6.正体
一瞬のうちに誘拐されたベラは、薬で眠らされ、馬車で運ばれた。
眠ったままの彼女が運ばれた先は、豪華絢爛な王城だ。
「荷物は確かに受け取った」
第一王子ウィリアムが、密偵たちから身柄を引き受けた。
王族に連なる者でなければ近づくことも許されない禁足地の奥へと、ベラが運ばれてゆく。
湖のほとりに建つ離宮の地下牢へと、彼女は寝かされた。
……誰も、この場所には近づかない。絶対に誘拐が露見しない隠し場所だ。
「さて。誰が糸を引いているのか、見せてもらおう」
眠るベラの頭へと、ウィリアムが闇の魔法を唱える。
それは他人の記憶を覗く術だ。
禁術である。
「オールト?」
ウィリアムが怪訝な顔を浮かべた。
「あの学園に、そんな名前の生徒はいない。誰だ?」
記憶を覗き終えたウィリアムが、深く考え込んだ。
「オールトというのは、お前の手勢か?」
「違う」
背後にあるもう一つの牢屋から、男が答える。
「僕の配下に、オールトなんて名前の者はいない。どうせ僕の記憶も覗いたんだろう、ウィリアム。確認するまでもないと思うけどね」
「だが、配下の配下という可能性はある」
ウィリアムはベラの牢屋に鍵をかけて、男と牢屋越しに向かい合った。
「何を企んでいるにせよ、無駄だ。あと少しで、王位は俺の下に移る」
「おめでとう。僕も優秀な兄がいて鼻が高いよ。まったく君は王にふさわしい善良な人間だね。民に慕われる善政を敷くさまが見えるようだ」
「ふん。せいぜい皮肉でも考えていろ。王位が移れば、お前の派閥を脅すために身柄を抑えておく必要もなくなる。まずはお前を殺して、その後でお前の派閥を全て潰す。お前が善良な人間だというなら、天国とやらでその様を眺めておくことだな、ヘンリー」
牢屋に閉じ込められた第二王子ヘンリーが、ウィリアムを睨んだ。
「……そんなことをして、民がついてくると思うのか? 国が滅びるぞ」
「はっ。民など、いかようにでも騙せる。やつらは馬鹿だからな」
「……ん……ここは……?」
「見ろ、ヘンリー。騙せる馬鹿の代表格が、目を覚ましたようだぞ」
体を起こしたベラのことを、ウィリアムがあざ笑った。
「久しぶりだな、ベラ。そうそう、ちなみに、私はまだお前のことを愛しているぞ」
「……馬鹿言わないで。そんな上辺だけの言葉に、二度騙される私じゃない」
「そうかな? オールトとかいう男には、いいように使われたようだが」
「違う。途中までは、そうだったかもしれないけれど。私は決断した」
「操られた結果だろう」
ウィリアムが鼻で笑った。
「ウィリアム。全員が全員、あなたみたいに人を操ろうとしてるわけじゃない。あなたみたいな化け物には、人間の好意なんて理解できないのかもしれないけれど」
「くだらん。殺す時間も惜しい。その牢屋の中で勝手に餓死でもしていろ」
「言っておくけど。口先だけで全てが上手くいくと思っているなら大間違いだから。あなたの本質を見抜いている人間なんて、いくらでもいる。まして国を守る精霊たちは、絶対にあなたなんかになびいたりしない」
「悪訳令嬢ごときが吠えたものだな。精霊とやらに何ができる? まさか、精霊の力があれば牢屋から出れるとでも? 可能なら見てみたいものだ」
そして、ウィリアムは階段を登っていった。
ぽつぽつと水滴の垂れる音だけが、暗闇の中にこだまする。
……牢屋の中でじっとしていると、ベラの脳裏に疑念が染み出してきた。
本当に、これでよかったのか。本当に、オールトを信じてよかったのか。
その疑問に、これでよかったんだ、とベラは答えることができた。
信じてみよう。
一度は裏切られたけれど、だからといって閉じこもれば、絶対に次はない。
「それで……君は確か、聖女候補の一人だったかな?」
「一応。そういうあなたは?」
「僕はヘンリー。第二王子だ。あと数日の命だけどね」
見るからに衰弱した男が、皮肉っぽく笑った。
第二王子ヘンリー。評判の高い男だ。
冷めたユーモアの奥に熱い魂を秘めた男なのだという。
「で、オールトって誰? どういう経緯でこの牢に?」
ベラは、これまでの経緯をヘンリーに話して聞かせた。
馴れ初めから今にいたるまで、たっぷりと。
どうせ牢屋の中にいて、時間だけは余っている。
「つまり、君はオールトの事が好きなんだね」
「……好き。優しくておバカで、まっすぐで。どこを取っても、ウィリアムと正反対」
「うん。ありがとう。のろけ話で暇が潰れた」
牢屋の中で寝っ転がったヘンリーが、瞳を閉じた。
「僕の体内時計が狂っていなければ、そろそろ夜だ。寝て起きれば、王位継承の日まで残されているのは一日。オールトには作戦があるみたいだし、救出を待つとしようか」
「そうだね。オールトは必ず来る」
「うん。あまり心配しすぎないほうがいい。希望を信じて、待とう」
ヘンリーの言葉には、他人を勇気付けるような力があった。
ウィリアムとは違い、人の上に立つ者の素質を持っている。
「おやすみ」
ベラが再び目を覚ましたときも、もちろん牢の中は薄暗かった。
まだ夜なのか、朝なのか。それすらも分からない。
そして、二人はときおり雑談しながら、ひたすら待った。
オールトは来ない。
「……王位継承式の直前で、今は警備が厳重だ。でも、王位継承式が行われている最中なら警備はここから別の場所に向く。その日を待っているのかも」
そうなのかもしれない、とベラは納得した。
二人はまた寝て、起きた。
ウィリアムの密偵が二人の様子を確かめたあと去っていく。
王位継承が行われるのは、今日の昼間だ。
「本当に、待つだけでいいのかな。何か出来ることがあるんじゃ」
「出来ることって言ったって。牢屋の中で出来ることなんて、ある?」
ハッ、とベラが顔を上げた。
「精霊の声なら、ここでも聞ける」
「精霊の声を? 聞いたところで、何が……いや、まさか」
ヘンリーが床から飛び起きる。
「〈精霊巫女指南〉という古式精霊術の本を読んだことはあるか?」
「あ、それ。オールトに貰ったやつ。一応は読んだけど、難しくて……」
「精霊について、一つ古い学説があるんだ。精霊の声を聞くもの、いわゆる聖女は、本当のところ”精霊に声を与えるもの”なんじゃないか、っていう」
「同じじゃない?」
「違う」
ヘンリーは牢屋の中をうろうろと往復しはじめた。
「聖女を決める儀式に、なぜ見物客がいるのか疑問に思ったことはないか?」
「……少しは」
「不自然じゃないか。見物客が物音を立てて、声が聞こえなくなる可能性がある。なのに、わざわざ見学を許可している。なのに人を集めているのは、聖女が”声を聞く”ものではなく、”声を与える”ものだからだ。集まれば集まるほど、与える力は増す」
「共同で声を与えているっていうこと? なら、何で私だけ違うものを聞いたの?」
「おそらく君は、たった一人だけで精霊を具現化できる天才だ。他の人間が力を合わせてなんとか具現化させた”大精霊”とは、精度が違う」
ヘンリーは立ち止まった。
「だから君は”悪訳令嬢”になった。一人だけ、他の聖女候補たちと違う声を聞けた」
「……そっか。私が聞いた声は、間違いなんかじゃなかったんだ」
「ベラ、この地下牢は魔法を通さない仕組みになっている。こちらから呼ばないかぎり、向こうも場所が分からない。だから、全力で精霊の声を聞こうとしてみてくれ」
「わかってる」
言われずとも、ベラはそのつもりだった。
瞳を閉じる。昔の力の全てが戻ったわけではない。
けれど……オールトを信じると決めたその時から、何かが変わったような気がした。
ウィリアムによって刻まれた傷は既に癒えて、力強く鼓動を打っている。
声が聞こえた。牢屋の湿り気が生み出したコケの一団が、静かにささやく声が。
牢屋で命を落とした者の骨が、怨念と復讐を望んで唸る声が。
炎の消えた松明が。鉄格子が。石壁が。泥が。
世界が歌い、調和の取れた音楽を奏でる。
それは精霊たちの伴奏だ。主旋律を高らかに歌い上げる主役を欠いている。
中心に収まるべき者がいない。
……誰が欠けているのか、ベラは直感で理解した。
そして……精霊たちと共鳴するかのように、叫ぶ。
「オールト……っ!」
「遅かったんじゃないか? もっと早く呼んでくれるものかと」
「……ベラ?」
ヘンリーが、鉄格子に張り付いてベラのことを見つめている。
「そこに誰か、居るのか?」
「居る。オールトが。いや……〈大精霊オルディン〉が」
大精霊オルディンは、短く口笛を吹いた。
いくらか素質がなければ、その口笛を聞くことは難しいだろう。
まして姿を見れるとなれば、かなりの才能が必要だ。
「ご名答。これが、俺の隠し事だ。バレるわけにはいかなかった。ウィリアムは記憶を読む。俺の正体に気付かれれば……君が一人で俺を呼べると気付かれれば、君の命は危険に晒される。けど、正体を隠せれば……こうして第二王子も救出できる、ってわけ」
牢屋の通路に立つオルディンが、指先を魔法鍵へと向けた。
かちり、と瞬時に解錠される。彼は国の魔法を司る精霊だ。
「さて、ベラ。先延ばしにされた答えを……」
「よし、急ごう! 今から走れば、継承式に間に合う!」
そう言って、ヘンリーが走り出した。ベラもその背中を追う。
「悪いけど、その話は後でね」
「……もうちょっとだけ待つよ」