3 不変であり、秩序なき平穏
結論から言うと、現在のウォルトに警備隊はいなかった。とはいっても、それは警備隊にウォルト部隊が存在しないというだけで、現地の人々から聞いたところによると、数年前から定期的に外部から見回り隊が派遣されるようになっており、常駐こそしていないものの治安維持の対策がまるでないという以前の状況からはわずかに進展したようだ。
ウォルトはセレイア領に囲まれた中にあるので、セレイアにある部隊の一部がパトロールに来ているのかと思いきや、担当しているのは多くの場合が西大陸最南端にある国家、エレスビノ国の部隊らしい。治安最悪で毎日が事件で大騒ぎのセレイア国を管轄している部隊には、治安がよく仕事のないウォルトに人手を割く余裕などはないので、ウォルトの治安維持はエレスビノに一任しているとのことらしい。セレイアから人手が来るとすれば、せいぜいエレスビノ部隊が来られない場合にのみ臨時で、ほんの数名が申し訳程度に派遣される程度だ。
しかしなぜ、現在進行形で行方不明事件が起きているウォルトに、このあたりの治安維持に加担している警備隊員がいないのだろうか。市場のほうで聞き込みをおこなってみたところ、その理由がなんとなくだが見えてきた。
「行方不明の話って、私たちが思ってたより騒ぎになってないんだね?」
ツインテールを揺らしながら首をかしげる白に、癒暗が頷く。
「心配して不安がってる人はたしかにいるけど、噂程度にしか知らなかったり、まったく知らないって人のほうが多いし。その行方不明になった子が具体的に何人いるのかはわからないけど……まだ話は大きくなってないみたいだった」
学がじっとうつむいたまま考え込んでいるので、カナが目の前で手を振った。
「学、起きてるか?」
「起きてるよお」
「むずかしい顔して、どうかしたんですか?」
リアの問いかけに、まだ少し眠そうな学は口元に手を当てながら自信なさげにうなり、ゆったりと続ける。
「んー……ただの憶測なんだけどさあ」
「なんや、なんぞ気ぃ付いたか?」
「行方不明事件を知っている人とそうでない人の違いは、住んでる地域にあると思うんだ」
「どーゆうこと?」
「市場でいろんな人に話を聞いてまわった中で、事件を知っていた人は……最後に話を聞いたおじいさんと、露店で野菜を売っていたおばさんと、鍬を担いだお兄さん。あとバンダナのお姉さんと、女の子をつれたお父さん。忙しそうだったから詳しい話はなにも聞けなかったけど、みんな農家さんじゃないかなあ」
「八百屋のおばさんと鍬持ったお兄さんはまだわかるけど、他の人はどうして?」
癒暗が初歩的かつ素朴な質問をする。これにはリンが代わりに答えた。
「おじいさんは両手の爪の間に土が詰まってたし、ポケットに土で汚れた軍手が見えてたわ。バンダナの子は靴に牧草と、肩に鶏の羽根がついてたから、たぶん畜産家の娘でしょうね。子どもをつれた父親は荷車に肥料を積んでたじゃない。あんたたち見てなかったわけ?」
「爪の間なんぞ見えるかいな」
「それでねえ、市場や住宅街が密集してるのは町の中心部で、図書館とか公園とかのいろんな施設も、そのあたりに固まってる。一方で中心部から離れた外側の、農家の人たちが住んでいるあたりには畑や牧場以外に目立つものはないよねえ」
学の言葉を聞きながら龍華が地図を開いて確認する。
「……ほんまやな。街灯の数もここたししか多いみたいやし、人通りも集中しとる。このへんに住んどる子らは町にある施設でそのまんま遊んだらええけど、農家の子らにはちと遠いわなあ。けど農場周辺は遊び場も少ない。ほんでもって、まあその子らがどこで遊んどったにしても、帰りが遅なったらまわりは真っ暗。ひと気もなけりゃ攫いやすいっちゅうことか?」
「そうそう。ウォルトは町の北側の少し離れたところに森があって、東側には例の領主が棲みついていたっていう山があって……山から下ってきた川が北の森と町の間を通って、ここのずうっと西にある大河までつながっているから、近所の子どもたちの遊び場になりそうなのはその川とかじゃないかなあ」
「な、なるほど……学さん、ウォルトに来たことがあるんですか?」
「え? いやあ、はじめて来たけど」
「にしてはやけに詳しいじゃねえか」
学はへらへらと笑いながら両手をふらふら振った。
「そんなことないよお。今言ったことは全部、その地図を見ればわかることだし。俺じゃなくても考えつくことだよお」
「今日は調子ええみたいやな?」
「昨日ずっと寝てたからかなあ、今は昨日ほど眠くないよ。いつまで持つのかわからないけどねえ」
「ちーちゃんも出てきてないもんね」
ちーちゃん、というのは学と身体を共有している別人格、竹鬼の愛称だ。白をはじめとした一部の面々は彼をちーちゃんとかくーちゃんとか呼んでいる。本人はたいそう嫌がっているが、どうにも言いにくい名前を名乗っている以上、ある程度は仕方がないことだと思う。竹鬼が表に出ればそれだけ学の身体に負担がかかり、睡魔となって学を苛むのだ。昨日は竹鬼もおとなしくしていたようであるし、一日のほとんどを寝て過ごしていたのもあってか、話し方は相変わらずのんびりしているものの、今日の学はいつもより意識が明瞭で頭も冴えているようだ。
「んー、でも眠いは眠いからねえ、俺の言ってることが変だったり矛盾してるって気付いたら教えてね」
「龍華、今回は竹鬼が出てこないほうが都合よさそうだし、しばらくイタズラで出てきたりしないように……とかってできない?」
癒暗が提案すると、龍華は顎をさすりながら決定を渋った。
「術でちょっとの間ぁ封じるっちゅうんやったら、できんこたあらへんけども……竹鬼はあらァあれで学を守っとるもんやし、いざっちゅうとき困らんか?」
「私は癒暗に賛成ね。正直、学は最低でも今くらい思考がはっきりしてたほうが助かるし。それにあいつ、学の身体だってのに入れ替わりの主導権がそっちにあるからって好き勝手に出てくるじゃない。それだけでもなんとかならないわけ? 頭脳の要が眠りこけてちゃ、あんたたちも困るでしょ」
「そやなあ……ま、考えとかよ」
「今回は俺が頭脳なんだ? わあ、すごいプレッシャーだなあ。俺あほあほなのに」
「あほあほっていうかふわふわなんだよな……」
「ねーねー、とりあえずその北のほうにある川に行ってみよーよ。誰か話聞ける人いるかもしんないし」
全員が頷き、一同は地図にあった川を目指した。人々の往来が激しい街路を抜けて北へ。だんだんと建物の数が減り、人通りもさびしくなっていき、やがて視界のひらけた農業地が目につきだす。背の低い民家と豊かな緑によって織り成されるのどかな風景。目的の川には迷うことなく到着した。
川幅はやや広いものの深さはなく、一番深いところでも龍華の膝までくらいだろう。流れもゆるやかだ。地元の子どもたちと思しき幼い少年少女たちが数人、川に小石を投げ込んだり水をかけあったりして遊んでいる。仲のよさそうな少人数のグループが何組か、まばらに同じ川に集っており、このあたりの子どもたちの主な遊び場がここであるという学の推測は当たっているようだ。
川の向こうには一メートルほどの高さの、木でできた古い柵があり、そこから先の平原は町の外になる。森があるのはその向こうだ。その柵に寄り添うようにして何人かの大人がそれぞれ子どもたちの集団を微笑ましそうに見守っている。それが事件が起きる前からの習慣なのかはわからないが、話を聞いてみるべきだろう。川上と川下を交互に確認すると、離れたところに小さく華奢な橋がかけられていた。川面から突き出した岩に木の板を渡して岸と岸をつないだだけのもので、橋と呼ぶのも憚れるほど粗末な造りだが、保護者たちはそこから向こうに渡ったのだろう。橋はひとつだけではなく、等間隔と言えるほど規則正しくもないが、一定の距離をおきながらも設置できる場所には設置している、という印象だ。少なくとも公的に備え付けられたものではない。誰かが親切で置いたものを、他の人々がありがたく利用しているという状況か。
近くにある二本の橋の間に、子どものグループはひとつ。川で水遊びをしている四人の子どもたちと、四人を見守っている一人の保護者がおり、保護者と言っても癒暗たちとそう歳の変わらない少女だ。丈の長い黒のワンピース姿で、どこか見覚えのある服装だが、ひとまずその少女からなにか知っていることがないか尋ねてみるべきだろう。
「あのおねーさんに聞いてみよっか」
「そうだな」
子どもたちの近くまできたところで白が引率の少女を小さく指差し提案する。どちらかの橋を――と癒暗が切り出すより先に、カナが目の前の川面から顔を突き出していた岩に軽々と跳び移って向こう岸へ渡った。龍華と学はその場を通り過ぎて橋のほうへ歩いていき、リアもそれを見て二人についていく。癒暗はわずかに迷ってから龍華を追いかけようとしたのだが、その判断を下すまでの二秒の間に、それどころではなくなってしまうのだった。
カナに続き、リンが同じようにして向こう岸へ渡ろうと岩に跳び移ったのだが、直地の瞬間に近くにいた四人の子どもたちの一人、青髪の少年がリンに向かって水をかけたのだ。不意を突かれ、おどろいたリンは足を滑らせて川に転落する。
「うわっ!? 冷たっ……!」
「リン、大丈夫?」
リンが少年を睨みつける。少年は白より幼く、おそらく八歳くらいだろうか。うしろには同じくらいの年代の少女が二人と、その三人より少しだけ年上の少年が一人。青髪の少年は一瞬うろたえたように見えたが、すぐに仁王立ちでリンを見下ろす。
「オイ! ここはおれたちのナワバリだぞ! よそのヤツはあっち行けよ!」
「はあ? 見ず知らずの相手にいきなり水ひっかけといて、まず言うことがそれなわけ? この川はあんたのものじゃないし、縄張りもなにもあるわけないでしょ!」
「カイト、なにしてるの! ご、ごめんね、うちの子たちがっ!」
黒服の少女があわててやってきたが、カイトと呼ばれた青髪の子どもは悪びれる様子もなくふんぞり返っている。
「わざとじゃねーもん。ぐーぜん水がかかって、コイツが勝手に転んだだけだし!」
「ちょっと、あんたが故意にかけてきたんでしょうが! 叱られるのが怖いなら最初からこんなバカなイタズラするんじゃないわよ! ……はぁ、これだから子どもは嫌いなのよ」
「オマエだって子どもじゃん、バッカじゃねーの?」
「誰に向かって言ってんのよ、あたしはあんたよりずっと年上だっての! あんたみたいなクソガキにバカにされる筋合いはないわよ! ったく……あーもう、超ムカつく。さっさと謝りなさいよ! 今ならまだ許してあげてもいいから」
「誰が謝るかよ、ばーか、ちーび」
「こらカイト! そのお姉ちゃんに謝りなさい!」
「アマネ、おれ悪くねーもん! コイツが勝手に!」
「あんたねえ、謝れば許すって言ってんだから、素直にごめんって言えば!? たった三文字、そんなこともできないわけ? 普段どんな教育受けてんのよ、親の顔が見てみたいってまさにこのことよね!」
「うるせーよ!」
その言葉を聞いて逆上した少年がリンに殴りかかる。アマネと呼ばれた黒服の少女が止めようと身を乗り出したが、リンは動じずその右の拳を掴み止めると、そのまま少年の腕を掴んで小さな身体を軽く投げ飛ばした。いとも容易く投げ技にかけられた少年は川面に叩きつけられ、リン以上に全身がずぶ濡れになる。
「ふん、私がアーロンだったら不敬罪で打ち首にしてるところよ」
「か、カイト!」
まわりで事の流れを見守っていた他の子どもたちが心配そうに少年に駆け寄った。少年はうつむいたままぎゅっと唇を結び、ぶるぶると震えていたかと思うと、やがてこらえきれなくなったように大声で泣き喚いた。
「うわああああああ! うわあああああああん!」
「カイト、大丈夫!?」
黒服の少女が長いスカートの裾を膝までたくしあげて縛り、ざぶざぶと川に入って少年を助け起こした。一緒にいた子どもたちの一人、ゆるくウェーブのかかった金髪の少女がリンを睨む。
「ちょっと! カイトに謝ってよ!」
金髪の少女のうしろで心配そうに成り行きを見守っていた黒髪の少女が、痩せ細った体を震わせながらもつられて抗議する。
「そ、そうだよ、あんまりだよっ」
「わざとじゃないって言ってるのに、泣かせるなんて、カイトがかわいそう!」
パチッ、とリンの頬をなでるように小さな火花が散った。カナをはじめとしたその場のギルド員たちがぎょっと血相を変え、癒暗が大あわてで川に飛び込んでリンをなだめる。
「わああーっ! リン、リン、リン、落ち着いて! 川で漏電はマジでやばい!」
癒暗の動きに合わせて揺れる小さなポニーテールと、わざと袖を余らせたあざとい服装に、子どもたちの中の最年長と思しき茶髪の少年が不快そうな目を向けた。
「……女みたい。気持ち悪」
「うん? 今なんかよくわからない雑音が聞こえた、ような……いや、気のせい気のせい」
「ちょっと、無視しないでよ! カイトに謝ってよ!」
リンのほうへ詰め寄ろうとした金髪の少女の前にカナが立ちふさがる。
「いい加減にしろよ、そっちが先に仕掛けてきたんだろ。まず先にそいつがリンに謝るのが筋ってもんだ」
「なによ、その子のせいでカイトが泣いちゃったんじゃない!」
「泣いてるからなんだ? リンはそいつが殴りかかってきたから身を守っただけだ。それとも黙って殴られればよかったって言うのか? だいたい自分がしたことを責められたから暴力振るうなんて、情けないったらねえよ。男として恥ずかしくねえのか?」
「おうおう、なんやなんや、ちいっと離れとる間になん揉めてん?」
橋を渡ってきた龍華、学、リアの三人が合流する。急にこちらの人数が増えたためか、子どもたちはややうろたえた。癒暗が事のあらましをかいつまんで説明すると、龍華は呆れたような困ったようなため息をついた。
「なーんね、しょうもないことでほたえなや。ちびっ子が逆ギレするんは世の摂理っちゅうもんやないか。かわええもんやで、元気な証拠やしょ」
「もー、能天気なんだから」
「よっしゃ、ほいたらこうしよか。ちびっ子は四人やな? みんなこっち来い。ええからええから、早う来い。やいやい口喧嘩しとっても埒あかんねやし、面白いほうで解決するんしかええじゃろ」
龍華が子どもたちを手招きして急かすと、子どもたちはお互いに顔を見合わせてから怪訝そうな顔でそろそろと龍華に歩み寄る。黒服の少女につれられて川からあがっていたカイトも同じくだ。龍華は地面に屈むと柵の支柱の傍に生えていた大きな葉っぱを持つ雑草を五枚むしり、四人に一枚ずつ持たせた。
「これをな、こうやって茎んとこをシャツのボタンに結んで……よし。リン、お前はんもほれ。準備ええな? 今からゲームで決着つけい。君らがリンにこの葉っぱ全部取られたら負けで、逆にリンの葉っぱを取ったら君らの勝ちや。君らが負けたらその……カイトくんか? ちゃんとリンに謝りや。ほんで君らが勝ったらリンが謝る」
泣き止んだカイトが目元をこすりながら、ふん、と鼻を鳴らす。
「四対一なんてすぐ終わっちゃうぞ」
「ほんまかあ? どっちが勝っても恨みっこなしやで、ええな?」
「ちょっと龍華……」
「リン、あんじょう頼まよ。ちいと身体動かして楽しなったら、怒っちゃあったことら、すぐ忘れらよって」
「ガキいたぶってイキったところでしょうがないし、ほどほどに遊ばせるのはいいけど、それはそれとして勝ちは譲らないわよ。私にロアや礼みたいな慈愛も博愛も期待しないでちょうだい」
「そこは任せら。世の中、正義が勝つんやのうて、勝ったほうが正義なんやさかいなあ」
リンの肩をぽんと叩いて送り出す。カナと白が審判役として勝負を見守ることになり、龍華と癒暗は黒服の少女とともに川べりに腰を下ろした。学とリアも傍で休んでいる。
「お姉さんのそれ、修道服だよね。ベールがないからすぐにわからなかったけど、教会の人?」
「え? ええ……そうだけど、あなたたちは? このあたりじゃ見かけない顔だわ」
「僕は癒暗、こっちは兄さんの龍華。そこの眠そうなのが学で、その隣がリア。あっちのずぶ濡れがリンで、ツインテールが白、向こうのイケメンがカナだよ」
「教会の者やったら話くらい聞いとんちゃうか? 俺らはロワリアにあるギルドの者で、ここいらで子どもが行方不明になっとるっちゅう事件の調査に来たんや」
修道服の少女は動揺する。
「そういえば、たしかに神父さまが、調査員の方が事件を調べに来てくれるっておっしゃってたような。でも、あなたたちが? あんな……子どもたちまで?」
「子どもだけいなくなってるって話だから、囮役も兼ねてね。もちろん全員そのことは了承済みでここに来てるよ」
「一応しばらく教会で世話んなるよってに、よろしゅう頼んまよ。そいでまあ、今朝は教会の前に町のほう行って情報集めとったんや」
「なんにも収穫なかったけどね。それで教会への道すがら、このあたりでもなにか聞けないかと思って来てみたんだ。思わぬアクシデントが起きちゃったけど……」
こちらの事情を把握し、警戒を解いた修道女はぺこりと頭を下げる。
「私はアマネ。修道女だけど、まだなったばかりで……まあ、見習いみたいなものです。リンちゃんと喧嘩になったのがカイトで、あっちの金髪の子がミリア。そのうしろのおとなしそうな黒髪の子がルリで、あの中で一番大きいのがユウリ。さっきはカイトがごめんなさい。あの子、根はいい子なんだけど、やんちゃっていうか、ときどき少し意地悪なところがあって……」
「子どもっちゅうのはそういうモンや……ち言いたいとこやけども。暴力はあかんなあ」
「いつもはあんなことする子じゃないんだけど……普段からなにがあっても暴力は絶対にダメだって教えてあるし、物にあたることはあっても、人に手を出そうとしたのは本当に今回が初めてなのよ」
「リンに親のことを言われてカッとなったのかもね」
癒暗が言う。教会の者ということは、つまりあの子たちこそがその教会にある孤児院の子どもたちだ。親に捨てられた、親を亡くして引き取り手がなかった、育てられないと判断した親が預けた――事情は子どもの数だけあるだろうが、どうあれ全員等しく親がいない。カイトにはカイトの事情があるだろう。親元を離れて孤児院で世話になっているだけに、親という言葉に過剰に反応してしまった可能性は高い。アマネは目を伏せてぎゅっと唇を噛む。
「そう、ね。そうかもしれない……院には孤児であることを全然気にしてない子もいるけど、やっぱりどこかで気にしてる子のほうが多いし……」
「反応からして完全にカイトの地雷踏んじゃったね」
「そら気の毒な話やし、リンの言葉が気に入らなんだんはすまんかったけども、ちゃあんと叱っときや。もしひっくり返ったんがリンやなくて、もっとちっこい子やったらどないすら? リンは怪我せなんだけど、ひょっとかしたら転んだ拍子に頭ぶつけとったかもしれんで。子から親奪うんはどえらい恐としこっちゃけどや、親から子奪うんも同しやしょ」
「え、えっと……ええ、もちろん、カイトには厳しく言っておきます」
「見習いっちゅうことは、アマネは教会来てからそんな長ないんか?」
「いいえ。私はあの孤児院で育ったのよ、赤ん坊のときからね。だから修道女としてはなったばかりの見習いでも、あそこで暮らす人としては古株って言ってもいいわ」
「そうなんだ? よかった。それで、事件のことなんだけど」
癒暗が話を変える。アマネは困ったように頷いた。
「もちろん、子どもが行方不明になっているってことは知ってるわ。院でも三人が行方不明になっているし、町でも何人か同じようにいなくなった子がいるって。ただ……私はそれくらいのことしか知らなくて。その子たちがいなくなった当日は、今日みたいにカイトたちを見ていたし、そもそも子どもたちの遊びにシスターたちが同伴するようになったのも、行方不明者が出てからだから……」
「前までは自由にさせとったんか。そいでもあの子らだけ姉ちゃんがついてっとったんやな?」
「私があの子たちについているのは、ルリが心配だからよ。あの子は身体が弱いから、あまり無理しないように見ててあげないといけなくて。もし急に倒れるようなことがあったら、子どもたちだけだとどうにもできないでしょう?」
「なるほど、たしかにそれなら誰か一緒じゃないとね」
「本人もかなり気にしてるみたいでね。かわいそうに、本当は身体のことなんて気にしないで思いきり遊びたいでしょうに……夕方ごろによく具合が悪くなるみたいなの。最近は午前中にも増えてるわ」
「どこが悪いんや?」
「具体的にどこが悪いとか、どういう病気とかって感じじゃないみたいなのよね。ただよく気分が悪くなって……貧血なのかしら。虚弱体質ってやつなのかも、とにかくすぐに体調が悪くなっちゃうのよ」
「その教会でいなくなった子たちは、三人とも一緒にいなくなったの?」
癒暗が話を戻すと、アマネは思い出したように頷いた。
「そうよ。院には十七人の子どもたちがいて、一応みんな仲はいいんだけど、やっぱりよく一緒にいるいつもの顔ぶれってあるじゃない? それでいつも一緒に遊んでた三人が、遊びに行ったまま三人とも戻らなくて……」
「そらいつの話や?」
「今からだいたい一週間前ね。私はいつもあの子たちと一緒にいるから、他のグループの子たちが普段どこで遊んでいるのかまではよく知らなくて……もちろん他の行方不明の子のこともね。でも院長や神父さまなら、もっとくわしいことをなにかご存知かも」
「子ども三人を一気に誘拐かあ、悪い大人が大勢いればわけないねえ。思っていたより大規模な犯罪グループが隠れてるのかも?」
学が横から口を挟む。アマネは暗い表情でうつむいた。龍華は腕を組んで考え込んでいる。
「だとしたら、シスターたちが一緒にいても安全とは言い難いね。なんなら一緒に攫われちゃうかも。教会に男の人はどれくらいいるの?」
「うちには昔から修道女だけで、男性……修道士さんはいません。修道院もそこにいる修道女も、今はほとんど孤児院を運営するためにいるから。……あ、だからって、もちろん修道女たちはちゃんとした修道女よ」
「じゃあ、男の人は神父さんだけ?」
「そういうことになるわ。ただ、あんまり男の人っぽくなくて……線が細いとか、中性的っていうの? ほっそりしてて、色白で綺麗な小さいお顔で、穏やかな感じのお方なのもあって、あんまり女の人に混ざってても違和感ないっていうか。見た目だけじゃなくて中身もなんか、世俗を捨てて無欲で清純な、こう……伊達に聖職者やってないって感じ?」
「姉ちゃんはえらい俗っぽいわなあ」
「そりゃあ、修道女とはいえまだまだうら若き乙女ですもの。で、まあ、神父さまはそんなお方だからね、うーん……こう言っちゃ悪いけど、腕力とかそういう面ではぶっちゃけ頼りになんないかなあ、どう見ても。腕相撲したら私のほうが勝っちゃうんじゃないかしら?」
「聖書より重いもの持てなさそうな感じ?」
「あははっ、そうそう、まさにそんな感じ! 穏やかで慈悲深くて愛情深くて綺麗好きで、シスターたちも子どもたちも神父さまをお慕いしてるし、とてもいいお方なんだけど。いざというときの男手としてはちょっとね。もしも教会が強盗に襲われるようなことがあったら、むしろ私たちが神父さまを守ってあげなきゃだわ」
「うわあっ! ちっくしょー!」
子どもたちが騒がしいのでそちらを見ると、ちょうど決着がついたところのようだ。いっそうずぶ濡れになったカイトがくやしそうにリンを見ている。彼女の手には子どもたちが身につけていた四枚の葉っぱがあり、ずいぶん派手に暴れたらしくカイト以外の子どもたちも服がびしょびしょだ。
「リンの勝ち。最初に言ったこと覚えてるよな? どっちが勝っても恨みっこなし、だ」
「ううー……」
アマネが一歩前に出ようとするのを龍華が手で制した。カイトはしばらく不服そうにうなっていたが、やがてくやしそうな声のまま小さくさっと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「もういいわよ、私もおとなげなかったわ」
沈黙が生まれそうになったとき、ぱん、とアマネが手を叩いた。
「さ! 仲なおりできたなら、そろそろ教会に戻りましょう。みんなそのままじゃ風邪ひいちゃうからね。あなたたちも、話は神父さまから聞いています。案内するからついてきて」
「アマネ、この子たちつれてくの?」
ミリアの問いにアマネは少し答えに迷った。癒暗が助け舟を出す。
「僕らはこれから君たちと同じ孤児院でお世話になるんだよ。少しの間だけどよろしくね」
「大人なのに?」
「俺と癒暗はそやなあ、まあいろいろあんねやしょ。ひょっとかしたら俺らは教会やのうて宿のほう戻るかしらんわ。ま、神父さんと話し合うて決めらよ」
「このお兄ちゃんなに言ってるかわかんない」
「難儀やなあ」
「お前がな」
子どもたちに事件のことやギルドのことをどこまで話すべきかは現段階では判断が難しい。子どもたちの前ではただの留学生とするのか、あくまで調査員であることを打ち明けておくのか。ギルド側は教会の意向に沿うつもりだが、情報がもれる可能性を考慮すると隠すほうがいいのだろう。
「あ、それからカイト。今日のことは神父さまに言いつけますからね。しっかり反省すること」
「げぇっ、なんでだよアマネ!」
「教会のお約束をやぶったからよ。人に暴力をふるってはいけない。一番大事な決まりごとでしょ? 神父さまは悲しみますよ」
「うぅ……」
悔悟の念に苛まれている様子のカイトを横目に、リンは川からあがった。
「じゃあ、私は宿に戻るから。教会のほうにはあんたたちだけで行きなさい」
「えー、リン一緒に来ないの?」
「なによ白、私にこのままずっと濡れた服でいろって言うの? それに子どもの相手はもううんざりよ」
「まあ、もともと拠点を分けるって話はしてあったしね。僕と龍華は宿に戻るかもしれないし、またあとで連絡するよ」
次回は明日、十三時に投稿します。