、LINEやってる?」
後を連れ立ったフランチェスカは、『面倒事になったな』と舌打ちとため息を繰り返すのだった。