1.聖女の試験と婚約の破棄
ベラ・エテメナキには、特殊な才能があった。
彼女は精霊の声を聞く。川へ行けば水の精が楽しげにたゆたう声を、森へ行けば妖精たちの悪戯に誘う声を、空を見上げれば流れる雲の声を聞く。
ベラはその才能を評価され、〈聖女〉の候補として王立魔法学園へと入学させられた。
「ベラ。あなたを愛している」
入学直後から、彼女へとぐいぐい迫ってくる男がいた。
王国の第一王子ウィリアムだ。見目のいい男であった。
「本当に、私を愛しているの? それとも、あなたが愛しているのは〈聖女候補〉という私の肩書なの?」
「もちろん、この私が愛しているのは君だ、ベラ。王国の第一王子ウィリアムの名において、君が受け入れてくれるのならば、君を永遠に愛し続けると誓おう」
「ウィリアム……。ええ。私も、ずっとあなたを愛すると誓う」
「ああ。聖女候補であろうとなかろうと、私は君を変わらず愛しているよ」
王子はベラを抱きしめて、優しくささやいた。
……そこまで愛してくれているのなら、私も愛をもって答えよう、とベラは思った。
ほどなく、ベラとウィリアムの婚約が王国へ発表される。
聖女候補の筆頭と第一王子。
国の魔法を司る〈大精霊オルディン〉の声を聞く聖女と、国の政を司る未来の国王の婚約である。
この重要な二つの役職に愛し合う夫婦が座るならば、王国の統治は安定する。
未来の平和と繁栄が約束されたことで、王国中が祝福のムードに包まれた。
そして……。
〈聖女〉を決める儀式の日がやってきた。
候補者は、ベラの他に五人。全員が魔法学園の学生だ。
「もし私が選ばれなかったら……」
「君の才能があれば、きっと大精霊様の声を正しく聞けるさ。負けるはずがない」
「でも、仮に選ばれなかったら。あなたは、聖女でも何でもない女と結婚するのに」
「心配はいらないさ。君が聖女になれなくても、私は君を愛しているから」
「……ありがとう」
婚約相手に優しい言葉をかけられて落ち着いたベラが、儀式の場へ向かう。
聖女として選ばれるための試験はシンプルだ。
神殿で大精霊の声を聞き、訳す。その訳文を先代の〈聖女〉たちが確認し、採点する。
そして、もっとも優秀な一人が〈聖女〉として選ばれることになる。
「ふふっ。来たわね、田舎娘」
席についたベラのことを見て、他の〈聖女〉候補たちがくすくすと笑った。
……ベラは彼女のことを一瞥すらせず、机を見つめて精神を集中させている。
「何よ。無視するんじゃないわ! ……泥棒猫のくせに!」
「泥棒猫?」
「そうよ! ウィリアムは私と結婚するはずだったのに!」
「……え?」
初耳だった。ベラは振り返り、彼女の姿を見つめる。
高級な商品で全身を固めた、気の強そうな女性だ。
名前はアマンダ・ローフェンブルク。高名な貴族家のご令嬢である。
「あなたと、ウィリアムが?」
「そうよ。そんなことも知らないなんて、よほど友達がいないのね」
彼女たちの雑談を遮るように、神殿の大鐘が鳴った。
時間だ。
儀式場の周囲に控えている人々が静まり返る。
「……毎回毎回、こんな話ばかりだ……こちらの身にもなりたまえ……」
威厳のある男性が小声で呟く。これは精霊語だ。ベラの耳が大精霊の呟きを聞いた。
すぐさま紙に書き留める。周囲の聖女候補たちは、まだペンを動かしていない。
「ごほん。諸君、よく集まってくれた! 我こそが大精霊オルディンだ!」
大きいのは名前だけで身長は小さいがな、と、彼は小声でジョークを飛ばす。
……ベラは一字一句違わず大精霊の声を聞き取り、それを現代語に訳していく。
いや。訳すまでもなく彼女は大精霊の言いたいことを理解することができる。
それほどまでに、ベラは才能に恵まれていた。
「さて。最後に、一つ予言をしておこう。この国には、大変な厄災が迫りつつある」
大精霊がそう言うと同時に神殿の鐘が鳴った。
周囲の見学者がざわつきはじめる。
「それでは、訳文を回収し検証いたします。少々お待ちを」
試験は終了だ。
集中しすぎたか足が震えて立てないベラを、ウィリアムが抱きしめる。
「よく聞こえていたな。やはり、君が一番だった。私の思ったとおりだ」
「……ウィリアム……」
「それでは、私は採点の立ち会いに行ってくる。君のそばに居られないのは残念だが」
先代聖女たちによる採点には、王家の人間が立ち会うのが慣例だ。
今回は第一王子ウィリアムがその役割を担当している。
そして、彼女は結果が出るのを待った。
永遠にも感じられるほどの時が経ち、先代聖女たちと共にウィリアムが扉の奥から出てくる。
「今代の聖女を選ぶ前に、一つ話がある。ベラ・エテメナキ。起立せよ」
採点を手にしたウィリアムが、険しい口調で言った。
まるで別人のようだった。
「え?」
「君は何を考えていた!? こんなものは大精霊への侮辱だ!」
ウィリアムが、ベラの訳文から、大精霊の飛ばしていた細かいジョークを読み上げる。
「ふざけるな! 今まで、一度でも大精霊様がこのようなことを言われたことはない!」
「い、いや、でも、確かに……」
「とんでもない悪訳だ! 君は何を勉強していた!?」
「間違いなく、私は……」
「そして、何より! 最後のこれだ! 君の訳文にだけ、妙な予言があった!」
ウィリアムが紙を掲げる。
「この国には、大変な厄災が迫りつつある、だと!? 先代の聖女も他の聖女候補も、一人としてこんなことを聞いた者はいない! いったい何を考えていた!? でたらめな文言を付け足せば目立てるとでも思っていたのか!」
ベラは黙り込んだ。
間違いなく正しく訳したはずなのに、そうではないらしい。
思い上がっていたんだろうか、と彼女は思った。
所詮、私は世間知らずな田舎の貧乏貴族の娘だ。
精霊の声が聞けると思っていたのも、なにかの勘違いなのかもしれない。
それでも……聖女になれなくとも、私は幸せなはずだ。
これからもずっと、愛し愛される相手がいるはずだから。
「……ごめんなさい。私には、才能がなかったみたい。でも、あなたがいれば」
ベラはウィリアムの手を握った。
その手は冷たく振り払われた。その勢いで、ベラが地面に倒れる。
「え?」
「ベラ・エテメナキ」
ぞっとするほど冷たい瞳で、ウィリアムがベラを見下した。
「この日をもって、君との婚約は破棄させてもらう」