0 暴虐の信徒、厳格の青
「依頼? お前がうちにか」
『他に誰がいんだよ』
「いや、珍しいことがあるものだと思っただけさ」
南大陸の最西端に位置するロワリア国の中心にあるギルド、その司令室にて。午前七時、まだ自室で眠っているギルド長の來坂礼の代わりに受話器を取ったのは、ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーだった。通話相手はセレイア・キルギス。西大陸随一の広大な領地と軍事力と治安の悪さを誇るセレイア大国の化身であり、ロアとは犬猿の仲として知られている、昔からなにかと因縁のある相手だ。
「それで、依頼というのは?」
いくらセレイアが癪に障る男であろうと、仕事の話と言われてしまえばロアも無視できない。セレイアもそれは理解しているし、彼にしてみても同じことなのだ。お互いがお互いを嫌っているものの、仕事である以上は顔を突き合わせての話し合いでも刃物が飛び出すことは基本的にない。音声のみでのやりとりはとくに、周囲にとっても本人たちにとっても安全だ。
『ウォルトで妙な事件が起きてると連絡があった。なんでもガキが行方不明になってるらしい。使いの者に軽く調べさせてはいたんだが今のところ成果なしだ』
「……なるほど、それで囮役として子どもの人手がほしいと」
『そういうこった。調査のための人手がほしいっつう報告を聞いたから、俺が代理で連絡した』
「子どもと言うが、いなくなったのは何歳くらいの年代の子だ?」
『そこまでは聞いてねえが、そうだな……せいぜい十六か十五以下だろうよ、未成年のガキが――って言ってたしな。ウォルトはたしか十五までは未成年だ』
ロワリア国では二十歳からが成人と定められているが、国が違えば法も違う。西大陸の、とくにウォルトの近隣諸国ではセレイアでは十八歳、セリナとエレスビノは十六歳、ベアムでは十七歳からが成年と認められる。周辺には国からの支配を受けず、しかしそこ自体は国として成立していない独立した町や村などの領地も多く存在し、各地域ごとに若干の差異はあるが、西大陸での成年の基準はおおむね先に挙げた四カ国とそう変わらない。
ウォルトというのは西大陸の南西部にある町の名で、地図上ではセレイア国の領内にあるものの、唯一その支配を受けていない独立した区域だ。山のふもとにあった小さな村々が集結し、やがてひとつの町になっただけの国未満の領地。セレイアはかつてベアム亡国をはじめとした近隣の国々や、その他の領地たちを軍事力でねじ伏せては自らの支配下に置くことでその領地を拡大していたが、そんな暴虐の徒である彼が唯一攻め入らなかった不可侵領域、それがウォルトだ。
かの地の領主、アーロン・ポルテナース・ウォルトこそが、西大陸に鎮座する守護神が一柱、水神ポルテナースの宝珠と契約を交わした現身である。とはいえ、セレイアはなにもアーロンの力を脅威に感じて侵攻を避けていたのではない。あの男は炎神の現身の本拠地であるスーリガ国すら己が領地として奪い取った男であるし、風神の現身でありロアの右腕たるジオ・ベルヴラッドとも幾度か刃を交えている、神をも恐れぬ背徳の化身だ。
ではなぜ、アーロンだけがその刃を向けられずに済んでいるのか。脅威でないならその逆。セレイア国は治安が悪いことばかり話題に挙げられがちなので、国民性の印象としてはいまいち浸透していないが、あそこは実のところ宗教が盛んな国でもある。国内には多くの教会が建てられ、一家に一冊は教典が置かれているような、皆が皆、己の信じる神を自由に信仰できる国なのだ。
このギルドの一室を礼拝室として改造、管理しているギルド員、聖導音アリアの生まれ故郷もセレイア国だ。彼女はもともと国内にある小さな教会で暮らしていた孤児であり修道女だったが、紆余曲折あってギルドにやってきた経歴を持つ。セレイアが宗教が盛んな国であろうがなんであろうが、どうあっても治安は悪いので宗教戦争が国内各地で頻発しており、アリアもそれに巻き込まれたクチだ。
セレイア・キルギスに神への信仰心があるのかどうかはともかく、宗教を愛する多くの民草を抱えた国の化身が、その地でもっとも多くの信仰を募っている水神ポルテナースの聖地に攻め入るわけにはいかない。セレイアがウォルトを侵攻せず放置しているのはそのためで、ウォルト周辺にあるウォルト以外の領地をすべて手中に収めているのも、おそらく同じ理由からだろう。誰にも手出しをさせないつもりなのだ。
「そこまで聞いてない、ってことはお前も詳しい事情までは知らないんだな」
事件の話だ。行方不明者の年齢すらわからないということは、現時点で何人いなくなっているのかもセレイアは把握していないのだろう。セレイアは面倒くさそうに、ああ、と肯定した。
『そもそもあそこは俺様の領土じゃねえからな。ただ、あそこの領主は領内でなにかあっても対処なんざしねえし、監視でもしておかねえと無法地帯になりかねない。……ったく、一銭の得にもなりゃしねえ』
「仕方ない、詳しい事情は現地で確認するとしよう。とはいえ、さすがに子どもたちだけで行かせるわけにもいかない。ウォルトの基準での成人も編成に加えるが、構わないな?」
『メンツは任せる。とにかくその中に何人かのガキがいりゃいい』
「ウォルト領内での事件の調査。いいだろう、請け負った。しッかし事前の情報がふわふわだなあ……」
『場所はウォルト、内容は行方不明事件の調査、編成条件はガキがいること。それだけわかってりゃ十分だろ。活動拠点がほしけりゃ教会を頼れ。つーわけであとは任せた』
「あっ、おい! ……あのクソ野郎」
通話が乱暴に打ち切られ、受話器から繰り返し聞こえる無機質な不通音に毒づきながら舌打ちをする。受話器を置き、ちらりと部屋の奥の扉に目をやる。礼はまだしばらくは起きてこない。今すぐ彼を叩き起こすよりは、先に副支部長の雷坂郁夜に話を通しておくほうが賢明だ。どうせ寝起きの礼は使いものにならない。
「ジオ、待機中のギルド員の名簿をまとめてくれ」
ロアの呼びかけに応じ、そのすぐ隣に少年が姿を現す。黒い髪に翡翠のような緑の瞳。風神の現身でありラウの領主、ロアの弟のような存在であり、護衛を担う右腕でもあるジオ・ベルヴラッドは、ロアの指令に頷きを返すとふっと姿を消した。能力による空間転移だ。それを見送ってから司令室を出る。今の時間帯なら郁夜はまだ食堂か自室にいるはずだ。司令室で待っていればそのうちやってくるが、迎えに行ったほうが早い。
ロアはこのギルドの後ろ盾として組織に与している。なにか問題が起きたとして、いざというときはできる限りの手助けをするし、有事の際に矢面に立つ覚悟もある。当然だろう、盾とは前に構えるものだ。だが、いつまでもロアに頼ってばかりいると彼らのためにならないので、普段はせいぜい少し手を添え支えながらも見守る程度に留め、基本的なギルドの運営は礼と郁夜を筆頭としたギルド員たちに任せてある。今日のように代わりに依頼を受け付けたりというような雑事を手伝うこともあるが、これより先は彼らの仕事だ。
司令室を出て廊下を進み、階段をあがって三階へ。これより上の階はギルド員たちが寝泊まりする居住階層となっていて、起床時間には多少の個人差があるものの、既に何人かは起きて外に出てきている。三階に移ってすぐ傍にいたギルド員に声をかけた。
「柴闇、郁を見なかったかい?」
うしろで結われた藍色の長い髪が揺れ、眼帯姿の少年が振り返る。天風柴闇は青い左目で郁夜の部屋のほうにちらりと一瞥くれてから首を振った。
「まだ部屋にいると思うぞ。俺、今ちょうど食堂から戻ってきたとこだけど、たしかそっちでは見なかったからな」
「そうか、ありがとう。行ってみるよ」
短く切り上げて歩を進める。しかしロアが辿り着くより先に、郁夜の部屋の扉が開いた。軽く寝ぐせのついた茶色い髪。左の頬に残ったひと筋の傷痕。白いシャツの胸ポケットにペンが一本。雷坂郁夜は部屋の扉を閉めて鍵をかけたところでロアの姿に気付く。
「ロア、こんな早くにどうしたんだ」
「おはよう。うしろに寝ぐせがついているよ」
「えっ」
ロアの指摘で後頭部に手をやり、郁夜は恥じらいのため息をついた。仕草はあわてていたが表情にはほとんど変化がない。顔に出にくい性質なのだ。郁夜ははねたうしろ髪を片手で隠しながら、今しがた施錠したばかりの扉に再び鍵を差し込んだ。
「なおしてくる」
「そんなに目立たないけど」
まじめで几帳面な性格なので見過ごせないのだろう。寝ぐせを正しながらでも話はできる。郁夜のうしろについて彼の部屋に入ろうとしたとき、視界の外から聞き慣れた声がした。
「あら? ロアじゃない、なにしてんのよ」
側頭部で束ねた紫の髪に、目尻の吊り上がった青色の目。ロアより小柄な身体にまとっている軍服は、ロアが着ているものに似ているが襟の形が少し違う。建国直後にロワリア国に吸収されたリワン亡国の化身、リン・ヴェスワテル。ロアの妹のような存在だ。
「リン、君こそ珍しいじゃないか。いつもはもっと遅起きだろう」
「昨日の夜は静來や誰瓜たちと遊んでたのよ。カナの部屋だったんだけど、そのまま泊まって一緒に起きたから、今から部屋に帰るとこ」
「ということはカナはギルドにいるのか……彼女、今日は非番かい? 近々任務に出る予定は?」
「え? うん、静來と誰瓜は明日から任務らしいけど、カナはしばらく暇って言ってたと思うわよ」
「そうか……」
ロアが思いついたようにぽんと手を打つ。
「ああ、そうだ。リン、ちょうどいいところに来てくれた」
「な、なによ。なーんか嫌な予感……」
*
「絶っ対に嫌!」
ひとまず郁夜の部屋に入り、事情を説明すると真っ先にリンが高い声を出した。
「私にも行けって言うんでしょ!? なんで私がそんな危険な任務に行かなきゃいけないのよ!」
「そんなに危険な任務になるとは限らないよ。それに亡国はすることがなくて暇だって、君がいつも言ってるじゃないか。遊んでばかりじゃ身体も鈍るだろう」
「そうだけど任務に行きたいとは言ってないわ!」
「とはいっても、セレイ――失礼。あのクソ野郎が子どもの人手を所望しているからね」
「なんで言いなおしたんだ今。言いなおした意味あるのか」
「教育に悪いだろう」
「バチバチに喧嘩売ってんな……」
「っていうか探偵はどうしたのよ、そういうのってあいつの担当じゃないの?」
「探偵は昨日帰ってきたばかりじゃないか、それに今は療養中だ。スーリガでの任務中にどこかで全身を強く打ったらしくて、帰還後に判明したようだけど、どうも肋骨が折れていたらしい。しばらくは自室で安静にするよう診断されている。ドクターストップだね」
ロアの言葉に郁夜も頷く。
「怪我のことがなかったとして、探偵は帰還前から休暇の申請をしていたから絶対に動かないぞ。例の研究所での任務から事件の後処理まで、ずっと休みなく働いてたみたいだからな。さすがのあいつも今回ばかりはずいぶんくたびれたらしい」
「それに、今回は低めの年齢層で編成する必要があるからね。いざというときの戦力面も考慮しないといけない」
「なおさら嫌よ。西大陸なんて治安の悪いところ、任務に関係ないところでも危険だらけじゃないの! 子どもがさらわれる前に私がセレイアに誘拐でもされたらどうすんのよ?」
「戦争だよ」
「しれっと恐ろしいことを……」
「まあ場所はセレイアじゃなくてウォルトだから、その心配もないだろう。それに今はスーリガが自国に帰っているから、あいつはしばらく忙しくて私たちへの嫌がらせどころじゃないはずだ」
「だからって私が行ったところで戦力になんないじゃない」
「大丈夫だよ、もしなにかしらの戦闘が起きたとして、私が鍛えた君が弱いはずがない。なにがあっても落ち着いて対処すれば切り抜けられる」
「で、でも……」
「君が亡国であるゆえに、多くの民草は君の素性を知らない。このあたりじゃともかく、国土を離れた別の大陸ではとくにね。メディアへの露出がほとんどなく、世間に面が割れていないという点は、君たち亡国が持つ強みのひとつだ。国家と同等の基礎能力を持ちながら、素性を隠して人々にまぎれこむことができる」
「たしかに、いざというときの切り札としてリンをつれて行くのは名案かもな」
「ち、ちょっとやめてよ! そんなプレッシャーになるような言い方されると余計に行きたくなくなるわ」
「なに、君一人で行かせるわけじゃないし、ちゃんと引率として他の年長者も編成するさ。ただ、情報収集の一環として領主に会いに行く場合もあるだろう。民草はともかく、国家や領主と関わりのある者なら亡国である君のことも知っているから、諸々の処理がスムーズに進むことも期待できる」
「もー、やだぁー、吐きそう……本当に私が行かないとダメなわけぇ?」
リンは弱気だ。
「そんなに心配なら、向こうで電話を借りるといい。定期的にこっちに状況を報告してくれれば、ある程度の指示は出そう。万が一、君では対処しきれない事態に直面したときもだ。状況に応じて、必要なら私が直接救援に向かうよ」
「本当に? なんかあったら絶対すぐ助けに来てよね?」
「約束するよ。それなら行ってくれるかい?」
「ううー……、わ……わかったわよ……」
「うん、いい子だ」
「それじゃあ、他のギルド員の選抜だな。ロア、書類の作成は任せていいのか」
「ああ。依頼の連絡を受けたのは私だからね、依頼書は私から礼に提出しておくよ。今ジオが待機中のギルド員を洗い出しているところだ。リン、詳しい日時は追って連絡するけど、先に準備をして休んでおくといい」
しぶしぶといった様子で頷き返し、リンは廊下への扉を開ける。半分だけ外に出た状態でふと思い出したように振り返り、強く訴えた。
「柴闇と勇來はメンバーに入れてよね! 零羅でもいいわ。それか夜黒とか、他の誰か頭いいやつ! 鬼礼は嫌! 絶対嫌!」
「はいはい、確認しておくよ」
そのままリンが出て行き、ひとりでに閉じていく扉が向こう側の景色を閉ざす寸前、隙間から白い指がぬっと差し込まれる。再び扉が開いた。瞬間、周囲の温度が著しく低下していくのを肌で感じる。
「なにが嫌だって?」
色素の薄い肌と白い髪に、ガラス細工のように涼やかな青の瞳。見かけだけなら間違いなく美少年と呼べるだろう。今しがたリンに強く拒絶された少年、雪白鬼礼だ。
「任務のメンバー編成さ。君と一緒は嫌なんだって」
「へえ、どんな任務だい?」
「少なくとも戦闘がメインのものではないよ」
「なんだよ、つまんないね。こっちこそ願い下げだ」
興味を失ったらしい鬼礼は即座に身を退いて立ち去った。彼は戦場にしか楽しみを見出せない性質で、なおかつ非常に自分勝手な性格なので、戦闘が想定されていない任務は基本的に突っぱねて放棄する。わがまま度合いはリンより上をいくだろう。単純な戦力としてはギルドでも上位に入る逸材だが、いかんせん性格に難があるのでリンは彼を嫌がっているし、扱いづらさは組織の中でも群を抜いている。
いつもどおりの鬼礼の態度に、ロアは思わず苦笑いを浮かべる。郁夜も呆れてため息をついた。
「とりあえず、今は礼が起きるのを待とうか」
次回は明日の十三時に投稿します。