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2.悪訳令嬢ベラ


 悪訳令嬢ベラ・エテメナキ。

 その名は広く国中に広まった。


 いわく、噂によれば……”悪訳令嬢ベラ”は、能力などないのに聖女になれると嘘をつき、善良な貴族ウィリアムを騙しかけたのだという。

 だが、儀式の場でものすごい悪訳をして馬脚を出した、と言われている。

 信じていた相手が詐欺師だと分かり、第一王子ウィリアムは心を痛めたそうだ。

 だが……聖女アマンダ・ローフェンブルクの献身によって体調を取り戻し、近いうちに聖女アマンダとウィリアムは結婚する……のだとか。


 明らかに、ウィリアムの手によって広げられた人工的な噂だ。

 事実が捻じ曲げられている。

 本当は、ウィリアムこそが人の心を弄ぶ詐欺師なのだ。

 ベラの才能だけを目当てに愛をささやき、聖女になれなかった瞬間に捨てたのだから。


 だが、それを信じる人間はどこにもいない。

 学園の誰もが、ベラを悪役だと認定していた。


「……勝手にすればいい」


 愛していた人に裏切られてから、ベラはあらゆる物に興味を失っていた。

 冷たい視線を浴びながらも惰性で学園に通い、授業が終わったら寮の自室で寝込む。

 それだけを繰り返す日々が続いていた。


「ベラ。おーい。居るかい?」

「誰?」


 知らない男が、彼女の部屋の扉を叩いた。

 どこかで聞いた覚えのある声だ。


「俺だよ、俺俺」

「いや、本当に、誰?」

「オールトだよ。忘れちゃった? 酷いなあ。一緒に授業を受けた仲じゃないか」

「覚えてない。ごめんなさい」

「ま、色々と大変だろうしね。どうでもいい記憶なんか飛んじゃうか。扉を開けてよ」

「……今は、あまり人と会う気になれないから」


 呼びかけを無視しているうちに、扉の外の気配は消えた。

 ベラはほっと息を吐き、布団を被る。

 今は、学園を卒業して田舎に帰れる日だけが楽しみだ。

 一日だって速く来すぎるということはない。なんなら明日にでも帰りたい。


「おーい。ベラー」


 今度は窓の外から声が聞こえてくる。


「起きてるんだろー、返事してよー」

「うるさい」

「ほら起きてる。ね、これ食べない? 余っちゃって」


 窓の外で、いかにもお調子者じみた男がブドウを掲げた。

 大きな実の一つ一つが瑞々しく、収穫された後でも精霊の声が聞こえてきそうなほど生き生きとしている。


「そ、それって」

「このブドウ、君の故郷の名産なんだって? これでも食べて元気出しなよ、ね?」

「……ありがとう」


 ベラは窓越しにブドウを受け取り、口に運ぶ。

 口の中に広がる濃厚な甘みと共に、幼い頃の記憶が蘇った。

 妖精の声に誘われて駆け回り、勧められるままに畑から採って食べたブドウが、まさにこういう味だった。

 そのあと、農家の人からひどく怒られたっけ。


 ベラの頬を、一筋の涙が流れた。

 ただ精霊の声を聞き、自然の中で暮らしていければ、それでよかったのに。


「ベラ。俺は今でも、君が聖女に相応しかったと思ってるよ」

「そんなことないわ。でも、ありがとう。誰か知らないけど」

「オールトだってば。自己紹介したのに……」


 俺ってそんなに存在感ないのかな、まあ声も小さいし、と彼が頭を掻いた。


「な、聖女の試験に落ちたからって、別に能力が落ちたわけじゃないだろ? せっかくだから、他の有名な精霊のところにでも行ってみれば?」

「……できない」

「何で?」

「私にはもう、精霊の声が聞こえないから……」


 オールトが、ベラの瞳をじっと見つめた。


「本当みたいだね。でも、声が聞こえなくなってるだけで、それ以外は元のままなんじゃない? なら尚更、君は精霊の元へ行くべきだよ。力を取り戻せるかも」

「どうして? 今更なんになるの? また私を聖女候補にでもするつもり?」

「違うよ。ただ……ほら。いつも中庭で、精霊たちと話していたじゃないか。そのときの君は本当に楽しそうだったから。あの笑顔が君から奪われてしまうなんて、俺は許せないんだ」


 ベラはオールトのことを注意深く観察した。

 柔らかく優しい、人好きのする笑顔だ。

 けれど、その裏には何かが隠れている。


 ……本当は、ベラもウィリアムの本性に薄々ながら気付いていた。 

 分かっていても、気付いてないふりをしていた。

 自分を愛している男が、本当は嘘つきだなんて信じたくはなかったから。

 もう、同じ轍は踏まない。うわべの愛の心地よさに流されたりはしない。

 ベラはきつく口元を結んだ。


「オールト。何か隠してるでしょ。騙されないから」

「……参ったね。今の君は、毛を逆立てた野良猫みたいだ」


 オールトが一歩下がり、降参、とばかりに両手を上げた。


「分かった。なら、こういうのはどうかな? 君がまた精霊の声を聞ければ、ウィリアムを破滅させることができるんだ。君のことを裏切ったあの男が憎くない?」

「どうだっていい」


 ベラはそっぽを向いたあと、横目でオールトを睨みつけた。


「つまり、私を利用して第一王子ウィリアムを失脚させたいわけ?」


 オールトは短く口笛を吹いた。


「そういうこと。ベラ、君は第二王子ヘンリーの噂を聞いたかい?」

「悪いけど、噂に興味はないの」

「……それもそうか。いやさ、最近、第二王子がいきなり失踪したんだ」

「そう」

「証拠はないが、状況証拠は明らかにウィリアムが犯人だと示している。国王の座を争うライバルだし、別派閥だったからね。それに、彼の悪事はこれが最初じゃない」


 オールトは窓枠に手をかけて、力の入った様子で言った。


「無実の罪で投獄されている者や不審な死を遂げた者が、ここ数年で何人も現れている。君なら、やつの本質が分かるはずだ。彼は生まれついての邪悪な嘘つきだ」

「……」

「ウィリアムを国王にしてはいけない。この国に血の雨が降る。……大精霊も言っていたでしょ? ”この国には、大変な厄災が迫りつつある”ってさ」

「あれは悪訳だから。私以外、そんな声は誰も聞かなかった。私が間違っただけ」

「そうかな? 俺は君を信じるよ。君だけが唯一、正しい声を聞いた可能性もある」


 オールトは人懐っこい笑みを浮かべた。

 だが、今や彼からは危険な秘め事の香りがあからさまに漂っている。


「国が荒めば、君が愛する精霊たちも姿を消す。君の故郷が戦火に巻き込まれる可能性すらある。だから、俺に協力してほしい」


 ベラは深く息を吐いた。

 政治に巻き込まれるのは、もううんざりだ。

 けれど。多くの人々が犠牲になると分かっていて見殺しにするなんて性に合わない。

 私は、試験は散々だったけれど、聖女の候補になった女なのだから。


「何をすればいいの?」

「また精霊の声を聞けるようになってもらえればいい。頼みはそれだけだ」

「簡単そうに言ってくれるけど、難しい問題ね……」



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