3.聖女アマンダ
それから、ベラは精霊たちへ必死に耳を傾けた。
けれど相変わらず、精霊の声を聞く力は戻ってこない。
「大変そうね、悪訳令嬢さん?」
次代の聖女に内定したアマンダが、中庭に佇むベラへ話しかけた。
「……そういうあなたは、いかにも人生の絶頂期って顔だね」
「まあね! 正式に聖女へ任命されたし、結婚式の日程も決まったのよ!」
おーほっほ、とアマンダが高笑いする。
「ウィリアムと結婚するの? あなたも、私と同じように騙されたってわけ」
「騙されたって、何よ? 殿下がわたくしの事を愛していないとでも?」
「……そうね」
「おーっほっほ! これだから田舎娘は!」
アマンダはひときわ大きく笑うと、ベラの隣に座った。
「そんなことは承知の上よ。騙されないわ。あなたじゃないんだから」
「え……?」
「ベラ。貴族の婚姻は、政治よ。愛ではなく計算によって結ばれるのが貴族の定めなの」
ただの高慢なお嬢様だと思っていたアマンダが、意外な一面を覗かせた。
ベラは驚き、彼女の顔を改めて見つめた。
薄めに見えるよう工夫のされた濃い化粧。香油でまとめられた長髪。
そこに都会の大貴族らしい苦労を感じて、ベラはうつむいた。
やっぱり私は、未熟な田舎娘なんだ。
「あの」
もしかしたら、アマンダは頼れる人間かもしれない。
また精霊の声を聞くために力を借りられないだろうか。
なにせ、彼女は〈聖女〉なのだ。これ以上の適任者はいない。
「何?」
「もしよければ、私に精霊術を教……」
言いかけて、ベラが止まる。
再び精霊の声が聞こえるようになれば、第一王子を失脚させる手段があるという。
それはつまり、アマンダの夫を失脚させるということだ。
とてもではないが彼女へ頼むことではない。
「いいわよ」
「ごめん。忘れて。……あなたに頼む事じゃなかった」
「どうして?」
「私がまた精霊の声を聞けるようになれば、その……第一王子を止められるって、怪しい男が言ってたから」
アマンダが顎に手を当てて考え込む。
「いいわよ。教えてあげる」
「え? 本当に? でも」
「殿下は怪物だわ。あの人は、雑草を踏みつけるような調子で他人の心や命を踏みにじる……止められるのなら、それが一番よ」
「アマンダ。ありがとう。あなたはきっと、いい〈聖女〉になるね」
「当然よ! このアマンダ・ローフェンブルクが優秀だなんて、今更な話だわ!」
あなたって本当に田舎娘ね、とアマンダが高笑いした。
それからアマンダはベラに精霊術の基礎を教え込んだ。
才能だけで精霊の声を聞くベラにとっては、初耳のことばかりだった。
「あなた、何も知らないのね? それでどうして声が聞けていたの?」
「わからない。生まれつき、ずっと聞こえてたから」
「……何よ、それ? そんなこと、聞いたこともないわ。どれだけの才能なの?」
引きつった笑いを浮かべるアマンダが、精霊術の指導を続ける。
「なら、悪訳になるのも当然なのかしら? あるいは……実は全て正しいとか?」
「ううん。そんなことないと思う。きっと、アマンダの方が優秀だよ」
「そうかしら? ……そうかもね! このわたくしだものね!」
アマンダの授業は、学校の授業よりもはるかに分かりやすいものだった。
よく噛み砕かれていて、するりと記憶できる。
だが、知識を入れたところで、ベラの力は戻ってこなかった。
「無駄だって。それは精神的なものだからさ。知識じゃ解決できないって言ったよね」
「言われてないと思う」
「あなた……」
中庭に現れたオールトを、アマンダが怪訝そうに見た。
「誰? なんか、物凄く影が薄い雰囲気だけど。密偵とか?」
「やだなあ。一緒に精霊術の授業を受けてるだろ」
「いえ……覚えがないわね」
「ひどいな、みんな。いや、いつも最後尾の席に座ってる俺が悪いのかもなあ」
オールトが、ベラと肩が触れ合うぐらいの距離で座った。
「ベラ。この中庭では、どんな声が聞こえていたんだい?」
「……風。ここは、学舎の屋上を乗り越えて渦を巻いた風が溜まる場所だったの」
遠くから旅をしてきた風の精霊が、一時だけ渦を巻いてこの中庭で立ち止まる。
聞いたこともない異国の話を、風の精霊は語る。
その話を目当てに多種多様な精霊が集まって、ちょっとした集会になっていた。
「へえー……」
「いや、何よそれ? そんなに精霊だらけなの? 感じないわよ?」
「分かりにくいかも。人間に向けて話しているわけじゃないから」
ベラは目を閉じて、精霊たちの声に耳を傾けようとした。
けれど相変わらず、何も聞こえてこない。
「ベラ。やっぱり、君は名のある精霊の元へ行くべきだと思うな。おそらく、精神的なショックが元で能力に栓がされてしまってるのが原因だ。強い精霊のところで大きな声を聞くことができれば、その栓もポンって外れるかも」
「そうかな」
オールトの言う通り、強力な精霊の元へ旅するべきなのかも、とベラは思った。
どうせ学校の授業など真面目に受けていないのだから、休んで旅したって問題ない。
「オールトさん? 精霊術って、そんな単純なものじゃないわよ?」
「いやあアマンダ、これでも俺は精霊に一家言ある身でね」
「なら精霊術の授業ぐらい最前列で受けなさいよ」
「あ、あはは。ごもっとも」