5 清廉潔白の身の証
「アマネの服を最初に見たときからずっと思ってたけど、やっぱり僕これ似合うよね」
しばらくの滞在に先駆けて変装用の修道服の試着をおこない、ジャストサイズのシスター服を着た癒暗が姿見の前で体をひねって、肩や背中を確認しながら自信満々にそう言った。この修道院のシスター服は黒いロングスカートのワンピースのようなデザインで、さすがの癒暗もその下に男物のズボンを履いているが、ベールも他の修道女たちと同じものだ。それでもたしかに彼の言うとおり、よく似合っていてまるで違和感がない。黙っていれば多くの人が女性と見間違うだろう。
「まさか本当に着るとは……しかも本当に似合うし。私より似合ってない……?」
「写真撮って玲華と兄者に送ろ。はい、チーズ」
変わった合図とともにシャッター音が鳴り、写真が端末に保存される。手慣れたものでポーズも表情も、角度に至るまで抜かりのない写真うつりだ。
「え、えっと、龍華くん、そっちはどう?」
グレイスが言っていたとおり、彼が以前に着ていたという修道服だ。今のグレイスは白い服を着ているが、これは黒が基調となっている。龍華は袖を気にしながら着心地をたしかめた。
「そやなあ、これやと袖と裾だけちぃといじったら着れらなあ。裁縫道具貸しとくれ」
「肩幅とか胴回りは大丈夫なの?」
「ちょうどええくらいなんとちゃうか。肩はちと余っとるが柔らかい生地やし、わからんわからん。別に変やないやろ?」
「まあ、たしかに……それじゃあ、二人ともそれで大丈夫そう? えっと癒暗くん……本当にそれでいいの?」
「うん、ていうか下にズボン履くなら龍華とそんなに変わらなくない?」
「いやいや変わるわよ、全然違うわよ。たしかに神父さまの服も龍華くんの服も裾が長いけど、あれはローブだし。でも癒暗くんのそれはスカートだからね?」
「これくるくるまわったら広がる! かわいいー」
「癒暗くん聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。アマネの言いたいこともわかるけど僕はこっちがいいな。ねえ僕かわいいよー」
座ってお茶を飲みながら休憩していた白たちに癒暗が呼びかける。カナは指で丸を作ってみせ、リアは小さく拍手しているし、白はにこにこしながら頷いている。誰も止める者がいないのはいつものことだ。
「か、変わった子ね……初めて出会ったタイプだわ」
「あら年季の入ったぶりっ子っちゅうやっちゃな。あいつァとりあえず自分がかわいけりゃなんでもええねん。ほっといたらええわ、好きにさせたりい」
「龍華ー、返事来たよ。兄者と玲華もかわいいって」
「はいはい、帰ったら似たようなん作ったらよ」
「やったー」
「アリアに怒られないか?」
「あん娘そんな厳しないやろ」
「そ、それじゃあ二人ともそれで決まりね? 学くんは着なくていいの?」
「うん。神父さんのおさがりは俺には大きすぎるし、俺に合わせてサイズ直すのも手間だし。かといってこの数日のために新しく見繕うのはもったいないからねえ」
試着をしながら続けた話し合いの結果、龍華と癒暗と学の三人が日替わりで宿に戻ってリンの護衛にあたり、必要に応じて全員で集合する――という流れに決まった。のちほど場が落ち着いてから、癒暗がリンへの連絡のため一度宿へ戻る手筈だ。今日に限らず定期連絡は機動力のある癒暗の役目になる。
教会にいる間、白たちは子どもたちにまざって潜伏し、龍華たちは修道女たちの手伝いをしながら周辺の警戒に努め、自由時間には町の調査に出る。教会は朝が早く、起床から就寝まで一日のタイムスケジュールも決められているのだが、学は交渉の結果、体調を優先すべしと判断され早起きが免除となった。
部屋割りは二人で一部屋。カナと白、リアと癒暗、学と龍華の組み合わせだ。各自部屋に荷物を置いてひと息ついたころには、外は既に日が傾き始めていた。時刻が午後四時をまわったころに癒暗が一度リンのもとへ出発したが、帰ってくるまでに一時間以上も経過していたのは、徒歩で町を移動していたからだ。能力で自由に空を飛べる癒暗だが、今はまだ目立つ行動を避け、そして必要以上に魔力を消費するべきでないという判断をくだしたのだろう。
夕食は午後六時からと知らされており、頃合いを見て食堂へ向かうと既にほとんどの修道女や子どもたちがそろっていた。全員が一堂に会する食事の場を借りて、グレイスが癒暗たちを皆に紹介する。別の孤児院からやってきた留学生たちと、教会の手伝いと子どもたちの引率として同行した見習い修道士――というのが、事前に打ち合わせた設定だ。修道女たちは先に真実を聞かされているが、この場での紹介はその口裏合わせも兼ねている。
歓迎の拍手を受けながら席につく。なんの因果か、カイトたち四人と同じテーブルだ。アマネがミラに言ってはからったのかもしれない。ユウリが怪しいものを見るような目を癒暗に向ける。
「……なんで男なのにシスターの服着てるの?」
最初に食堂へやってきたときから、彼はじろじろと癒暗を見張っていた。まだ話したことのない子どもたちや修道女たちの大半は、おそらく癒暗を少女だと思っているので気にしていないが、男だということを知っている彼らにしてみれば当然の疑問と言えるだろう。対する癒暗は平然としている。
「なんでって、かわいいから」
「か、かわいい……から?」
「そうだよ。かわいい僕がかわいい服を着るのは当たり前だよ。……あ、このサラダおいしい」
「なにそれ、男のくせに変なの……」
ミリアが興味津々で白のほうに身を乗り出す。
「ねーねー、どんなとこから来たの? 他の孤児院から来たんでしょ?」
「ここからだとちょっと遠いとこだよ。私たちのところはここよりもう少し人が多くて賑やかなんだ」
「どれくらいこっちにいるの?」
「んー、どうなんだろ。そんなに長くはならないと思うけど、早かったら二、三日。長引くとどーなるかな……予定では十日前後のつもりだけど」
「えー? バラバラすぎてわかんない」
「お、大人の事情ってやつですよ。きっと……僕たちもあまり詳しくはわからないんです」
「あ、あの……このお兄ちゃん起きてる? 寝てる?」
「うおっ、マジだ。おい学、せめて飯くらい食っとけよ、あとでキツいぞ!」
ルリに指摘され、座ったまま半分眠っている学をカナが揺り起こす。カイトは呆れたように笑っている。
「年上って言ってたのに、オレたちよりウルセーじゃん」
「難儀やなあ」
不意に足音がして顔を上げる。グレイスがこちらに歩いてくるところだった。彼は癒暗の前で止まると、カイトと癒暗を交互に見ながら口を開く。
「カイトくん、癒暗くん。食事のあとで構いませんので一階の談話室に来てください」
「うっ、は、はい神父さま……」
「うん? はーい」
それだけ伝えると、グレイスは食堂を去って行った。彼はもう食事を済ませたのだろうか。近くに座っていたアマネにそう尋ねてみると、アマネは困ったように笑った。
「ああ、神父さまはね、普段からあまりみんなとお食事されないんです。子どもたちが誘ったときは一緒に食べることもあるんだけど、基本的にはご自分のお部屋で召し上がってるわ」
「一人で?」
「ええ。自分がいると私たちがリラックスできないと思って気を遣ってくださってるのよ。お優しい方だからはっきりとは仰らないけど、よく『私のことは気にせずゆっくりなさってください』ってお声がけしてくださるもの」
「ふうん」
「そういえば、お食事だけじゃなくてお風呂もね。私たちは子どもたちとも一緒に入るけど、神父さまは子どもたちに遠慮していつもお一人で入られるそうよ。みんな神父さまが一緒だとよろこぶし、そんなに気を遣わなくてもいいのにね」
「神父さんはどれくらいこの教会に?」
「そうねえ、四年くらい前からだったと思うわ。そうやって私たちに気を遣うのも、まだご自分を新参者だと思ってらっしゃるからなのかも」
「そっか。四年もいればたいしたものだと思うけど、本人がそう思ってるならたしかに気を遣うのかもね。……あれ、カイトどうかした?」
カイトが沈んだ表情でため息をついているので声をかけると、カイトは粗相をしたあとの子犬のような目で癒暗を見た。
「食べたら来なさいってやつ、ゼッタイお説教だよ。昼間のこと、まだ叱られてねーんだもん」
「あー。……ん? あれっ、じゃあ僕もお説教? なんで?」
「オマエは違うんじゃないの? 修道士さんのさ……なんか、これからの話とか? お仕事の」
「そうかなあ。んー」
そのまま食事を終えて食堂を出ると、言われていたとおりに談話室へ向かう。時間が経って頭が冷えたのもあってか、カイトは気が重そうだ。
談話室に着くと、まずカイトが呼ばれて中に入った。癒暗は一人で廊下に残され、ただ待っているのも退屈だったので、扉の隙間から中を覗いて耳をそばだててみる。カイトが予想していたとおり、川での喧嘩のことを叱られているらしい。
グレイスはカイトの目線に合わせて屈み、アマネから受けていた報告の内容を話して嘘がないかを確認し、なぜそのような事態に陥ったのか、どうしてそんなことをしようと思ったのかの心の経緯を尋ねた。カイトの言い分をすべて一度も遮らずに聞き、なにが悪いことで、なぜそれが悪いことなのか、どうすればよかったのかを問いかけ、カイトに自分で考えさせて反省を促す。声を荒げたり威圧することは一切なく、穏やかに優しく諭すように、導くような話し方だ。
カイトが十分に反省したところで、二度と同じ失敗を繰り返さないようにと言い聞かせ、わかってくれたのならそれでいいのだと、そっと頭をなでる。優しい、あまりにも優しすぎる説教だが、ここの子どもたちにはきっとその優しさが効果的なのだろう。怒鳴らない、声を荒げない、ぶたれもしない。こんなにも優しいグレイスを自分は悲しませている――そんな思いが反省に繋がる。みんなから好かれているグレイスが叱るからこそ、子どもたちはよりいっそう自分自身のおこないを悔い改めるのだ。カイトもアマネに叱られたときより素直に受け答えをしている。
部屋からカイトが出てくると、次は癒暗が中に呼ばれた。カイトは癒暗が呼ばれたのは説教ではなく、仕事に関する話をするためだと予想していたが、ギルド側の代表役は龍華が買って出ていたので、全員がそろっていたあの場で龍華ではなく癒暗が呼び出された理由としては不自然だ。
中に入って扉を閉める。グレイスは最初に会ったときと同じように窓際に立っていた。癒暗は指で頬を掻く。
「うーん、神父さん。僕もなにかのお説教?」
「お説教……と言いますか、お願いと言いますか。お部屋に貼られてあるスケジュール表と、アマネさんにお渡ししていたスケジュール表はご覧になられましたか?」
言われて記憶を探る。たしかに部屋の壁には子どもたちの一日のタイムスケジュールが書き込まれた表が貼られており、龍華と癒暗には修道女たちのスケジュール表をアマネから預かっている。夕食の時間もそれを見て知ったのだ。
「うん、でもまだちゃんとは見れてないんだけど」
「そうでしたか。ではお部屋に戻ったらしっかりと確認しておいてくださいね。ここでの規則や注意事項も書かれてありますから」
「ははーん、僕がそのどれかに抵触したってことだね」
「はい。ですが今回は初日ですし、我々も十分な説明ができていませんでしたから、お声がけで留めます。明日から気を付けていただければ幸いです」
「ちなみにどんな規則があるの?」
「そうですね、まず当院の門限は十七時までとなっています」
「あー、それね。たしかに十五分くらいすぎてたかも」
「これらは子どもたちも修道女たちも共通の規則です。十九時以降の外出は全面禁止、消灯時間は二十一時なので、以降は部屋から出ないようご協力をお願いします。それから事件のこともあって当面は子どもたちだけでの外出を禁じていますので、もし同伴者なしで遊びに行こうとしている子どもたちを見かけた場合は注意してあげてください。外出時は許可なくウォルトの外に出ないこと。北にある森と、裏にある山には立ち入らないこと。どんな理由があっても暴力は禁止です。喧嘩は話し合いで解決すること。子どもたちの手前、あなた方だけ免除するというわけにもいきませんので、ご理解ください」
「うん、極力守るよ。でも神父さん、わかってるだろうけど、守れないときも当然多くあるからね? 僕らは事件を調べるためにここに来たんだから、必要なら夜中も出歩くし、一日中帰らないことだってあるかもしれないし、立ち入り禁止の場所にも入る。せめて子どもたちが見ていないところで動くつもりだけど、そこは妥協してね」
「それは……ええ、もちろんです。警備隊の方々がいらっしゃるまでは……ですが、あまり危険なことはしないでください」
「ううん、危ないこともするし、警備隊が来ても変わらないよ。僕らは修道院や孤児院の体験留学のために来たんじゃない、戦うために来た存在だってことをどうか忘れないで」
「肝に銘じておきましょう。……すみません、いけませんね、どうにも割り切れなくて。私はどうしても、あなたたちが心配でならないのです」
「心配しなくても僕らは神父さまが思ってるほど弱くないから、事件のことはしばらく僕らに任せてみてよ」
無言の時間が流れる。グレイスは憂いを帯びた表情で窓に目をやり、小さく息をついた。癒暗は話を変えた。
「神父さんはご飯もお風呂も一人で済ませちゃうって聞いたんだけど、子ども苦手なの?」
唐突な質問にグレイスは意表を突かれたような顔で振り向いた。
「えっ? いえいえ、子どもは大好きです。素直な子もやんちゃな子も、明るい子もひかえめな子も、ええ、かわいらしくてなりません」
「そうなんだ。てっきり子どもが苦手だから避けてるのかと思ったよ」
「決してそのようなことはありませんよ、神に誓って。ただ、私がいるとみなさん気が休まらないでしょうから……」
神父はわずかにうつむいて、穏やかに微笑んだ。
「子どもは好きです。愛らしく、か弱く、なんとも尊い存在です。ですが知恵も経験も浅いため、人々が持つ悪心への警戒が薄く、悪意の餌食になりやすい。だからこそ我々のような大人が守らなければなりません。手段を問わず、必ず保護しなければなりません」
「そうだね。無知で無垢で純粋な子どもほど、悪い人に利用されやすいんだ。その結果、すべてを失う理不尽を課せられる子だって少なくない。そういう子たちを守ってあげたいのは僕も同じだよ」
「……癒暗くん?」
「僕、そろそろ戻っていいかな? 教会の決まり事の話はみんなにも言っておくよ」
「ええ、よろしくお願いします」
次回は明日、十三時に投稿します。