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19 裁きの聖剣、駆けよ雷光

「ベアム亡国の化身、ベアドルフ・グレイス。……それが私の本当の名です。神父というのも嘘ではありませんが、それは亡国となってから得た肩書きです」


修道院の一室。本棚の一番上の段からファイルを取り出したグレイスは、そこから一枚の書類を取り出してカナが座ったすぐ前にある丸テーブルに置いた。公用語で書かれたその書面には、ベアドルフ・グレイスがウォルトの治安維持、および情勢調査のために聖ポルテクス教会への赴任が決定したことを通達する内容で、グレイス、セレイア両名の署名捺印がされてある。調査内容やその他の指令諸々を理解し同意したうえで任務にあたる確認を取るような内容だが、グレイスに拒否権などない強制送還であることが文面の威圧感から伝わってくる。


「亡国である今の私は人間とほとんど大差のない存在です。国から指令を受けているという特異性はあるものの一介の神父に他ならず、子どもたちやシスターに私の正体は明かしていません。一応は機密事項という扱いになっていますので、あなた方にも明かす必要はないと判断しましたが、そのためにいらぬ不信を招いてしまったようで、申し訳ございません」


「……じゃあ、最初にセレイアにウォルトでの事件を知らせた、あいつの使いってのは」


「はい、私です。キルギスにはたしかに新たな調査員を送ってほしいと伝えましたが、まさかロワリア国からあなた方のような……人手が来るとは思ってもみませんでした。何度か抗議のために連絡したのですが、今はスーリガさんが母国に帰っているため忙しいとかで、取り次いでいただけず……」


「ニトスの警備隊に通報したってのは嘘か?」


「いいえ、通報はたしかにしました。ウォルトの事件ならエレスビノ部隊に連絡すべきかとも思ったのですが、私はセレイア国の使者ですから、セレイア国側の警備隊に連絡するのが筋かと思い……ですが、なかなかいらっしゃいませんね、なにをしているのでしょうか。そこに関しては私はなにも存じておりません。あとでもう一度連絡してみます」


「なんで依頼人の使者……つーか本来の依頼人のはずのお前が、任務の妨害みたいなことをするんだよ。別に正体を明かさなくたって、国の指示で動いてることくらい言っても問題なかったはずだし……っていうかそれが自然な流れだろ。そうすりゃもっと情報交換や意見交換だってできた。そっちから人手を求めたくせに、オレたちに非協力的だったのはなんでだよ」


「……申し訳ありません。それに関しては完全な……私のエゴです」


「エゴ?」


「人間とは脆く、はかない生き物です。子どもとなれば、なおのこと壊れやすい。まだ幼いあなた方を危険な目にはあわせたくないと……すみません。本当はみなさんを撤退させて、改めて別の人手を借り受けようと思っていました。キルギスと連絡が取れるまでの時間稼ぎがしたかったのです」


「ナメた野郎だ。どうせオレたちみてえなガキじゃなにもできないって?」


「いいえ。あなた方のギルドがロア・ヴェスヘリーの監督下にある組織であることは存じ上げています。ロアさんがお認めになったのであれば、子どもだてらに実力者ぞろいであるとも信じます。ただ心配だったのです。万が一のことがあったら――と。子どもとは国の宝であり、守り、愛し、慈しみ、尊ぶべき存在です。たとえ戦士であろうとも」


「……ムカつくけど、一番気になるのはそこじゃねえから、もういい。あのロアの写真の山はなんだよ?」


「ああ、あれは……」


グレイスは気まずそうに黙り込む。ごまかしやはぐらかすための言葉を選んでいるのではなく、打ち明けることへの迷いと、切り出す勇気が足りていないかのような仕草だ。


「ご安心を。すべてロアさん本人の了承を得たうえで撮影したものです。ロアさんは写真を撮影すると言われて撮られるのが苦手な方ですから、撮るなら知らない間に撮るようにとのお達しがあったために、ああいった構図の写真になっているだけですので法に触れるものではございません。発端としては楼蘭さんが私に気を利かせてくださってロアさんに交渉を持ち掛け、それから仕入れていただけるようになったもので。無償でいただくわけにもいきませんので撮影料と仲介料、手間賃などをその都度お支払いしています。つまり被写体であるロアさん自身にも利益が発生していますから、一種のビジネスであると考えていただけると大変助かります」


「急に早口になるなよ」


カナの冷静な指摘にグレイスは恥ずかしそうにうつむいた。


「す、すみません。少し……あせってしまいました。ええ。大丈夫です」


「あの商人との怪しい取引がそうだったってことか。手に入れたルートはわかったし、ロアが許可してるから違法じゃないのもわかったけど、そもそもなんでロアの写真を?」


「その……」


グレイスはじっとうつむいたまま時間をかけて言葉を探り、そのうちうっすらと顔が赤くなり、小さな声で心底言いづらそうに打ち明けた。


「た、大変お恥ずかしながら、かねてより……ええ、その、……お慕いしておりまして……」


「お慕……えっ」


「この外見年齢の差ですから、邪推は甘んじて受け入れましょう。実年齢としては同世代なのですが……こればかりは仕方がありません。弁明させていただきますと、私はなにも、あの方の容姿に惹かれたわけではありませんし、ロアさんとどうなりたいわけでもありません。ただ心の内でお慕いしているだけでして、そこにやましい感情は一切ございませんので……」


「いやいいよ別に……そもそも千歳越えてるやつら同士なんだし、見た目の年齢もランダムなんだし……まあ、衝撃的ではあるけど……」


「ご理解いただき感謝いたします」


 たしか国の化身とは、どちらかと言えば神に近い存在だと聞いたことがある。人間や他の動物とは根本的に違うのだ。各個体が既に完結した存在のため繁殖の必要がない。彼らには性別も生殖機能もなく、当然それに伴う欲もない。カナはグレイスが心配するような嫌悪感など抱かなかった。


「そんなに好きなら、直接ロワリアまで会いにくりゃいいのに……ここでの仕事ってそんなに忙しいのか?」


「私、出禁なんですよ」


「ええ……」


「ロアさんへの思いをジオくんとリンさんに悟られてしまいまして……私がロワリア国領に入ると、強制転移の術が自動的に実行されるのです。ロアさんは私の好意を知っても気に留めないご様子でしたが、お二人にはものすごく嫌われてしまったようで」


「転移って……ジオの空間転移は自分だけで、他人には使えないんじゃなかったのか?」


「はい、ほとんどの確率で失敗します。相手が私だからこその対応なのでしょうね。転移先が海の上や森の中、空中などは序の口で。腕だけ置いてきてしまったり、足がなかったり……私は国家の中でも特別に回復力が高く再生に特化していますから、失った手足も戻ってきますが、それはそれとして痛覚はありますので……」


「痛覚あるのか……」


「もしもこのことがジオくんやリンさんに知られてしまえば、写真はすべて押収され、今後の取引も禁じられるでしょう。そうなれば私は確実に精神を病みます。人助けと思って、どうかこのことは……」


「い、いや、別に誰にも言わねえけど……」


「恩に着ます。……私の外見がもう十歳分ほど若ければ、周囲の目も今より厳しくなかったかもしれませんね。私がセレイア陣営であることも、ジオくんたちの反感を買った理由のひとつだったでしょう。そういった事情がありまして、ロアさんと直接お会いしたのは大戦時代の決戦で、敵として対峙したときが最後になります。……あの剣の閃きに、研ぎ澄まされた刃のような気迫。獣のような眼光。もうこの目で拝謁する機会がないのかと思うと残念でなりません」


「ベアムもセレイアに侵略されて従わされてるんだよな。じゃあロアと敵対することになったのもセレイアのせいだし……あいつのこと、恨んでるか?」


「もちろん恨んでいないと言えば嘘になってしまいます。そもそもあれは存在の根本的な部分がどうしようもない悪です。破壊の化身、暴虐の徒。わが剣で穿ち滅するべき悪なのです。悪を裁き正義を成さんとする私の在り方とは真逆の性質。現在では彼もずいぶんとおとなしくなりましたし、以前より穏やかで慈悲の心も見られるようになりました。しかし根底にあるものはそう簡単には変わらない。国家の中にもキルギスを憎む者は多く存在しますが、憎しみや怒り、恐れ――私はそれらの感情よりもまず先に、心から、彼を哀れだと感じます」


「哀れ? セレイアが?」


「誰からも裁いてもらえないというのは、哀れなことです」


「大戦時代ではロアとダウナの連合国軍がセレイアに勝ったんだろ?」


「あれは各々の因縁が絡み合った戦いに決着がついただけであって、セレイア・キルギスを裁くための戦いではありませんから。あれはセレイア国にとっては単なる敗北でしかなかったのです」


グレイスは物憂げなため息をつく。


裁断・・は私に与えられた特権のようなもの。しかし私に彼を斬ることはできなかった。そして私にできないのであれば、他の誰にもできないのでしょう」



*



「くそっ、次から次へとキリがねえぞ! 前に進めねえ!」


次々と襲いくる植物たちを斬り伏せながらカナが叫ぶ。足元の土がごぼりと盛り上がり、飛び出してきた木の根が左足に絡みついてカナの身体を引っ張った。額に火の粉のようなものが掠り、赤い線が目の前をよぎって足元が軽くなる。和装束の背中が目の前をふさぎ、一斉に襲いかかってきた木の蔓を一閃で焼き切った。


「止まんな、止まったら捕まんで。まだ迷っとんのか?」


「わかってる、もう迷わねえよ。……白、道を拓いてくれ!」


「任せて! いっけー! 森林破壊砲!」


白が両腕を大きく広げ、両脇に大きな砲台が召喚される。ドカン、と耳をつんざくような音とともに黒い砲弾が発射され、目の前の木々をなぎ倒し無理矢理に道を作り出した。大胆かつ野蛮な方法だが、今は手段を選んでいられるときではない。


「その名前はどうかと思うけどなあ……」


白へ向けた批判とも、ひとりごととも取れぬつぶやきをもらしながら、カナはその開拓された道に飛び込んだ。龍華と癒暗、白、リアもそのあとに続き、森の奥へ奥へとさらに進んでいく。青色の馬の手綱はリアが引いており、馬は彼に引っ張られるがまま走っていたのだが、あるとき急に立ち止まった。


「なになに、リアどーしたの? 止まってると危ないよ」


白が尋ねる。リアは突然言うことを聞かなくなった馬にうろたえるばかりだ。


「わ、わからないんだ、急に……」


ほどなくして左手側から草木をかき分ける音と、それにまざって蹄のような音が近付いてきた。思わず身構えたリアだったが、現れたのはリアが連れているのと同じ青い馬だった。リンとミラ、アマネの三人が乗っている。馬一頭に三人も乗っているためか速度はあまり出ていない。


「リア、白!」


「り、リンさん!」


「アマネとミラ院長も!」


「あんたたち、ちょうどいいところに――ああ、もう! うっとうしいわね!」


わらわらと群がってくる植物たちにリンが舌打ちする。前を走っていたカナがリンとの合流に気付き、彼女らを追ってきた四頭の蔓の魔獣――巨大樹の分裂体のうち、一頭を斬り伏せた。ほぼ同時に龍華が二頭、癒暗が残りの一頭を片付ける。倒した傍から新たな分裂体が生まれて襲い掛かってくるが、まだ三人でしのげる数だ。それを横目にリンが馬を降り、リアに手綱を預けた。


「リア、あんた乗馬は?」


「あ、いえ、僕は……すみません、もっと小さい馬なら乗れたかもしれません……」


「そう。白、あんたは乗れたわよね?」


「えっ、うん。乗れるけど……」


「じゃあ……癒暗! この馬使っちゃっていいから、白と一緒にこの二人を教会まで送って!」


癒暗は分裂体と交戦中だったが、その指示を聞いて即座に前にいた二頭を光の刃で撃ち抜き、リンのもとに駆け寄った。


「わかったよ、任せて。行こう、白」


「うん。道は私が拓くから、癒暗は援護お願い」


白が胸元に提げていた懐中時計を握ると、光が時計と白の身体を包み、次の瞬間にははじけて消えた。アマネとミラがおどろいたのは、白が急に光を放ったからではなく、一瞬だけ光ったと思ったら、目の前にいたはずの少女が大人の女性の姿になっていたからだった。外見から予想できる年齢はおそらく二十歳前後。背がすっかり伸び、顔立ちも大人びている。


白は長くなったツインテールを手早くほどき、気合を入れるようにうしろで一本に結いなおすと、両手が手綱でふさがっていたリアから馬を一頭受け取り、さっと跨った。そのままミラとアマネが乗っている馬の隣に並び、自分のうしろにミラを移動させる。アマネの前には癒暗が乗り、彼もまた、覚悟を決めるかのように深呼吸をし、眼帯を外した。白がそれを確認してからミラとアマネに明るい声をかける。


「よーし! アマネ、院長さん、少なくとも森を出るまではめちゃくちゃ揺れるし、今まで以上にめーっちゃくちゃ危ないから、しっかり捕まって頭下げてて! あと舌噛まないように口は閉じてて!」


「え、ええ、わかりました」


「だ、大丈夫なのかしら……」


不安げな二人をよそに馬は走り出す。その瞬間、森が血相を変えたかのように、逃亡する四人に襲い掛かる。分裂体が次々と現れ、枝や蔓が行く手を阻む。白は先ほどよりいっそう大きな砲台を複数召喚し、次々と砲弾を放った。


破壊兵器は有無を言わさない火力で森をなぎ倒し、分裂体のいくらかが倒れた木々の下敷きになり、あるいは馬に蹴られて飛ばされた。森が道を変えて人々を惑わそうが関係ない。力こそがすべてだとでもいわんばかりの大破壊。青色の馬は全速力で駆け、背後から迫る分裂体のほとんどはその疾駆に追いつけず、前方から向かってくる者は癒暗の光の刃に撃ち抜かれる。


「白! あと三十度右! そこが最短距離だよ!」


「さ、三十!? えっこれくらい?」


轟音。癒暗が示した道を強引に開拓し、ひたすら駆ける。


「そう、このまま直進! ……あっ、まずい!」


癒暗が叫びながら身をひねってうしろを向き、アマネを掴んで一気に浮上した。刹那、癒暗たちを乗せて走っていた青い馬が横の茂みから飛び出した枝の槍に足を貫かれて転倒する。馬はそのまま地面を破って顔を出した木の根に全身を拘束された。


「キャアッ!」


「アマネ!」


「院長さん、じっとして! アマネは大丈夫、癒暗がいるから!」


癒暗は白の隣まで高度を下げる。アマネのことを考えると、森からの攻撃が届かない高度まで浮上するほうが安全だが、それでは白とミラに攻撃が集中してしまう。


「癒暗! あんまりそのへん動きまわってると、間違って砲弾で頭ぶち抜いちゃうかも!」


「大丈夫、ちゃんと避けるから安心してぶっ放していいよ」


一瞬その場を通り抜けた空気の揺らぎ。白は平気だったが、アマネが額を押さえて小さくうめいた。癒暗の魔力にあてられて、頭痛でもしたのだろう。癒暗は地面に片足で着地し、そのまま跳躍すると翼を広げて光の矢を前方に射出する。白とミラを狙った枝の矢を、癒暗の光の矢が迎え撃ち、すべて弾き落とす。再び飛び上がった癒暗を狙って槍と矢、木の根の鞭が続けざまに迫りくるが、癒暗はそのすべての軌道が読めているかのように飛びまわって回避した。まるであらかじめ攻撃がくることをわかっていたかのような動きだ。


未来予知プレコグニション――癒暗が持つ天風の超能力のひとつ。とはいえ名前から想像するほど大げさな力ではなく、現時点の段階で自分自身の身に起こる、最も可能性の高い出来事が少しだけわかる程度のもので、つまりこの予知能力を使用する間、癒暗には常に次に来る一手が読めている、ということだ。魔力の消耗が激しいので長くは使えないが、出し惜しんではいられない。


そして同時に、これも同じく超能力のひとつである、千里眼の能力も癒暗は使用していた。先ほど白に出口までの軌道修正を促す指示もこの力によるものだ。効果は名前のとおり、遠くの景色が見えるだけだ。


「白、森の出口が頑丈にふさがれてる! あと教会のまわりにも分裂体が集まってきてるから、そのつもりでね!」


「了解! まずはあの壁だね。よーし、やっちゃうか、環境破壊砲!」


「その名前はちょっと……」


今までで一番の爆音が轟き、森の出口をふさぐ分厚い木の壁に砲弾が突き刺さる。破壊できなかった――ひやりとしたのはアマネとミラだけだ。砲弾は着弾後まもなく爆発し、立ちふさがっていた壁を吹き飛ばす。白と癒暗はその中を突っ切るようにして森を抜け出した。爆発を通り抜けた彼らが無事だったのは、癒暗の翼がその瞬間に羽ばたくのをやめ、白が操る馬を覆うようにして広がって爆破によるダメージを防いだからだ。


「やったやった、抜けたよ! 追ってこない!」


「いや来てるよ! 白テキトーなことばっか!」


森の中から癒暗たちを追ってきたのは五体の分裂体だ。森という最大の脅威がない今、分裂体を相手するだけならば、ここまで来れた二人にとって容易だろう。教会に着くより先に手早く討伐し、教会の近くでそれ以上近付けずにうろうろしていた分裂体にも奇襲を成功させる。建物に向かって砲弾を放つわけにはいかないので、実際に戦ったのは癒暗だ。


「よし、今度こそなんとかなった!」


「本当にね。僕こんなに魔力使ったのいつぶりかなあ……」


癒暗がため息をつく。アマネとミラも気が抜けたように大きく息をついた。


「わ……我々は、助かった、のですか?」


「うん。中は安全だから二人とも医務室へ。ミラ院長は見たところ大きな怪我はなさそうだけど、足に切り傷がいっぱいできてるし。もう大丈夫だよ」


もう大丈夫――その言葉を聞いた途端、ミラとアマネはどちらからともなく抱きしめ合った。


「アマネ! ああ、よかった……よかった、本当に……」


「うわあああん! 怖かったぁ、怖かったよぉ!」


もとの姿に戻った白が修道院の扉を開ける。医務室へ向かうミラとアマネを横目で見送り、白と癒暗は外を警戒する。森からの追手が見えた。ほんの少数、先ほどの様子を見るからに分裂体は院の中までは入ってこない。これまでどおり静かにじっとしていれば、屋内は安全だ。


「白、念のため院に残ってみんなを守ってくれる? 僕は森に戻るよ」


「大丈夫なの? 今日はもうこれまでにかなり魔力を消耗してるんじゃない?」


「出し惜しみしてる場合じゃなかったからね。でもまだ余力はあるし、森の中では僕と龍華とリンが優先して狙われてた。こっちの人数が多いほど攻撃は分散して一人一人の負担が軽くなるはずだし、一番機動力の高い僕が囮になるべきだと思う」


「そっか。わかった、無理はしないでね。これあげるから食べていって」


白はポケットからエナジーバーを出して癒暗に差し出した。癒暗はそれを受け取って手早く口に含む。


「ん。ありがとう、行ってくる」


癒暗が外に駆け出し、大きく翼を広げて跳躍し、飛び立っていく。一度くるりと教会を振り返り、白が院の扉を閉じるのを確認する。次に、三階の窓からガラスに手をついてこちらを心配そうに見ているユウリたちの姿が見えた。



*



森の中を軽く見てまわるだけで、その日の捜査は終わりにするはずだった。森が動いて道を変えているということにはすぐに気が付いたが、どこをどう歩いてもこの森を抜けることができない。立ち往生しているうちに日が暮れ、やむを得ず森の中で野営することになったが、こちらがじっとしていれば、この森が危害を加えてくることはなかった。


交代で見張りをしながら夜を明かすと、隊員が一人減っていた。その後はそのいなくなった隊員を捜しながら森からの脱出のために試行錯誤を重ねたが、一人、また一人と仲間が減っていくばかりだった。あるとき、木の中に人間や獣が閉じ込められている光景を目にした。助けようとして木に近づいた者が、木から伸びた枝に巻き付かれ、同じように木の中に取り込まれた。その瞬間、森は唐突に攻撃性をあらわにし、エレスビノ部隊に襲い掛かったのだ。


以降から現在に至るまで四方八方から絶え間なく続く猛攻に対し、隊員たちは抵抗を試みたが、不意を突かれた者、一瞬でも動きを止めた者、体力の尽きた者から次々と森の餌食となり、残ったのは部隊長の兵刀とレオナルドの二人だけだ。


機動力の要であったはずの馬も逃げ出してしまい、逃げるに逃げられず耐久戦を強いられ続けている。あるときに森からの攻撃の手が減り始めたので、なにかの前触れかと身構えていたのだが、その真実は出口を求めて走り続け、たどり着いた場所で明らかになった。


大きくひらけた場所。この森の中心部に生えている巨大樹の前に出た。これが諸悪の根源であると察した瞬間に、別の方向から声があがる。


「兵刀、レオ!」


森からの攻撃をさばきながら、やってきたのはギルドの面々だ。その中にいたリン・ヴェスワテルが兵刀たちに気付いた。


「リワン亡国……無事だったとはおどろきだ。ここまで無傷でたどり着くとは」


「それはこっちのセリフよ。にしても、やっぱりここにいたのね……ってことは本当に昨日からずっとここで戦ってたってこと?」


「いいえ。この森が我々に攻撃行為をおこなったのは、夜が明けてからのことです、リワン殿」


レオが冷静に答える。その間も森からの攻撃が止むことはない。彼らが森に入ってきたことで、森は彼らへの攻撃にリソースを割き、それによって兵刀とレオへの攻撃がわずかにゆるんだのだろう。上空に影がよぎり、癒暗が翼を畳みながら着地する。


「リン、アマネと院長さんは無事に送り届けたよ!」


「そう、よくやったわ。じゃあ、あとはあの巨大樹をなんとかして、早く中にいる人たちと学を助けないと」


「策があるのか、亡国」


「なにもないわけじゃないけど、決定打はあの神父任せね。まだ着いてないなんて、あいつまさかとっくに捕まったんじゃないでしょうね……」


「神父だと? 祈るしか能のない神父ごときが、この状況でなにか役に立つのか? こちらには既に余力などないのだぞ」


「神父は神父でもただの人間ではないから安心しなさい。あんたって本当いちいち言い方が嫌味よね」


「リン! そっちに行ったよ!」


空を飛びまわり、囮に徹していた癒暗が叫ぶ。巨大樹から放たれた数えきれないほどの矢がリン、兵刀、レオを狙う。兵刀がリンの前に立ち、手に持っていた剣で矢を斬り落とし、レオは俊敏な動きで駆け、その攻撃範囲から逃れた。


直後、周辺の地面からレオを取り囲むように蔓が飛び出し、彼女を捕えようとしなり、うごめいた。機敏にそれらを回避していたレオだが、既にこれまでの疲労がたまっていたためか、あと少しというところで足首を獲られる。


「あッ――」


抵抗するより先に強い力で引っ張られ、レオは転倒する。わずか引きずられてから両腕を拘束され、宙に持ち上げられて巨大樹の幹に引き込まれていく。癒暗が咄嗟に飛び立った。


「レオ!」


「僕が行く!」


「ダメよ癒暗、今行けばあんたまで捕まる! 飛んでる間は防御できないんでしょ?」


「でも……攻め込まないと、持久戦になればジリ貧だよ」


「耐えるのはグレイスが来るまででいいわ。あいつが来たときに数秒の隙を作れるだけの戦力は残っていなきゃいけないの。もしあいつが既に捕まってるなら私たちがやらなきゃいけないけど、どっちの場合でもあんたが捕まるのは痛手なのよ」


「神父さん……えっ、一人でこっち来てるの? こんな状況で単独行動なんてどういう判断!?」


「いいのよ、あいつはロアとの一騎打ちでも倒れないくらいにはしぶといやつなんだから、なんでもいいの!」


「それってどういう――」


空中にいた癒暗が言葉の途中で不意に墜落した。翼が消えたわけではなく、また攻撃を受けたわけでもない。ただ突然、なんの前触れもなく地に落ちた。


「おい癒暗、どうした!」


「わ――わからない。急に……」


その瞬間、その場の人間を襲ったのは背筋の凍りつくような感覚。全身がぞわぞわと総毛立ち、ただ息をするのも苦しいほどの重圧感。全身が金縛りにあったように硬直し、指一本どころか、声すら出せない。名状しがたい恐怖心。


あたりが暗くなる。急に周辺一帯に巨大な影が差したのだ。空が曇るにしてはやけに一瞬の出来事。カナたちは一斉に空を見る。森は静まり返っており、まるで我々に同じく影の正体を見上げたかのようだ。地面が揺れている。地震だ。そこで見たものに恐怖し、震えおののいているかのような揺れだった。リンがぽつりとつぶやく。


「アーロン……」


そこにいたのは巨大な青い龍だった。森の中からではその全貌を視界に収めきれないが、少なくとも全長が三十メートル以上はあり、日の光に照らされた鱗が白く輝いて見える。龍は森の真上の空を泳ぎ、金色の瞳でぎろりと森を見下ろした。そして巨大な鋭い牙がびっしり生えた口を大きく開けると、巨大樹に向かって一直線に突進する。アーロンはそのまま木の幹の一部を派手に喰い破って、弧を描くようにして空に戻った。龍の全身が光に包まれ、甚大な神気が凝縮される。質量は縮小し、人の形へと変わっていく。抉り取った木片が地上に降り注いだ。


「たかだか数千年生きた程度の老木風情が、わが寵愛に傷をつけるなど身の程知らずも甚だしい」


二対四本の腕にレオが抱かれていた。巨大樹は意を決したように蔓や矢を射出する。アーロンは避けもしない。命中した幾本もの矢はアーロンに刺さることなく、ただその身体に当たっては、そのままぽろぽろと落ちていくだけだった。蔓がアーロンの足首を掴んでも、彼を引きずり下ろすことは叶わない。少し振り払うように足を振っただけで、いとも簡単に千切れていくのだ。アーロンは森からの攻撃をまるで気に留めず、レオを大事そうに抱えている。


「アーロン、さま……申し訳……」


「よい、許す。しばし休め。……おい、龍の子。鈴鳴の子よ」


アーロンは地上に向かって声をかける。遠くから響いてくるようでありながら、すぐ真横で聞こえるようでもある、不可思議な音だ。呼ばれた龍華が一歩前に出た。アーロンはそちらを見ながら心底退屈そうに足を組む。森の攻撃はすべてアーロンに集中しており、まるでカナたちの存在を忘れているかのようだ。


「そなた、いったいなにをしておるのだ。この程度の森、その程度の老木――そなたの力を以ってすれば、滅ぼすのは容易であろう。吾輩が許す。焼き尽くし、焦土と変えよ」


「そういうわけにもいかんのやしょ。あのでっかい木の中にも、あっちこっちにある木の中にも、人がぎょうさん捕まっちゃあんのよ。っちゅうか環境破壊やんなあ……」


「ふん、つまらん。レオも戻ってきたことだ、吾輩は帰る。あとはそなたらのみで対処せよ」


「ちょっとアーロン! せっかく来たなら手伝いなさいよ! あんたの管轄内で起きてる事件なんだからね、これ!」


「兵刀めがおるではないか。そやつが本気になれば、たかが木を刈り取る程度はわけもなかろう」


構わず町へ向かおうとするアーロンの服をレオが掴む。


「アーロン様……兵刀殿は彼自身の部下と、私を助けるために何度も……能力を使い、魔力を消耗し、今なお回復の手立てがないまま、あの場に立ち続けております。既に魔力は尽きているも同然。本来であれば、意識を失って当然の状態。私がこれまで無傷であったのは……悔しいですが、兵刀殿の働きの結果です」


「なんだ、兵刀めは虫の息ということか。人間の魔力とはなぜかように少ないのか、哀れなものよ」


同情するようなアーロンの声に、リンが兵刀を振り返る。言われてみれば、最後に見たときよりも表情が険しく、顔色も悪い。よくよく見てみると、口元に血が付着しており、鼻血をぬぐったような痕跡もある。先ほどから兵刀がなにも喋らないのは、彼が無口なのではなく、既に声を出す気力すら残っていないという証拠だ。


「……は? あんたガス欠のまま戦ってたわけ!?」


「げえっ!? どんな身体してやがんだよおっさん、普通倒れるだろ!」


「うーむ、では兵刀めの功労に免じて、ささやかだが吾輩も援助をしてやろう。それでよいな? では励むことだ、人間ども」


誰の答えを聞くでもなく勝手にそう切り上げると、アーロンは今度こそレオを連れて去って行った。森は彼に向かって攻撃を続けているが、相変わらず抵抗ひとつしないアーロンに、傷ひとつ与えることができない。アーロンの姿が木々の向こうに見えなくなると、ほどなくしてカナたちの頬に冷たいものがかかった。


ぽつり、ぽつり、と降り始めた雨は局所的にその勢いを強め、バケツをひっくり返したような大雨が、カナたちを避けて巨大樹と森全体に降り注いだ。一分もしないうちに雨はぴたりと止み、森は急激にしおれたように動きが重くなる。周辺にいた大量の分裂体はその場に倒れ込み、なにかに抗うように蠢いてこそいるが、こちらに攻撃を繰り出すだけの元気を根こそぎ奪われたようにおとなしくなった。


リアがもう一度空を仰ぐ。


「な、なんだったんですか、今の雨……」


「どえらい魔力が乗った雨やな、森が動かんなったわ」


鎮静の雨。アーロンが持つ水神の権能を使った、魔力のこもった雨だ。吸収してしまえば体が鈍り、思うように動けなくなる。この森にとっては毒でしかない。


「――思わぬ僥倖、実にありがたいことです。これで私も、存分にこの力を振るえます」


濡れた草を踏む足音。


森の中から歩いてきたのは一人の神父だった。


「グレイス……!」


「リンさん、あとのことは任せましたよ」


ぶわ、とグレイスを中心に風が巻き起こる。一度に大量の魔力を呼び起こし、操り、一気に放出することによって発生する波であり、魔力の圧だ。癒暗が天風の力を使う際にも同じ現象が起きるが、それとは比べ物にならない、風として周囲をそよがせるほどの強さの魔力圧。彼がとんでもない量の魔力を操ろうとしているのは明らかだ。


誰もが息をのむ。教会で常に見せていた穏やかで柔和な微笑みとは打って変わり、鋭い目で巨大樹を見据えるグレイスの表情は、凛々しく引き締まっていて険しい、真剣そのもの。この神父のどこに、これほどまでに甚大な量の魔力が隠れていたのだろうか。


両腕をまっすぐ上に挙げ、両手を頭上で重ね合わせ、そのままなにかを握り込むようにして構える。その手の内側からはるか上空へ向けて、彼自身の魔力が真っ白の光として出現し、まるで巨大な剣のような形を作りあげた。光の剣として顕現した膨大な魔力は、一秒ごとにその濃度と純度を増していき、その輝きはどこまでも強くなっていく。天まで伸びる清廉なる光。戦場を知る剣士の瞳。


「……わが聖剣は裁きの刃。悪を断ち斬る救済の光」


森が動き始める。アーロンの雨の効力が切れ始めたというよりは、その大量の魔力を前に、新たな糧として取り込みたい強欲な本能が、無理矢理にでも体を動かそうとしているようだった。


「絶対再起、亜流・・――すべては善なる者のためにッ!」


光の刃が巨大樹に向けて振り下ろされる。風が吹きすさび、あたり一面がまばゆい光に包まれて、すべてが白く染まっていく。あまりにも激しく、強大な力。まぶしく、温かく、正しく、優しい。すべてを浄化し尽くす絶大な、善良なる光の束。


誰もが思った。


――あれはまさしく、聖剣だ。


聖剣の光が収束し、目を開けると、巨大樹はその大きな幹が半分に斬り裂かれた状態で動きを止めていた。そのまま数秒もの間、ただ唖然として見つめていても、森は動く気配がない。


「今のは、いったい……」


「い、いや、グレイスがとんでもねえ大技を隠し持ってたってことしか……って、お、おい! グレイス!」


グレイスがその場に倒れ込む。カナが駆け寄ると、グレイスは力なく笑って見せた。


「すみ、ません……私のことは、いいので、早く……捕まった人々を……」


言い切る前に彼はそのまま目を閉じた。気を失ったのだ。おそらく、今の大技で体内に保有する魔力をすべて使い切ったのだろう。リンが倒れているグレイスの上を跨ぎ、とくに気に留めずに指示を出す。


「今のうちに救助よ、救助! さっさと学を出してやんなさい。こいつは怪我も魔力も異常に回復が早いから、ほっとけばすぐに起きるわ。兵刀、あんたももう休ん――」


リンが兵刀のほうを見るが、彼の姿はそこにない。ふと巨大樹のほうに向きなおると、あの赤毛の男は既にそちらに駆けていく最中だった。普通の生き物は魔力が尽きれば今のグレイスのように意識を失い、行動不能に陥るはずだが、あの男はいつまで動くつもりなのだろう。もはや気合いだけで立っているようなものだろうに、あまりに人間離れした我慢強さだ。鬼神などという大げさな呼び名が付くのも頷ける。


「ほな、はよう助けて帰らんとなあ。リア、出番やで。表面ひっぺがして中におる人引っ張り出しい」


「は、はい!」


龍華とリアが兵刀に同じく巨大樹に走っていき、癒暗は上空から木の枝に絡まった人々の救助にあたる。カナも彼らに続こうとしたが、踏み出す直前にふと疑問がわいた。


「なあリン。さっきのグレイスのあれって、あの巨大樹に閉じ込められた人は大丈夫なのか?」


「平気よ。あいつの聖剣は悪を斬るもので、悪いものにだけ当たるの。たとえば悪人なら真っ二つになるけど、善人には当たっても影響がないから、普通の人間に被害は出ないわ。むしろ病気とか治るんじゃないかしら。なんにせよ中の人間たちは怪我してないはず。気にしなくていいわよ」


「……なるほどな、だから裁断なのか」


「ま、中にカルセットや罪人がいた場合は、どうなってるか知らないけどね」


「ふーん。……ん?」


カナはリンの言葉に引っかかるものを感じる。カナの反応にリンは怪訝な顔をする。


「なによ? カナ」


「……それって、竹鬼はどうなんだ?」


その一言でリンも気付く。学はともかく竹鬼はもともとカルセットであり、つまるところ存在自体が魔性であり悪性そのものだ。もしも先ほどのグレイスが放った裁きの聖剣が、学の身体に直撃していたら。


「あー。死んだんじゃない?」


「ええ……」

次回は明日、十三時に投稿します。

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