7 思い内にあれば色外に現る
起床時間は朝の五時。そこから身支度を整え、五時半から教会内の清掃と、清掃後に朝のお祈りがあり、子どもたちが起床する七時までに朝食の準備を進め、七時半には全員が食堂に集まり朝食の時間となる。というのが修道女たちの一日のはじまりだ。
しかし鈴鳴神社の朝はなぜかこの聖ポルテクス修道院以上に早かった。早朝四時に目を覚ました龍華は、日ごろの習慣としていた境内の掃除や朝食の準備などをする必要がないことを思い出すと、結局なにをするでもなく、皆が起き出すまであたりをうろうろと彷徨うことしかできなかった。
「お、徘徊老人。やっぱりもう起きてたのか」
「おはようございます、龍華さん」
修道院内をのんびり三周歩き潰したあと。外に出て畑を眺めながらあてもなく歩きまわっていると、五時すぎになってカナとリアがやってきた。癒暗も一緒だ。
「おはようさん。なあに、時間はまだあるんやけどなあ、習慣になってもうてるさけ。しゃあけどすることないんで暇なんやしょ」
「ジジイは早起きだな」
「お前らも普段どおりかや?」
「あ、いえ、僕たちはいつもならもう少し寝てるんですが……」
「リアは癒暗が起きたんでついでに起きただけだ。オレは早めに起きて鍛錬の時間を取ろうと思ってな。ガキどもの目がある時間と場所じゃできないだろ?」
「僕は教会の掃除の時間までカナたちに付き合おうと思って」
「ほう?」
「昨日町から教会に来るまでの道のりでランニングのコースを練ってたんだ。癒暗、タイム計ってくれよ」
「うん、いいよ」
カナがストップウォッチを癒暗に渡す。
「なるほど。無理せんようにな」
「龍華、戻ったらまた稽古つけてくれよ」
「ええけど時間は? 半になったら俺らは行かなんで」
「準備運動十五分、稽古十五分。そのあとは自分たちでいいようにやるさ」
「ストイックやなあ、ほな早よ行きい。十分で走りゃ二十分稽古できらして」
「いいぜ。よしリア、遅れんなよ」
「ええっ、そんなあ!」
厳しい鍛錬になる予感にリアが情けない声をあげる。カナはリアの肩を叩いた。
「つべこべ言ってねえで行くぞ!」
「わ、わかったよぅ……」
カナが軽い足取りで走りだし、リアも遅れずついて行く。癒暗はカナに持たされたストップウォッチを手に二人に並走した。教会から町まではしばらくなにもない草原が続く。龍華は三人の姿が見えなくなるまでそれを見守り、さてと息をついて稽古の準備に取り掛かった。裏山のふもとに落ちていた太い木の枝を二本拾い、それをナイフで削って即興の木刀を作り上げる。
だが、いかに龍華の手先が器用だとはいえ、時間がないので本格的で精巧なものは作れない。長さを整えて先を丸くし、なんとなく形を似せただけの木刀風の棍棒がいいとこだろう。練習用ならこれで十分だ。カナは真剣を用いた稽古のつもりで言ったのだろうが、金属音はよく響く。既にシスターたちが起床し始めているはずのこの時間に、教会の真正面で刃物はご法度だろう。
カナとリアはその見た目や性格から互いの性別を取り違えて産まれてきたとまで揶揄されているが、たしかにカナの血の気の多さというか、実戦や鍛錬への熱意は十三歳という年齢を考えると勇ましすぎるほどだろう。彼女が隣にいるので、リアの臆病な性格が誇張して周囲に認知されているように見えるものの、戦いを恐れ苦手とするリアのほうがよほど常識的と言える。
リアはその性格から、もともとは任務に出る機会が少なく戦闘に駆り出される心配のない第五軍に所属されるはずだった。実際にはその真逆、任務に出て戦闘もこなすことが主な第四軍に配属されているのだが、それは本人たっての希望らしい。
彼の能力は身体強化。怪力を武器に己の身で直接敵を打ち倒す格闘型だ。能力発動時の怪力のせいで武器を握りつぶしてしまうため素手で戦うことを余儀なくされており、彼の臆病な性格とはこれ以上ないほどの相性の悪さだ。だから礼は彼を五軍にと考えていた。それでもリアは戦うことを選び、カナとともに毎日体力づくりに励み、自分と同じく素手での戦闘を得意とする者や格闘の技術を持つ者に教えを乞い、鍛錬に勤しんでいる。すべては妹であるカナを守るため。そしてその勤勉さはカナにしても同じだった。
カナは時間を操ることのできる、時空士という異能を持つ。とはいえ世界そのものの時間を停止させたり巻き戻したりということができるわけではなく、彼女の時空士の異能は物質の時間のみを操る。たとえば皿を割ったとして、それが割れるより過去の状態に巻き戻し停止させ、まだ割れていない状態を維持できる、というようなものだ。無論、異能を解除すればその物質の時間は現在に合流するため、皿は再び割れた状態に帰結する。起きた物事をなかったことにできるわけではなく、起きてしまった事実を先延ばしにすることができるのだ。
ちなみに白もカナ同じく時空士の力を持つのだが、彼女は自分自身の時間を操る術士だ。つまり大人になったり子どもになったり、自分の姿をある程度の年齢まで操れる。二人とも常に時計を持ち歩いており、カナは腕時計、白は小さな懐中時計をペンダントのように襟元に着けている。時計を持ち歩くことと時空士の力に関係はないので、たとえ時計を紛失したり壊したりしても能力は問題なく扱えるのだが、時間を操る能力に対して時間という概念の象徴ともいえる時計は相性がよく、能力を制御するためのスイッチとして便利なのだ。ただ、これはどちらかというと精神的な問題だろう。要は単純に、なんとなく時計があったほうが力をイメージしやすい、ということだ。
カナはその時空士の異能の他に一般的な系統能力も保持しており、それが武装系の能力だ。召喚できる武器は刀で、当然ながら能力で武器を召喚できても十分に扱えなければ意味がない。武器の強度は魔力の質に左右され、刃の切れ味は研ぎ澄ませた信念の有無と、扱う者の技量次第。
彼女はギルドに来たときには既に抜刀と納刀はもちろん、構えなどの基礎的な部分ができていた。刀の基本は父親に教わったらしい。ギルドではロアやジオを始め、礼、郁夜、静來などの刃を使った経験のあるギルド員たちから教わって鍛錬に励んでいるものの、彼らが扱うのは主に長剣や細剣などの両刃の剣。刀とは似ているようでいて勝手が違う。実際の立ち回りに関してはロアが知識を伝えることでしか学べておらず、あとは独学で磨くしかなかった。そうして伸び悩んでいた彼女に声をかけられたのが龍華だ。
龍華は昔から神社に護身用の刀を置いており、もちろんそれで何度となく実際の戦闘に加わっていたし、そうして今まで生き抜いてきた実績もある。あくまで刀を武器として扱えるだけで刀を極めた達人でもなんでもないのだが、他に刀を扱う者はいない。そのため彼女は龍華に弟子入りを志願した。以降時間をつくってはその指導を受けるようになったのだ。
龍華がカナの指南役を拒まなかったのは、彼女がどうにも危なっかしくて放っておくことができなかったからだ。リアは臆病といえば聞こえは悪いが、それは慎重なのだとも言える。臆病は臆病でも戦場の只中で身がすくんで動けなくなるほどではない。ああいう手合いは基本的に警戒心が強く、慎重に行動するのでミスをすることも少ない。
反対にカナは血の気が多く勝ち気な性格で、加えてまだまだ心身ともに幼い面が多い。常に高みを目指す向上心、その強さを求める貪欲さは戦士としては好ましいが、せっかちな性格も相まって悪いほうへはたらきがちだ。直感力に優れているので考えるより先に体が動く。それ自体は今のところはいい。彼女は咄嗟の場面では正しい判断を下せるのだ。しかし動く前に頭で考える間があったり、そういう直感以外の部分で動く場合がとにかく危うい。物事を冷静に捉えて慎重に行動すべき局面でも、勝ちを急ぐあまり視野が狭まって周囲の警戒を怠ってしまい、いざとなると思慮が浅くなりがちだ。物怖じしないと言えば聞こえはいいが、足りない技量を勢いで埋めようとすることが多く、戦いの場では頭に血がのぼって直情的になるため相手のペースに乗せられやすい。
これまでの任務でもそういう性質がわざわいして失敗を招いたり危ない目にあってきたのを知っている。持ち前の判断力でなんとか乗り切れてはいるが、悪い部分は直すに限る。近頃は学習してきたのか戦いの場でも少しずつ冷静さを保てるようになってきたようだが、まだまだ成長過程で心配が多い。きっと、あの兄妹は互いの性格を足して二で割ればちょうどいい塩梅になるのだと思う。
カナは宣言どおりに十分で戻ってきた。リアもわずかに距離を離されていたものの、大きく遅れることなくコースを走りきった。どこをどう走ってきたのかは見ていなかったのでわからないが、教会までの草原は坂道になっているので、最後の追い込みは堪えただろう。息を切らせたまま刀稽古を始めようとするカナをその場に座らせ、五分間の座禅を命じる。精神統一は建前で、目的は休憩だ。カナは先に述べた性格からもわかるように、強くなることを急ぎすぎる傾向にある。なのでなにかとそれらしい理由をつけて適度に休ませなければ、倒れるまで自分を追い込んでしまう。それで身体を壊しては元も子もない。休息もまた鍛錬のうちなのだ。
龍華が練習用の木刀を差し出すと、カナは待ってましたと言わんばかりに口角を上げ、さっと立ち上がって得物を構えた。龍華は三メートルほど距離をとってから、いつもの習慣でたすきを探しそうになるが、修道服を着ている今は袖をまとめる必要がないことを思い出してカナに向かい合う。
五秒の睨み合いののち、カナが勢いよく飛び出した。稽古といっても最近では単なる手合わせばかりだ。基本的にはカナが先攻で龍華の防御を崩すためにあの手この手でたたみかけ、龍華の守りを崩すことに尽力する。その戦闘技術はギルドに来たばかりのころとは比較にならないほど成長を続けており、最近では龍華もヒヤリとする瞬間があるくらいには剣筋が磨かれてきている。
斬る。斬る。突く。斬る。叩く。一度さがり、突くと見せかけて蹴る。カナはたしかに少女の身ではあるが、毎日欠かさず続けている鍛錬のおかげで基礎体力は備わっており、筋力も申し分ない。年齢を考えれば十分すぎるほどに鍛えられている。小柄な体を活かして俊敏に動き、刀の扱いもしなやかだ。しかしそれははじめのうちだけで、徐々に心の乱れが動きに現れる。
「そこまで」
鋭い号令にカナの動きがぴたりと止まる。決して大きな声ではないが、日頃から読経もこなしているその声はよく響き、するりと鼓膜に届くだろう。うしろで組み手をしていた癒暗とリアの動きまで止まった。
「太刀筋が乱れとる。お前、今なんぞ余計なこと考えよったな? 雑念にとらわれすぎや。熱なったら力んでまう悪い癖があるっちゅうんはなんべんも言うちゃある課題やけど、今のはまた違うな」
龍華の指摘にカナはぐっと口を結ぶ。気まずいときに出る癖だ。図星だったらしい。
「それは……」
「前はマシになっとった乱れがまた出よる。俺の守りを崩す以外に集中せんなんことでもあんのか?」
「……わかってる」
カナは木刀を構えなおし、大きく深呼吸してから再び大きく攻め込んだ。剣先の乱れはなりを潜め、集中力が持ち直ったところで龍華が攻めにまわる。カナが反応できて受け止められるギリギリの速度と威力で、ときおり弱く、ときおり強く。あくまで一方的にはならないよう調整は怠らない。受けられる攻撃と受けきれない攻撃を判別できるかどうかと、その場合にどう対処するか。躱すのか、流すのか。
立ち合いにおいて時間とはまさに命そのもの。たった一瞬の隙、コンマ一秒の判断の遅れが死につながる。躱すのか止めるのか受け流すのか、あるいは跳ね返して攻めに転じるか。直感的に判断して動かなければならない。雑念にとらわれていてはそれが鈍る。そのことはカナも理解しているはずだ。
カン、といっそう高い剣撃音が鳴り、木刀を持つカナの腕が大きく外側に弾き返された。本当の果たし合いならここで急所をひと突きされて絶命している。武器から手を離さなかった意地は認めるが、致命的な防御の崩壊だ。龍華は頭を掻いた。
「あかんなあ、なんやここ最近はえらい調子悪いんとちゃうか? どないした、いつもよりキレ悪いで」
「だ――大丈夫だ、ちょっと寝ぼけてただけだろ。続きを!」
「続けんのはええけど、ほないつもより気ぃ引き締めい。余計なこと考える間ぁなくなったらマシになるかもしれんな」
「わかった。今日こそ一撃入れるからな」
「いや今日は無理ちゃうか? 集中できとらんがな」
「うるせ!」
カナは木刀を低く構えて間合いを詰める。龍華の想定通り、先ほどまでより多少動きはよくなったが、それでもカナの本来の実力を考えると明かに腕が鈍っている。心の曇りを見抜かれた動揺もあるだろう。
「肩に余計な力乗っとるぞ」
五合、十合と切り結ぶ最中に指摘する。二撃、龍華の剣撃が守りをすり抜けカナに届いた。カナも負けじと下から斜めに斬りあげたが、動きがやや大振りだ。さっと躱して一歩懐に踏み込み、柄頭であばらを突く。カナが怯んだところに頭部めがけてぐるりと蹴りを仕掛けた。カナはすんでのところで背中を逸らして躱し、うしろに飛び退いて体勢を立て直すと同時に大きく息を吸って攻め込んだ。突きから始まる連続斬りは攻撃を重ねるほど速度も増していくというカナの得意技だ。魔獣相手でも十分な威力が期待でき、得意とするだけあって技の練度も高い。心身ともに絶好調な状態のカナがこれを繰り出すと、近頃の龍華はその剣撃のいくつかを受け損ないそうになることがあるのだが、今朝の不調気味なカナの技は一切として龍華には届かなかった。
「これ、あなたたち!」
悲鳴にも似た怒鳴り声に全員の動きが止まる。声のしたほうを見ると、ミラが修道院からこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「げっ……」
「あ、い、院長さん……」
「表が騒々しいと思ったら、なにをしているのです。そんな危ないものを振り回してはいけません。すぐにおやめなさい!」
「おいおい、これが喧嘩にでも見えたのか? ただの稽古、鍛錬だろ」
「怪我をしているではありませんか!」
カナは自分の頬に触れて確認する。龍華の蹴りが掠ったらしく、すり傷になっているようだ。血は出ていないが赤くなっている。
「これくらい夕方には治ってる。そりゃちょっとの怪我くらいするって」
「なりません。他の子どもたちが真似をしたらどう責任をとるおつもりで? 龍華さん、癒暗さん、あなたたちまで一緒になっていったい何事ですか!」
「え、いやあ、まあ……」
「院長、言っとくけどオレたちだって遊んでるわけじゃないんだ。武器を持って戦うのも、そのために鍛えるのもオレたちの義務で、あんたらシスターが毎日やってるお祈りと同じくらい大事なことだ」
「だからといって……」
院長に詰め寄ろうとするカナを龍華が手で制し、二人の間に割って入る。
「まあまあ院長さん、大目に見たってぇな。ちゃんと他の子らの目につかん時間にやっとるんやし、本物の刃物は使うとらんのやし。なんなら場所も移さよって、こればっかりは堪忍な」
「道具や場所の問題ではありません。院のルールでどのような事情があれど暴力は禁止と決まっています。もし大きな怪我にでもつながったらどうするのですか」
「暴力だと?」
カナはその言葉が癇に障ったようでミラを睨んだ。癒暗がなだめるようにカナの肩に触れる。
「うーん、まあ突き詰めて言っちゃうとそうかもね。カルセット討伐だって言ってみればただの殺生だし」
「関係ねーよ。やらなきゃこっちがやられるってのに、そんな甘いこと言ってられるかよ。だいたいさっきから聞いてりゃあなあ――」
カナが苛立って前に出ようとするのを龍華が手で制する。
「院長さんの言うことももっともや。ここにおる間はここのルールにできるだけ従うっちゅうように決まっとったしな」
ミラは当然だと言うように頷いている。
「そやけど、従われへんこともあるっちゅうことで神父さんにも話通しちゃあんのやそ。あんま想像つかんかしれんけど、こういう日々の鍛錬は俺らの責務なんよ。心配してくれんなぁありがたいんやけど、これも仕事のうちやから、見逃したってもらわれへんやろか」
「仕事のうち、ですって? こんな野蛮な喧嘩が?」
怪訝な面持ちで聞き返すミラに龍華は思わず小さく笑い声をもらした。
「ははは、可愛らし言い方やなあ、要は殺しの術やでシスター。死ぬか殺すかの世界で俺らは生きとるんよ」
「なんてこと……」
「そやけど、それを野蛮やて頭ごなしに切り捨てんでくれ。俺らはなんかしら守らんなんもんのために戦うんやしょ。少なくとも、それを否定する権利はこの教会にはないんとちゃうか?」
無言。龍華とミラの睨み合いはしばらく続いたが、癒暗が間に入った。
「院長さん、なんだったら神父さんにこのこと言っておいてよ。あとで僕らと神父さんで話し合ってみて、どうするか決めるってことでどうかな。もう時間だし、教会の掃除に行かないと」
「……わかりました。では、この件は神父さまにご報告し、話し合いの場を設けましょう」
「賛成! じゃあ今はそういうことで。カナリア、あとは二人で筋トレでもしてて」
「は、はい」
「ケッ、わかったよ」
子どもたちが起きる時間になると院内は徐々に賑わいだす。朝食を済ませたあとは子どもたちと一緒に修道院内の清掃だ。それを終えてから修道女たちは畑仕事や子どもたちの教育、その他の雑務などそれぞれの持ち場につき、子どもたちは学習の時間となる。
八時三十分から、四十五分間の学習を一限として、十分の休憩を挟みながら四限分修めた十一時五十五分にお昼休憩がある。長めにとられた三十分の休憩時間、早々と昼食を済ませた子どもたちは時間が来るまで外で遊んだり、読書などをして思い思いにすごす。午後の授業は日によってあったりなかったりするが、それが終わればあとは夕方の五時まで自由時間だ。授業を受けない龍華たちはともかく、白たちがリンに合流できるのは授業を終えてからということになる。
「あ、龍華くん。ちょうどいいところに」
修道院内の清掃が終わり、子どもたちが授業の準備にとりかかるころ。身支度を整えるため部屋に戻ろうとしていた龍華をアマネが呼び止めた。龍華に用があったというよりは、誰でもよかったところにたまたま龍華がいたので声をかけた印象だ。
「なんや?」
「あのー、昨日ちらっと聞いたような覚えがあるんだけど。龍華くんたちのところでも子どもたちへの授業があるのよね?」
「そやなあ。各々任務があるさけ、みんなで部屋にそろってっちゅうより、教材見てわからんとこをわかるやつに個別で聞きに行くっちゅう形が基本やけど」
「ほとんど個人での自習なんですってね。でもたまには何人かで集まっての講義もあるんでしょう?」
「ないこたあらへんけど。まあ三人四人ほど集まって、っちゅう程度やったらたまーになあ」
「龍華くんたちは教える側なのよね?」
「おん」
「あの……私、実は今日授業しなきゃいけないんです。教える側ね。今までは言語学の授業なら何度かしたことあったんだけど。下の子たちに基本的な読み書きを教えたりとかね。けど、今日は別の科目で……」
「手伝ってほし、っちゅうことか」
龍華が察してそう言うと、アマネはぱちんと両手を合わせて頭を下げた。
「お願いっ! 四限目の歴史なんだけど、私あんまり得意じゃなくって……何度も予習したけど不安なのよ。龍華くん、大戦時代の世界史とか得意だったりしない?」
「俺はどっちかっちゅうと魔力学やら宗教学しか慣れとるし、世界史もまあ知らんっちゅうこたないけど……今日はリンとこ行くんに出やんなんやしょ」
「そんなあ」
「ここの授業でやるんは言語と算術の他に、生物学、体育、歴史と、たまーに魔力学やったな? なんで言語やのうて歴史がアマネにまわってきたんや。得意な人がやるもんとちゃうんか?」
「普段は神父さまと別のシスターが担当してるの。でも神父さまは今日は出られなくて、シスターは風邪をひいてしまったみたいで。それで代理が必要だったんだけど、ミラ院長がいい経験になるだろうからって私に……」
「神父さんも授業するんか」
「ええ、歴史と魔力学だけね。歴史は他のシスターと交代でだけど、魔力学は他に詳しい人がいないし、必須科目じゃなくて授業数も少ないから神父さまがお一人で。そもそも本来はカリキュラムになかった科目なのよね。神父さまがこの教会にいらしてから始まったの」
「ほー、俺らんとことは真逆やな。言語は公用語を読み書きできりゃオッケー、算術は足し引きできりゃオッケー。他のんはおまけで、めっちゃ詳しいやつがちらほらおるだけ。それよりなんより魔力学と体術が必須っちゅうのがうちの方針やからなあ」
「えっ、そうなんだ。魔力学なんて日常ではほとんど使わないから、ここではそれこそおまけよ。……でも困ったわ。それじゃあ本当に私一人で出ることに……」
「あー、学やったら座学はなんでもできら。さすがにその時間は起きとるし、なんやったら癒暗でもええわしょ。歴史はおまけや言うたけど、教材読んで書いての勉強っちゅうことはしやんだけで、わりかし日常的に話は聞いとるから。まあだいたいは知ってんで」
「そうなの? じゃあ頼んでみようかしら……学くん、今はお部屋に?」
「せやろなあ。出る準備せなんから部屋戻るさけ、俺から学に言うとかよ。ほな帰ってくら」
「え、っと……声かけといてくれる、ってことでいいのかしら……あ、ありがと! お願いね」
次回は明日、十三時に投稿します。