5.君のことが好きなんだ
それからも、ベラは力を取り戻すための努力を続けた。
すっかり友人になったアマンダ、それとオールトから指導を受け、勉強をやり直す。
それでも、あまり効果は出なかった。
そもそもベラは学校の成績がいまいちで、勉強より体で物事を覚えるタイプの人間だ。
「ベラ、どう? 力は戻ってきた?」
「駄目ね。もう、私のことは諦めたほうがいいんじゃない?」
「冗談じゃない。あの笑顔がもう二度と見れないなんて、俺はごめんだよ」
オールトはずっとベラの元に通い詰めているが、部屋に入れたことはない。
ずっと窓越しの会話だ。
「前に差し入れた精霊術の古文書は読んでくれた?」
「読んだけど、効果は何も出なかったわ。でも、ありがと」
「そっか」
オールトが残念そうにうつむいた。
「……別の話をしよっか。ねえベラ、君ってオペラを見に行ったことはあるかい?」
「ない。どうせ分からないし。私は田舎者だから」
「そうかな? 一度ぐらいは見てみたらいいんじゃないかな? 俺もさ、見てみたらよく分からなかったんだけど、わからないなりに感動しちゃって、ちょっと泣いたよね」
「そう。あなたが勧めるなら、見てみないこともないけど。なんて演目?」
「えっと、〈夜の夢〉だったっけな。そんな名前の」
「それって有名な喜劇じゃない? 泣く要素ないはずだけど」
「え? そ、そうだったの!?」
本気で衝撃を受けているオールトの顔を見て、ベラは不思議なほど穏やかな気持ちになった。
彼と話していると気分が軽くなる。
……けれど、彼は何かを隠していて、だから、これ以上は……。
私はもう、二度と裏切られたくない。
「ところで、オールト。私、気付いたのだけど」
「うん?」
「あなた、ぜんぜん精霊術の授業を受けてないよね。たまにしか居ないじゃない」
「あ、バレた?」
「普段、どこで何をしてるの?」
「うーん。内緒?」
彼は口元に指を当てて、悪戯っぽく笑った。
「そのうち教えてあげるよ。第一王子を何とかできたらね」
「何とかできたらって……あの男が王になるまで、もう時間がないのに」
アマンダとウィリアムの婚姻と、ウィリアムへの王位継承。
その二つの大イベントは、まとめて〈王位継承式〉として盛大に執り行われることに決まっていた。
もう、その日は二日後に迫っている。
「心配はいらない。きっと向こうから仕掛けてくる」
「あいつが私達を狙うっていうの? どうして?」
「ウィリアムは馬鹿じゃない。君の翻訳が正しかったことを、やつも悟っている。また”厄災が迫りつつある”みたいな予言をされちゃ嫌だろ?」
「……」
ベラの瞳が鋭く細まる。彼女は冷たい敵意の視線で、オールトを睨んだ。
「私が精霊の声を聞けなくなっているかぎり、ウィリアムに私を狙う必要はない。けれど、私が精霊の声を聞く力を取り戻していれば、彼には私を殺す動機が生まれる。いや……違う。実際に能力が戻っている必要すらない。ただ、力を戻そうと努力している事実があれば、ウィリアムは私の命を狙う」
オールトは短く口笛を吹いた。
「大筋はその通り。でも、君が命を狙われる可能性は極めて低い。誘拐はされるとしても、死ぬことはまずないよ。そこまで危険な作戦なんて、俺は実行できない」
「でも、誘拐はされる前提でしょう? オールト、私の命が危険に晒されると分かっていて、それでもあなたは私の力を戻そうとしたのね。囮として使うために」
「それは違う」
窓にもたれかかったオールトが、ベラをまっすぐに見つめている。
「君は囮じゃない。君こそが、この作戦の本命なんだ」
「……ごまかさないで、はっきり伝えてくれる? 本当に、私のことが好きなら」
「これ以上のことは言えない。言ってしまえば作戦が台無しになる。でも、ベラ。俺は本当に、君のことが好きなんだ。そこにだけは、嘘はない」
「私は……」
あんたなんて嫌い、と言おうとした。
言えなかった。
結局、まんまと都合よく使われた形になるけれど……。
……私が彼に好意を感じていないといえば、それは嘘になる。
「……都会も貴族も政治も嘘も、大っ嫌い」
「君はそういうやつだよな、ベラ。これが終わったら、二人で田舎に引っ越そう」
「終わったら? ウィリアムが私を狙ってるっていうのに、未来の話?」
「信じてくれ、ベラ。これが最善の道なんだ」
そのとき、部屋の扉が叩かれる音がした。
隙間から奥を覗くと、そこには見知らぬ男たちがいる。
「……もしも俺のことが信じられないなら。今すぐに、この窓から逃げてくれ」
「けれど、そうすれば”作戦”とやらが台無しになる」
「それでもいい。その時は、第一王子の手から君を守って逃げるだけだ」
逃げてくれ、という言葉を聞いて、ベラは確信した。
この人のことは信じていい。
ウィリアムなら、絶対にそんなことは言わなかっただろう。
こういう重要な瞬間に、人間の本質が浮かび上がる。
「国に大変な厄災が迫りつつあるんでしょ? 私だけ逃げるわけにはいかない」
「いいのか、ベラ」
「私だって、一時期は聖女候補の筆頭扱いだったんだから」
手早く髪を結び、気合を入れる。
「誰かのために働く覚悟は、とっくにできてる」
「ベラ……」
オールトが、深い愛情の視線をもってベラを見つめる。
「……好きだ。俺と結婚してくれないか」
「それ、こんな時に言うこと?」
ベラは優しく笑い、オールトの腕を握った。
「なら、必ず私を助けに来てよ。答えは、その後で教えてあげる」
そして、見知らぬ男たちが扉を破って侵入してきた。